水無月の十九 / 寸劇出演とか

●6月某日: (facebookより)
男女共同参画基礎講座 in アミカス。参画サポーターとして、第1部の寸劇に出演しました。

舞台は、地震のあとの避難所。
みなさんと一緒に練習して、劇団の先生に演出つけてもらって、ライトを浴びて・・・(ってほどのライトじゃないけど 笑)、楽しかったですw

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第2部は、歴史小説家の木内昇(きうちのぼり)さんの講演会。

江戸時代といえばガッチガチの身分制度、男尊女卑、女性は三歩下がって・・・
というイメージがあるが、特に新興都市・江戸は意外にフリーダム。
男は目立ちがり屋のお調子者が多くて大して働かず、女性も「ったく、男ってやつは、しょうがないねえ」って感じでそれを許容していた(男性を尊敬して立てていたわけではないw)

また、女性でも、身分や学があるわけでもないのに、幕末の活動家として有名な志士たちにグイグイ絡んで熱い仕事をする人も少なくなかった。しかも、当時としては老齢にさしかかっている、40代、50代になってから活動家デビューした女性・・・

ということで、ここ福岡は平尾に山荘跡が残る、野村望東尼が紹介されました。
うんうん。
高杉晋作を平尾の自宅でかくまってあげてたのよね~。
高杉晋作は、30も年上の彼女を心から信頼し、彼女が活動家として逮捕され流罪に処せられたときは、自分の配下を使って、極秘裏に脱獄させている。

わずか28歳で結核で世を去る高杉を看取ったのも望東尼だった。
ちなみにこの望東尼、2015年の大河『花燃ゆ』に登場しましたよ。真行寺君枝が世にも美しい尼姿を披露していました♡

高杉晋作は、高良健吾
本日、会場は満員御礼で300人以上の人が詰めかけていたのだけど、文久二年とか寺田屋騒動とか和宮降嫁とか足利三尊とか、めっちゃ歴オタwordsが頻出してたので、ぐつぐつと沸き立つ一方で(文久という年号だけで熱くなる幕末脳) 、「これ一般の方にはチンプンカンプンなのでは・・・」と、いらん心配もしたり。

足利三尊の首切りなんて、超マイナーだけど、2013年の大河『八重の桜』でやってたんだよね。穏健派だった松平容保綾野剛)に超ショックを与えるエピソード。大河ドラマを見続けて(無駄な)知識を増やしている人生です(笑)

後半の質問コーナーでは、不肖わたくしの質問をいの一番に取り上げていただき光栄でした♡

終了後は、木内さんに直接、著作の感動をお伝えしたりして、ミーハー心がみたされました! それにしても、お話を聞いてると、よみがえる高杉萌え・・・♡♡♡

どっちかというと、2010年の大河『龍馬伝』で伊勢谷友介が演じた高杉のインパクトが強いけどね。
司馬遼太郎の『世に棲む日日』の高杉もイイ!! なんだかんだゆーて、司馬さんが書くヒーローはかっこいいのよね。

昔書いた感想 ↓↓↓

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「歴史を知ることは、いろ~んな、変わったことをした人がいると知ること。それは、生き方を広げてくれることです」

と、木内さん。わかる~! 生き方はたいして広がってないけど(笑) 萌えは人生を豊かにする!!

木内さんの歴史小説は超硬派。甘くないところに、逆に萌えるのです

emitemit.hatenablog.com

午前中からリハーサルをして解散は16時半ごろで、1日仕事だったけどそれゆえの充実感。

明け方大雨、昼休みごろも大雨+雷でサクの登下校を心配していたけど、幸いその時間はやんでいてよかった。夜ごはんは、野菜たっぷり焼きビーフン、アジ刺。サラダ。夫は飲み会。人事異動の季節で送別会が相次いでいるもよう。

 

水無月の十八 / サッカーW杯、一次リーグ最終戦

●6月某日: 朝10時に天神に着こう!と思ってたけど、モヤモヤしてることをfacebookに吐き出してたら遅くなった。コレ ↓

facebookではガチで文章を書くとガチなリアクションいただける傾向にあり面白いです。

ひと足先にバーゲン始めているお店などで買い物、だいぶ前から買おう買おうと思っていたお茶やバスグッズもやっと買う。で、帰ってきてから某カードを失くしてることに気づき沈没・・・。夜ごはんは、ジャージャー麺。もやしときゅうり、大人はミョウガもたっぷり。

11時からグループリーグ日本の最終戦、相手はリーグ敗退が決まっているポーランド。お互いピリッとしない感じの中、とはいえ地力では勝るポーランドはちょっと隙があるとすすっと攻めあがってくるのを、川島のファインセーブで救われたり。よかった・・・いろんな意味で・・・・。こんなツイートがTLに回ってきて、いいなと思ってRTしたら吉田麻也選手のツイートだった!

で、試合はみなさんご存知の通り、後半にポーランドに得点され1-0に・・・。しかし裏のコロンビア-セネガル戦でコロンビアが1点リードした結果、日本はこのまま負けてもイエローカードの数でリーグ勝ち抜けが決定することに・・・。

フェアプレーポイントなるものでリードしているため、ボール回しして勝負しないという、フェアでないプレーを・・・。不思議な光景でした(笑)

私 「えーっと、こーゆーことしてたら、フェアプレーポイント取り消されたりしないんですか? ほら柔道だったら組み合わないと警告とられたりするやん?」
夫 「サッカーにはそーゆーのはないのです。ただしここでセネガルが1点取り返したら終わりです」
私 「チャンネル替えて! セネガル戦に!!」

この、リスクをとったチャンネル選択は成功(笑)
試合後、長谷部の「最後は面白くないサッカーを見せてしまったが、これが勝負です」みたいなコメントが、わたくし的に100点でした!

 

水無月の十七

●6月某日: 午前中、幼稚園時代のママ友が主催するママ向け防災イベントへ。イベントのネーミングといいチラシのデザインといい、そしてもちろん会の運営といい、さすがとしか言いようのないセンスとクオリティで感心!!! 何もしてないけど誇らしい気分すら。

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非常食の試食をさせてくれたんだけどレパートリーが半端ねー!!! 非常食ってこんなに進化してるのね、ってのもあるけど、よくこれだけ集めたよねっていう驚愕! 久しぶりに会う人もたくさんいて楽しかった。 

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午後は、男女共サポーターで寸劇の練習。本番が近い。基本的にちょい役なので気楽で、わくわくしている。夜ごはんは、餃子、大豆と野菜のトマト煮、サラダ。それにしても昨日は歌舞伎で3幕集中したうえ、日付が変わってからのサッカーでとにかく寝不足、疲労。もちろんサクと一緒に寝た。


●6月某日: 湿度が高い!! 家でこまこま仕事。夜ごはんは、焼きそばUFOをサクと半分こ。たっぷりの肉野菜炒めを乗せて。たまにはこんなんもいいよね。味をしめてたびたび繰り出してしまいそうな気がするがw 夫は飲み会。フランス-デンマーク戦を見てたけど、お互いに「ドローでええよな」「ええよええよ」感があったような。


●6月某日: ね・む・い! 7月のイベントのチラシまき。買い物とかも含め、よく歩いた。昼はホットなグリーンカレー。夕方、サクのスイミング。帰りに美味しいたい焼きを買い食い。こういう小さな出来事が親子のプライスレスな思い出になるんだろうなー、とチラッと思う自分のセンチメンタルがイヤだw 

夜ごはんは、イワシのグリル、にんじんしりしり、ポテサラ、みそ汁。夏のみそ汁うまい。や、具は冬とあんま変わらんやつやったけどw 

 

幸四郎・白鸚襲名公演@博多座!!

●6月某日: (facebookより)

博多座で歌舞伎! 松本幸四郎白鸚、襲名披露。はぁ~。贅沢したわ。
「歌舞伎のチケット、とったんだ~」って息子小2に言ったら、間髪入れず「ぜいたくだな!!!」って返されたもんね。
わぁってるよ! てか、値段言ってないのに何で贅沢ってわかるんだよ!
そもそも、夫でさえそんなこと言わないのに、なぜ7歳に・・・w

ともかく、チケット代を思うと、目を皿のようにして見てしまって、疲れました(←貧乏性)

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【俊寛】って知ってます?

時は平家の全盛期、平清盛に反抗した罪で、鬼界が島に流された3人の男。そのうちの1人が俊寛。
貧しさと飢えと孤独に苦しむ彼らのもとに、ご赦免船がやってくる。
船には3人しか乗れない。でも、3人で一番若い男は島の娘と契っていた。

いろいろあって、俊寛はみずから身を引き、代わりに島の娘を乗せてやる。
皆を乗せた船は少しずつ遠ざかり、地獄のような島に一人残される俊寛・・・。
そこで終われば美しい自己犠牲の話だけれど、終わらないから文学なんである。

やがて船の中から自分を呼ぶ声が聞こえなくなり、波音と風音だけに包まれると、
一転、俊寛は苦悶に顔を歪め、海に入ってもがきながら船を追う。
波にのまれて無理だと悟ると今度は岩山に駆けのぼり、帆影を追い続ける。

やっぱり自分も乗りたかった、乗せてくれ、一人は嫌だ。
・・・という思いを表す名文句、

『 思いきっても凡夫心(ぼんぷしん) 』
義太夫が語る。

どんなに思いきり、悟ったかのようにふるまっても、やっぱり凡夫の心が押し寄せてくる。このリアリズム!!! 冷徹な人間観察にして、人間の弱さの肯定でもある。
1719年、近松門左衛門の作。すんごいね!!!!!
仁左衛門の芝居はもちろんだけど、台本(戯曲っていうのかな?)のすばらしさに鳥肌立ったわ。

ちかえもんのおっさん、やるやん!!
と、一昨年、ドラマ『ちかえもん』で近松門左衛門を演じた松尾スズキの顔が思い浮かんでたよね・・・。

【魚屋宗五郎】は、江戸の庶民の生活を描いた世話物なんだけど、主人公が酒乱です。

妹が殺されたショックで禁酒を破ってしまった酒乱の男がやり散らかし、周囲がすったもんだする

・・・っていう笑えないシチュエーションなんだけど、これが滅法笑えます。
酔っぱらいの言うことなすことがひどすぎるw 誰もがやったことあるか、見たことあるか、そういうやつやww

最後は何でハッピーエンドになるかっつーと、お殿様も酒乱だったからw ひどいww
こちらは1883年初演、ジャッキー・チェン酔拳(懐かしいw)より100年前ですよ。

書いたのは河竹黙阿弥
『 矢でも鉄砲でも もってきゃぁがれ!!! 』
っていう名台詞があるんですが、酔っ払いの大トラの発言です(笑)

新・松本白鸚(元、幸四郎王様のレストランの千石さんね)が宗五郎をやってるんだけど、すんごい立ち回り! すんごい体力!! そして、酔っ払いの芝居に、どこか西田敏行みがあるww

最後の【春興鏡獅子】は、長~い獅子の毛のかつらをぶん振り回すやつです。

全部で20数名の長唄(ボーカル)・三味線・お囃子(鼓や笛など)連中が、上下の雛壇にずらっと並んで生演奏。すんごいゴージャス! 

襲名披露というおめでたい舞台にぴったりの演目なんです。
胡蝶の精の少女2人の衣装とかも超かわいくて豪華なの。
少女っつっても、演じてるのは大の男なんだけど。
だいたい、勇壮な獅子の精が、二十歳になったばかりの恥ずかしがり屋の女中さん(あ、演じてるのは40ウン才の幸四郎だけど)にとり憑くっていう設定が謎。

だから、この演目では、前半はかわいい女中さんとして清楚に舞い、後半は同じ役者がごっつい衣装に着替えて出てきて獅子の毛をぶん振り回す。
歌舞伎ってそういう、トランスジェンダーとか両性具有的な演目けっこうある。
ジェンダーの面から考えても面白いかも。

実はさっきの【魚屋宗五郎】も、昔は殺されるかわいい妹と、酒乱の宗五郎を、同じ1人の役者が演じてたらしい。

幕間にイヤホンガイド聞いてたら、新・幸四郎(もとの染五郎ね)さんが「妄想人生すごろく」っていう謎のコーナーをやってて、

「博多を舞台に新しい歌舞伎を作るなら、明太子 vs 鶏卵素麺の戦いですね!!」

とか言ってはしゃいでて、私は大枚はたいて博多座くんだりまで来て、何を聞かされてるんだろうという気分に・・・(笑)
いや、歌舞伎役者ってそういう人ばっかりなんだよねw

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ほか、メモ。

『俊寛』
・少将成経は雁治郎。平判官康頼に猿弥。海女の千鳥には孝太郎。瀬尾は弥十郎、丹左衛門に梅玉

・「りんにょやってくれめせや」(?)というセリフが何度か出てくる。「かわいがってね」「よろしくね」みたいな方言として使われているらしい。

・ご赦免船の作りが存外立派。

・瀬尾「慈悲も情けも身共は知らぬ」という役人の無慈悲が、丹左衛門によって皮肉られ、俊寛に殺されるんである。見事なブーメラン。とどめをさされると手下どもがサーッと遺骸を始末するのがなんかドライw

・赦免の書状を見て(自分の名前が)「ない、ない、ない」とか、もはや殺るしかない、と瀬尾殺害を決意するところとか、型が見事。わかりやすい。

・千鳥が海女の道具で瀬尾と立ち回ったりして面白い。

・「鬼界が島に鬼はなく、鬼は都にありけるぞや」近松は名文句の嵐だなあ。

・最後、花道がザーッと海になる演出すごかった。

『口上』
藤十郎の口跡にちょっと元気がないような・・・

・孝太郎 「幸四郎さんのお相手を何度もつとめさせていただいているが、映像では妹の松たか子さんとも夫婦役を演じたことがある」 何の自慢だよww 映画『ちいさいおうち』ですね。

白鸚 「博多座は7年ぶり。女房が博多出身なので、夜のお誘いがひきもきらないが、一心に舞台をつとめさせていただくのみの有難い博多の夜」

幸四郎 「半分は博多っ子の血が流れている。芸道未熟、不鍛錬だが、歌舞伎のため、歌舞伎の力になりたい」

全体的にさらっとさわやかな感じ。口上は各役者のキャラやキャリアのみならず、お家のカラーも出るよねぇ。「いずれもさまにおかれましては」「乞い願い奉りまする」「隅から隅までずずいーーーーっと」など、聞かせどころを心得た口跡は本当に心地よい。

『魚屋宗五郎』
・明治に入ってから作られた戯曲だけど、江戸の風俗がよくわかって面白い。丁稚奉公の小僧さんとか、煙草盆とか。江戸っ子口調もいい。

・妹が非業の死を遂げて暗く悲しい家の中と、年に一度のお祭りで囃子も聞こえる外っていう対比。

・亀鶴が演じるの男衆、三吉がうまく笑わせる。

・「いい酒だな」「あ~うめ~」「いい酒だな~おい」「親父の代わりにもう一杯」「かけつけ3杯っていうだろ」

・分別者の宗五郎、飲むにしたがって父親を「狸親父」女房を「うわばみ」そして極めつけは、弔問に来たおなぎさんを「おたふく」と言いくさる! ほんとひどいw

・おはまさん、めっちゃいい奥さん~! 魁春のお芝居もいい!

・「ほんとのことなんだから言ったっていいじゃねーか」「(妹には)れっきとした親もありゃ兄貴もあったんだ」こちらも名文句続出。

・酔っ払いの六方! 幸四郎、もろ肌脱いで大立ち回り!

・俊寛の仁左衛門、宗五郎の白?。いぶし銀なだけじゃなく、活力あふれる芝居が見られて本当によかった。白?なんか、舞台上でもどうにも体調が悪そうだといわれていた時期もあったようだし・・・。ぶっちゃけ、幸四郎はこれからまだ何十年も見られるわけで、上の世代の舞台はやっぱり、見ときたいもんだなと。

 

『私たちの星で』 梨木香歩 師岡カリーマ・エルサムニー

私たちの星で


「人はなぜ、帰属意識を個人のアイデンティティとし、優越感に浸ってしまうのか?」

ISが猛威をふるい、世界中でムスリム・バッシングが吹き荒れ、また各国で右傾化がすすむグローバル社会で、“ほとんど無力に等しい私ですら何かできることはないかと”思った筆者は、編集者に10歳ほど年下の女性を紹介された。

師岡カリーマ・エルサムニー。日本人の母、エジプト人の父をもち、カイロ大学ロンドン大学で学んだ彼女は、作家からの手紙を受け、自分はムスリムを代弁はできないと当惑したという。

実際、序盤の手紙で彼女は、「社会の雰囲気を鑑みても、いま、日本に対する批判めいたことは言わないようブレーキをかけている。また、複数のルーツをもつ自分は身軽だが、どの文化に対しても責任を負わず “渡り鳥” として逃避しているのかもしれない」旨を書いている。

ムスリムのこと、イスラームのことをもっと知りたい、学びたい」という願いをやんわりと退けられた形だが、梨木さんはそこで食い下がらず、カリーマの「繊細さとタフさ」を称え、「個人としてのたたずまい」に強い関心を寄せたうえで、ゆっくりとした道筋をたどりながら、彼女自身逡巡しつつ、「ムスリムとしてのカリーマの思い」を引き出してゆく。

往復書簡を交わすうち、カリーマはその対話を「自己再定義の旅となった」とあとがきに書くのだが、そこには思いがけない変化も添えられている。

「日本批判と受け止められるような発言は避けている」と言っていた彼女が、今は東京新聞にコラムを書いていて、「渡り鳥だのといって逃げているわけにはもういかない、中立な安全地帯で書いたコラムに何の価値があろう」と、コミットメントを宣言しているのだ。その変化に、この書簡を交し合った梨木香歩の存在がいかに大きかったか、また今もそれは続いていると彼女自身が書いている。ここにはそれだけの深い対話が収められている。

語られるのは、旅先での出来事や、本の感想、子どもの頃の記憶や、不思議な夢の話。と書くとずいぶん身近な話のようだが、彼女たちは広い世界での経験をもち、その取り出し方は知性にあふれ、なおかつとても人間的だ。たとえば梨木さんは、生まれ育った南九州で食べていた「チマキ」が中華ちまき(米を使った携帯保存食のようなものが起源)に近いことを大人になって知る。

表舞台に上がらぬ草の根で、女たちの手から手へ、律義に伝えられてきた歴史

料理は土地の歴史を語り、個人の過ごしてきた日々も語る。代々の人々の記憶に、手に、更新されながら、ものによっては、芸術作品と呼ばれるものより遥かに生き延びて。

とは、梨木さんの文。これを読んだカリーマは、

南九州は、同じ日本の京都とよりも強く、チマキによって中国とつながっている。日本は島国だというが、たくさんの島によって構成されているから多彩だし、大陸とは海で深く繋がっている

と感想を書き、「もしかしたらエジプトのほうがある意味島国かも」と驚くべき所見を述べる(その理由は、本書にて)。

また、父の友人を通じて、自分にはタタールロシア連邦に属するタタルスタン自治共和国)のルーツも持っているというカリーマは、幼いころから家族ぐるみでの付き合いだったアブケイ(おばあさん、の意)が作る料理に、ある日ハッとする。中央アジア的なタタール料理の王道ではなく、ロシア風の味付けだったというのだ。

酒も飲まず礼拝も欠かさない敬虔なアブケイは同時に、征服者ロシアの文化も自分のルーツとして大切にしていた。

異文化の包摂が、革命や亡命や戦争を生き抜いたひとりの女性によって体現されていることに、カリーマは深い感銘を受ける。

文化はそれ自体が重層的に融合した異文化の結晶であり、それぞれ尖ったり曲がったり濁ったりして、どこかに新しい色をもたらす要素となればいい。

という彼女のその手紙でのしめくくり。なんて知的な考察、そしてすてきな文章を書く人だろうと思う。

トルコの村で見た、ギリシア正教の教会を転用したモスクの寺院。カンボジアの寺院では、人間が残した石造りの建物を、木々が根を張り枝を巡らせて包み込み「面倒を見るように」崩壊から守っている。

ニューヨークの民泊で、家主のゲイのプログラマーが瞬時にムスリムへの気遣いを発したこと。マンハッタンの民泊では、アラブ人の(ルーツを持つ)カリーマに対し、家主の夫人が即座に「私はユダヤ人です」と明かしたこと。イスラエルの建国以来激しく争っている2つの民族では、初対面で片方がアラブ人とわかれば、もう1人も自分がユダヤ人である旨、速やかに明かす(逆も然り)のが暗黙の了解になっているという。

こうして読んでいると、私たち日本人はあまりにも異文化への無知、経験の少なさから偏狭なナショナリズムに陥りがちなのだなとつくづく感じる。本文中では「異文化の経験が寛容を鍛える」とある。

特に、カリーマという一人の女性を通じて伝わってくる「アラブ」「イスラーム」は非常に興味深い。私たちはイスラムといえば女性が全身を覆うヒジャーブを連想する、しかし昔は国や文化によって女性の服装も異なり、ムスリムの在り方にも多様性があった。グローバル化(という名の西洋的価値観の広がり)に反発する形で、ヒジャーブという画一化が進んだという分析には目からうろこが落ちる。

また、宗教というものについて、「信仰は神のためではなく人のため」「本来、人と神との契約である信仰が、人と世界との関係に重なってきたとき、イデオロギーアイデンティティ、プライドやナショナリズムにつながっていく」という考察は、信仰をもつ人ならではだと感じ入った。かくれキリシタンの殉教や、カトリックの修道女の頑迷さを2人がどう語るか、ぜひ本書を読んでほしい。

正直に言うと、特に後半は何度も涙しながら読んだ。異文化包摂とか、比較文化論と括るには、あまりにも心の深いところを刺激する対話だ。

日本人にとってアジアとは己であり、西端はせいぜいインドあたりだが、ジョージアアルメニアなどコーカサス地方の人にとってはアジアとはペルシャやその周辺で、インドはアジアの東の端ということになる。私たちは斯様に異なる、でも誰もが「私たちの星で」生きている。その中で「個人としてのたたずまい」は、多様な価値観や文化の中で磨かれるものなんだろう。

水無月の十六 / 『23分間の奇跡』『茶色の朝』

●6月某日: 「ゆるマジ」生配信~。今回のテーマは、全然深くないワールドカップの話 “少数派は肩身が狭い” からの、男女候補者同数をめざす「パリテ法」について。なかなか面白かった・・・気がする(おめでたい奴w) お昼ごはん食べながら7月のイベントの打ち合わせも。

www.youtube.com

そうそう『23分間の奇跡』借りて読んだ。すっっっげー怖い!!! 洗脳というのはすべからく、押しつけではなく主体的選択としてなされるように仕向けられるものなのだ。ファシズムや宗教、ブラック労働、マルチ商法まで、子どもなんてイチコロだよね。これと『茶色の朝』は、ぜひ多くの親御さんに日本語訳でいいから原書を読んでほしい。

23分間の奇跡 (集英社文庫)  茶色の朝


週末なのでサッカーを見るぞい! W杯ってほんと中毒性ある。

ブラジル×コスタリカコスタリカのGKはレアルマドリードの正GKらしく、ものすごくうまい(語彙が貧弱)。ブラジル相手にすごいがんばってるコスタリカに思わず肩入れしつつ、このまま0-0で終わるかなと思う頃に1点入っちゃった!そして最後のロスタイムにネイマールが追加点。終わった後、ネイマール、ピッチに座り込んで泣いてたよ。苦しかったんだね。

 

●6月某日: 朝からコロッケのタネを仕込む夫タロー。午前中はサクさんが行きたいところへ家族で行き、午後は順番に夫がゴルフ→私がランニング。サクがコロッケの成形を担当、上手。タケノコとチーズが入っている。そのほか、牛タン(薬味に紫玉ねぎ)、めざし、トマトやきゅうり。揚げたてのコロッケが感動的にうまい・・・やめて・・・箸が止まらなくなる・・・。

サクが人間の下半身にめっちゃ興味を持っていてめちゃめちゃ面白いしゃべり&質問をしてきて、めっちゃ笑い、かつ、感心する。ネットへの記録はいちお自重しておこう・・・。

 

9/1『半分、青い』5秒目がこないハグ!!!!!

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いやー。奥さまごらんになりました? 今日の『半分、青い』のラスト。別れを前にした2人のハグですよ!
「律、5秒数えて」「1,2,3、よーん・・・・」「ふふ。4秒目長いな」「まあね」で、体勢変えて抱きしめなおす律ですよ・・・! 

7月にやった『みんなで話そう!小学校』でも紹介した、ベテラン教員の岡崎勝さんが書いた『学校目線』という本で、
「我が子が自己中心的だと言われたら?」
というセクションが特に好きだったんだけど、それ思い出した。

『自分を中心に据えて考えるのはあたりまえのことで、変でもなんでもない。ごくふつうのことだ。いくらわがままといわれても、まわりの人の顔色ばかりうかがって、自分の感情を偽ってはいられない。』

もちろん、やりたい放題やっていいと言ってるわけじゃなく、「周囲を見て、うまく調整しあいながら自己中心的になれるのが理想」と岡崎さんは言ってるんだけど、でも一貫して、「自分の意思」をもって生きることを否定してない、むしろ大切にしているのだ。

『自分あっての他者なのである。ときには、自分の自己中心的な意志でもって、まわりを不快にさせることもやむをえないし、たまにあってもしかたないだろう。
 誰にでもご機嫌うかがいして「自己中心的じゃないね」といわれても、それがいいことだとは思えない。「あいつは自分のことしか考えてない」といわれても、やらねばならぬときがある。』

この本、ほかにも、インクルーシブ教育とか「学校はたくさんの『ヘンな子』が集まってエネルギッシュに過ごすところ」とか、いいところたくさんありました。

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あと、律に「鈴愛、がんばれよ」と言われて、鈴愛ちゃんが「おまえもな」って返すのがすごくよかった。鈴愛のぞんざいな言葉遣いが大好きだ。
月曜日から2学期が始まったばかりだというのに、土曜授業で子どもが学校に行ってるので、今日も朝ドラの感想を書くヒマ人でした。(笑)

8/31『半分青い』見て鈴愛ちゃん並みに感情爆発するの巻

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水無月の十五 / 市議会で理想と現実のせめぎあいの対話を見る

●6月某日:(facebookより)
子育て世代で市議会の傍聴に行こうツアー第3回、「障害を理由とする差別の解消を目的とする条例」についての審査を傍聴しました。審査ってことは、条例はかなり制定に近いところまできてるんだと思います。

役所の職員さんたちに対して、議員さんから
「丁寧に進めてこられた」「真摯な取り組みに敬意を表する」
という賛辞がある一方で、

議会という公式の場でやりとりすることによって
「議事録=公文書」に記録しようという意味合いもあるのでしょう、
これまでの議論を再確認するような流れもありました。

共産党の中山議員だったと思うんだけど「何人(なんぴと)も」「努力義務」という言葉についての質問と、回答する職員さんたち。そのやりとりは非常に興味深く、考えさせられました。

「【何人(なんぴと)も】障害を理由に差別をしてはならない、それは人権侵害である」
と基本理念の項目には謳っているが、
実際の実行規定では、【何人(なんぴと)も】という文言がない。
市民も、事業者も、行政さえも、「差別をしないこと / 合理的配慮をすることは『努力義務』である」と書くにとどまっている。「主体的に努力してね」と言ってるだけ。

差別には明らかに人権侵害という違法性があるのだから、もっと強く「義務である」と書くべき。他の地方公共団体では、ちゃんとそう書いてるところもあるよ?
と、議員さんは発言。

それに対して、役所がわは

・「差別をする側 / される側」という対立構造を作って分断を煽るのは避けたい
・「法で規制している」感を出しすぎると逆効果
・どこからが差別でどこまではセーフか、その線引きは個々のケースによってさまざまなので、一律に義務付けするのは難しい。
と回答。

議員さんはさらに

・市民はともかく、事業者や、最低でも行政には義務があるんじゃないの?
・義務化がなければ、改善へのスピード感は出ない。
・この条例を「つくる会」のメンバーをはじめ、当事者の方々は、今でも「義務化」「何人も」を求めている。
それらが盛り込まれなかった今回の条例は、ベストではなくベターにすぎない、と当事者の方は感じている。

と発言し、今からでも修正すべきだという感を語気ににじませていました。

この条例案について、今日初めて知った私としては、どちらの言い分もわかると思いました。

ただ大事なのは、シロートとしては
「こういう条例が必要ないくらい、助け合える世の中だといいのに」
(=条例の細かい文言にこだわるのは枝葉末節だ)
と、ぼんやり思っちゃうんだけど、それは非当事者の理想論にすぎないんだろうな、と。

「私は障害のある方を差別なんてしない! したことない」
たぶんほとんどの人がそう思っているはず。私もそうです。

でも、当事者の方の現実は別のところにあって、さまざまな場面で「障害があるから不便」どころか、「障害を理由に差別されている」と感じ、「解消のために条例を作ってほしい」 と訴えてきたのです。その声を千件以上 聞き取るところから、この条例案の作成は始まったようです。
高プロ法案のヒアリング12件とかとは違いますね…(笑))

私たちにとって法律などの文章は、四角四面で堅苦しく感じるものですが、当事者の方の声を知っていれば、やっぱり細かくこだわらざるを得ない。
一方で 行政としては、全方位的に考えなければならず、いきなりベストをめざせば必ずどこかで摩擦やひずみが生じるから、とりあえずマッチベターというのもわかる気もします。

これらのやりとりには、『理想と現実とのせめぎあい』という、さまざまな場面に共通するエッセンスが詰まっていて、
応酬はやや緊迫した雰囲気でもありましたが、ここに至るまでには、真摯な議論や対話があったことが感じられました。
ベストではなくベターという落としどころも現実そのもの。

そう、「努力義務」というのは、先月公布・施行された「男女候補者均等法」いわゆる「パリテ」法の内容もまったく同じです。これも、紆余曲折を経て、「ベストではないが、とりあえずここから育てていこう」ということで手打ちにした(←語彙が乱暴でスマン)という話でした。

傍聴後のランチ会では、
「それにしたって、見直しまで3年様子を見るっていうのは、長すぎない?!」
という意見で一致しましたが・・・^^;

今回、「一度も婚姻を経験していないシングルマザー」の方が参加されていて。
facebookでも公表されているので、ここに書かせていただくのもOKだと思います)

日本では、離別や死別によってシングルマザーになった方と、一度も婚姻していないシングルマザーでは、税金を始め制度が違うんですよね。(後者のほうが不利)

「仕方がないけど、多くの人がこのことを知らない。
 一人一人に差別されているわけじゃないけど、
 私にとっては、日本の社会全体から、どこかひどい扱いを受けているような感覚がある。 社会に対する静かな怒りがずっとある」

という彼女の話は、今日の条例の話にも通じて、とても本質的だと思いました。

知らないということは、悪気はなくても、暴力に加担しているのと同じ。そのうえで、対立は何も生み出さないから、
少しずつ対話を重ねていくしかないんだと思います。

対話ってなんだか綺麗な言葉だけど、立場や考え方の異なる人との対話は実際はすごく疲れる作業です。それでも対話していくしかない。今日は議会で、その一例を見た気分です。ランチ会も熱かった。

すいません、ふわっとカジュアルな感想を書きたかったんですが、すっかりガチなやつになってしまいました・・・・

夕方、どんぐり文庫へ。絵本「ピッツァぼうや」これ子どもが大好きなやつや~。

ピッツァぼうや

ストーリーテリングは『インゲンまめがきらいなアンドルシ』(タイトル違うかも)。これ前に本で読んだことあったけど、語りで聞くといきいきとして感じられるわやっぱり。ジプシーの昔話は本当に面白いのが多い。「え?」っていう展開、つまんない道徳の対極みたいなラスト。

夜ごはんは、鶏むね肉のピカタ、タケノコと春雨スープ、きゅうり。白和え。

水無月の十四 / 高橋プランクトンpresents「我ガ唄」

●6月某日: (翌朝書いたfacebookより)
ゆうべは高橋プランクトンpresentsのライブイベント「我ガ唄」へ。清川キャバーンビート。自分の歌を持ってる唄い手が次々に出てきてとても面白かった。

「さえきズッキーニ」っていう名前の女の子の歌にびっくりさせられた。2000年生まれ。たったワンフレーズで鷲掴みにつかんできて何度も何度も気持ちよく揺さぶられる。

ライブが終わったあと高橋プランクトンさんが
「暗いだけの歌を歌っている奴はいっぱいいる、暗い中にあたたかみが出てくるといい。それはだいたい年齢を重ねて出てくるもんなんだけど、さえきズッキーニはもう持ってる、それがすごい」
って話してて、ナルホドーと思った。暗い中のあたたかみかー。

私は彼女の歌、「キライ」とか「キタナイ」っていうネガティブな言葉が、ネガティブ感を失わないままキラキラと響くのがすごいなって思いながら聞いてた。「話したいことがあるじゃない?」ってサビで繰り返す歌が、明るい感じなのに切実なのもよかったー。

かなりキャッチーな印象もあるけど、「聞いてる奴がどう思うかとか知らん」みたいな勇ましいライブっぷりで惚れるしかない。この登場は(って割と最近登場した人ですよね?)センセーショナル!

グンナイマイキトゥンの歌はすさまじい技巧なんだけどいつ聞いても揺るぎないテンションつまり魂が入ってるからこそミュージシャンがみんなヒューヒューいうんだろうな。

でも「凄すぎるもの聞くと閉じちゃう人もいるよね」ってサニーさんが言うのもわかる。

実はミュージシャンが独りよがりの歌を歌ってるんじゃなくて、閉じてるのは聞き手のほうだったりする。
でも何回か聞けばすっと入ってきたり沁みてきたりもすることもあるんだよね。1回だけじゃわかんないものを面白いって思える感性はどこからくるんだろう。飢え?

学生のさえきズッキーニとか、今日初めてライブをしますっていうムコウさん(この、『処女をいただきました』感…どきどき)みたいな若い人と、チャーリー林さんみたいなベテランが一緒に出てるのも面白くって、林さんの歌きいてると生活の実感みたいなのが出ててすごくいいなって思う。かなり攻めてる詞を歌ってると思うんだけど言葉がふわふわしないのはさすがで、きもちよーく歌ってる感じだけどリズムがきっちり気持ちいい。

で、安田サニー、すごくよかったよ!!! サニーさんソロであんなに盛り上がるって知らんかった(笑)。

やりたいことがよくわかるなーっていうライブだった。ライクアローリングストーンで転がりながらワーッて盛り上がって(サニー訳の日本語詞めっちゃいいやん)、でもワーッて盛り上がるって「大きな歌」になっちゃうとこがあって、その直後にPKOという「大きなテーマなんだけど小さな歌」を歌うのすごいよくわかる。・・・って思いながら聞いてたら「HINOMARU」のクソキレ絶叫きた(笑)。自分が生まれた国にキレて何が悪い?!って話ですよねわかりますwww

この流れで書くと野田洋次郎さんのHINOMARUはさ、自分の国を好きだという詞が、なぜ御国とか御霊とか気高い血潮とか、そういう手垢にまみれた言葉のパッチワークになるのか?ってことなんだよ。まして手垢だけじゃなく、悲惨な死とか死んだほうがマシってぐらいむごい生を導いた言葉だって想像したことある? 

サニーさんが絶叫するまでもなく(笑 いや、すごいよかったよ。ほんとほんと。他の人たちはどう感じたのかすごい知りたい。)、最後に高橋プランクトンが「君だけのロックンロールを歌え、君だけの言葉で」っていうすごくいい歌を歌ってくれて、そうだよほんとそれに尽きる。失恋だろうが日の丸だろうが自転車パクられた話だろうが、君だけのロックンロールで歌えよ!!!!

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プランクトンさんが最後に歌った歌の最後でがんばれがんばれがんばれがんばれがんばれって連呼する。あんなにせっぱつまったがんばれ、初めて聞いたかもしれない。どうしても他人事感を醸し出しちゃう言葉ですよ、普通。

いいライブを見ながらお酒を飲むのは楽しい。いい音楽は酒をすすませるし、プランクトンさんが「投げ銭いらないんで飲んでください」って言ったのもあってけっこう飲んだ。けっこう飲んだけど飲み過ぎなかった私エライ! 大人になった!! 

清川キャバーンビートはお酒も食べ物もおいしくて安くて音響がよくて、しかも禁煙だからすっごくいいライブハウスです。それでは今から市議会の傍聴に行ってきます。

ライブのあといろんな人と話したのも面白かった。あ、夜ごはんは、パリパリ麺の皿うどん、みそ汁、ホウレンソウの白和え。家族と一緒に、軽く食べてからライブに行きました。