8/31『半分青い』見て鈴愛ちゃん並みに感情爆発するの巻
残り1か月、ここではっきりセリフで言うのね! 「自分が正しいかどうかわからなくて怒れない」「黙ってしまう」律。自分も含め、ほんとこれ大半の日本人のウィークポイントなんだよね。謙虚で和を尊ぶ美点でもあるけど、自己決定して表現する能力がない。その対極にいるのが鈴愛。#半分青い
— エミ-emitemit (@emitemit) 2018年8月30日
鈴愛を激しく嫌う人が少なくないのも、「怒り」に対する日本人の忌避感が強いんだと思う。もちろんパワハラや恫喝はよくないけど、自分の尊厳を傷つけられた怒りや、どうしようもない気持ちをワーッと発してSOSも、出すことができない。空気読んで抱え込む。鈴愛は怒る。だから異物に見える。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2018年8月30日
思ったことをすぐ口に出し、泣いたりわめいたりする鈴愛は時に迷惑だし相手を傷つける。でも傷つけ合い・迷惑かけあいが人間の付き合いだとも思う。そんな鈴愛だから、自身も失恋や挫折しながら秋風に「生きてもらう」と断言し、和子さんを最後まで思って行動し、裕子やボクテと腹を割った友情を築いた
— エミ-emitemit (@emitemit) 2018年8月31日
「自分の気持ちがわからなくて怒れん」と律は言うけど、怒り(のような負の表現)を抑圧する習慣がついてるから自分の気持ちがわからなくなるって順番でもあると思う。表現しなければ、人間思ったり考えたりしなくなる、言葉も表情も出なくなる。何日も家に籠ったあと人と会うと言葉が出にくいように。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2018年8月31日
怒りや涙など負の表現を抑圧したり、自分の気持ちがわかんなくなったりしがちなのは、子どものときからの刷り込みなんだと子育てしててつくづく思う。入学式で校長先生は「もう1年生だから泣かないよ」と話し、子どもは教えられた答えやテンプレ的な作文、部活のように決められた活動で評価される
— エミ-emitemit (@emitemit) 2018年8月31日
梟町の神童で、東大やノーベル賞といった和子さんの夢を背負い、いわゆるお受験エリートから大企業入社というレールを進んだ律が「自分の気持ちがわからんくて怒れん」という造形なのは本当にシンボリック。「昔みたいなパワーはないけど叫ぶことで己を鼓舞してる」と先に表現する鈴愛との対比も。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2018年8月31日
だいぶ飛躍するようだけど、この本を思い出した。『「助けて」といえる国へ~人と社会をつなぐ』 https://t.co/C3tZG6F8Q8 「「助けて」と言えないまま命を絶つ。子どもたちをそこまで追いつめているのは我々大人なのだ」
— エミ-emitemit (@emitemit) 2018年8月31日
続き。「講演などで、「ここ数年以内に『助けて』と人に言ったことがありますか?」と聞くと、だいたい全員静か。大人が言わないから、子どもも言えない。「助けて」は禁句になっているし、同時に「助けて」と言われることもなるべく避けようとしている。」
— エミ-emitemit (@emitemit) 2018年8月31日
息子が不登校になりこのままだと命も…というとき、奥田さんは彼を沖縄にやる。「頭の中でもう一人の自分が、「おまえは親じゃないか。赤の他人に息子を押しつけるのか。おまえは何てことをしているのだ」と言うのを聞きながら、「助けてください」と泣きながら手をついて、沖縄の島の人に預けた」
— エミ-emitemit (@emitemit) 2018年8月31日
えーっと話が逸れたけど、だから #半分青い の週タイトルが全部「~したい!」と自己決定で、それを「自分自分の権化でイヤだ」と少なからぬ視聴者が嫌うとこまで込みで、シンボリックなんだよね。今の平均的日本人を体現してるのが「自分の気持ちがわかんなくて怒れない」律で、カウンターが鈴愛。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2018年8月31日
勝田プロデューサーは公式インタビューで「みんなもう少しわがままに生きていいんじゃないか、という思いをこめている」と語った。わがままな鈴愛は迷惑だ、人を傷つける、と嫌う視聴者もいる。先述の奥田牧師は「傷つかない社会なんてありえない。絆という字には「キズ」が入っている」ってのが持論。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2018年8月31日