水無月の十五 / 市議会で理想と現実のせめぎあいの対話を見る

●6月某日:(facebookより)
子育て世代で市議会の傍聴に行こうツアー第3回、「障害を理由とする差別の解消を目的とする条例」についての審査を傍聴しました。審査ってことは、条例はかなり制定に近いところまできてるんだと思います。

役所の職員さんたちに対して、議員さんから
「丁寧に進めてこられた」「真摯な取り組みに敬意を表する」
という賛辞がある一方で、

議会という公式の場でやりとりすることによって
「議事録=公文書」に記録しようという意味合いもあるのでしょう、
これまでの議論を再確認するような流れもありました。

共産党の中山議員だったと思うんだけど「何人(なんぴと)も」「努力義務」という言葉についての質問と、回答する職員さんたち。そのやりとりは非常に興味深く、考えさせられました。

「【何人(なんぴと)も】障害を理由に差別をしてはならない、それは人権侵害である」
と基本理念の項目には謳っているが、
実際の実行規定では、【何人(なんぴと)も】という文言がない。
市民も、事業者も、行政さえも、「差別をしないこと / 合理的配慮をすることは『努力義務』である」と書くにとどまっている。「主体的に努力してね」と言ってるだけ。

差別には明らかに人権侵害という違法性があるのだから、もっと強く「義務である」と書くべき。他の地方公共団体では、ちゃんとそう書いてるところもあるよ?
と、議員さんは発言。

それに対して、役所がわは

・「差別をする側 / される側」という対立構造を作って分断を煽るのは避けたい
・「法で規制している」感を出しすぎると逆効果
・どこからが差別でどこまではセーフか、その線引きは個々のケースによってさまざまなので、一律に義務付けするのは難しい。
と回答。

議員さんはさらに

・市民はともかく、事業者や、最低でも行政には義務があるんじゃないの?
・義務化がなければ、改善へのスピード感は出ない。
・この条例を「つくる会」のメンバーをはじめ、当事者の方々は、今でも「義務化」「何人も」を求めている。
それらが盛り込まれなかった今回の条例は、ベストではなくベターにすぎない、と当事者の方は感じている。

と発言し、今からでも修正すべきだという感を語気ににじませていました。

この条例案について、今日初めて知った私としては、どちらの言い分もわかると思いました。

ただ大事なのは、シロートとしては
「こういう条例が必要ないくらい、助け合える世の中だといいのに」
(=条例の細かい文言にこだわるのは枝葉末節だ)
と、ぼんやり思っちゃうんだけど、それは非当事者の理想論にすぎないんだろうな、と。

「私は障害のある方を差別なんてしない! したことない」
たぶんほとんどの人がそう思っているはず。私もそうです。

でも、当事者の方の現実は別のところにあって、さまざまな場面で「障害があるから不便」どころか、「障害を理由に差別されている」と感じ、「解消のために条例を作ってほしい」 と訴えてきたのです。その声を千件以上 聞き取るところから、この条例案の作成は始まったようです。
高プロ法案のヒアリング12件とかとは違いますね…(笑))

私たちにとって法律などの文章は、四角四面で堅苦しく感じるものですが、当事者の方の声を知っていれば、やっぱり細かくこだわらざるを得ない。
一方で 行政としては、全方位的に考えなければならず、いきなりベストをめざせば必ずどこかで摩擦やひずみが生じるから、とりあえずマッチベターというのもわかる気もします。

これらのやりとりには、『理想と現実とのせめぎあい』という、さまざまな場面に共通するエッセンスが詰まっていて、
応酬はやや緊迫した雰囲気でもありましたが、ここに至るまでには、真摯な議論や対話があったことが感じられました。
ベストではなくベターという落としどころも現実そのもの。

そう、「努力義務」というのは、先月公布・施行された「男女候補者均等法」いわゆる「パリテ」法の内容もまったく同じです。これも、紆余曲折を経て、「ベストではないが、とりあえずここから育てていこう」ということで手打ちにした(←語彙が乱暴でスマン)という話でした。

傍聴後のランチ会では、
「それにしたって、見直しまで3年様子を見るっていうのは、長すぎない?!」
という意見で一致しましたが・・・^^;

今回、「一度も婚姻を経験していないシングルマザー」の方が参加されていて。
facebookでも公表されているので、ここに書かせていただくのもOKだと思います)

日本では、離別や死別によってシングルマザーになった方と、一度も婚姻していないシングルマザーでは、税金を始め制度が違うんですよね。(後者のほうが不利)

「仕方がないけど、多くの人がこのことを知らない。
 一人一人に差別されているわけじゃないけど、
 私にとっては、日本の社会全体から、どこかひどい扱いを受けているような感覚がある。 社会に対する静かな怒りがずっとある」

という彼女の話は、今日の条例の話にも通じて、とても本質的だと思いました。

知らないということは、悪気はなくても、暴力に加担しているのと同じ。そのうえで、対立は何も生み出さないから、
少しずつ対話を重ねていくしかないんだと思います。

対話ってなんだか綺麗な言葉だけど、立場や考え方の異なる人との対話は実際はすごく疲れる作業です。それでも対話していくしかない。今日は議会で、その一例を見た気分です。ランチ会も熱かった。

すいません、ふわっとカジュアルな感想を書きたかったんですが、すっかりガチなやつになってしまいました・・・・

夕方、どんぐり文庫へ。絵本「ピッツァぼうや」これ子どもが大好きなやつや~。

ピッツァぼうや

ストーリーテリングは『インゲンまめがきらいなアンドルシ』(タイトル違うかも)。これ前に本で読んだことあったけど、語りで聞くといきいきとして感じられるわやっぱり。ジプシーの昔話は本当に面白いのが多い。「え?」っていう展開、つまんない道徳の対極みたいなラスト。

夜ごはんは、鶏むね肉のピカタ、タケノコと春雨スープ、きゅうり。白和え。