『「助けて」といえる国へ ~人と社会をつなぐ』 奥田知志

「助けて」と言える国へ ──人と社会をつなぐ (集英社新書)

 元シールズ代表の奥田さんのお父さん、といったほうが「ああ」ってなるかもしれない。でもシールズ結成より前に『プロフェッショナル仕事の流儀』に二度も出演履歴あり。神学の修士号を持つ日本バプテスト教会キリスト教会の牧師。

対談の冒頭、「日本は傷つかない社会、というか、傷つくことを極端に避ける社会になった」というくだりがすでに白眉。

人間はだれでも「試練に遭いたくない」というのが本音で、あるていど利便性の整った現代日本では、「自分のペースを変えられたくない」という人も多い。恋人ができたり子どもができたりしたら自分のペースが乱される。自分の安心や安全が崩れる・・・。だから無縁の状態ですませようとする。「安心安全」への行き過ぎの希求が「無縁社会」という危機を招き入れている、という。

傷を避けて、除外して、誰も傷つかず、健全で健康で明るく楽しいのが「よい社会」ではない。
「たとえば子どもを持てば、その子が熱を出したら一晩中付き添って翌日はへろへろになる、そういうリスクは当然負う。それが致命傷にならない仕組みが社会というもの」だと。
「絆」という字には「傷」という言葉が入っている
  (エミ編、大意)


彼は、震災前に起きたタイガーマスク現象が気になっていたと言う。そこには「いいことは隠れてせよ」という匿名性のほかに、無縁性があったのではないか?と。

支援の現場では、良かれと思ってやったことでも「こんなもの要るか」「わかっちゃいない」と怒られることがある。そうするとこちらもものすごく傷つく。
出会いや絆というのはそういうことなのだ。
その現実を抜きに人助けしようというのは幻想で、タイガーマスクが贈ったランドセルを「こんなもの要るか」と蹴とばす子どもがもしいたら、「なぜこの子はありがとうと言ってくれないのだろう。なぜ怒るのだろう」と悩むのが出会い。

現代人は、よいことはしたいが、自分を変えてまではしたくない、だから直接出会うのは避けたい。そういう意味で「タイガーマスク」が席巻したのではないか?
  (エミ編、大意)

 

そんな彼は震災が起きるといち早く被災地に入り、3月18日には現地事務所を開設。当面の必需品の支援などのほかに、生協と連携して漁師が漁を復活できるために船や牡蠣いかだの準備をした。

すると漁師たちから「うれしいが重い。何もお返しできないから」と言われる。人は助けられっぱなしではつらいのだ、助ける側と助けられる側を固定化してはいけないと思った奥田は、「相互多重型支援」を提案。

漁師は支援を受けて牡蠣養殖を再開。牡蠣ができればそれを使ってソーシャルビジネスを展開し、路上の青年たちに対するケア付きの社会的就労として提供。それを買って食べる人は、震災復興支援と困窮者支援が同時にできるというわけだ。名前は「笑える牡蠣」。キャッチフレーズは「漁師も笑った、若者も笑った、食べるあなたもきっと笑える」。

こういったことは行政にはできません。行政などの公的セクターは、平等性や公平性に重点を置くからです。私たちのやったことは偏っています(エミ註: 特定の人だけしか助けられていない)。でも、そんな民間団体がいくつもできることが大事だと思います。


こんなスキームを思いつき、かつ実行できるのが、思考面でも行動面でも彼の蓄積したノウハウなのだろう。1980年代からホームレス支援をやっている人なのだ。

その思考の原点には信仰がある。
人はだれでも試練ではなく幸福を望む。けれど、人間を救ってくれたのは、出自を含めて傷を受け続けて生きて、十字架にかけられて死んだキリストだった。キリスト教最大のメッセージは「十字架にかけられた人が救い主であった」ことだという。

努力すれば転落することはないというのは幻想で、いろんな理由でセーフティネットから零れ落ちてしまうことはある。
でも、人はホームレスを見ると「努力が足りなかった」「自己責任」、そして「自分とは違う」と思いがちで、ホームレスや、シングルマザーや経済的困窮者が「助けて」と言ってはいけないような倫理観が世の中には漂っている。

 
「助けて」と言えないまま命を絶つ。子どもたちをそこまで追いつめているのは我々大人なのだ。
講演などで、「ここ数年以内に『助けて』と人に言ったことがありますか?」と聞くと、だいたい全員静か。大人が言わないから、子どもも言えない。「助けて」は禁句になっているし、同時に「助けて」と言われることもなるべく避けようとしている。でも、人に助けてもらえるのは財産なのではないか? 
  (エミ編、大意)

 

・・・・私はほぼ全面的に、筆者の意見に賛同する。以前に「ママじゃな」でこんな記事を書いた。それは私が「小さい子を持つ母」というちょっとした弱者になって、たまたま「おたがいさま」な環境を得たから芽生えた心境。同じように子を持つお母さんたちを中心にけっこう反響があった記事だ。

 

最後に紹介される、息子のエピソード。いじめに遭い、不登校になり、自殺の心配までしていた息子が「沖縄の離島の学校に行きたい」と言い出す。

頭の中でもう一人の自分が、「おまえは親じゃないか。赤の他人に息子を押しつけるのか。おまえは何てことをしているのだ」と言うのを聞きながら、「助けてください」と泣きながら手をついて、島の人に預けたという。

それは、私を孤立に誘う声だった。もしあのとき、私がこの自らの声にこたえ、自己責任論や身内の責任論に留まっていたならば息子は死んでいたかもしれない。子どもたちに見てもらおう。「助けて」が新しい社会を形成する。