『学校目線』 岡崎勝

学校目線。―大人の「理想」で子どもを縛らない (おそい・はやい・ひくい・たかい―岡崎勝シリーズ)

小学校教員歴40年以上という筆者による、「今、目の前の子どもたちのための」学校案内とでも言おうか。「まえがき(本書では “はじめに” )がすばらしい本に駄作なし」という法則(by 私w)のとおりであり、何ならまえがきだけでも読む価値のある本だと思う。

ボクは断固、世界に主張したい。「理想の子ども」ではなく、いまここにいる子どもを幸せにしようと心に刻まなくてはならない。もともと子どもは問題だらけなのである。問題のない子どもなんてM78星雲にまで行ったって見つからないはずだ。親や先生だって小さい頃は問題の固まりだったでしょう? いまもまだ問題の固まりかもしれない。

このとおり、書いてある内容に首肯できるだけでなく、文章そのものに豊かな抑揚とユーモアがあって、読ませる。名文家なのだ。保護者にしろ教育関係者にしろ、学校について知りたい・学びたいと思ってこういう本を手に取る読者には往々にして緊張感もあるわけで、筆者のちっとも肩の凝らない文章にはそれだけで “和らげ” 効果がある。

本編の内容にも付箋を貼りたい場所はいくつもあるが、とりわけ好きなのは、「自己中心的って、あたりまえのことですよ」という一編。自分を中心に考えるってごくふつうじゃないか。自分あっての他者である。大切なのは、「まわりを見ながら自己中心的であれ!」ということ。たとえわがままといわれても、周りの顔色ばかりうかがって、自分の感情を偽ってばかりはいられない。「あいつは自己中心的だ」といわれても、やらねばならぬときもある。

格調の高い自己中心的態度は自律のきわみであり、「教育の目的」でもある。

という結びの文章の、なんと格調高いことか! 現代の小学生を見ていると、「個性重視」はむしろ「他者の個性を許容せよ」「協調的であれ」の意になりがちで、これにSNSでのコミュニケーションが加わると、「ザ・空気を読め」の呪縛にとらわれてしまうんじゃないかという危惧を感じる。自己中、自律はとりわけ大事にしたい要素の一つ。

1人1人の個性を大事にしながら、「インクルーシブであれ」も筆者のぶれない主張の一つ。

個性的な子は、多数決にはなじまない。そんなときはいつも「自分のしたいことにつき合わせるか、ちょっと我慢してみんなといっしょに遊ぶか」の選択肢を提示する。ほかの子たちには「少数派をどう生かし、なだめ、受け容れていくかが多数派の責任」と話す。問題を明確に設定することが大事だし、生活の中ではいろんなケースがあって、誰もが「個性的な子」になりうる、という。この章でも、結びの文がすばらしい。

とはいえ、子どもというのは個性的といおうがいうまいが、みんな「ヘン」(笑)なものです。学校は、その「ヘン」がたくさん集まって、エネルギッシュに生活しています。「ヘン」を駆逐してしまったら、そこに残るのは無味乾燥な、砂漠のような教室です。

こういう先生ばかりだといいなと思うけど、我が子を集団になじませようとするばかりに“無味乾燥”な子にしてしまっていないか、いつも心に留めたい。

「目の前の子どもを見つめよう」という高らかな言挙げから始まってそのとおりの具体論が展開される本編のあと、「おわりに」では、個々の悩みの背後には教育という社会制度の問題の存在が指摘されることにも感動。私たち大人が真剣にそちら(制度の問題、社会の問題)と向き合うことで、「悩む必要のない個々の悩み」が消える可能性は大いにあるから。