神無月の十三 / 「ママじゃない私」ポートレート、ちほちゃん

新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

日記はまだ亀の歩みで昨年10月です…

 

●10月某日: 「ママじゃな」の取材。今日は土曜日、子どもたちも全員集合で、となると共通の友だち夫婦を子守に呼んで、そこのお子ちゃんももちろん一緒で・・・と、総勢11人、賑やかなパーティ状態。でもモデルさんがそもそも「パーティピーポー」とのことで、ほんとパーティ慣れしてる様子で、すっかり甘えて楽しませてもらいました(何しに行ったw)。持ち寄りごはんもおいしかったし、サクも、翌日や翌々日も「楽しかったぁ」と反芻してたし、よかったよかった(ほんと、何しに行ったw)。

いやー、モデルさんはもちろん人それぞれですが、毎度、元気をもらうような気分になります。その人がその人らしく(その人なりに、かもしれない)生活してる様子を垣間見せてもらうのって何か元気出るのよね。

mamajanaiwatashi.hatenablog.com


友だち一家と地下鉄・電車を乗り継いで夕方に帰宅。で、家に帰ったら夫が気合入れて夕飯を作っている。一口カツ、ごぼう&さつまいもスティック、うるめいわし、ポテサラ、トマト。ビール、白ワイン。ブラタモリ、録画をなぜか見損ねていた「新潟」。確かに幕末に開港した港の1つだけど、江戸時代にそんなに栄えていたとは。サクと一緒に夫婦とも撃沈。

 

●10月某日: サク、早朝(ってほどでもないか…)、家族で一番に目が覚めて「トイレ…」という。「いっておいで」と言うと「こわい」ですって、大して広くもない家なのに、ふふっ。昼ごはんにちゃんぽんを食べながら「逃げるは恥だが役に立つ」の1話。「情熱大陸」ふう演出での始まりに、サク「これ、ドラマか?」「ドラマじゃないよな?」「インタビュードラマっぽい」と疑問連発。

午後から夫はゴルフの練習に。雨の合間に、散歩がてら近くのお菓子屋さんまで行って…って、散歩っていうかダッシュするサクと競いながらの道のりだったんだけど、アップルパイやシュークリーム買って帰ってお茶をする。夫と入れ替わりで、私が夕方ランに。火が落ちるのがすっかり早くなり、夜ランの趣になった。夜ランもいいね。11.5キロ。とてもいい季節。夜ごはん、サバの塩焼き、味噌汁、ほうれんそうと卵のソテー、きんぴらごぼう。

 

●10月某日: サク弁、豚薄切り肉の焼いたの、卵焼き、ダブルさつま煮、ほうれん草ソテー。今週は、レギュラー週2のところ、なんと週4で弁当である!(ほかの学年の園外保育等、行事のため)。昼ごはん、とっても辛い納豆チャーハンを作って食べる。

幼稚園、お迎え後に貼りだされた運動会の写真をチェックし終わったあとも、園庭で激しく遊んでいる子どもたち。そのまま、○○んちに行く~と4人くらいで行ってたけど、結局それからもその子の家の近くの公園でずっと遊んでいたらしい。外遊びが気持ちいい季節だもんね。迎えに行くと、ブランコをとっても高く漕いでいた。夜ごはんは、鶏と椎茸、野菜のクリーム煮。カレー豆(きゅうり、玉ねぎ)。ポテサラ。



浅田真央は総合6位。3位に、シニアデビューの三原舞依が入った。今の若い子たちはほんとに、みんなぴょんぴょんと3Lz+3Tを決めますね。技術力が高い!! そんな中、優勝したのは地元アメリカのベテラン、アシュリー・ワグナー。こちらも、SP・FSともにすばらしいプログラム。自信をもって自分の世界を表現している感じが見ていて本当に胸打たれるんだけど、アシュリーったら緒戦から完成度すごいな!!

 

 

神無月の十二 / 菊池桃子が語る「子どもは親とは別の時代を生きるんだよ」って話

●10月某日: 年長組は園外保育。近郊の山(標高100mちょっと)に登るんだけど、行きも帰りもお得意の(笑)公共交通機関を使って連れて行ってくれるんだから先生たち本当にごくろうさまです。それが可能なぐらいに育ってるってことで、日々の保育の成果ね。

ということでサク弁、おにぎり×2、ハンバーグ、卵焼き、Wさつま煮、きんぴらごぼう、ハムとキュウリのサラダ。梨。けっこうたくさん入れたんだけど「ぜーんぜん たりんかった」と言われた。そうなのか。もっと食べれるのか? 

私は博多駅近郊の某ホテルで、幼稚園連盟の振興大会とかなんとかに、園長先生&PTA4人の1人として出席。すげー政治色バリバリのイベントでけっこうびっくりしました。補欠選挙のこと連呼してたからね…。子どもの保育や教育、そういうものにも政治の力がふんだんに働いていることを思い知らされて逆に良かったかも。

第2部の菊池桃子による記念講演が聞きたくて行きました。「次代を生きる子どもたちのために親が知っておくこと」これはなかなかすばらしい、講義のような公演でしたね。詳しくはライフイズマインに書きました。よかったらごらんください。

lifeismine.me

ランチして帰るには迎えの時間が厳しかったので、一緒に出席した、幼稚園そばのママのおうちで、買っといたパンなどつまみながらまったり・・・の予定が、お母さまがサンドイッチなど用意してくれてるじゃないですかー! コーヒーも超おいしくておうちもいつもながら素敵で、傾聴疲れの心身に沁みました。

さて子どもたち。帰りは駅にお迎えに行ってもよかったので、園までがんばって歩いて帰ってきた子どもたちはクラスの半数弱だった。彼女の家の前の道で待ってると、来た来た。サク、私の顔見て駆け寄ってきて、袋いっぱいにつめたどんぐりやら椎の実やらを見せる。疲れた顔の子たちも当然いて、最後尾あたりの子と一緒に園まで歩きながら「足が疲れたやろ」と話しかけたら、「そんなのあたりまえやろ」とけんもほろろ。失礼しましたw

 

『SMAP×SMAP』 最終回

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スマスマの最終回を見た。生出演は無し、新撮での出演はラストの「世界に一つだけの花」のみ、本人たちのコメントは無し。という悲しすぎる構成だったけれども、番組はこの解散劇の不可解さを強調する作りになっていてある意味よかった。

それにしても、こうしてスマスマ20年を振り返ると「歴史」感、ハンパない。大原麗子や田中好子、森光子や高倉健、周富徳などすでに物故した著名人たちのゲスト出演がネットでも話題になっていたけど、そういった大物たちを自分たちの番組に呼んでもてなし始めたのがハタチそこそこの若者たちだったっていうのが、今にして思えばSMAPのスケール感である。

スマスマ1回1回の放送の価値は、私の中ではそんなに高くない感覚があった。だって、逮捕関係以外では、メンバーの誰がどんな仕事をしてても、必ず毎週当たり前にやってる番組だったから。見ようと思えばいつでも見られる、求めるまでもなくやってるのだ。そんな1回1回が20年積み重なってきた偉大さよ。彼らは時代と共に生きてきたんだねえ。

中居くんが初めて紅白の司会をしたのは25才だったんだと気づいた。しかも相手は和田アキ子! 聞いただけで胃の縮むようなすさまじい大役…。彼はこれまで計6回、司会をつとめている。初めてのとき(1997→1998)の年越し、フジテレビはお台場でSMAPの特番をやっていた。NHK渋谷から中居が駆けつけるまでのキムタクの奮闘ぶり。予定を大幅に遅れエンディングの歌でやっとこさ合流した中居を弾けるような笑顔で迎える香取たち、素知らぬ顔で歌い続ける木村。SMAPってこのとき既にメンバーのスタイル確立してるなと思う。

というか、その前の、森くん脱退劇のとき既にそうだった。いつもの役割通り、仕切ろうとした中居くんが「はい、」と一言口火を切った瞬間にもう涙なみだになってしまうと、間をあけず、眉ひとつ動かさずに木村が引き取って司会を始めた。言葉の要らない、視線すら合わせる必要のない連携やサポート。

ひとりひとりに心境を聞いていく。
草なぎ「森くんにはこれが始まりだから」と、言葉少なな中に思いがこもっている。
稲垣「死なないように。怪我くらいはするかもしれないけど」優しくて軽やか。
香取「淋しいなってのはある」正直な末っ子。その正直さがみんなを救ってきたこともあるんだろな、たくさん。
木村「今までもこれからも、いろんなところで皆さんがおまえや俺たちを見ている。そういう人たちに恥ずかしくないようにがんばらないといけない、おまえも俺たちも」どこまでも強い人。
中居、だーだー泣きながら「一緒にやってきたこの8年間を誇りに思う、森という人間に出会えてよかった」あふれる愛情と尊敬。

アイドルグループにとってメンバーの脱退はものすごく大きくて屋台骨を揺るがしかねない出来事。20代前半にして彼らはそんな危機を経験し、「そういう状態から逃げない」と体現してきたんだね。もちろん、表立って話せないことはたくさんあるでしょう。でも、できうる限り、自分たちの言葉で語り、今このときにカメラの前に立っている自分たちの姿を示し続けてきた。稲垣のときも、草彅のときも。震災の直後も。震災の後は、被災地もそうだし、のど自慢にも出たり、人々と直接交わる仕事も増やした(そこにはスタッフだけでなく、彼ら自身の意思もあっただろうと私は思う)。

そして5人旅。企画が突然始まって「50%楽しくてのんびりできそう。50%はめんどくさい」と草彅くんに洩らす香取の述懐が実にリアル。メンバーとの旅。100パーめんどくさいんじゃないのだ。50%は楽しくてのんびりできそうなのだ。で、実際、ノリノリでカラオケを歌い続けてた。自分たちの持ち歌とはいえ、アルバム含めればもう何百曲もあるだろうに、ずっと昔の歌もよく覚えてるんだね。この歌詞が好きとか、次高い音くるよとか、ひとつひとつに本人たちならではの思いや思い出があるんだね。

そういう人たちが、番組の最終回に際して生で姿も表さないし、テロップ以外の一言もないっていう異様さな。

「こうやって歴史をたどってみると、現状って、明らかに彼ららしくないでしょう?」と番組が語ってる。

私は思うんですけどね、彼らが解散したいんだったら、「前向きな解散」を演出することはいくらでもできると思うんですよ。前向きな解散って実際にあるはずだ。人間同士、いろんな状況や心境の変化があるから、いつまでも一緒にやれないこともあるし、それ自体は(ファンには悲しくても)悪いことじゃない。たとえ意見が合わなくなったがゆえの解散だとしても、「これまでの28年を誇りに思いつつ、この先のそれぞれの道にも敬意を払う」そんなふうなことを言葉と態度で表現して解散するはずだ。SMAPという人たちなら。それがもっとも、ファンに対しても誠実な態度になる。細かい事情の説明はされなくても、彼らが自分たちの言葉で語れば、ファンは大方を受け容れるだろう。彼ら自身の意思を感じられれば、それを尊重するだろう。

事務所の側だって、「今まで楽しかった、ファンの皆さんありがとう、これからは別々の道になりますががんばります」みたいな当たり障りのないことは、肉声で言わせてかまわなかっただろう。というか、むしろ、そのほうが人々を納得させる演出になる。SMAPのストーリーを綺麗に閉じられる。説明も感謝の意も、自分たちの言葉で何も表現しないほうが、はるかに異様に映るのだ、SMAPの場合は特に。それをしなかったのは、嘘の言葉を言いたくなかったということなんだろうな。それだけが今できることなんだろうな。

数あるSMAPの歌の中で、「世界に一つだけの花」がフィーチャーされるのはどうなのかなとずっと前から思ってきた。ひとり歩きする空疎な道徳みたいに感じてきた。SMAPイコールこの曲という人々の認識は、彼らを良識人の枠に嵌めてアイコン化してしまうようにも。私は、「俺たちに明日はある」の開き直った前向きさや、「夜空ノムコウ」の寄る辺なさ、「さかさまの空」の小さな希望のほうが好きだった。

でも、スマスマの最後に「世界に一つだけの花」が歌われるのはやっぱりそうだよなと思った。SMAPといえばこの曲なんだ、っていう世間の認識があるからファンはこの曲の購買活動をしてきたのを彼らも知ってるだろうし、「SMAPといえばこの曲なんだ」のようなステロタイプな世間の認識も含めて、SMAPという存在に真正面から向き合い続けてきたのが彼らなんだ。たくさんのものを引き受けてきたんだ。

長々とした礼と共に閉じた幕が、また上げられたとき、おおっと思った。何かが起こるのかと。実際は何も語られることはなく、スタッフたち一人一人との記念撮影をしながら、歴代スタッフたちの名が連ねられる膨大なクレジットロールだった。

でもさ、そこで、中居くん笑顔だったんだよね。流れたのは「Can't Stop」だったんだよね。「世界に一つだけの花」っていう大きなものを背負って向かい合ってきた彼らが、そのあとに流したのは、あの可愛い歌だった。

君を幸せにする僕はここにいるよ

キラキラ光る素顔が欲しい

 甘い声と歌詞。あくまでポップなアイドルソング。SMAPが始まったときの歌を、30歳になっても40歳になっても歌う彼らが好きだった。何も知らなかったあの頃からずいぶん時が経ってしまっても、変わらないものを持っているんだ、この長い年月をすべて肯定しているんだと言っているようで。ファンとの年月への愛情を表してるようで。四半世紀も経った今だからこそ、この詞は本当にキラキラと尊いメッセージに思える。最後にその歌をかけてくれたんだよねえ。

そしてたくさんのスタッフと一人一人肩を組み、今では現場を離れたスタッフの名前までもクレジットに連ねるのはとてもSMAPらしく思えるものだった。自分たちを支えてくれた一人一人を大切に思っている。それは「僕たちはファンの皆さんのこともとても大事に思っています、できることなら、こうやって一人一人と肩を組みたいくらいに」っていう表現に見えた。「今は何も話せないけど、とても大事に思っています」と。

とりあえず、SMAP5人のステージはしばらくは見られない。後日、小学校時代からの友だちとも話してたんだけど、「損失だよなあ」って。このキラキラしたステージが、何の説明もなく失われる。私たちは1978年生まれで、SMAPの少し年下の世代。中学時代にテレ東のアイラブSMAPや夢がモリモリを見て、高校時代にスマスマが始まってロンバケがあって。特にファンじゃなくても、リアルタイムでいろいろ見てきたからなあ。

SMAPやり続けるのが簡単なことじゃないってことぐらい、簡単に想像はつく。でもそれをやり続けてきたから唯一無二の存在なんだ。いろんなことを乗り越えてきたんだろうな、と感じるから、より輝いて見えるんだ。やりたくなくなったならやめたらいい。でも20何年もやってきた人たち、誠意ある仕事をしてきた人たちが、説明もなくやめるなんてことするはずがない。だから不審なんだよ。

番組の最後まで、一言も「解散」って言葉は言わなかったんだよね。つらい思いさせてごめんね、でも信じてね、って中居くんが泣いて笑ってるようだった。

 
◆追記

やっぱり、「いったん下りた幕が開いた」のが、核心なんだと思う。スタッフたちとの記念撮影と歌唱とは、逆の順番でも良かったのだ。記念撮影をして、クレジットを流して、そこまでが番組のための時間で、最後に、ファンの人たちのために歌って幕が下りて終わる・・・っていう順番。

でも、そうしなかった。彼らはまた、幕を上げて、中居の涙を隠さずに見せ、それでもなお、いつものように、それぞれが独立して立っていたのだ。最後だからとメンバー同士、中居に寄り添って支えたり握手を交わしたりすることはない。バラバラに、さらっと撮影スタジオを後にする。それがきっと、どんなときも繰り返されてきた彼らのスタイル。これも乗り越える、って意味で幕は上がったんだと思う。最後の最後に流れた、森くんも加えた若い6人のアイキャッチもそういうこと。

 

 

神無月の十一

●10月某日: 朝、サクが「おかあさん! またすごいマメが~!」と訴える。足の親指の股にまた「竹馬がんばりマメ」の水ぶくれができている。いったそう~。でも裸足に草履で、友だちと一緒に走って登園。いいね、その鈍感さw 今日は預かり保育を頼んでおりいろいろ仕事が捗った。



夜ごはんは、この秋の初サンマ。具だくさん味噌汁、大根おろし、きんぴらごぼう。夫は今週、試験勉強をがんばっている。

 

●10月某日: サク弁、ごはん、海苔卵焼き、ソーセージ、ふかし芋、きんぴらごぼう、枝豆、にんじん&玉ねぎ煮。昼間は細かめのto doをいろいろ片付け、勉強もして、なかなかの充実感でございますよ。






夜ごはんは、ピーマン肉詰め、さつまいもとさつまあげのWさつま煮、きゅうりとハムのサラダ。とっても肉厚のピーマンがとっても美味しかった、サクにも好評。

クラスメートの男の子が捕まえた赤いバッタの写真をローカル局に送って、情報番組で放送された! といっても彼自身が出たわけではなく、虫の写真と、○○幼稚園、○○○○(名前)5才、っていう字幕だけなんだけど、サクがものすごく興奮して喜んでた。「すげーっ! まさきすげーっ! さすがやなー! うわー!!」って感じ。彼の虫捕り名人ぶりは、幼稚園でもみんなが一目おくところ。翌朝も録画をリピートしてたよ。

 

神無月の十一 / スイッチインタビュー板尾創路×菅田将暉

●10月某日: サク弁、ごはん、鶏と玉ねぎグリル、卵焼き、ふかし芋、肉じゃがのじゃが意外(芋かぶりになるので…いやいいんだけどね、かぶってもw)、大根サラダ。大根サラダは美味しくなかったと帰ってから訴えられた。かつお節を多めにまぶして中和したつもりなんだけどね。

自分の昼ごはんに雑炊。1,2ヶ月くらい?前からごくゆるーいグルテンフリーというかグルテン減を心がけてたら、何となく、パンやパスタを食べたくなる頻度が減ってきた。まぁ、米をしっかり食べてるので糖質ばっちりですがw 

放課後、サクの友だちがうちに遊びに来る。そういう場合は誰が来る時でも、幼稚園からうちまで歩いて帰る(子どもの足で25-30分くらい)のがすっかり定番になった。夜ごはんはカレーライス。大根と小松菜の和え物。美味しくなかったと言われた大根サラダをパワーアップさせた感じですw でもかつおぶしの他に海苔もまぶしてあげたよ。








●10月某日: ゆうべサクと一緒に寝てしまって10時間近い睡眠。トイレにも行かずノンストップ。サクが布団から落ちて障子に激突したときもまったく熟睡していたそうです(起きて試験勉強していた夫・談)。いや~、休肝したうえによく寝ると朝の元気度が違いますね。

降園後、ランドセルの見本市が開かれていた。子どもたち、はしゃいでワーワーとひとしきりからったあと、すっかり気が済んだらしく園庭で遊ぶ。この団体販売でガチで買おうと思ってるんだけど、何がポイントなのかさっぱりわからんので、業者さんや上の子がいるお母さんたちに聞きながらいろいろ見る。まぁ正直あまりこだわりはない。

今日もサクの友だちが遊びに来る。帰る途中でカマキリとバッタをつかまえたので帰宅後、虫かごに入れて観察。のちにバッタは、文字通りカマキリの餌食になりましたとさ・・・。

夫が6時ごろ、研修先から直帰。入れ替わりに私は飲み会へ。西中洲のおハイソなお店! 美味しかった。すごく変わったパスタとか食べました(雑)。美味しい赤ワインのほか、ラガヴリンも飲んだ! 久しぶりに会う先輩たちといろんな話。

神無月の十 / 立花山へ

●10月某日: 良い天気。朝の思いつきで山登りに行くことに。東区・・じゃない新宮町の立花山。香椎まで都市高速で行ったんだけど、もしかしてサクが生まれてからどころか、結婚してからここ通るの初めてだね、と話す。基本的に行動範囲が狭い私たち。

標高373m、小さい子どもと一緒にのぼるのにもちょうどよい高さだし、秋晴れの良いお天気なので登山客多し。サクもすれ違う人たちと「こんにちは」とあいさつしながら登る。家族で最初に山に登ったのはちょうど1年ほど前だったと思うが、サクの体力増進ぶりに驚いた。ほぼ1合分ごとにベンチが備えてあるんだけど5合目でちょっと座ってお茶を飲んだ以外は一切立ち止まらず、終始テンション高めにおしゃべりしながら一気にのぼってしまった。1時間くらいかかるかなと見ていたが45分足らずで山頂到着。

広場のようになっていて、老若男女家族連れなどいろんな人たちでにぎわってた。アイランドシティ、海ノ中道がよく見える。空港もわかる。私が朝ドラなど見てる間に夫がちゃちゃっつと作ってくれた弁当を食べる。おにぎり、ふかし芋、玉ねぎ入り卵焼き、オクラの豚肉巻き、ミニトマト、オクラ。お腹空かせて山で食べる弁当うまし! 汗かいて到着したけど山頂の風は冷たい~!


で、おかーさんが「石垣跡を見たい」と言ったばかりに、登りと違うルートで下山したんですが、6歳児にはハードモードになってしまってすいませんでした。そう、ここは小早川氏の居城・立花山城址でもあり、戦国時代の古い石垣や古井戸が残っていて見られるのですよ。でもやっぱりハードだと認識されてるのか、たった1組のご夫婦としか会わなかった。「この先もだいぶ急だから気を付けてね」と言われたけど、お会いできて安心しました~~~。まさかだけど道なき道を行ってるんじゃなかろうね、ってほど人少なだったから。サクは急なところはお尻をつきながら、立派に降りていった。石垣はすばらしく風情がありましたよ。すごく大きいカマキリがいたり、いろんな鳥の声がしたり、山歩きは気持ちよくて楽しく、ちょっと足がプルプルしそうになりながら終えました。


(これが立花城の石垣だ!)

箱崎ブックスキューブリックでお茶して帰る。箱崎店に来たのは初めて。ていうか箱崎の町に来るのが本当に久しぶりで懐かしい。テーブルに置いてあった来客用のノートにちょっと書いてたらたちまちサクも参入してきた。本とパンを物色して買って帰る。




夜ごはんは焼肉!! 焼肉とビール、そして赤ワインってほんと、合う。でも調子に乗ったらお腹壊すのを知っている私はほどほどで自重した!えらい! 

 

●10月某日: 1日中降る、との予報だったけど降ってない。ということで、サクと夫が西鉄電車まつりに出かけて行った。私は美容室。毎回書いてるようだが美容室は行くまではめんどくさい、行ったらすごい気持ちいい。アシメトリーな前髪を作ってやったぜ、ふ。サク、くじで2等が当たったと喜んで帰ってきた。景品は、西鉄電車の古い型(もう走っていない)のミニ模型。(ふーん、なんかチャチだな、100均ふう?)と思ったんだけど箱を見たら3,500円って書いてあって驚く。



お風呂のあと久しぶりにシートマスクをしたらサクが顔を伏せて嫌がるw 数日前にちびまる子ちゃんの顔が描いてあるシートマスクを買ったらすごく怖がっていて、「おとうさんがいないとき(残業・飲み会など)はぜったいにしないで」と厳命されていたw でも、まあもう6歳なんで、徐々に距離を詰めていったら3分くらいで慣れた。でも「ちびまるこのは、しないでね」だそうですw

 

神無月の九

●10月某日: 「3つやすんで」=3連休あけの幼稚園。サクは「たのしみー、たけうましよう~」と登園。休みの間も足の指のマメの様子は常に気にしていて、日に日に回復してくる=乗りやすくなると思っている様子。サク弁は、豚肉炒め、海苔卵焼き、がめ煮、糸こんにゃくとブロッコリー炒め煮。

降園後の文庫の貸出係当番だったので、迎えの時刻より少し早く行き、準備が終わると衝立の向こうで年長クラスの「帰りの集い」みたいなのをやっているのを隙間からこっそり覗く。みんなカバンを肩から下げて片手にお着替えバッグを持った状態で座り、明日の芋ほり遠足についての先生の話を聞きながら、口々にいろいろと反応してる。先生と子どもたちのいつもの時間なんだよねえ。

で、文庫当番も終わった後、サクが竹馬を見せてくれた。大変好調。後ろ歩きもしていた。夜ごはんは、揚げ春巻、具だくさん味噌汁、糸こんとブロッコリー。半年に一度のお楽しみ、ババ嵐! 佐藤健やら岡田将生やら二階堂ふみやら、豪華です~うれしいです~



 

●10月某日: 芋ほり遠足の日のお弁当。おにぎり、ソーセージ、ちくわ磯部揚げ、春雨の具入り卵焼き、にんじん&里芋煮、糸こんにゃく。けっこう入れたつもりだったけど若干足りなかったもよう。すごーくはりきって出発していた。

私は午前中から幼稚園にてママたちの懇親会。最初はヨガ教室。先生は年中さんのお母さんで、実際にヨガ講師をしておりしかもベテランさんらしく、大変慣れた様子で楽しく教えてもらった。骨盤と骨盤底筋のトリートメントを中心としたプログラムだったんだけど、2人組になって背中や肩甲骨をほぐしてもらうのとか気持ち良すぎた。

その後、みんなで注文したお弁当食べて、役員さん達が用意してくれたデザートも食べて美味しいお茶いただいて、おしゃべり。いろんな赤ちゃんや小さい子たちを抱っこしたりおんぶしたり一緒に遊んだりもしましたよ。慣れたメンバーと幼稚園でこんなふうにまったりするのもあと半年なんだねえと思う。小さい幼稚園で、小学校は割とバラバラになる。

さて、そうこうしているうちに遠足勢が帰園。ママを見つけたサクが、ドヤ顔で芋袋を差し出す。すげーいっぱい入ってる。帰ってから体重計に乗せると3kgあった。で、みんな、遠足帰りだというのに全然帰りゃしねー。園庭で遊ぶ遊ぶ。クラスの子たちの敷物を見て、あーやっぱりみんなそうなんだねと思った。弁当を食べた後は坂を滑り降りる「シートすべり」が遠足での恒例の遊びで、これやってると敷物がものすごく劣化するのだ・・・。

夜は夫が飲み会(麻雀会)だったが、芋料理せないかん成り行きだよねってことで、芋ごはんとさつま芋フライドポテトを作りました。あとは味噌汁と買ってきた唐揚げ。サクと一緒に寝てしまう。

 

『絵本のよろこび』 松居直

 

絵本のよろこび

絵本のよろこび

 

 

松居直、1926年生まれ。福音館書店で編集長から社長、会長まで勤め、日本における子ども向け絵本の黎明期から長きにわたって活躍した。以前、河合隼雄・柳田邦男との鼎談「絵本の力」を読んだことがある。

2002年、NHK(当時の教育テレビ)で「人間講座」として講義された内容のテキストを、「絵本の力」同様どんぐり文庫で借りて読んで、お返ししたあと、加筆修正された単行本をAmazonで購入。

一読して感動して、すぐにもう一度読みたいと思って出先にも携帯して電車や待ち時間等でパラパラ再読しながらうるっとくることもたびたび。全8回の講座ということになっているが、すごく濃い。いろんなエレメントが盛り込んである。

●まずは、「絵本の力とは何か?」というテーマなのだけれど、絵本を啓蒙するより先に「子どもにとって大事なこととは」という話があって、それがとても腑に落ちる。

「子どもにとって大事なのは、『知る』ことより前に、ゆたかに『感じる』こと」

「『感じる』ことは、頭ではなく五感が活発に働くこと。それらは実体験を通してしか身につかない」
「日々の暮らしの中の言葉をしっかりと身につけて、はじめて絵本からゆたかな言葉を読みとることができる」

「人の成長の出発点にあるのは、誰かと『共に居る』体験。まず自分があったのではなく、お母さんやお父さんなど、他者に気づくのです。」

「幼い時に、人との関係の中で気持ちよく生きたという体験をするのが大事」

 

今、こうして抜粋して書き写しながらもうるうるきてる私がいるんですけども(笑)

たとえ文字が読めるようになったとしても、絵本やお話(絵なしの素話)は声に出して語り聞かせることが大事、というのは『絵本の力』でも読んだとおり。文字と絵を同時に読むことはできない。子どもは、大人に読んでもらいながら絵を見ることによって、「絵の世界」と「言葉の世界」とが頭の中で統合するのだと。言葉を聞きながら見ることによって、静止画である絵本の絵はいきいきと動き出し、自分だけの「お話の世界」に没頭することができるのだと。そういう「お話の世界」の体験があってこそ、もっと大きくなったときに、字だけの本を自分で読めるようになる。頭の中にいきいきとお話の世界を作ることができるから。


●次のテーマは、「編集者・松居直はいかにして作られたか。」

子ども時代は北原白秋西條八十の詩を読み聞かされ、親に連れられて行った美術館で上村松園竹内栖鳳の絵を見て育った。中高は戦時中だったが鳥獣戯画信貴山縁起絵巻など「絵巻物」に興味を持って研究したり、民俗学の井上頼十河歴史の先生で、農村や酸素運の年中行事を調べるなどフィールドワーク体験もした。

「編集という仕事は机に座って頭でするのではなく、手と足でするものだという感覚」「子どもの本を編集するときに大切なことは、自分の中に残っている子ども時代の体験と、ナイーブな感覚やういういしいイメージを失わないこと」

そして戦後、海外の絵本に触れて“絵本開眼”する。その思い出の一冊、バージニア・リー・バートンの『ちいさいおうち』のほか、エッツの『もりのなか』など、いくつかの絵本について、その作者や当時の社会環境にまで目を配って、詳しい解説を加える。これは「プロの編集者による絵本の批評、解説」というエレメントとして楽しめる。絵本の本格的な解説に触れられられることってほとんどないので、解説好きとしてはたまらない部分です(笑) 


「子どもの本に関しては、作者が語りたい内容が、どれだけ子どもにわかるように表現されているかが重要で、そこを見極めないと評価できない」とのことで、「耳で聴くときの文体を練りに練っているか」「物語全体の構成がうまく読み取れるか」「場面の変化や連続性に問題はないか」「細部の描き込みは充分か、描き落としはないか」などポイントはたくさんあり、挙げられている絵本たちがその点、どんなに優れているかが語られる。

レオ・レオーニの『スイミー』について、「これは単に“みんなで力を合わせれば怖いものはない”というような教訓的な話ではありません」とバッサリ斬ってからの解説は感動モノ。「作者がどこに一番多くの場面を費やし、特に力を入れ、工夫して描いているか?」それは、仲間をマグロに食べられひとりぼっちになったスイミーが海の中を泳いでいるときだという。

スイミーはもとから海の中で暮らしていたにもかかわらず、ひとりぼっちになるまでは、自分の生活の場である海という世界がどういうところか、その世界の中で自分がどういう存在であるかも、気づいてはいなかったのです。現代の私たちも、このスイミーと同じではないでしょうか。スイミーはひとりになってはじめて、海という世界がどうなっているのかを自分の目で観察し、どんなに珍しくおもしろいものが生きているのか、またどんなに美しい世界なのかに気づき、その中で自分という存在そのものに気づいていきます。つまり自分とは何かを意識し、自己認識を深めていきます。孤独も自分を見出す一つの手がかりなのです。

 

大人は往々にして、絵本にこめられた、そういった深い眼目を、わずか何歳かの子どもが理解するのか?と思ってしまう。「理解する」。それが、筆者や、他の数々の絵本作家、編集者、教師や、家庭文庫をひらく梶田さんのような人々の迷いなく信じるところなのだ。

●このように、日本の戦後の絵本は、主に当時進んでいた欧米の絵本の分析や解説から始まり、やがて松居自身、「ぐりとぐら」を始め日本独自の絵本を多く手掛けてゆくのだが、他方、戦中戦後の価値観の激変の中で扱いが難しくなったり打ち捨てられたりしていた「日本の昔話」の再話・出版にも心を砕き、それはさらに、「アジアの昔話」出版への情熱にもつながっていく。このテーマは個人的にはこの本の白眉だと思っていて、最終回にこの話をもってきたのも非常にうなずけるんである。

18歳で敗戦を迎えた松居は、進駐してきた米軍の圧倒的な物量のゆたかさに目を瞠り、民主主義という言葉を知ったとき、4年間も戦争をしていた相手国についてまったく無知であったことに気づいたという。

「学校教育には、教えない、知らせないという面があり、時には通り一遍の断片的な知識しか教えられない、あるいは知ろうとする機会を与えられないことがある」 


この批評的な目線は、やがて、1931年の満州事変以来15年も戦った中国について、また日帝三十六年といわれる植民地支配を続けてきた朝鮮にも向けられてゆく。

「彼らの歴史や文化や人々の実態をほとんど教えられぬまま、差別感情を抱いてきた恥ずかしさを痛感し、まず、隣人である中国や韓国の物語を紹介してゆこう。単なる知識としてではなく、人間や文化や風土の違いを知り、また通じ合えるところを心で感じ取ってもらうには、主義主張を越えて人間の普遍的な姿を語り、長く伝えてきた昔話が、子どもが耳を傾けて心を開いてくれるのにふさわしい物語世界ではないか」

 

そんな思いから生まれたのが、天地創造から朝鮮民族の成り立ちまでが語られ、南北統一への願いが秘められている韓国の『山になった巨人~白頭山ものがたり』であり、モンゴルの少数民族の暮らしを広大なスケールと繊細な感情で描いた『スーホの白い馬』だという。後者については教科書にも採録され、日本でもっとも有名なアジアの昔話のひとつだと思う。

私もこの1、2年、何となく「外国の絵本」が気になって、息子用(それは読み聞かせる自分の絵本体験にもなる)に選ぶときに考慮しているのは、まさに「まずは絵本を通じて世界を知りたい、知ってほしい」と思うから。現に息子は、『ならんで ならんで』を読んだとき、「いえのなかなのに、くつはいてるの?」と言った。子どもはよく見ているのだ。

現在すでにヨーロッパの先進諸国がかかえている移民や労働者の移住そのほかの問題に、子どもたちの世代は直面します。異人種、異言語、異文化をどう受け止め、どのように共存し共生するかには、福祉や教育面の対策だけでなく、多文化社会に対する感性や知性を、子どもたちの日常感覚の中に育て養う配慮が必要です。

将来に向けての日本の社会に適合した、見せかけでない多文化主義の備えをしておく発想と展望が切に求められます。知識だけでなく感性による理解力と真の寛容の精神が大切です。絵本もまたそうした問題に深くかかわっています。

 

生まれてきたひとりひとりの子どもの「生きる力」を育て、何十年後にその子らが出てゆく社会をよりよくするためにも作用する、絵本。そんな絵本を1冊1冊、子どもたちに読んで聞かせるのは私たちなんだよね。と思う。

 

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神無月の八 / 香川照之の「昆虫すごいぞ」

●10月某日: 運動会の代休その2。幼稚園の友だちが遊びに来た。約束の時間の5分前に、張り切って近くまで迎えに行くサク。見る間に部屋に大きなプラレール路線が作られ、ブロックで作った2階建ての立派な駅や2階建ての自動販売機(笑)なども設置される。

昼は散歩がてらハンバーガーショップへ。秋晴れでとても気持ちの良い日。「おけしょうぐさ」をいじったり、マンホールなどを跳び越えたり鳥を指さしてあーだこーだ言ったり、幼児にとっては行程も遊びにあふれた世界で、幼稚園での「おさんぽ」もこんなふうに行ってるんだろうなあと思う。子どもたち+大人一人での外食って珍しいので興奮してた。帰りはうちのそばの道(車両進入禁止)で大人対子どもの本気リレー。本気なので何度やっても俺が勝つ! 午後はラジコンをしたり絵を描いたり・・・




この日は、「まるさんかくぞう」のあと、「あるあさ、ぼくは・・・」と「かぼちゃひこうせん ぷっくらこ」を読んだ。途中でちょっと集中力が切れる様子があっても擬音語とかふしをつけて読むようなところがあると戻ってきたりする。

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エッツの絵本は本当に大好き。私も大好きだし、モノクロでも、やはり子どもたちにも響くものがあるよう。読んだ後、「ぼく」の真似をして一緒にやぎの草はみをしたり、かえるになってぴょーんととんだり、豚の”いねむりぎょうずい”をしたり。

「かぼちゃひこうせんぷっくらこ」は随所で出てくる歌と、くまが「うみくま」になり「しろくま」になり、ついには「そらくま」になるところが楽しい。最後に「こんなくまいるのかな? いるとおもうからいるんだよ」というような哲学的なやりとりがあるのを、最初はすーっと聞き飛ばしてたサクが、家で何度か読み聞かされているうちに、ちょっと耳を澄ますようになった・・・気がする。わからんけど。どちらもどんぐり文庫で借りた絵本。

友だちのお母さんがお迎えがてらお茶していく。大人が赤ちゃん充しながらゆっくり話してる間、子どもたちは粘土合戦からシメのDVDに入り、帰るころにはやや目がトロンと。夜ごはんは、カツに玉ねぎやしめじの卵とじのせ、糸こんにゃくとちくわとブロッコリー。夫は飲み会。



 

『真田丸』 最終回

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最終回!

10分拡大してなお、予想よりもずっと、多くを語らない最終回だった。きりちゃんが生き残るとか最後にわかりやすい奇跡が起こるとか、全然ない。私はしばらく呆然としておりましたよ。




ご都合主義が見え隠れしてでもハッピーなエンドになって、「よかったよー、君らが幸せならそれが何よりだよ」と思える最終回も好きなんだけど、こんなふうに、見終わったあとエエエーとなってすぐに消化できず、あれこれ考えて、徐々に自分なりに納得していく最終回も好き。

私には源次郎が負けて自害して死ぬ、というのが(それが史実だとわかってはいても!)やはり悲しかったんだと思う。内記や作兵衛も死んでしまった。しかも、大助や茶々や秀頼は源次郎によって生殺し状態で死を待っているエンド。きりちゃんの行方はわからない。そんなの哀しすぎるだろ!!

…と、思ったのだけど。

↑視聴終了後、1時間半w 

絶対に勝つ、命が惜しいと豪語していたのに切腹するって何ぞー! と現代人な私は思いものするのですが、やはり矛盾はないのだろうと思います。絶対に勝つという強い意思があればこそ、あんなふうに家康本陣まで切り込んでいけたわけで、「家康の首を獲るまで命を惜しむ」ということだったんだろうし、他の味方にむやみに死んでほしくないという気持ちも本当だったと思う。

でも、実際の戦は相手がいるわけで、意思だけでは勝てない。寺に逃げ込んだ源次郎と(佐助も)満身創痍だった。観念するふりして拳に隠した凶器でやる「けんか戦法」は昌幸譲りで、「おいこら真田ぁぁぁぁ!」と叫びましたが(もう褒めてるのか貶してるのか呆れてるのか自分でもわからない気持ち)、あれが、振り絞った最後の力だったんだと思う。もう腕が全然きかないようだったし、足も悪そうだった。あれでは逃げられない。一歩出れば、残党狩りがうようよしてるんだろうし。それは徳川軍だけじゃなく、第一話で出てきたように、農民たちだって、持ち物を奪ったり褒賞金欲しさで、武装して敗者を狙っているのだ。

それでも逃げ回る、という意識はやっぱりないんだと思う。信繁の目標は家康の首だけだった。それは失敗し、この体ではもう狙えない。そして彼は己がしたい戦をするために、たぶん大勢の兵たちを死なせている。あとは自害するしかないんだと思う。そのときに、笑った。このための堺雅人キャスティングか!!という説得力のある笑顔だった。







私はね。特に源次郎が大好きってわけじゃないと自分で思ってたの。信繁はドラマの狂言回し、いろいろな人物の「受け」役であって、だから堺さんなんだろうな、さすがにうまいよな、でも信繁って何をするでもないし割とポンコツだよね(特に女関係)、と思ってきた、はず。

でもここ数回、源次郎が死ぬと思うと暗い気分になってたし、切腹するんだーって思ったらむちゃくちゃ悲しかったんだよー! 私、実はことのほか源次郎が好きだったみたい。死ぬのが悲しいってそういうことだと思う。家族や友達…好きな人が死ぬなんて、どんなに「希望のあるラスト」であっても無条件に悲しいよ、死ぬときは。死んでほしくない、ずっと生きててほしいよ。

でも、少し時が経ち、死の事実は覆せない、となったときに、その人を「死んじゃって悲しい」という側面だけで捉えるのではなくて、彼が生きていたことを肯定したいと思う。彼の死ではなく生を深く考えたいと思う。近しい人の死ってそういうものじゃないかと思う。一年間、ドラマを見て、誰かの何十年かの人生とその人の死を見るって、誰かのそば近くに生きて、その人を失って、それでも自分は生きていくってことの疑似体験なんだと思った。これが物語の力。すごい。




信繁が死んで悲しくて、でも納得するしかない、最終的には納得できると思うのは、信繁が先に死んだ愛する者たちを思っていたように、私もまた、信繁に彼らの影を見たからだとも思う。信繁が死ぬことで、勝頼や室賀や秀次や三成・・・非業の死を遂げたり、無念の晩年を送った人々への信繁の思いも、この世から消える。でも、視聴者の私は、勝頼や室賀らの人生に愛おしさを感じてる。勝者とか敗者とか関係ない、彼らの一人一人の人生を感じてきた。信繁も同じ。



悪評も高い登場人物への印象を覆して、彼への熱い思いを抱かせといて、最後にこれだもん。三谷さんの物語作家としてのビターな一面が存分に発揮されてた大野治長だったと思う。今井さんも峯村さんも名演!!



信繁はほんとに、どこか抜けた奴だったね。でも、与左衛門に情けをかけたのも、千姫の女心に寄り添えなかったのも、すごく信繁らしかった。賢くて、優しくて、ひどい男。

「最後まで望みを捨てない者だけに道はひらける」 第一話での真田昌幸の名言を引いて、死の女神だった茶々にそれを力強く言わせて、そうしておいて、

「最後まで望みを捨てない者だけに道はひらける・・・とは限りません」

っていう現実を描くわけだ。なんという残酷さ! 秀頼も茶々も、大助も、あの信繁の献策がなければ違う道があったかもしれない。それが、同じく死であっても、違う死に方が。

でも、あきらめながら、恐れながら生きていたような茶々が、わずか1日にみたない時間であっても、「望みを捨てない」と心から思えたのは、救いなんだろうか。母に諭されて気を強く持った秀頼も。その一瞬のような時間の価値は余人に測れるだろうか。あるいは、彼らはやはり、最後まで人任せで、籠の鳥で、自分で決断できなかったツケを払ったのだろうか。それとも秀吉という巨大な存在が残した影であり続けたということか。

わかんない。わからないけど、大河史に名を刻む茶々と秀頼だったと思う。中川大志くんが次に大河で何を演じるのか楽しみ。これまでのどの茶々にも似ていない、美しくて貫禄があって怖くて弱い茶々を演じた竹内結子にひれ伏すような気持ち。

そう、茶々と信繁だよ・・・!











大坂へ入城したあとの信繁がいきなり色っぺえ男になったのは、間違いなく茶々のおかげだと思いますありがとうございました(何を言ってるんだろう)

前回ラスト、きりちゃんとのラストシーンがあれで納得した(いや源次郎ひどい、別れは悲しいと思うんだけどさ、この物語にふさわしいなと思った)のと同じように、今回の茶々とのラストシーンも、私には腑に落ちるものでした。




徳川方は、勝者にふさわしい、時代の創設者にふさわしいラストでございましたね。恥も外聞もなくひいひい泣きながら走って逃げて切腹とまで思いつめるのも、それを周囲に羽交い絞めにされて止められるのも、ご丁寧に枝葉で隠れながら戦況を見守りここぞというところで立て直すのも、そして自分が死んだって徳川の世は盤石とまで言い切れるほどに息子が逞しく育っていて、その息子が助けに来てくれるのも、もう完ぺきでした。内野さん、すばらしい家康でした。

2008『風林火山』の山本勘助では、川中島の戦場で苦戦し自らも負傷する中、六文銭の旗(昌幸の父、幸隆ですよ!)を救いに死んでいった内野さんが、六文銭を追いつめて見事に破ったのですねえ・・・。星野源のドヤ顔もむちゃくちゃ憎たらしく、キャスティングの意味がわかりますよまったく。

見てたときに一番泣けたのは、三十郎と信繁の戦場での邂逅。刀を合わせ、やがて信繁に去られ咆哮する三十郎。そこにやってくる作兵衛、というシーンだった。犬伏のあとといい、三十郎は何げに泣かせ場を作ったねえ。そして信繁は、ほんとに、自分を慕ってくれる人間につらい思いをさせる奴だねえ。





きりちゃん。千姫を秀忠の陣まで連れていく大役をやはり立派に果たしたきりちゃん。「その行方は杳としてしれない」というラスト。TLざっと見た感じ、あのあと死んだという意見と生きてるという意見、両方あって、統計とったら半々くらいになるんじゃないかなと、そうなるように描いたんじゃないかなと思った。まさに、高梨内記の娘として歴史の波間に消えていったきりちゃん。

「源次郎さまがいない世にいてもつまらないから」と、戦場を馬に乗って駆けまわる源次郎を見つめるきりの姿に、後を追うだろうと想像するのもわかる。でも私は、どうしても、自害するきりちゃんの図が思い浮かばないなー。たとえうっかりでも、生き残りそうな気がする。あれだけのスキルと対人術を備えたきりちゃんですから、源次郎のために死なないでほしいな。信之ばりに長生きしてほしいな。

最終回、始終、苦い顔だった信幸。「百姓は、生かさず殺さず」の有名なフレーズを口にし、体現している本多正信。徳川はそうやって、戦いのない平和な世を作り、時代を中世から近世へと進めたけど、それはものすごい管理体制だと思う。「一人一人に思いがある」からは遠い、年貢のための駒であり、大名もまた贅沢をしないできない、ご公儀のための駒。ガチガチの管理社会。

だからいつかはそれもまた時代遅れになるわけで、250年後、それを壊していくのが、信之が作る松代藩から出る佐久間象山なんだねえ・・・という歴史の妙を感じさせるラスト。とりあえず、信之は、信繁が死んでもまだまだ長い旅路をゆく。

信繁にとっての「己のための戦」「生きたいように生きる人生」は、先に逝った人たちを思って戦うことだったんだねえ、という帰結が、本当に面白いなと一晩明けて思う。

家を背負うとかいう確たる役割を持たなかった彼が、割と流れにまかせて生きていく中で見つけた「己のための生き方」は、愛する人、しかも敗れていった人たちを思うものだった、と。自分のため、と、人のため、とが渾然一体になってる感じは、「とと姉ちゃん」として家族のために生きるのが私の幸せ、という常子と似ていて、同時代性を感じる。

とはいえ、「朝は明るく優しく」な朝ドラとは違って、愛する人々を思いながらも、今ここにいる人を邪険にし続けたり、苦労させちゃったりとエゴが浮き彫りにされ、結局は大願を果たせず死んでいく信繁や、数多くの敗者たちは、歴史を描き人間を描く大河ドラマの「苦み」の部分を存分に表していた。

と同時に、そんな欠落のある、何かを成し遂げるわけでもなく終わる数々の人生は、私たちにとても近いものだった。敗者の美学ではなく、敗者の肯定とでもいうのかな。多くの死者を見送った信繁が、彼らに思いを残して戦い、ついに自分もまた死者の列に加わろうとするとき、映像が出てきたのはすえや春や梅、生きている者たちだった。彼らはきっと、信繁のこともずっと思うだろう。彼らが思い描く信繁はそれぞれに違う顔をしているけど、それでいいんだろう。人は自分なりに生きる。その姿の何かしらが、誰かの心に残る。

ものすごく残酷で苦い最終回だったけど、むごさや苦さを含めて、人生は肯定できる、するしかない、って話だと思った。あー。まだ当分は余韻に浸っているでしょう。直虎も楽しみですが!!