『SMAP×SMAP』 最終回

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スマスマの最終回を見た。生出演は無し、新撮での出演はラストの「世界に一つだけの花」のみ、本人たちのコメントは無し。という悲しすぎる構成だったけれども、番組はこの解散劇の不可解さを強調する作りになっていてある意味よかった。

それにしても、こうしてスマスマ20年を振り返ると「歴史」感、ハンパない。大原麗子や田中好子、森光子や高倉健、周富徳などすでに物故した著名人たちのゲスト出演がネットでも話題になっていたけど、そういった大物たちを自分たちの番組に呼んでもてなし始めたのがハタチそこそこの若者たちだったっていうのが、今にして思えばSMAPのスケール感である。

スマスマ1回1回の放送の価値は、私の中ではそんなに高くない感覚があった。だって、逮捕関係以外では、メンバーの誰がどんな仕事をしてても、必ず毎週当たり前にやってる番組だったから。見ようと思えばいつでも見られる、求めるまでもなくやってるのだ。そんな1回1回が20年積み重なってきた偉大さよ。彼らは時代と共に生きてきたんだねえ。

中居くんが初めて紅白の司会をしたのは25才だったんだと気づいた。しかも相手は和田アキ子! 聞いただけで胃の縮むようなすさまじい大役…。彼はこれまで計6回、司会をつとめている。初めてのとき(1997→1998)の年越し、フジテレビはお台場でSMAPの特番をやっていた。NHK渋谷から中居が駆けつけるまでのキムタクの奮闘ぶり。予定を大幅に遅れエンディングの歌でやっとこさ合流した中居を弾けるような笑顔で迎える香取たち、素知らぬ顔で歌い続ける木村。SMAPってこのとき既にメンバーのスタイル確立してるなと思う。

というか、その前の、森くん脱退劇のとき既にそうだった。いつもの役割通り、仕切ろうとした中居くんが「はい、」と一言口火を切った瞬間にもう涙なみだになってしまうと、間をあけず、眉ひとつ動かさずに木村が引き取って司会を始めた。言葉の要らない、視線すら合わせる必要のない連携やサポート。

ひとりひとりに心境を聞いていく。
草なぎ「森くんにはこれが始まりだから」と、言葉少なな中に思いがこもっている。
稲垣「死なないように。怪我くらいはするかもしれないけど」優しくて軽やか。
香取「淋しいなってのはある」正直な末っ子。その正直さがみんなを救ってきたこともあるんだろな、たくさん。
木村「今までもこれからも、いろんなところで皆さんがおまえや俺たちを見ている。そういう人たちに恥ずかしくないようにがんばらないといけない、おまえも俺たちも」どこまでも強い人。
中居、だーだー泣きながら「一緒にやってきたこの8年間を誇りに思う、森という人間に出会えてよかった」あふれる愛情と尊敬。

アイドルグループにとってメンバーの脱退はものすごく大きくて屋台骨を揺るがしかねない出来事。20代前半にして彼らはそんな危機を経験し、「そういう状態から逃げない」と体現してきたんだね。もちろん、表立って話せないことはたくさんあるでしょう。でも、できうる限り、自分たちの言葉で語り、今このときにカメラの前に立っている自分たちの姿を示し続けてきた。稲垣のときも、草彅のときも。震災の直後も。震災の後は、被災地もそうだし、のど自慢にも出たり、人々と直接交わる仕事も増やした(そこにはスタッフだけでなく、彼ら自身の意思もあっただろうと私は思う)。

そして5人旅。企画が突然始まって「50%楽しくてのんびりできそう。50%はめんどくさい」と草彅くんに洩らす香取の述懐が実にリアル。メンバーとの旅。100パーめんどくさいんじゃないのだ。50%は楽しくてのんびりできそうなのだ。で、実際、ノリノリでカラオケを歌い続けてた。自分たちの持ち歌とはいえ、アルバム含めればもう何百曲もあるだろうに、ずっと昔の歌もよく覚えてるんだね。この歌詞が好きとか、次高い音くるよとか、ひとつひとつに本人たちならではの思いや思い出があるんだね。

そういう人たちが、番組の最終回に際して生で姿も表さないし、テロップ以外の一言もないっていう異様さな。

「こうやって歴史をたどってみると、現状って、明らかに彼ららしくないでしょう?」と番組が語ってる。

私は思うんですけどね、彼らが解散したいんだったら、「前向きな解散」を演出することはいくらでもできると思うんですよ。前向きな解散って実際にあるはずだ。人間同士、いろんな状況や心境の変化があるから、いつまでも一緒にやれないこともあるし、それ自体は(ファンには悲しくても)悪いことじゃない。たとえ意見が合わなくなったがゆえの解散だとしても、「これまでの28年を誇りに思いつつ、この先のそれぞれの道にも敬意を払う」そんなふうなことを言葉と態度で表現して解散するはずだ。SMAPという人たちなら。それがもっとも、ファンに対しても誠実な態度になる。細かい事情の説明はされなくても、彼らが自分たちの言葉で語れば、ファンは大方を受け容れるだろう。彼ら自身の意思を感じられれば、それを尊重するだろう。

事務所の側だって、「今まで楽しかった、ファンの皆さんありがとう、これからは別々の道になりますががんばります」みたいな当たり障りのないことは、肉声で言わせてかまわなかっただろう。というか、むしろ、そのほうが人々を納得させる演出になる。SMAPのストーリーを綺麗に閉じられる。説明も感謝の意も、自分たちの言葉で何も表現しないほうが、はるかに異様に映るのだ、SMAPの場合は特に。それをしなかったのは、嘘の言葉を言いたくなかったということなんだろうな。それだけが今できることなんだろうな。

数あるSMAPの歌の中で、「世界に一つだけの花」がフィーチャーされるのはどうなのかなとずっと前から思ってきた。ひとり歩きする空疎な道徳みたいに感じてきた。SMAPイコールこの曲という人々の認識は、彼らを良識人の枠に嵌めてアイコン化してしまうようにも。私は、「俺たちに明日はある」の開き直った前向きさや、「夜空ノムコウ」の寄る辺なさ、「さかさまの空」の小さな希望のほうが好きだった。

でも、スマスマの最後に「世界に一つだけの花」が歌われるのはやっぱりそうだよなと思った。SMAPといえばこの曲なんだ、っていう世間の認識があるからファンはこの曲の購買活動をしてきたのを彼らも知ってるだろうし、「SMAPといえばこの曲なんだ」のようなステロタイプな世間の認識も含めて、SMAPという存在に真正面から向き合い続けてきたのが彼らなんだ。たくさんのものを引き受けてきたんだ。

長々とした礼と共に閉じた幕が、また上げられたとき、おおっと思った。何かが起こるのかと。実際は何も語られることはなく、スタッフたち一人一人との記念撮影をしながら、歴代スタッフたちの名が連ねられる膨大なクレジットロールだった。

でもさ、そこで、中居くん笑顔だったんだよね。流れたのは「Can't Stop」だったんだよね。「世界に一つだけの花」っていう大きなものを背負って向かい合ってきた彼らが、そのあとに流したのは、あの可愛い歌だった。

君を幸せにする僕はここにいるよ

キラキラ光る素顔が欲しい

 甘い声と歌詞。あくまでポップなアイドルソング。SMAPが始まったときの歌を、30歳になっても40歳になっても歌う彼らが好きだった。何も知らなかったあの頃からずいぶん時が経ってしまっても、変わらないものを持っているんだ、この長い年月をすべて肯定しているんだと言っているようで。ファンとの年月への愛情を表してるようで。四半世紀も経った今だからこそ、この詞は本当にキラキラと尊いメッセージに思える。最後にその歌をかけてくれたんだよねえ。

そしてたくさんのスタッフと一人一人肩を組み、今では現場を離れたスタッフの名前までもクレジットに連ねるのはとてもSMAPらしく思えるものだった。自分たちを支えてくれた一人一人を大切に思っている。それは「僕たちはファンの皆さんのこともとても大事に思っています、できることなら、こうやって一人一人と肩を組みたいくらいに」っていう表現に見えた。「今は何も話せないけど、とても大事に思っています」と。

とりあえず、SMAP5人のステージはしばらくは見られない。後日、小学校時代からの友だちとも話してたんだけど、「損失だよなあ」って。このキラキラしたステージが、何の説明もなく失われる。私たちは1978年生まれで、SMAPの少し年下の世代。中学時代にテレ東のアイラブSMAPや夢がモリモリを見て、高校時代にスマスマが始まってロンバケがあって。特にファンじゃなくても、リアルタイムでいろいろ見てきたからなあ。

SMAPやり続けるのが簡単なことじゃないってことぐらい、簡単に想像はつく。でもそれをやり続けてきたから唯一無二の存在なんだ。いろんなことを乗り越えてきたんだろうな、と感じるから、より輝いて見えるんだ。やりたくなくなったならやめたらいい。でも20何年もやってきた人たち、誠意ある仕事をしてきた人たちが、説明もなくやめるなんてことするはずがない。だから不審なんだよ。

番組の最後まで、一言も「解散」って言葉は言わなかったんだよね。つらい思いさせてごめんね、でも信じてね、って中居くんが泣いて笑ってるようだった。

 
◆追記

やっぱり、「いったん下りた幕が開いた」のが、核心なんだと思う。スタッフたちとの記念撮影と歌唱とは、逆の順番でも良かったのだ。記念撮影をして、クレジットを流して、そこまでが番組のための時間で、最後に、ファンの人たちのために歌って幕が下りて終わる・・・っていう順番。

でも、そうしなかった。彼らはまた、幕を上げて、中居の涙を隠さずに見せ、それでもなお、いつものように、それぞれが独立して立っていたのだ。最後だからとメンバー同士、中居に寄り添って支えたり握手を交わしたりすることはない。バラバラに、さらっと撮影スタジオを後にする。それがきっと、どんなときも繰り返されてきた彼らのスタイル。これも乗り越える、って意味で幕は上がったんだと思う。最後の最後に流れた、森くんも加えた若い6人のアイキャッチもそういうこと。