あつまれ、4/14

明日4月14日、国会前で大規模行動があるのをご存知ですか❓

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東京の友人から昨日、「そこに来て、スピーチをしないか?」と誘われました。友人は、今回のデモを計画している市民団体【Stand For Truth】から、誰かスピーチできる人、今まで出たことない人でおすすめの人を…という依頼を受けて、私を思い浮かべてくれたというのです。

私は昔ながらの典型的な地方生活者でフットワークに難があり、お引き受けできなかったんだけれども、もしももう少し早い段階で打診を受けていたら、いろいろ準備して参加してみたかったなと思いました。そして、そう思う自分にちょっとびっくりしました。

デモのような市民活動について、みなさんはどう感じますか❓ 
たとえば「原発はもうやめよう」とか「公文書改ざんはあり得ないだろ」と思ったとして、それを掲げるデモに参加する自分を想像できますか?

私はかつて、デモのようなものは、いろんな意味で特別な人がやるものだと思っていました。抵抗感がありました。私の同世代以上の人には、多く共通する感覚だと思います。

でも、今は「デモやってくれる人ありがとう!」「私も機会があったら行くよ!」「街で見かけたら、ちょっと一緒に歩いてみるよ!」ぐらい思ってます。この変化はすごいことです。

震災後の原発再稼働や、2015年集団的自衛権を含む安保法案に反対して、多くのデモが行われてきました。そこでは【SEALDs】という学生たちの団体も生まれました。市民連合やStand For Truthもその流れを汲んでいますよね。

2015年秋に放送された「役者の自撮りドキュメンタリー」で(←私ってホントこーゆーののチェックは怠りないな…😅)、斎藤工が東京の街を運転しながらそのデモを見て
「安倍さんのやったことで良かったのは、若者を目覚めさせたこと。最近の若者は・・・なんて、もう言えないよね。」とコメントしてました。

あのとき、大人の多くは、世間を知らない若造の集団よと冷笑したり、自分には関係ないと線を引いてたからね。素直に若者をたたえて、しかもそれをNHKの電波に乗せることができる斎藤工はかなりすごいと思いました。おめーの乳首は見飽きたよとか言ってスマンかったと。

今では、大学教授や国会議員さえデモに加わってスピーチをする姿が普通になりました。先ごろ亡くなった高畑勲も、1月に亡くなったECDも、デモに参加していました。

海外に目を向けると、東アジアでは近年、台湾のひまわり運動、香港の雨傘革命という大規模な学生運動があり、韓国では100万人デモが大統領を退陣させました。

デモの本家はやはりフランスでしょうか。
「フランス人はデモとストライキで政府に対して意見を表明する」
「政治家はそれを軽視すると失脚のリスクがあるので政策決定の要素として織り込んでいる」
のだそうです(作家・池澤夏樹の著書による)。

●選挙での信任は、100%従うという意味ではない。
●選挙は、多数決という大雑把で限界のある制度にすぎない。

と、フランス人は考えている。

ストライキがあれば市民生活には大いなる不便が出るが、「その不便をしのぐことで、フランス人は政治的意思を表明する。」

なんと、フランスでは公務員がじゃんじゃんストライキをするそうです(日本では禁止よ)

哲学者 國分功一郎は、「ちょっと一緒に歩いてカフェで一杯飲んでしゃべって解散、ぐらいにカジュアルでドライでいいんじゃないの?」と言っている。
デモ文化が浅い日本。一斉にシュプレヒコールをあげたり、好戦的なスピーチに加わる必要はない。ってだけで、心理的負担は減るよね。

フランス語でデモは「マニフェスタシオン」、これは【現れること】という意味なんだって。
ある争点をめぐって群衆が大挙して押し寄せる、それだけでメッセージになるし、権力者には脅威なのだと。

確かに、2013年の大河ドラマ『八重の桜』では、最後の将軍・徳川慶喜が、蜂起した民衆の声に耐えられず敵前逃亡するシーンがありました。(…と、すぐに大河につなげるオタク。でもこれ、巷説レベルにしても歴史に依拠した描写です)。

デモは近現代において、正当かつ効果のある市民行動です。日本でもこの数年、旧来の右翼左翼のような極端な人々ではなく、若い人たちがデモの文化を育ててきました。

そして今、彼らが再び大がかりな集会をひらく意味はよくわかります。データのねつ造、公文書改ざん、それらを部下の問題だと決めつけて責任を取ろうとしない政治家。それを許してしまいそうな国民、、、、
こういう言葉を使うと引く人も多いんでしょうが、これは民主主義の根幹の問題であり、まっとうな民主主義がまかりとおらなれば、私たち個人の自由と平和が侵されることになります。

スピーチの打診をくれた友人は東京の人ですが、「東京や大阪という大都市圏以外の街の人の声を届けたい」と言ってくれました。

福岡から国会前へ駆けつけられる人はなかなかいないと思うけど、エールを送りながら見守りませんか。
こういう市民の行動を、マスメディアがどのように報じるかにも注目したいと思います。