Nスペ『日本国憲法 70年の潮流』を見て雑感(前)

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単純な感想として、

「時代によって、改正したい/したくない の回答割合ってこんなに変わるものなんだなあ」
と興味深く思いました。

おそらく、NHK調査が止まっていた70~80年代は、「改正しない」が「する」を圧倒していたのでしょう。だから調査するまでもなかった、と。

それが、その25年後ぐらいには一気に逆転して、「改正する」が「しない」を45ポイントも上回る時期がくる。

でね、そうなると出てくる疑問。

1.「改正する」が何%くらいになるときが、改正にふさわしい時宜なのか?

憲法改正には国民投票という手続きが必要で、その場合、過半数の賛成で改正となります。
過半数。
100人中49人が反対する案でも、承認されるわけです。

70年、変えずにきた憲法。
それはつまり、「70年、国民の多くが支持してきた憲法」だと思うんですが、
それを、2020年なら2020年、とある時期の国民のうち51%だけがOKといえば改正するってわけで・・・なんかそれって・・・?という気分になります。

いったん変えちゃったら、「やっぱ具合が悪そうだから戻したい!」とかできないわけでしょ。現実的に。国民投票、800億かかるとかいうしね。

でも、逆に考えれば、「自分の国が自分の主張と相容れない憲法を持っている」という人たちも、この国には何割か確実に存在してきたわけですね。70年。それもしんどいな、と思います。


2.憲法で変えるべきところはどこなのか?

当たり前ですが、重要な問いです。

改正に賛成/反対と、ひと括りでいっても、その内容にはかなりバラつきがあるのです。

番組でも、「待機児童とかの問題あるし変えるべきとこは変えるべき。平和主義とかは変えない方がいい」と言ってる「改正賛成派」の人がいました。
待機児童って、憲法改正して解決する問題なのか謎ですが…

今、メディアで言われている争点だけでも、

・家族の規定について。自民党案では「家族は互いに助け合わなければならない」としている

・天皇の位置づけ。今のまま「象徴」とするか。自民党案では「元首」と盛り込んでいる。

・武力攻撃や大災害に対して総理大臣が「緊急事態宣言」ができる、という案。
など、いろいろあります。

どこをどんなふうに変えるべきなのか、変えないべきなのか、1つ1つ考えていく必要があります。
 
もちろん9条についても、
・「戦力の放棄」
・「戦力の不保持」
・「交戦権の否定」

のうち、すべてを否定して改正したい人もいれば、
2項目は現状でOKだけど1項目だけは変えたいという人もいるでしょう。

あなたはどうですか?

ていうかさ、国民投票では、「改正案」にマルッと賛成か反対か、ていう二択なのですか?
改正案の○条は賛成、○条は反対、というように、条項ごとに判断できないと、非常に雑なことになると思うのですが・・・。
このあたり、知っている人がいたらご教示ください。


3.やっぱりすべてはつながっている・・・?

改正案が示されている条項は多岐にわたります。
そのひとつひとつについて、自分は賛成か反対か、どう思うのか、吟味しなければならない。

一言で改正したい / したくないと括れるものではなく、
その内容は実は人それぞれ違うもので、一人一人が自分なりの答えを探さなければならない。

というのはあるんだけど、一方で、
 
国会が発議する憲法改正案、
その変更箇所のすべてはつながっているのではないか
とも思います。
簡単に言えば、すべては「日本会議的思想」に貫かれているということです。
 
なんたって、首相はじめ、改憲推進本部のメンバーは「日本会議」に属しているわけなので。
 
・日本国憲法が発布された当初から改憲を主張してきた人々
・結党当初から憲法の自主改正を謳ってきた自民党
(中曽根康弘・元首相は、青年議員時代に「憲法改正の歌」の歌詞を5番まで自ら作詞し、今でも愛唱しているらしい!)
・そして、三島由紀夫の演説に感化された若者たちの流れを継ぐ「日本会議」
 
彼らが長きにわたり、草の根レベルから粘り強く続けてきた活動が今「日本会議」に結集し、強力に改憲を推し進めようとしている。

彼らが望む日本の姿とは何なのか。検索するとHPが出てきてハッキリと書いてあります http://www.nipponkaigi.org/about/mokuteki
 
(天皇を中心とする共同体)
・私たち日本人は、皇室を中心に同じ民族としての一体感をいだき国づくりにいそしんできました
 
・私たちは、皇室を中心に、同じ歴史、文化、伝統を共有しているという歴史認識こそが、「同じ日本人だ」という同胞感を育み、社会の安定を導き、ひいては国の力を大きくする原動力になると信じています。
(現行憲法について)
・占領軍スタッフが1週間で作成して押し付けた
・自国の防衛を他国に委ねる独立心の喪失、権利と義務のアンバランス、家族制度の軽視や行きすぎた国家と宗教との分離解釈
(教育について)
・行きすぎた権利偏重の教育、わが国の歴史を悪しざまに断罪する自虐的な歴史教育、ジェンダーフリー教育の横行は、次代をになう子供達のみずみずしい感性をマヒさせ、国への誇りや責任感を奪っています。

・かつて日本人には、自然を慈しみ、思いやりに富み、公共につくす意欲にあふれ、正義を尊び、勇気を重んじ、全体のために自制心や調和の心を働かせることのできるすばらしい徳性があると指摘されてきました。
 
 わーお。
と、私などは思ってしまうのですが。あなたはどうでしょうか?

日本は天皇を中心としてまとまってきた国なのだと
天皇陛下万歳なのだと
全体のために我慢したり調和したりすべしと

それを子どもに教えるのですか
伝統だから、それを大事にするのですか

伝統には良いものも悪しきものもあり
時代の変化や人々の要請に応じて淘汰されるものですが

天皇を元首とし、全体のために尽くし・・・
それが本当に良き伝統なんでしょうか?

私たちは一人一人違う人間。感じ方も考え方も違う。当然のこと。
その心を一つにするとはどういうこと?
というか、心を一つにしなければならないのはなぜ?

日本らしい伝統的な姿。
さだめられた義務を諾諾と果たし
親や上司や為政者など、上位者に対して従順で、
余計な主張をせず、謙虚や忍耐や沈黙を美徳とする。

天皇を元首とする。
総理大臣に力を与える(安倍さんは、国会でもことあるごとに「私は総理大臣なんですよ」と言う)。
家族で助け合うことを憲法で当然のこととして明記される。

そんな国民を創生したいのは、
それは、
そのほうが、管理しやすいからだよね
導きやすいからだよね。きっと。

いやしくも21世紀の先進国の政治家とあろう者が、
しかも、かつて父の代に戦争の大惨事を経験している国の政治家が、
なぜそんなにも前近代的で時代錯誤な理念を堂々と掲げるのか、
本当に理解しがたかったんですが、
今回のNスペを見て、ちょっとつながりました。初めて。

諸外国とのかかわり方についての話です。

歴代内閣がアメリカとの関係にかなり重きをおいてきたのは自明で、
番組中で当時のアメリカ側の文書が紹介されていたように、
自衛隊のPKO派遣を始め、
沖縄の米軍基地問題や、集団的自衛権の行使容認や・・・
アメリカからの要請によって決まっているところも大きいのだろうと想像できます。

そのことに対する批判も数々ありますが(いわゆる“アメリカの忠犬”的な)
結局、 「武力を持たない状態で、どうやって国を守るのか?」
という命題に対する答えとして
「アメリカに頼る(だから、ある程度言うなりにならざるを得ない)」
を選んできたのが、戦後70年の歴史なのだと思います。

自民党の議員たちや、日本会議の幹部たち(両者がイコールであることも多い)は、
それが耐えられないとずっと思ってきたということなのでしょうか?
アメリカの要求をのんで国内の政策決定をし法案を通してきた人たち。
実は彼ら自身がもっとも、内心そのことに汲々としてきたのでしょうか。

戦後まもなくから
「GHQの押しつけ憲法を破棄」
「自主憲法でなければ独立国家たりえない」
「憲法を改正しなければ、自衛隊はアメリカの軍隊も同然」
と主張してきた人たち・・・。

アメリカに唯々諾々とならないために打ち込む楔が、
「天皇中心の強い国家」
「日本の古き良き伝統」
を謳う、自主憲法ということなのでしょうか?

いつか武力を用いるとしても
それはアメリカ様からの拝命ではなく独立国家日本としての意思なのだと。
自分たちで判断するのだ、と。

自民党議員の多くが日本会議に名を連ねているのも、そういうことなんでしょうか。
彼らは彼らなりの歴史観で信念を実現しようとしているのだと。

であれば・・・
アメリカは日本の憲法改正について、どういうスタンスでいるのですっけ?
日本が武力保持をおおっぴらに解禁するのは、彼らはもちろん歓迎でしょう。
アジアの安全保障について、自分たちの影響力はもちろん保ちたいけれど
実質的なコストは日韓それぞれが負担したほうが具合良いはず。
「天皇を元首とする」「日本の伝統の姿」という思想についての
アメリカ側の反応が知りたい。

報道で見た記憶がないのですが、私の不勉強ですか
あるいは、そういうことは内政干渉になるから不表明なのかも。
 
(つづく)