五月の十三 / 田植えのお手伝いで宮本常一を思い出す

●5月某日: まりちゃんがお友だちとやってる田んぼの田植えに行く。私とサクは初めて、夫は実は田植え経験者で、母方のおばあちゃんちでは夫が中学生時代まで手植えをしていたらしい(昭和60年代だよ! )。
行きの車中で夫、手植えがどれだけ腰にくるかを語るのでちょっとびびったけど、私はこういう作業は好きなたちじゃないかなと予想した通り、楽しかった! 楽しかったといえるぐらい、「ちょっとかじった」程度のお手伝いってことだろうけどねw 
 

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入る時はちょっと水が冷たく感じるけど、午前10時も過ぎると土は暖かくて。苗床から1房ずつとって、間隔を守りながら植えていく。近くの人同士でお喋りしたりしながらも、思い出すのはやっぱり宮本常一『忘れられた日本人』で何度も何度も繰り返し読んだくだり。
●昔はのう、田植えちうたら何も彼も競争じゃった。朝暗いうちに起きて、苗代へいって、みんなで一とき植えるほどの苗をとると、それを田へ持っていって植え始める。
あとは男が苗をとってくれる。それを苗運びが運んで、小苗打ちが打つ、早乙女は苗とりを追うのがおもしろうて、苗を持ってくるのが遅けりゃ、みんなで「この甲斐なし奴が!」とどなりつける。
●田植えのときは女のほうが偉うてのう、男を追うのが面白かった。男の苗とりがあんまりはかどらんと、早乙女がドベ(泥)を持ってのう、手伝いの男にぶちかけて、しまいには田の中へ突っ込んだりしたもんで・・・
●昔は田植え歌もずいぶん歌うた。この人の爺やの爺やにあたる人がのう、ひょうきんで歌が上手で、田植えごろになると太鼓一つ持って、あっちこっち田を植えているところの畔へ立って、太鼓をたたいて歌を歌うたもんじゃちうて爺やが話よりましたがのう。歌にあわせると手も調子がついて仕事がはかどったもんでありました。
●この頃は田の神様も面白うなかろうのう。みんなモンペをはいて田植えするようになったで。
「モンペをはかずにヘコ(腰巻き)だけじゃと下から丸見えじゃろうが。田の神様がニンマリニンマリして・・・。」
「見んされ、一まち(1枚)植えてしもうたろうが」
「そりゃあんた、神さまがお喜びじゃで・・・」
「わしもいんで(帰って)亭主を喜ばそうっと」
 
これらはすべて、宮本常一が昭和の前半に故郷・周防大島でお百姓のおばあちゃんたちに聞いた話。女性たちは田植えのときによくこういう(今でいう)下ネタトークをするもので、
『田植え歌の中にもセックスをうたったものは多い。作物の生産と、人間の生殖を連想する風は昔からあった。(中略)田植えのときにそんな話の中心になるのは、たいてい元気の良い四十前後の女である。若い女たちにはいささか強すぎるようだが話そのものは健康である』
 
と宮本は書いている。私、今まさに元気な四十女かなーと思ったりした(笑)。いえ、エロばなしはしませんでしたが(男性陣もいたしねw) 
忘れられた日本人 (岩波文庫)

忘れられた日本人 (岩波文庫)

 

 

息子もがんばって植えてた。途中から、おたまじゃくしのつかみどりに気をとられてたけど、6才だもん、それでいいよね。
腰が痛くなったら、一枚下の田んぼのほうに降りて、土踏み。そこは今年から新たにやる田んぼなので、まだ土が硬くて水が入りにくい。人の足で踏みしめて柔らかくするんだって。
 
お昼は、茉莉ちゃんとお隣の内山さんがたくさんお米を炊いてくれて、おかずはみんなで持ち寄ってビュッフェ形式。素朴な料理ばかりでめちゃくちゃ美味しかったー!

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こうやってふらっとお手伝いして食べて(笑)ふらっと帰る私たちは気楽だけど、たくさんの人を迎え入れる茉莉ちゃんたちは本当にすごい。本当にすごいよね!と夫も感心していた。
 
早めにおいとま。マンションの排水管点検&清掃があるため。田んぼにいたのは2時間足らずでも、暑さもあってすっかりくたびれた。30分ぐらいカーッと寝たら復活し、ランニング30分。夜ごはんは、豚肉たっぷり野菜たっぷりで鍋! ビールに赤ワイン!