皐月の三
●5月某日: 午前中、走る。5.5キロくらい。日陰を探して走る季節になったが、11時にもなるとすっかり日も高くなっている。所用ついでに自転車散歩をしているサクと夫に途中会う。昼ごはん、チャーハンとミニうどん by 夫。部活を終えた学生みたいなメニューを食べてしまった…。
昼下がり、夫の実家に出発。途中運転していく。今日は車が少なめ。だが、風が異様に強くてちょっと怖い。着くと、家でたくさん印刷してきた写真を1枚1枚解説しながらじぃじ・ばぁばに見せるサク。夜ごはんは今回も義父の振舞いで、おなかいっぱい。アジ刺がとても新鮮、かんぱちのアラ煮も超おいしかった。サクは鶏の唐揚げをバクバク。
義父は4月から、地区の区長をつとめることになったそうで、先月はたいそう忙しかったそうだ。義母いわく「何でも真面目にする人だから」わかる。ここ何年も、中国・韓国からの団体観光客が大挙していた近くの南蔵院(巨大な涅槃像がウリ。)だが、熊本大分の地震以来、彼らを乗せた大型バスがぱったり姿を見せなくなったという話が印象的。
●5月某日: 朝ごはんを食べるとさっそく庭でシャボン玉、広場で自転車やボール遊びをするサク。よく晴れて、今日は風も弱まったようだ。ここからほど近い「樹芸の森」に行ってみようということになり、義父の車にみんなで乗り込む。結婚して8年になるけど初めて行く場所。篠栗耶馬渓、ともいわれている豊かな森林公園で、途中の広場に駐車。バーベキューをしたりテントを持ち込んだりしている人たちもたくさん。巨大な鳴淵ダムも一望できた。
そこから「展望台」という矢印に沿って登り始める。特に距離が明示されていないのはすぐそこだからかと思ったら(広場でもかなりの高台なのだ)、えらく先が長く、ちょっとした山登りになる。義母が大丈夫かなーと、進むべきかあきらめるべきか迷い迷いだったけど、マイペースでゆっくり上ってこられてよかった。サクはひょいひょい。坂道や階段になると子どもは強いですね。体重も軽いしね。道はかなり手入れされていて、その分ワイルドさは減じるけれど、足に心地よい芝も敷いてあり、快適なハイキングだった。3,40分で展望台に着いたかな。これはすばらしい景色で、一同感嘆。海ノ中道とその向こうの志賀島。能古島、奥には糸島半島も見える。眼下の町並みは久山、その向こうは箱崎と香椎。「篠栗から海が見えるなんてね」と義母。
降りて、昼ごはんを食べにいくついでにと、萩尾地区というところに寄った。
山からの帰り、まだかなり高いところに突然、小さな集落があった。今では10数件かな。中山間部と山間部の中間くらいか(わかりにくい)。斜面にきれいに、段々に整地された田んぼが。昔は、この田んぼではなく林業がメインの集落だったらしい。
集落緒中に小さな学校があった。小学校の分校で、今年、義父は入学式に出席したらしい(この集落ではなく自分の居住区での区長をしているので、来賓として)。新入学生1人に対して教員や来賓が30人くらいの式だったそうな。(それが良いとか悪いとか言ってるわけじゃないですよ、念のため)
夫の祖母、つまり義父の母は、この集落よりもさらに高いところにある集落から嫁いできたそうだ。当時「へりやま」といわれていた地で、たぶん漢字は「縁山」。当時の若宮町、今は合併して宮若市に入ってるのかな。義父も子どもの頃、彼女の郷里まで歩いてのぼっていってたらしい。
今、民俗学関連では芳賀日出男の『日本の民俗?祭りと芸能』をメインに、沖浦和光の本を副読本に読んでるんだけど、今猛烈に、宮本常一の『山に生きる人々』が読みたくなってる。まだ読んだことなくて。
そういえば・・・連休中はスキマ時間に、上橋菜穂子のエッセイ「物語ること、生きること」もちょいちょい読んでる。「守り人シリーズ」の文庫版、巻末の鼎談で、上橋さんが藤沢周平を好きなことは知っていたが、「物語ること、生きること」では宮本常一の話も出てきて、わーやっぱり、てなもんだった。
しかも、宮本さんの数ある著作の中でも、『忘れられた日本人』の中の「私の祖父」の章を引いているのが、「そうよね!」感すごくて。上橋さんの本って大人になってから初めて読んだファンタジーなんだけど、ハマったのはやっぱり必然だったなあ
数か月前、松っちゃんとパンクブーブー黒瀬が番組で来たという定食屋で遅い昼ごはんを食べる。義父は昔からの馴染みで、例の日、店がわは、黒瀬(この町の出身)がもう一人芸能人を連れて来るとは聴かされていたけど、それが松っちゃんだったとはびっくり仰天だったとか。
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