『忘れられた日本人』 宮本常一
- 作者: 宮本常一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1984/05/16
- メディア: 文庫
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で、今回読み返したら、「世間師」「文字を持つ伝承者」あたりがとりわけ面白く感じた。章ごとに、増田伊太郎・左近熊太・田中梅治・高木誠一という、戦中つまり昭和の初めに「翁」であった人々の生涯や、聞き書きが著されている。
激動の時代というとなんとなく戦中から戦後の経済成長とかIT革命とかを思い浮かべるけど、幕末・明治・大正・昭和(戦前戦中)もまた激動の時代だった。その中を、ある人は野放図に、ある人は淡々と、ある人は地域のために尽くしながら生きた。ほとんどすべての人が歴史に名を残したりしない。けれどこうして読むと、くらくら目まいがするようにドラマチックだったり、胸がじんとあたたまったりするほどに、それぞれの人生を感じる。
思うに、私の好きなもの・・・「サラメシ」だとか「鉄腕DASH」だとか、そして自分でやってる「ママじゃない私ポートレート」だとか、結局ぜんぶ民俗学につながってくるよな、と。いや逆か。そーゆーのが好きなたちだから、民俗学のようなものにも興味をもつのか。
閑話休題。名もなき翁たちのこういう記録が残っていることは本当に貴重だなと思う。そして、巻末解説の網野善彦も書いているけれど、全国各地を歩いてこういう記録を残して回った宮本常一という人の人生をも知りたくなる。
その一端は、この本にも収められている。「私の祖父」つまり宮本市五郎について孫である常一自身が書いたもの。弘化3年(1846)年に山口県大島に生まれ、昭和2年(1927)年にそこで死んだという百姓の祖父。常一は8,9歳になるまで夜はこの祖父に抱かれて寝て、膨大な数の昔ばなし、民話の類を聞いた(しかしそのほとんどを覚えていない、とある)。山仕事にも一緒に連れていかれた。宮本はこの祖父に、遠くの鳥おどしに夕日が反射してキラキラしているのを「マメダ(豆狸)が提灯をとぼしておるのだ」と教えられ、野原で小便するときはミミズにかからないように「寄ってござれ」と言ってからするよう教えられ、カニ吊りをして遊ぶと「ハサミはカニの手じゃけぇ、もぐなよ。ハサミがないとものが食えん」と言われて育ったのだという。
で、今度は佐野眞一の『宮本常一が見た日本』を読み返そうかなーと思っているところ。こちらには、常一の父・善五郎のエピソードがあって、これがまた良いのだ。えーっと昔どこかに書いたな。これだ。
2010.6.22 『宮本常一が見た日本』 佐野眞一 http://d.hatena.ne.jp/emitemit/20100622#1277188622
「世間師」「文字を持つ伝承者」では、両者を識字能力の有無で比較(ここでいう比較とは優劣をつけるという意味ではない)しているのもすごく興味深かった。昭和の初めの農村、山村、漁村等には、まだまだ無字社会というものが多くあり(むしろそちらが多数派だっただろう)、そこでは文字を有する社会とは生活のあり方が根本的に違ったのだ、と。私たちの知らない日本がそこにある。