『平清盛』 第38話 「平家にあらずんば人にあらず」

一代記のていを取る大河ドラマの場合、後半が暗く重くなるのは常。比較的長命の人物であれば、前半からの登場人物との別れ(死別であれ、訣別であれ)は免れないし、若くして落命する人物であればおのずと悲劇性を帯びます。そもそも日曜8時に沈鬱なものを見たーい!と手ぐすね引いてる人はいないだろうから、後半は往々にして視聴率も落ちます。

また、なぜか前半に予算をつぎこむ大河が多いようだし、長丁場であれば役者・スタッフともに疲れもあるでしょう。すなわち、経済的にも体力的にもモチベーション的にも苦しい戦いになる大河ドラマの後半は、前半以上に作り手の意思やレベルが問われる部分がある。近年でいえば、視聴率を獲った「篤姫」も、コアな大河ファンの中で秀作とされている「風林火山」も、後半にはやや、息切れや間延びがみられたものです。主に脚本・演出面で。

今年は主人公どころか一門もろともに滅ぶラスト。作る方もさぞかししんどかろうと思うのですが、どうやら、真正面からがっぷりと向かいあうようですね。大河の王道とはだいぶ色合いが異なるし、アラもいろいろあるけれど、これはもう、藤本版・平家物語と堂々といって差支えないんじゃないでしょうか。しばらく前から少しずつ聞こえ始めていた平家の場面での哀調が、もはやはっきりと通低音として響いていることに否応なく気づかされた今回です。

近年まれに見るサブタイトルの長さにも、制作陣の並々ならぬ意欲を感じます。新聞などのラテ欄の字数制限のため、例年、つとめて短いサブタイをつける傾向にあるんですよね。「江」のときなんか、頑なに四文字縛りでやってました(いかん、思い出し怒りが…)。

もとい、平家一門、だれも悪い人はいないし、表向きには(時子が宴で述べたように)まさに栄華を極めようとしていながら、その実、視聴者の目には明らかに破滅の道を歩んでいるように映る…という、肝が据わった描き方をしています。画期的な人工島のアイデアを表現するものとはいえ、海に見立てた盥の水中に、船を模したぼろぼろの碗に石を積んで次々と沈めてゆく作業にひとり熱中する清盛の姿には、すでに孤高という言葉すらそぐわない、うすら寒いものがありました。あ、今、壇ノ浦の幻が…。

いっぽうで、都・六波羅の平家館では徳子の入内を祝う宴が華々しく行われているのだが、棟梁の座に座る重盛はあまりにはかない姿(そこがまたそそるんだが←ヲイ)。時子は、皆の前でこそ勇ましいが、内心には深い憂いを抱えている。久しぶりに清盛とふたりで語らうシーンがあったのはよかった。夫の心配に声をはずませる時子。今なお清盛至上主義なんだね。清盛がつくりあげてきた平家一門だからこそ、愛し、支え、盛りたてようとしているのであって、彼女自身によこしまな野心や血縁への妄執はない。

ただ、清盛の意向が大事だからこそ、都で正しく一門のありようを見さだめ、弟の行動に危うさを感じ、行く末を案じているにもかかわらず、それ以上の異を唱えられない。「清盛のそばにさえいられれば」と思えるような利己的さもない。「殿のめざす国とはどんな形なのでしょう」と問うてみても、ひとりで夢をみている清盛から、答えは得られない。柔らかく、大らかで、ひたむきで、だからこそ切ないなあ、時子。あんなにもロマンスラブだった時子が、入内する娘のための美々しい装束を見て「まるで戦支度のように思える」と言うようになるとは…胸がしめつけられます。深田さん、出家の頭巾姿もきれいだけど、病後で、尼そぎの髪があらわになっているシーンもかわいらしさとなまめかしさが同居した、すごい美しさだった。このドラマは深キョンをすごく透明感のある女性に撮っている。

入内のシーンは、初回のたま子、前半のしめ子(近衛帝の中宮。美貌を見こまれた常磐がつき従ったお后さまね)に続いて、この大河三度めかな? この儀式の様子を、今回の作品が定番化した感がありますね。頭には冠、大きな檜扇で顔を隠し、大勢の女官にかしずかれてしずしずと暗い宮中の廊下を歩いて行く…三度めでも飽きません。

「平家に生まれたからには女子とてもののふ」とは、聞いてるこちらの背筋が伸びるようなせりふだった。徳子役の二階堂ふみちゃん、マロメイクもかわいい〜! そして本役になった高倉帝は、あまみんの「カエルの王女さま」でソプラノで歌ってた千葉雄大くん! 繰り返し書いてるけど、こんなに次から次に天皇が出てくる大河は初めてで、しかも次から次に「帝らしい」人を見つけてきて演出しているなーと感心です。玉座から降りてきた帝がさしのべた手にそっと触れ、ぬかづく姿勢からゆっくりと顔を上げて、目と目が合う…一幅の絵のような、一対のお雛様のような、麗しいふたりだった(泣)

滋子ちゃんも絶賛マロメイク中なんですが、なんかこれ、ツボになってきました。キモいようなコワいような、でも見ようによっては美しい…っていうか常人にはとてもできない感があって仰ぎ見ちゃう。いっぽうで喋り方は全然変わっていない(=全然時代劇してない)。そして髪はウェーブ。違和感、異物感、ミスマッチ、そのすべてが奔放で権高い滋子のキャラクターにすごく合ってる気がする。作り手は、決して時代劇に馴染んでいるとは言い難い成海さんをうまく使ってるな、と思う。んで、健寿御前役の東風万智子って、真中瞳だったんですね!! ひゃー。また、ずいぶん古風ゆかしい名に改名なさったんですね。

大きいものを食らうホラ問答、後白河らしいエピソードだった。中2っぽい、っていうか、むしろ小学生みたいだったが(笑)。

成親さんがすごい存在感。徳子入内の話で浮足立つ貴族たちの中にあって、なんだなんだ、あの事後の娼婦みたいな媚態を示すせりふまわしは(笑)。そんで基房さんはなんだかんだ言いつつも元気に出仕してるのね。やったほう(と見なされている)重盛は、辞任するほどショック大だったというのに・・・。今日も元気に平家を怖がる基房さん(笑)。や、人間、じょうぶなのが一番です。

前回の「禿(かむろ)誕生秘話」(?)は戦慄だったが、実際に働く彼らにも震撼とさせられる。大きな目をさらに大きく見せるような化粧をして、連れだって動き、音もなく現れて一言もしゃべらずに告発。罪人から召し上げたお宝たちを我先にとせしめる姿も屍肉にたかる猛禽のようで、そんな彼らがもとは身よりのない子どもたちであるという事実。

「やりすぎちゃうか」と正面切って糾弾したのが兎丸で、かの有名な「平家にあらずんば」がここで発されたのは誰もが驚くところだっただろう。本日も疫病に苦しむ人たちに宋の薬を分け与えるシーンがあったが、彼自身こどものころ、父・朧月がパパ盛に討伐されたあとには、ああやってぼろぼろの姿で都をさまよっていたんだよなあ。のちに自分も海賊になったんだけど、彼がしたいのは常に横暴じゃなくて面白いことだったから、あの問いかけにも説得力がある。

来週は「兎丸無念」ってことで、大河伝統の「○○無念」系サブタイトル(ex、「輝宗無惨@独眼竜政宗」、「収二郎、無念@龍馬伝」など)を、なんと兎丸に適用する大胆さには思わず「おもろいのう!」と叫びました。大河ドラマに創作人物はつきものなれど、前半、いいように使って後半はフェードアウトする御都合キャラとして使い捨てられるのもまた、つきものなので、こうして後半にきちんと(おそらくはパパ盛 vs 朧月の対決を踏襲して)花道を作る姿勢には好感がもてる。最近の、「清盛、おまえの国づくりって要するにエゴだろ」みたいな視聴者の自然の叫びを代弁してくれるようなので、清盛がそれにどう答えるのかも楽しみだ。

で、キモの「平家にあらずんば人にあらず」をあそこで言った件ですが、まあ、あれだけ有名なセリフをせっかく使うのに架空の人物相手で華々しさがゼロだったのは、歴史ファンとしては惜しむ気持ちもあります。しかし、これぞ「藤本版・平家物語」なんだな、というオリジナリティにあふれてた。なんというか、視聴者としては好き嫌いを述べる権利は常にあるんですが、ちょっとそーゆーのを超越するような作り手の意思の奔流、みたいなのが、今回の大河ではしばしば、感じられるのであります。そして私はその、「こうしたいったら、したいんだ!」という感じがけっこう好きです。

思えば、平家平家とみんなで言ってるけど、「俺こそが平家」って思ってるメンバーって意外に少ないんですよね。もらわれっ子(しかももののけの血を引く)清盛、はるか昔に没した先妻の子である重盛、後妻に来た時子、まぎれもない嫡流でありながら、ゆえに常に葛藤してきた頼盛。この時忠は、昔から「何が己に(そして姉の時子に)利するか」にこだわり続けてきたわけだが、それも、姉・時子あって平家の中枢にいる自分、という現実をよくよくわかっているからこそ。かつて頼盛に「伊勢平氏じゃな奴は黙ってろ」と言われたりもしてたよね。

きれいな顔をした公達ばかりになった平家の危うさにおそらく気づいている男。ほんの少し、一門の中の風向きが変われば、平家一門として肩で風切れなくなる己を熟知している男。そして、清盛の言外の意図をくみ取り、汚れ仕事を引き受けることに己の存在意義を見出した男。けれど裏稼業は心をすさませる。もともとやさぐれたキャラだけど、先週までとは明らかに違う濃い影に包まれた上での「平家にあらずんば人にあらず」。2回言ったのは、「なのだったら、なのなのだ…」的に、そう信じ込もうとしているような、言霊の力でまじないをかけようとしているようなおもむきがあった。けれどきっとその言葉は、もはやまったく違った意味で人口に膾炙していくんだね…。

大河ドラマ平清盛」を後年、振り返るとき、このシーンは必須なのではないかと思わせる出来だった。森田くんから放出される暗い熱と、すすけた画面にああって目を奪う赤い禿たちにあてられた。

源氏パート。リズムが悪い。第三部の頭に「伊豆の流人」をもってきたかったんだろうけど、それだったら、そのあとしばらく源氏ナシでもよかったのにな。遮那王〜弁慶のくだりもひっぱるひっぱる。過去のいきさつを父から教えてもらった政子が、「にわかには信じられぬ」のあとで、「清盛さまとはそんなに恐ろしい方なのか」という感想を述べるのにもずっこけた。あまりに「脚本的」じゃあ、あるまいか。頼朝に興味をもって、頼朝の歴史を聞かされたんだから、いかに政子が剛毅な女であっても、「なんて苛酷な運命を背負っている佐殿!」てな反応が、いの一番に出てこないと、不自然じゃないですか? あと、千鶴丸を峰竜太が抱いていくくだりが何度見せられてもつらいです。千鶴丸の泣き顔が夢に出そう…(号泣)