『平清盛』 第50話 「遊びをせんとや生まれけむ」

うん、最終回のタイトルは、全会一致、万雷の拍手でこれだよね! これしかないでしょう!

何かと忙しい師走、クリスマス連休のさなかとはいえ、最終回となるとやはり何かしらの感慨があるもので、昼間から夫に「今日、平家が滅亡するんだよね…」と言ってみたりして(彼の反応:「へー 何時頃?(棒)」)。そう、滅亡は避けられない。わかっていても見るのが大河ドラマなのであーる。アバンタイトルは既に壇ノ浦前日。頼朝と、いち早くそこに降っている頼盛との相対。いくばくか老けた様子を見せていた頼盛が、彼らしくキリッとして「平家は常に一蓮托生!」と言った瞬間、黒バックに真っ赤な「平清盛」の題字が! なんと血なまぐさい、平家の赤…。おお、今日はOPはなしか、と緊張が高まります。

が、しかし。ちょっと一旦、トーンダウンした文章になりますが、ここから本編を見ている間は「ん? んん?」の連続でして、最後にオープニングテーマが流れ始めたときには「なんだ? この最終回(笑)」てな気持ちでありました。

いや、やりたいことはわかるんですよ。清盛の死。そこから始まる壇ノ浦までの悲劇。けれど悲劇を悲劇としてのみ描く最終回ではない。清盛が築こうとした武士の世は、頼朝が引き継ぐ形で、そこから連綿と続いてゆく。引き継ぐ過程では頼朝にも「修羅の道」がある…繰り返される悲劇…それを越えて紡がれる時代…

わかる。わかるんだけども、尺の都合で駆け足に、また予算の都合でシンプルにならざるを得ない脚本・演出が、悲劇を悲劇として、あるいは希望を希望として、私を陶酔させてはくれなかったのです。なんだか全体にフワフワとしていたというか。

まさに巨星堕つ、の清盛の死。悲しみに暮れる一門に伝えられる、ゆき届いた、愛情にあふれた遺言。滅びに向かう彼らにとって、その言葉は、戦場(や刑場)に命を散らすまで、せめてもの慰めになったのか。その言葉があったからこそ、最後まで一蓮托生で戦いぬけたのか。最後まで共にあれたのは、もしや幸せであったのか…。

あの遺言があったから、一門の人々の最期が次々に伝えられる中にも、そんな考えがよぎるわけで、それが作り手の狙いでもあるんだろうけど、私にはその思念がちょっと邪魔だったんですよね。

それは、その後の源氏の描き方についても同様で、義経追討を悩む頼朝の前に清盛(の亡霊)があらわれて「まことの武士とはいかなるものか」云々、焚きつけるわけですよね。頼朝はそれに背中を押される形で「これが我が道、武士の栄華へと続く道」と宣言し、義経は「源氏の世に命を捧げる」形で死んでゆく。

これは、苦悩や孤独、修羅の道をもまた、頂点に立つ者として、頼朝が清盛から引き継いでいく描写だと思うんですが、そこに「武士の心の強さ」「武士の時代という新しい世」のような色合いもかぶせ、そこからは何と頼朝自身の死も一言ですまされ、明らかに「希望」のトーンで足利幕府、日明貿易までナレーションが語ってしまう。

なんか綺麗すぎるっていうか、あっさりしすぎてるっていうか、抒情性に欠けるというか。その過程では、壇ノ浦の入水とか、義経主従の死とか、盛国の死とかいう痛ましい場面も描いているんだけど、合間にちょこちょこと「悲劇を悲劇と言い切らないもの」を挟むので、気持ちが悲劇に浸れなかったんだよな。

最後に転落、滅亡という悲劇があるとわかっているがゆえに、「命尽きるまで、子どもが遊ぶように懸命に生きる」ことをテーマに掲げたのであって、そのテーマを全うすることで、どんな悲劇的な死にも、悲劇を超える価値が付加されるのだろうけど、やはり、一族滅亡や兄弟殺し、繰り返される争いごとは、大いなる悲劇でもあると思うのです。その両面性、アンビバレンツを描ききることの難しさを考えさせられました。

けれど、一年間にわたって見続けたドラマだから、エンドマーク即、ハイさようなら〜って気持ちにはなれなくて、のちのちまでつらつらと反芻するわけで、最終回(滅亡)の悲劇性が強すぎなかったがゆえに、反芻がつらくないというか、じわじわとした充実感が生まれてくる面はあるのかな、と。

時政役の遠藤憲一が「スタジオパーク」にゲスト出演した際、「一年間のドラマは、作るほうも大変だが、見るほうも大変だと思う」と言っていたものですが、「一年間、平清盛の世界についていった精鋭(笑)たる視聴者に送る、作り手からの贈り物」的な目で見れば、優しく、すばらしい最終回だったのかなと思います。オールファン感謝祭、とでもいうか。

個々のシーンには、さすが「平清盛」!、というような良いシーンがいろいろあったしね。

中盤の不在や役立たずっぷりが嘘のように、各地で活躍する西行(笑)。義朝や信西…あまたの登場人物の死と、主人公・清盛の死とに優劣をつけず、誰もが皆「志半ば」であった、と同列に語る脚本はこのドラマのすばらしさだと思いました。そのうえで告げられる「その一生、まばゆいばかりの美しさ」には、清盛だけでなく、このドラマを生きたすべての人々についての言葉だったと私は解釈します。

これを言う藤木直人のセリフまわしに、また説得力があってねえ。藤木さんに時代劇のイメージが全然なかったんですが、これまで見たどのドラマより、この藤木さんをいいと思えたのは意外でした。中盤の謎っぷりも含めておもしろステキな西行だったのではないかと。

ドラマ開始当初から、松ケンの熱病演技はすごいものになるだろうな、と予感していましたが、いや〜体からもうもうと湯気まで出すとはね〜(笑)。氷のくだりにしろ、大げさな演出は、ちょっと笑ってもいいところだったんですよね? 

「きっと我が墓前に頼朝が首を供えよ!」このお決まりのセリフがドラマから浮いていなくてすごく良かったと思います。源氏と平家どちらが強いか、雌雄を決する戦いにのぞむ気力はみちているのに、「志半ばで」体が力尽きる清盛、という描き方。悔いを残して、というよりも「生ききった」感が、すごくあった。セリフの直後に息絶えるというドラマみたいな(ドラマだけど)死に方も、清盛らしかったと思います。松ケン、さすがに見事な仏倒れ(後ろ向きバージョン)でしたね。

壇ノ浦の船。精一杯のしつらえをした船中。転がり落ちてくる兵、大きくかしぐ船体。泰然と座している盛国、三種の神器を気にかける時忠。誰もが覚悟をしている。ざんばら髪、鎧に矢を受けた知盛が降りてくる。「戦のさまは、いかに、いかに」は経子が担当だった。知盛、からからと笑って「かたがたはすぐに珍しき東男を御覧になりましょう…もはや、これまで」と答えるのは平家物語のとおり。ここで笑うのが本当に不思議なんだけれどそれだけに印象的なんですよね。

そこからの時子は、扮装からセリフまわしはもちろんのこと、たたずまい、目線の動かし方に至るまで神、神! 鈍色の髪の毛と血の気のひいたメイクが美しい。帝と国母に一礼をしたのち、「さあ、参りましょう」と促して抱き上げ、ゆっくりと戦まっさかりの船べりに進んで…「尼前、朕をどこに連れて行くのじゃ? 尼前、いかがしたのじゃ」泣いたりわめいたりせず、落ちついた口調で、けれど不安げに尋ねる幼帝。はらはらと声もなく流れ続ける時子の涙。ゆっくりと「海の底にも都はございましょう…」すばらしかった。深キョン時子、言葉に尽くせないほど立派でした。

その後、これまた平家物語のとおりに「見るべきほどのことをば見つ!」と叫んで海に沈む知盛。口語でなく原文で言わせたのは良かったと思います。大鎧じゃなく、歌舞伎などでおなじみの、碇知盛バージョンでした。ただ、この「すべて見届けた」は、単なる戦況というだけでなく、平家軍にとって、もっとも大事な帝(と剣と時子)が沈みゆく=源氏にとられなかったことを見届けた、の意だと思うんだが、この短尺では伝わりにくかった。このドラマにあって唯一の知盛の見せ場になっただけに残念。本当に、せめて壇ノ浦だけでももう少しじっくり見たかった…!

禿のリーダー(羅刹、という名らしい)が琵琶法師になっている…! これには驚きました。盲いて襤褸をまとった扮装が、さすが「平清盛」。祇園精舎の鐘の声〜の語りを、立ち尽くして聞くのみ、の頼盛。

岡田くんの頼朝、顎髭も狩衣も似合う。ものすごい美しさ。大将軍の風格までは、まだないけれど。亡霊清盛に対しての「さて、そうは参りませぬ」の力強さも良し。また大役で大河に出てくださいね。

そこからの義経追討がチープでチープで…腰越状とか、こんなさわりだけならやらなくても良かったんじゃないか。「刺客を放つなどして執拗に義経を追い詰め」とかいうナレーションの脚本の拙さよ(泣)。衣川の合戦も、近所のお宅の庭でやってるようにしか見えないし(泣)。それでも、弁慶の立ち往生の迫力、義経の最期のセリフの爽やかさ、1カット1カットは見応え&聞き応えありました。

「9年後に私も死に」、と頼朝。そのあとが源氏&御家人たちのの血みどろの本番なのだが、そこらへんには一切触れず、「室町に幕府がおかれ足利の世になって、ようやく国と国との交易が…」もう、このあたりのナレーション脚本はやぶれかぶれ感がすごかった。や、ほんと、言いたいことはわかるんだけどねえ。笑顔の子兎丸一党が海賊船に乗って「しゃあっ!」て意気を上げてるんだけど、日明貿易に「新しき世」のゴールを置かれても…。まあ、大変だったんでしょうね、藤本さん。

一見では「ここでやる?」と思ったけれど、清盛の一門への遺言は、再見すると本当に、共演者陣と視聴者への贈り物だなあと思う。大河の最終回に、回想シーンや懐かしのあの人が亡霊で登場!てのは、つきものだけれど、こういう、多くの登場人物に花を持たせる演出は珍しい。ひとりひとりのキャラクターを大事にしてきた「平清盛」ならではだと思った。

清盛の慈父的視線と口調もすばらしい。「逞しき儂の倅たちよ」逞しさを感じられる演出があまりなかったし、連戦連敗が控えているのに「きっと勝て。勝って勝って勝ち続けよ」って遺言はあんまりだぜ、と思ったんだが、まあここは、清盛、一世一代のリップサービス。「時忠あらずんば平家にあらず、じゃ」とまで言ってたし。頼盛離反のための線路もちゃんとここで敷きました。「盛国・・・いや、鱸丸」ここでちょっとじんときた。「そなたはこの平家という船に踊りこんだ鱸の如き者。そなたに巡り合えたは我が生涯随一の恵みであった」これは最大の賛辞、これで視聴者まで報われた気がしました…。そして「時子!」の呼びかけの力強さ、良かったねえ。ただし「そなたこそ儂の紫の上じゃ」って、これは一言で決め台詞になってたの? 紫の上って言われてもピンとこない視聴者もいると思うが…。あのアホ歌の回(20話くらい)のときに言ってた「春の陽だまりの如き女」って表現が好きだったので使ってほしかったな。

その感動と裏腹の一門それぞれの悲劇的末路を、新撮こそ少なかったものの、これまたきちんとやったのも「平清盛」らしかった。ただし「斬首された」とかって、命じた本人であろう頼朝が、どこか他人事のようなナレーションだったりしたのがちょい不満。貞能が重盛の墓を掘り起こしたり、忠清が伊勢平氏の乱を起こしたりしたことに触れてくれたのはうれしかったです。悲劇に浸れなかった、と書いたけれど、ここで初めてそれぞれの最期の詳細を知った人は、震撼としたのかもしれない。

後白河法皇のラストシーンは、大原行幸ではなく、頼朝との双六。どっちが勝ったのかは明らかにされず。

そして海底に沈んだ宋剣が抜かれ、「来とったんか」と兎丸のがなり声、続いて竜宮城さながら笑顔で勢揃いしている一門の人々。重盛の最高に晴れやかなドヤ顔(笑)。無頼の高平太の小汚い、全開の笑顔! うん、「なんだこの最終回(笑)」って思ったけど、最後くらい幸福でないとね、ってことで!

「八重の桜」が始まるまでに、何かしら、一年間見終わっての所感を書けたらと思っています。