『平清盛』 第47話「宿命の敗北」

たくさんの人物に、それぞれいろんな動きがあってとても面白かったです。

まず源氏方を見てみると、頼朝が簡単に負けを喫した平家方の親玉に思いを馳せて「この20年、何をしておったのだ」と述懐するシーンがありましたが、この十何話か見てきた限り、オマエの20年もたいしたことなかったよ、という(笑)。しかし今週なぜか確実にバージョンアップしている頼朝くんです。先週、「討ち取れ!狙うは山木兼隆の首じゃ!」のシーンの惚れ惚れするような格好よさを見るにつけ、軍装して戦場に行って髭切りを抜いたことで「源氏の魂」とやらが覚醒したとしか思えない。

とはいえ石橋山では大敗します。これが、描写としてはものすごくサラッとしてましたが、なんせ20年ひきこもってた人と、人生の大半を畑仕事に費やしてきた人の軍なんで、「そら負けるよね」っていう妙な説得力がありました(笑)。前田青邨の名画「洞窟の頼朝」そのままのシ−ンもあり、梶原景時も有名エピソード通りに振る舞ってくれました。なんで見逃してくれたのか、ドラマ的にはさっぱりわかりませんでしたけど。ま、いいです。ここはサラッとで。石橋山での伊藤佑親との対峙もサラッとでしたが、兜の下の峰竜太の顔が、20年ずっと絶望しながら生きていた、という感じが出てて、嫌〜な迫力がありました。それを見た頼朝ともども、下手にセリフをつけなかったのも良かったよね。

しかし、もはや、一度の負けや、過去のトラウマとの再会で凹む頼朝くんではないのです。それどころか、2千騎を引き連れて馳せ参じた上総広常を、一瞥するや態度がデカいと言って追っぱらおうとする始末。ここであっさり籠絡されちゃう上総さんの脳筋武士っぷりが際立ってましたが、いやしかし、この一幕が、のちの義経との邂逅場面で効いてくるんですよね〜。

ところで頼朝さんったら、いつのまにこんな「大将の器」になっちゃったのかしら。やっぱり腐っても源氏の御曹司、由良ちゃんの英才エリート教育が実を結んだ、ってことで納得してもいいんだけど、せっかく伊豆時代が十何話もあったんだから、ひきこもりつつも「稀代の政治家の片鱗」とか「臥薪嘗胆の過程」とかも描いてほしかったな個人的には。

ま、ドラマ的には、まだ頼りなさも残っている頼朝です。富士川のあと、さっそく京に攻めのぼって清盛に「問いただしたいことが山ほどある」と言う頼朝。この期に及んで「問いただす」とか言ってるあたりに清盛への追慕があるわけですが、当然その場の武将たちに一蹴され、鎌倉に向かうことに。このあたり、いちお旗印はなってるけれども、東国武士連合、って感じがあって、皆の意向を無視できない頼朝の実態と、皆とあまりに乖離した「清盛への思い」を持っている頼朝の孤独感とが相まって、良かったです。木曽義仲完全スルーは、まあ物語の主題的に仕方がないと思います。東国武士の続々の参陣に、父・義朝への感謝を捧げる場面があったのも良かった。

さて平泉では義経と弁慶ウィリアム・テルごっこ。もちろんみんなのヒーロー義経が的を外すわけもないんだけど、目を見開いたままばったりと前のめりに倒れる弁慶は、明らかに衣川での「仁王立ち」を意識していて、ドラマ本編ではできないけれどみんなが知ってるエピソードを仄めかす演出は粋だと思いました。こういうのは多少わざとらしいぐらいでもいいと思います。「今行ったところで兄にいいように使われるだけだ」と止める京本の秀衡さんは、これも本編ではできないけれどみんなが知ってる義経の運命を言い当てているわけで、歴史エスパーになっちゃってますけど、このサラッと感にも私は好感を持ちました。

なぜなら頼朝と義経の対面。このシーン、ここだけを見ると、なんてことないんですよね。「兄上!」「よう来た」ってだけの。しかし、利用されようがなんだろうが、とにかく兄を助けたいという心からの願いを秀衡に語った義経。一方、本当は喉から手が出るほど欲しい上総広常の二千騎を、御大将の体面を保つためには「ひと芝居」打てる策謀家の面をもった頼朝。それらの描写の積み重ねが、「兄上!(キラキラした目)」「・・・・・・・・よう来た」の間の「・・・・・・・」のしばしの沈黙と、そのあとの頼朝の笑顔に、勝手な邪推をさせてくれるわけです。(ほんとは別にうれしくないんだな)(とりあえず使えるもんは仕えるうちに使っとこうってやつ)(決して信用したわけじゃないと目が語ってる)とね。

平清盛」の話の本筋ではないから、あっさりサラッとしたシーンにとどめているんだけど、みんなが知ってる頼朝と義経の歴史をベースにして、言外のものを匂わせる…という演出で、大人でした。さらに面白いのは、この「子犬のように純粋な義経と信用してない頼朝」の図は、ふつう頼朝=悪(黒)、義経=善(白)てイメージなんだけど、このドラマをここまで見てきていると、単純にそういうふうに捉えられるわけでもない。なんたってこの頼朝は、父が祖父を斬る(斬れなかった)場面、それに続く父のしょぼくれと平治での敗北、清盛との対峙、流人生活(これはまあアレでしたが)など、義経にはない幾多の苦難を味わってきている…と見ているほうはわかってるわけですからね。

平家方に目を転じると、

今日も宗盛が小さいけれどいい仕事をしてます。清盛が頼朝追討の命を発すると(ええー戦かぁ苦手なんだよな。頼朝って、あの、平治のときに強かった奴だよね…)と露骨に弱り顔。しかし「総大将は惟盛」と聞くと(えっ。なんで棟梁の俺を差し置いて?! 重盛の兄上の子だから?! やっぱりあっちを重んじてるわけ?!)と露骨に狼狽顔。続いて清盛が福原京建設に話題を移すと(え、まだこの都づくり続けるわけ?)とドン引き。これらすべてにセリフが一言もないんですよね〜。疑問をもったら躊躇なく「今はこんなことしてる場合じゃないのでは?」と言える重衡あたりとの性格の差のつけ方が、脚本・演出も役者もみんなうまい。

清盛の問いに答えて粛々と内裏のインテリアについてのプレゼンをする時忠の、「コイツはもうだめだ」的に完全に醒めきった目。遷都したのかしてないのか、画面だけでは全然わかんない(まあ福原の清盛邸に平家集合してるから、みんな近所に住んでるんだろうなーって想像できるぐらい)ので、都づくりをやってることがわかるセリフぐらいはね…。最近、ほかの仕事が忙しいのか、いないことが多かった駿河太郎の経盛も、今回は教盛とセットで出てましたね。教盛はひさびさのセリフか。

さて、総大将の惟盛は、ザヤってしまったときの織田信成によく似た「ヤベェどうしよう」顔をしており、フィギュアスケートファンとしては気にならないわけのない存在です。今回の大河ではそんな惟盛くんなので、「平家物語」の叙述にある「なんちゃらの直垂に先祖重代のなんちゃらの鎧、なんちゃらの馬には金覆輪の鞍をかけ…その美々しさに見送る平家の女性たちはみな感服のため息をつくのだった…」みたいな“美貌の貴公子の輝かしい出立”シーンはありません(笑)。

富士川の戦いも、短いながら、簡にして要を得たシークエンスだったと思います。惟盛と伊藤忠清との間での出発日の吉凶の言い争い、米すら不足している平家方(このころ平家のベース西国では大飢饉だったらしい)に対して野菜までたっぷりと煮炊きしている源氏方、兵の士気のダウンを見てとって短絡的に遊女を入れようとする惟盛と反対する忠清、そして源氏方の夜襲。

夜襲については、当時のノーブルな階級では「そんな卑怯な手」という見方が一般的だったようで(ex. 悪左府頼長@保元の乱)、都育ちのエリート頼朝さんは積極的な賛意は示さず、思案顔。けれどその案を結局は受け容れたんですね。この辺もわずかな描写だけど、頼朝の「東国武将たちの戦略を重んじる(無視できない)」面と、「(古今の英雄の多くが持っている)手段を選ばぬ合理性」の面とが両方感じられて好きでした。

で、闇の中、岸を超えて川にそーっと進入していく源氏方、それに反応した水鳥のいっせいの羽音に、すわ、敵襲か!と雪崩をうって逃げ出す平家方。ここは古典的だけど絵柄的にも映える筋を採用して正解じゃないでしょうか。地元の遊女たちの、時代考証不明ながらも場末感あふれる扮装は人物デザインの柘植氏らしい仕事でしたね。

そして戦後、古典では惨敗の報を聞き激怒した清盛に入京を禁じられたとされる惟盛が、モリモリ会議の席にあっさり座ってるのでアラ?と思ったら、その場で清盛にボコボコにされてましたw 我々視聴者としては、清盛の癇癪玉・大爆発シーンにもすっかり慣れて耐性がついた感がありますな。「またやってるよ」感ww

しかし、今日はここからです。惟盛の参謀だった忠清が死をもって惨敗の責任をとろうと申し出る。止める一同(ここで宗清や貞能までが俺も俺もと声を上げてたので忠清の人望の篤さ…と清盛の人望の薄さに泣けましたな)、さっさと死ねと言わんばかりの清盛。死ぬ前に申し上げたい、と忠清。

「維盛様はまごう事なき平家の男子にござります。戦を知らず、吉凶の日取りも弁えず、兵の進退も心得ず、遊び女を陣に入れ、水鳥の羽音に驚いて逃げ帰る…それこそが平家の男子」

いや〜、重盛の「なんと情けないお言葉。一門の運も尽き果てたのでござりましょう。人は運が傾き始めると、必ず悪事を思いつくものにござります」に続く、ナイス諫言!溜飲を下げるってこれね!感がありました。出典あるのかな? 

そしてこのあと忠清は清盛の功績をずらずらーーっと並べたて、

「平家はもはや、武門ではござりませぬ。殿ご自身が、もはや武士ではございませぬ。殿が目指した武士の世は、武士のままでは掴めぬものにござりました」

と言う。哀しい話だ。「殿、武士失格」発言よりも、そのあとの言葉のほうが哀しかったな。一心に目指したものと、できあがっていたものとの甚だしい乖離。そこに費やされた月日や払われた犠牲を思えば、とんでもない皮肉、けれど、いかにも大河らしい、壮大な悲劇であると思いました。

それを、指摘したのが忠清ってのもすごい衝撃で、この人は先代からの忠臣であり、初期には武辺一辺倒のキャラクターとしてコメディ部分を引き受けていたこともありましたが、決して単なる脳筋ではなく、いざ戦となれば勇敢さのみならず、慎重さ、冷静さも持ち合わせた、「命のやりとりの重さを知っている」侍大将として描かれてきたのが好きでした。そんな彼も平家が公卿の仲間入りをするころからめっきり活躍する場がなくなり、お坊ちゃん育ちの重衡あたりに「今のご時世、武芸なんて磨いても」と軽ーく言われて昔日の感を覚え、涙目になってるシーンは深く印象に残っています。

危機感を募らせながらも分を弁え寡黙に一門に突き従ってきた男が、死を覚悟したうえで一世一代の雄弁さを見せる姿。藤本隆宏の激することなく滔々と語るせりふまわしも大河役者として堂に入ったもので、大変見応えがあり、迫力がありました。

で、平家物語によれば、ここで盛国がとりなして赦されるはずなんだけど、その場の全員が止めてるのに盛国だけが黙って見てる。そう、盛国にはわかっていたんですね。先週、ひさびさに登場した宋剣。激昂した清盛がそれを掴んで抜き、そっ首を叩き斬ろうとしても、剣の重みに負けてひっくり返ってしまうことを。そもそも、剣自体、あちこちが錆ついてしまってとても戦える状態ではないことを。

そして挿入される回想シーン。「心の軸が体を支え、体の軸が心を支えるのだ」と言う父・忠盛。「私も父上のような立派な武士になりたい」と言うチビ清盛。「それをそなたの軸にせよ」「ハイ!」元気な返事、ピカピカの笑顔。今やそのすべてが失われてしまっている。老いたからではなく、「立派な武士になりたい」という心の軸を失ったから。だから体の軸も定まらず、倒れてしまったのだ。忠清の言葉が的を射ていたことを自ら証明してしまった清盛…。

第12話「宿命の再会」、第27話「宿命の対決」に続く宿命三部作のトリ「宿命の敗北」は、惟盛の敗北、平家方の敗北というより、やはり“軸を失っていた清盛が”負けるべくして負けた、という趣旨なんでしょう。

ここのところ、ラスト10分はホラーやバイオレンスで、衝撃的ではあったけど若干の悪趣味感・ナルシスティックさに胃もたれしてたんですが、今回は長丁場にわたって出演してきた忠清の静かな熱演もあり、初回のやりとりをここで反復してくるのも上手く感じられて、私は好きでした。ふたりの父のうち、忠盛を思い起こすのは久しぶりだったんですよね。武士として、平氏の男としての清盛の土台を作った父を思い出したことで、また少し、光明が見えたのでしょう…このペースだと最終回にしか間に合わないようだけど…。

清盛と言えば、「頼朝の首を墓前に供えよ」というのが定番ですが、このドラマの清盛は、「ともかく頼朝に会いたい」って言いそうだな。それを周りが「首をとれ」解釈するとか。すべてを察したうえで、敢えて盛国が一門にそう周知するとか…。はてさて。

ところで回想シーン、中井貴一の半裸は最高ですね! 熟女ならぬ熟した男子、というようなあの上半身、変に色っぽくてドンピシャ好みです。またリピートしようと思いますwww