是枝裕和の文章: invisibleな映画の共同体

(6月9日 facebookより)

いつもながら、是枝さんが公式HPに書いている文章がすごくすごくよくて何度も読みたい。

読み書きといっても、いわゆる「SNS的文章」を読んだり書いたりすることが多い現代生活(それは完全に私の自己責任なんだけど)において、たまに文章の塊そのもののすばらしさを味わうと、本当に心が震える。

ほら、「心が震える」なんて類型的な表現を安易に使ってしまうところがもう、SNS的なんだよね。おめーは西野カナかよと。

6/5「“invisible”という言葉を巡って」、胸がそそけたつような興奮を与えてくれる文章だ。
胸がそそけたつ、って物理的には有り得ないんだけど本当にそういう感じ。胸毛の話をしてるわけじゃなく…。

とりわけすばらしいのはもちろん

【僕は人々が「国家」とか「国益」という「大きな物語」に回収されていく状況の中で映画監督ができるのは、その「大きな物語」(右であれ左であれ)に対峙し、その物語を相対化する多様な「小さな物語」を発信し続けることであり、それが結果的にその国の文化を豊かにするのだと考えて来たし、そのスタンスはこれからも変わらないだろうことはここに改めて宣言しておこうと思う。その態度をなんと呼ぶかはみなさんにお任せいたします。】

とか

【この映画で描かれる家族のひとりひとりはこの3つの共同体「地域」「企業」「家族」からこぼれ落ち、もしくは排除され不可視の状態になっている人たちである。これが物語の内側。そして孤立化した人が求めた共同体のひとつがネット空間であり、その孤立した個を回収したのが“国家”主義的な価値観(ナショナリズム)であり、そこで語られる「国益」への自己同一化が進むと社会は排他的になり、多様性を失う。犯罪は社会の貧困が生むという建前が後退し、自己責任という本音が世界を覆う。恐らくあの「家族」はそのような言葉と視線によって断罪されるだろう。】

という部分だ。

でもその「部分」を導き、さらに流れていく文章の流れが実に美しく、また文章の流れを生む「思考の流れ」は、監督は否定したがるだろうが社会の宝物だと私は思う。作品でも文章でもいつだって過度な感動や感傷をもっとも嫌うような自己抑制的な雰囲気にみちている是枝さんが、パルムドールの受賞という慶事に至ってはさすがに、文章の終盤「万感迫る」ような筆致を見せているのもまた感動的。

「invisibleな映画の共同体」

是枝さんはそれを日本語で「淀み」と書いている。これを「流れ」とか、まかり間違っても「絆」なんて言葉を使わず、「淀み」とあらわすところに、是枝さんらしい卓越した観察力と表現力を感じて震えるのである(あ、また震えてしまった…)

この6/5の長い文章からの波紋を受けて、6/7に出された「『祝意』に関して」という短い文章

2018年6月7日 『祝意』に関して | MESSAGE | KORE-EDA.com


のほうがマスコミには大きく取り上げられて、それもまぁわかるんだけど、

(【映画がかつて、「国益」や「国策」と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば、大げさなようですがこのような「平時」においても公権力(それが保守でもリベラルでも)とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞いなのではないかと考えています。】
 の部分は、映画人というよりまず報道関係者に百回読んでほしいけど)

6/5の長い文章は是枝さんのクリエイターとしてのおそるべき体力をひしひしと感じさせるもので、ファンは胸をそそけさせています。

2018年6月5日 「invisible」という言葉を巡って | MESSAGE | KORE-EDA.com

五月の九 / 「ママじゃない私 ポートレート」に加央里さん!

●5月某日: すっごい暑い。5月なのに。うちの居間、西日の入り方が強くて、夕方になると熱のたまり方がすごい。1時、2時じゃなくて、4時、5時がめちゃくちゃ暑い。『弟の夫』見終わる。よかったわー。お別れのあたり、泣けた。ラストがハッピーでよかった。

夜ごはんは、焼き鮭、春雨と野菜のスープ、れんこんきんぴら、きゅうりとブロッコリー。最近野菜が安いので有難い! 梅雨そして夏になったらまた上がるんかな~。 


●5月某日: 「ママじゃな」の取材でかおりさんち! 行くときはすごい雨、でも途中から上がって外でも撮影できた。

かおりさんほど第一印象としゃべった印象とが違う人も珍しいかもしれない! アンケートとしゃべった印象ともまた違う。本当に面白かったー。勉強になりました。すごい。

「半分、青い」が面白くて、サクと夫も楽しんでるので最近は夜見てる。「ひよっこ」の中盤以来かな。

夜ごはんは、夫が焼いたステーキ! あと、ぶりカマの塩焼きと春雨と野菜のサラダ。

イッテQ録画でイモト in ウズベキスタン。Nスペ「人類誕生」の第二部でネアンデルタール人。これ、かなり面白くて、第一部を録りそこねたのが悔やまれる。この夜、サクは、クラスでネアンデルタール人 vs サピエンスに分かれて戦う夢を見たらしいw

 

五月の八 / 夜中に現れる7歳児

●5月某日: プレゼンの準備とママじゃなの準備、合間に放送大学の講義や西郷どんのログなど。夕方、子ども会の当番で町内パトロール。サクは友だちの家で、かねてほしいと言っているニンテンドーラボの実物とついに邂逅。一緒に作らせてもらいもして、興奮状態で帰ってきた。

夜ごはんは、いわしグリル、厚揚げとチンゲン菜のそぼろあんなど。「情熱大陸」で斎藤慶輔さん。2年くらい前に上橋菜穂子さんとの「スイッチインタビュー」で見た、野生の猛禽類の獣医師。すごすぎる人なのだ! サクも以前いっしょに見たのを覚えてて、今回は夫に解説しながら見てた。


●5月某日: 男女共同参画市民サポーターのお仕事。来月、某イベントで寸劇をやるのに参加する。ということで午後から練習。これから何回かある。200人くらい入れるホール。発声練習から始まった。おおお。私はセリフ3つくらいの役で、ホッ。

帰ってから、サクのスイミングの付き添い。今日で4回目なので、大丈夫かなと確認怠ったら、まんまと水着を忘れて帰ってきてるやん(泣) 夜ごはんは、カツの野菜&卵とじ、コールスローなど。

夜、夫とちびちび飲みながらしゃべってたら、「だよなー!」と突然、話に交じってくる子どもの声・・・! 振り返ると、目をキラキラさせたサクがニコニコしながら立ってるではありませんか! 時刻は0時5分。喉が渇いて目が覚めたらしいが、こんなこと初めて。なぜかそそくさと布団に入る我々・・・。翌朝、夫は「今年いちばんびっくりしたよ」と言っていた。わかるw

『西郷どん』 第24話 「地の果てにて」

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このくだりは、もう、ある意味「なんも言えねー(古)」感がある。モーターもついてない小舟で鹿児島から徳之島、そしてそこからさらに沖永良部島まで流されて、野ざらしの牢に閉じ込められて、それが史実だっていわれたら、西野カナばりに震えるしかない。

人間ほんとにそう簡単に死なないんだなとも思えるし、いややっぱり運が強い人だったんだなと思う。こういうドラマやら小説やらでは、久光ってたいてい、西郷に対して度を越して激怒する相当感じ悪い奴として描かれるんだけど、いやホントに怒髪天をつくぐらい嫌いだったんだろうね、こんな処罰を与えるなんて。真田昌幸にさんざん煮え湯を飲まされた家康だって、九度山への幽閉で手を打ったのに…。

そんな、想像の斜め上をいく流罪エピソードの映像化を見て、あらためてこのドラマの稀有さに感じ入った。

これほど苛酷で苦しい状況を描いているにもかかわらず、ものすごく「軽い」味わいなんである。
でもそれは、「痛みや苦しみを描こうとしているけど失敗して軽くなっている」わけじゃなくて、意図した軽みなんだと思う。役者は迫真の芝居で、映像は美しく、演出は熱を帯びている。美と熱に引き込まれながら視聴しているのだが、痛みや苦しみは感じない。すーーーーっと、流れていく。

たとえば今回の、愛加那と吉之助の二度目の別れにしても、二階堂ふみなら、視聴者が目をそむけたくなるような痛々しい悲しみ苦しみ衝撃を表現する芝居をすることも当然できるのだ。でもそこまではやらない。そういう作風、演出プランに合わせて、役者もやってるのだと思う。

そのノンストレスな娯楽作ぶりは、たとえばTBS日曜9時のドラマや一部のゆるい朝ドラなんかとも違って、ああ、そうだ! 今回やっとわかった。ハリウッド映画っぽいんだ。あー、なんかすっきりした。せごどん、ちぇすと! きばれ! 生きろ!!

あ、松田翔太慶喜が再登場。誰を演じてるのかとかもうどうでもいいくらい、翔太さんに華がある・・・・! 歴史が全然描けてなくたって、久光との対面、なんだかんだいって魅せられる場面なのだ。

 

五月の七

●5月某日: 雨。よく降る。来週のプレゼンの準備始める。ふー。午後、家族で人生ゲーム。初めてつけたオプションエリア「ギャンブルエリア」なるところ、超盛り上がる。ギャンブル危険w 

サクは最近、炭酸水を飲めるようになり、今日はついにコーラデビューしたいと言い出した。「おいしー!」私と夫も1口もらったんだけど「あ、甘っ!こんなに甘かったっけか」て感想。私、これまでの人生でコーラの何千倍ビール飲んだかなあとかふと考えるw 

4人になって初めての鉄腕DASH。後半の暗い部分(福島の農家さんに頭を下げっぱなしの城島とか)のあたりではサクが興味を失って本とか読んでたので、なんかほっとする。

夜ごはんは、きびなご、れんこん天ぷら、サラダ、みそ汁。母の日に、カーネーションとプレゼントの詰め合わせをもらった。プレゼントの詰め合わせはサクにとっての素敵なもの(折り紙作品とか、おまけのカードとか、サクが好きなものを描いた絵とか)。どうもありがとうw


●5月某日: 先週のおまけ(無料オプション)で、Eさんから30分コーチング。面白かった。私もたいがい、ブログやら何やら書いたりしゃべったりして、内面垂れ流してるほうだと思うけど、それでも自己開示って勇気がいるなとちょっと思ったり。

サク、昼休みに理科室の実験に行ったとかで、スライム作って帰ってきた。私が声に出して絵本を読んでいると、サクが横に来て宿題をやりだした。それで音読をストップすると「よんで。聞きながらしゅくだいやる。絵本おもしろいけん」だって。かわいいやつなので読み続ける。集中力的に最悪な気がするけどw 

『弟の夫』すごくいい。サクも見てる。

夜ごはんは、鶏手羽と野菜のカレースープ。タケノコチンジャオ風。残業で11時前に帰宅した夫とちびちび飲んでたら1時になっちまった。

五月の六 / 高校生!! 先生!!!

●5月某日: 某高校の文化祭へ。私の母校ではないが、私の恩師Y先生がこの10年以上、こちらの高校で勤務している。そして、私の会社員時代の上司でありその奥さんはサクの幼稚園時代でのママ友にもなる…というSさんの娘さんが今春卒業するまで、この某高校でY先生にお世話になっていたらしい。ということでややこしい話だけど、Sさんに誘われて文化祭に行ったわけです。

先生との再会はすごい感動だった~! なんつーか、先生がまったく変わってない。先生の勢いがw 

先生が顧問を務める部活の教室前にいてもなかなか会えなかったのでお電話したら、こっちは10年ぶりなもんで「ご無沙汰してます。○高校22期生の○○です」くらいご挨拶しようと身構えてるのに、電話とった瞬間「今どこ?」って噛みつくようにw 「え、えーっと○部前です」「わかった、すぐ行く」ブチッ。せ、先生・・・愛想ゼロ・・・なのに実際再会すると、「きゃー、エミちゃん、ひさしぶりー!!!」って満面の笑みでハグハグして(※女性です)マシンガンのようにおしゃべり。先生・・・好きですw 

あと、驚いたことに、母校内外で超有名なラグビー部監督のN先生にもあった。目を疑いながらも、「N先生ですか?!」と年を重ねた図太さで躊躇なく話しかける私w 超怖くて有名だった先生が、アラフォー女子を相手にとても丁寧に、紳士的に応対してくれてこちらも感動。今年からこちらで管理職(教頭?)なんだってー。

なんか、教師ってすばらしい仕事だなとつくづく思った。生徒の心には、いつまでもいつまでも強く残っている。もちろん、全部の先生じゃないけどw 

夜ごはんは、イカとあさりのパスタ。タケノコとレンコンの天ぷら。砂ずり炒め。コールスリーなど。夫が「いかん、今日の俺、ダンドリ最悪や・・・」と言いながら仕上げてたけど、そもそも品数が多すぎるんやw 明らかにカロリーオーバーじゃないか。食べたけどw

 

五月の五 / 本当はわかっている7歳児

●5月某日: 
サク「りこんって何?」 
私 「結婚してた夫婦がお別れすることだね。夫婦じゃなくなる」
サク「うわきは?」 

んおっ。

私 「なんとなく、わかる?」 
サク「わかんない」 
私 「いいことと思う? よくないこと?」 
サク「わからん」
私 「じゃ、説明してもわかんないかな・・・」

サク「・・・・・。ほんとは、わかるけどね」
私 「なになに」
サク「けっこんしてるのに、ないしょでほかの人と・・・」
私 「完ぺきにわかっとるやん! 何で知ってんの」
サク「おわらいとか」 
私 「あー、そういうシチュエーションのコント、あったりするよね。勉強になるな、お笑い・・・・」
サク「これからも見ないかんな」
私 「・・・・・。てか、何でわかってるのに聞いたの?」
サク「りこん と うわき、いっしょかとおもった」
なるほど…。

夜ごはんは、ポークビーンズ、ツナと野菜のサラダ。


●5月某日: 不肖わたくし主催の憲法カフェ。6人のみなさんと楽しい時間。あかねちゃんのパンが炸裂! レポートはこちら。これからもいろんな方とおしゃべりしながら勉強したい。どこへでも参ります~。

emitemit.hatenablog.com

終わって、そのまま急いで授業参観へ。10分ほど遅れて入る。母ちゃんに気付いたサク、うれしそうににっこり。10分くらい遅れるよ、と事前に言ったら「えー、5ふんにしてよ」と言われたので、まだまだかわいいやつよのう、と急いで行った(でも結局10分遅れたw)。どのクラスも同じ内容なんだけど、なんかかったるい授業をやっていた(暴言。先生が悪いのではない、そういうカリキュラムなんだと思う)。夜ごはんは、手羽元グリル、八助の餃子、アジ刺、野菜サラダ。

 

『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』 滝口 悠生

ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス (新潮文庫)

ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス。というのは、ジミヘンがノエル(ベース)とミッチ・ミッチェルと組んだ3ピースバンドで、彼らのアルバムは、私が大学時代、繰り返し聴いたアルバムベスト10・・・いや、ベスト3に入るかもしれない。だから、書店でこのタイトルを見かけて自然に手にとってたよね。

AXIS: BOLD AS LOVE [SACD] (HYBRID CD/SACD)

冒頭を読んで、違和感とか、もっといえば不快感で読ませるタイプの小説かなというイメージをもった。
そのとおりでもあったんだけど、何かうまくいえない不思議な面白さがあって、ふわふわと読み進めていった。

時間空間は簡単に飛び、主人公の所在も心も定まらない。結論らしい結論もない。

尖鋭的な感覚や感情が繰り返し描かれ、同時に、必ずと言っていいほど、それがあやふやに雲散霧消していく感覚も描かれる。

房子と一緒にいた短いけれど濃密だったと思っていた時間も、私の知らない房子の時間に吸いこまれるみたいに薄く消えかかっていて、房子の顔も、体も、声も、あの頃に感じていた特別さがそこから消えていて、その特別さがいったいどんなものだったのかわからなくなっている。時にはその顔の細部さえ曖昧になる。

音と間がリズムをつくるが、いったんリズムができればリズムが音と間をつくりだす。次の音が鳴らない間があるとして、そこにもしかしリズムがある。次の音が鳴る前に死んだからといって、そこにリズムがなかったことにはならない。次になる音をいつまでもいつまでも待つみたいな引きちぎられるような力が生まれる。


それらは全部でたらめで、わずかずつ異なるひとつひとつの音の響きもまた何ひとつ覚えてはいないし、音と音の間などなおさら覚えていない。その時何を考えていたのか、思考の流れや尻や足の冷たさも覚えていない。じゃああのとき覚えていられると思ったり、あの時数年後、十年後にこの夜のことを思い出すかもしれないと思ったりした私は、いったい何を思い出すつもりだったのか。

風変わりな人物たちが登場しては行き過ぎ、おかしなエピソードが、積み重ねられるというわけでもなくちりばめられて、そのすべてが読者からは遠く非現実的なのだが、やがて東日本大震災原発事故という、(程度にレイヤーはあれど)現代の日本人すべてが経験した出来事を迎えるに至り、小説が急に確かな像を結ぶ。

けれど、その場面すら、災厄(あるいは人災)を嘆いたり悲しんだりする筆致はなく、ささやかな日常が続くことに安堵するでもなく、その日、そのときの出来事が、やはりあやふやな感覚と共に描かれるだけだ。しかも、その「最新の現実」で収束するのではなく、続くラストシーンでは時間が巻き戻っている。

何を書きたい小説なのか、よくわからないなりに私が感じたのは、「不確かさこそに生きている実感が(かすかに)ある」とでもいおうか・・・

生きていて、確かなことは何もない。恋した人は急に消え、やがて何が特別だったのかわからなくなる。路上でジャンベを叩きながら政治批判をしていた青年が、何をどう批判していたのかハッキリと思い出せない。傷心の一人旅では急にバイクから投げ出され田んぼに突っ込むハメになる。それらすべての出来事が、時間とともに意識の中で輪郭を薄めていく。だからといって主人公は人生を厭うわけでもない。彼はほどよい年頃で結婚し子どもを持ち、いわゆる普通の家庭を築いている。ただ、その「普通さ」にも、つねに疑問符がついているのだ。

ラストシーン、バイクから投げ出された主人公がだいぶ古い墓を三基見つけて、やっぱり風変わりな見知らぬ男が出てきて、なぜかウクレレを弾いたり、雨が降っているのに焚火を始めたりする。

その脈絡のなさと、

「私は久しぶりに満ち足りた気持ちがした。なにかが足りなかったりわからなかったりする、その不足感が満ちていた」

という述懐が、ここまで読んでくると、ちょっと腑に落ちる気がした。

ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンスという、短い期間だけ活動したバンド。中心人物はその後、夭折した。エクスペリエンス。この小説で描かれるあやふやな「経験」観は、混迷するこの時代ならではのような気もするし、ジミヘンの時代を始め、普遍性がある気もしたし、そのどれも違うような気も・・・・と、独特なリズムの文体で綴られたこの小説に影響されてよくわからなくなる私なのだった(笑)。

 ちなみに、最近の芥川賞作家による小説のようです。

『西郷どん』 第23話 「寺田屋騒動」

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前回、吉之助さぁがあんなにも頑張って止めた有馬らの突出、それがいったい何であっさり寺田谷騒動に発展するのか、これじゃあさっぱりわからんと思うものの、「結局、“あの”西郷に止められようと、俺はイヤなもんはイヤなんじゃ」っていうレベルの話として納得できんでもない・・・という、ある意味見事な仕上がり。

有馬新七の役者さん、今作で初めて認識したけど、単なる“脳筋”というより、ちょっと狂気を感じさせるような眼光をしていて、うまいのだ。これは、吉之助の手にすら負えないね、話し合いでなんとかなる奴じゃないね、っていう雰囲気がある。

有馬を説得(という名の、その実は討手)に遣わされるのがユッキーヤの大山格之助。かなり脈絡なく見せられる突然の修羅場に緊迫感を与える芝居はさすがであるw 修羅場のエンタメ的な画作りは、今作のスタッフにはお手の物といった感じで楽しく見せてもらった。額を割ってプシャーって鮮血が噴き上がって信吾の顔を汚す、っていうのね。うんうん、それだよね。寺田屋騒動と言えば、のもう一つの代名詞、有馬どんの「おいごと刺せ!」ですが、(え、そっち向きなん?)ってちょっとびっくりしたのは私だけじゃないですよね? 現在の考証ではそっちが正解ってことか。

さてさて、その修羅場の前のあれこれがね~萌えたよね~



吉之助さぁを大好きすぎる一蔵どんにクソ萌えである。深ッ刻な顔で乗り込んできて、みんなに対して超感じ悪くて、2人きりになったら「ここで吉之助さぁを刺して俺も死ぬ」って、なんという重い愛じゃあ!!!!! 

その重さを磊落に笑って受け止める吉之助さぁが、ものすごく器が大きいように見えるんだけど、でも一蔵どんをそこまで思いつめさせるのは吉之助さぁの勝手気ままな所業なわけで、一蔵どんガンバ!!!って拳握りしめて応援しちゃう構図。しかも、うなぎ捕りとなったら、仲間の中でいの一番に「よっしゃ!」とノリノリで川に入っていくのが一蔵どんなわけですよ。「youたち、結婚しちゃえよ!」ってこういうときに使う用語ですよね!!!

舟に乗せられ、薩摩に護送される吉之助さぁを見送る一蔵どん。そこに、近藤春菜のおとらどんが、こけつまろびつ追いかけてくるんだけど、一蔵どんはガン無視。「それどころじゃねーわ!」にも見えるし、「おとらどんの気持ちはおいが一番よくわかりもす」にも見える、超深刻な顔が良い。

久光に西郷の助命嘆願をする一蔵どん。もうほんと、ご苦労様です。耳を貸さない久光に、思わぬところから援護射撃が・・・それは唐突に登場した小松帯刀

めちゃくちゃ切れ者っぽい造型の小松は、情にかかわりなく理性で西郷を生かすべしと言ってたみたいなんだけど、小松帯刀といえば、大河の視聴者にとってはやっぱり瑛太さん(@「篤姫」)の印象がまだまだ強いもんですから、一蔵どんが吉之助愛のあまり、小松帯刀という分身をこさえて、久光にステレオ攻撃かましたんじゃないか・・・・って感じもあって、実に味わい深いシーンでございましたw

 

五月の五 / どこから目線?市民目線です

●5月某日: 午前中、小学校の読み聞かせサークルのミーティング。けっこういろいろ立て込んでるのに、またちょっと大きなことを引き受けてしまった・・・というか自分から手を挙げてしまった。今しかない!って思ったの。サクも3年くらいになったら、母ちゃんがみんなの前で何かするのとか、イヤがる(周りにからかわれたりとか)ようになるかもしれんしさー。

放課後、男子5人で人生ゲーム。夜ごはんは、じゃがいもとひき肉のケチャップ炒め、タケノコ煮、レタスときゅうり。


●5月某日: いろんな予定が並行してて、連絡が飛び交う日々。5/3Nスペ、憲法生討論。面白い。でもこれ、視聴率どんくらいだったのかしらね…。ってことで、市民目線の感想。

facebookより)

「生討論!どうなる憲法改正」録画して視聴。なかなか面白かった。

細田さんがけっこう投げやりだったりw(自民党憲法改正推進本部長だよねw)

日本維新の会っつーのは、とことんポピュリズムなんだなーとか。
「我々だって政権とったら解散権を絶対手放しませんよ」って恥ずかしげもなく断言してた。こーゆー身もふたもなさを支持する層もあるんだろうなあ。しかし、これが維新だとは、坂本龍馬が見たら泣くぜよ(テキトー)。

希望の党(そう、今は亡き希望の党!)の階(しな)さんという人のしゃべりを初めて見たけど、かなり論理的でわかりやすかった。ググったら弁護士出身らしい。納得。

ちょいちょい国会とか討論番組見てると、実は今、野党は、なかなかいけてると思う。除く維新ねw 
政治家の魂である「言葉」をちゃんと使ってる人が多いのだ、実は。

この番組でも、立憲民主党の福山幹事長、民進党の原口副代表、希望の党の階幹事長、共産党の小池書記局長、社民党の又市党首、自由党の木戸口幹事長と、堂々たる論客ぞろいだった。

一昨日から、民進と希望が合体して国民(国民…しつこいけどなんて名前だ…)になっちゃったので、こういう番組にもたとえば原口か階かどちらか一人しか出られないのはもったいない話だ。まあ、選挙で勝たないとどうしようもないから再編したくなるんだろうけども。

つまり結論、小選挙区制がいかんのよね。
いや中選挙区制だった時代の批判も何となく覚えてるけど・・・。

とにもかくにも、この番組が、仮にもちゃんとした討論番組になってたのは、武田アナのしっかりした仕切りもさることながら、与党側が細田さんだったからというのが一番大きい。これが安倍さんだったら議論にならないのだ・・・。

無党派層でも「野党は批判ばかり」と言う人ってけっこういるけど、どんなに質問にも同じテンプレを延々と繰り返したり(安倍さん)、全部はぐらかしたり(菅さん)という驚異のスキルを行使されたら質問(批判)し続けざるを得ない。

みんな、ニュースで切り取られたものじゃなく、質疑の流れの中で安倍さんの話を聞いてみたらいいと思う。
ほんと、言葉の力のなさというか、言葉の意味のなさというか、言葉をちゃんと使う意思が皆無なことにびっくりするよ。

そりゃ議席の数だけ見たら野党は確かに情けないんだけど、野党は情けないからっつって与党を許し続けてきたツケが、公文書の改ざんや虚偽答弁や自衛隊シビリアンコントロールへの疑義、そしてセクハラ・パワハラの何たるかを知らない財務官僚や閣僚として表れてきてる。

「野党は頼りないから無理」こそ批評家マインドの上から目線・他人ごと目線であって、今すぐの政権交代はもちろん無理だとしても、今は政権をきっちり批判しつつ野党を育てるしかない! と、子どもたちの将来が切実に心配な一市民として私は思うけどな。

夜ごはんは、豚汁、サバ、タケノコ煮。5月だというのにえらく寒い日だったので、豚汁がうまいのなんの。サクは今日スイミングだったが、まったくもってプール日和ではなかった。