『西郷どん』 第24話 「地の果てにて」

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このくだりは、もう、ある意味「なんも言えねー(古)」感がある。モーターもついてない小舟で鹿児島から徳之島、そしてそこからさらに沖永良部島まで流されて、野ざらしの牢に閉じ込められて、それが史実だっていわれたら、西野カナばりに震えるしかない。

人間ほんとにそう簡単に死なないんだなとも思えるし、いややっぱり運が強い人だったんだなと思う。こういうドラマやら小説やらでは、久光ってたいてい、西郷に対して度を越して激怒する相当感じ悪い奴として描かれるんだけど、いやホントに怒髪天をつくぐらい嫌いだったんだろうね、こんな処罰を与えるなんて。真田昌幸にさんざん煮え湯を飲まされた家康だって、九度山への幽閉で手を打ったのに…。

そんな、想像の斜め上をいく流罪エピソードの映像化を見て、あらためてこのドラマの稀有さに感じ入った。

これほど苛酷で苦しい状況を描いているにもかかわらず、ものすごく「軽い」味わいなんである。
でもそれは、「痛みや苦しみを描こうとしているけど失敗して軽くなっている」わけじゃなくて、意図した軽みなんだと思う。役者は迫真の芝居で、映像は美しく、演出は熱を帯びている。美と熱に引き込まれながら視聴しているのだが、痛みや苦しみは感じない。すーーーーっと、流れていく。

たとえば今回の、愛加那と吉之助の二度目の別れにしても、二階堂ふみなら、視聴者が目をそむけたくなるような痛々しい悲しみ苦しみ衝撃を表現する芝居をすることも当然できるのだ。でもそこまではやらない。そういう作風、演出プランに合わせて、役者もやってるのだと思う。

そのノンストレスな娯楽作ぶりは、たとえばTBS日曜9時のドラマや一部のゆるい朝ドラなんかとも違って、ああ、そうだ! 今回やっとわかった。ハリウッド映画っぽいんだ。あー、なんかすっきりした。せごどん、ちぇすと! きばれ! 生きろ!!

あ、松田翔太慶喜が再登場。誰を演じてるのかとかもうどうでもいいくらい、翔太さんに華がある・・・・! 歴史が全然描けてなくたって、久光との対面、なんだかんだいって魅せられる場面なのだ。