『おんな城主直虎』 第34話 「隠し港の龍雲丸」

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政次の辞世は近藤がオフィシャルに許したのではなく、牢番の情だったんだね。井伊の手元に届かないかもしれなかった、いや、そもそも政次は辞世を詠めないかもしれなかった。辞世がなければ、直虎はまだ当分、夢の中をさまよっていたかもしれなかった。

政次の辞世を存在せしめ、届けたのが誰かしらの情や判断なら、近藤のはかりごとを止めなかったのも誰かしらの判断だった。ということで、鈴木重時(ブティック今野@「あまちゃん」)が陳謝する。それに対し、南渓和尚が政次を返せと言うのがとてもインパクトのあるシーンになっていた。

物語の中で、南渓はだいたい無力である。知恵者の僧侶とはいっても、義元を支えた雪斎や中国の安国寺恵瓊なんかとはレベルが違うし、それ以前に無責任だなと思えることもしばしば。だから、人様を責められる義理かよ、オメーも政次を救えなかった一人じゃねーかよ、と思うところでもあるわけですが、和尚にしたらそれは重々承知での、鈴木重時への断罪だったんだと思う。理不尽に奪われたものに対しては怒りの声をあげていいんだと。自分の無力を思い自己責任だと泣き寝入りするんじゃなくて。

そして「直虎を領主にしてしまった張本人」南渓なりのコミットが、さまよい苦しむ直虎と向き合うことなんだろうなあと思う、今は。

酒井忠次役のみのすけの見事なヒールぶりに痺れる。家康を差し置いて独断専行するのは、「徳川のため」の忠義一心というよりは、家康の判断が最適ではない・手ぬるいと感じているからみたいだ(劣勢に際して家康に向かい声を荒げるシーンがあった)けど、彼を今後どのように描いていくのか、今回で俄然興味が湧いた。酒井、大沢、近藤、鈴木・・・と、武将たちがみんな個性的でいい面構えしてるよね。

とにかく徳川内部はなかなかのディスコミュニケーションというか、家康は主として君臨してはいるものの全権を握れてはいない。気賀の民を結果的に殺してしまったのは彼の意図ではないけれど、それも「因果」としてたまってゆくのが森下脚本ワールドである・・・。こわい。

方久も中村屋も徳川を頼った。

彼らにはイデオロギーはない、ただ自分たちの町と商売が守れればいい。だから武器と船を融通して「銭の力」で自衛しようとした。

銭の力がいとも容易く否定され、それどころか手詰まり気味だった徳川を軍備拡張させ、それが気賀に攻め込まれるきっかけになるという展開。残酷。酒井の言葉に狼狽し、なすすべなく瞳をうるませるムロツヨシの演技が印象的。

今川方の大沢は、気賀の民を捕えて「城主は逃げた、うぬらは捨てられた」とアピールする。「のこのこ出て行って徳川に殺されるか、人買いに売られるか・・・だからこっちの兵として死に物狂いで戦うしかない」と。

政次の死で悲嘆する視聴者をさらに突き落とす展開は、完全にわざとなんだろうな。わざと、政次の直後にこの展開を持ってきたんだろうな。「少女漫画や歌舞伎では終わりませんよ、この世界は」と。

政次の死はいわば政局の結果であり、彼は覚悟をもって磔台に臨み本懐を遂げたが、「選ばれた者」でないわれわれは、わけもわからぬまま捕らわれる。逃げても追われ、戦わされる。見せしめとして積み重ねられ晒される死体になる。視聴者の私たちは、そんな気賀の民だ。それが戦争だ。

しっかし、「逃げるために作った城」で、今川と徳川、両方から武器を向けられて袋のネズミになり一網打尽になるんだから、情け容赦ない脚本だよな! 佳子の鬼!!

巻き込まれるなんてあほらしい、逃げるが勝ちのはずだった龍雲党。
自由が身上でそれだけの実力も持っていて、自分たちだけなら何とかズラかれただろうに。

「ばーーーーーーか!」と余裕で嘯いて華麗にドロンするはずが、党のメンバー全員死なせるって、龍雲丸の立場(泣) 佳子の鬼!!

龍雲党にこんな行動をとらせたのは、これまでの経験なんだよね。
昔なら自分たちだけで逃げてた。
井伊に来て、材木切って、いろいろあって気賀に根を張ることにしたから。社会にコミットしたから、みんなを船に乗せようとした・・・。なんという皮肉。



政次が死んで、直虎がどん底に落ちた時、龍雲丸が何らかの形で直虎の力になるかと思ってた。
まさか、龍雲丸も「大事な者を死なせた」という、直虎と同じ因果を背負ってしまう展開になるとは・・・! そう言われれば、これ以上なく佳子らしい脚本なんだけども。

龍雲丸は死なないと思う。
彼はまた生き残ってしまうと思う。すべてを見て生き残る。直虎も龍雲丸も、ここからなんだよね。

コミットしたら傷つく、というのは森下作品の常道。
「傷つくけど、それでもコミットしたからこそ得たものもある」というのが『ごちそうさん』のめ以子と和枝にはあったけど、これだけたくさんの仲間の死を、龍雲丸は飲み下すことができるんだろうか。

もとは、村同士のいさかいになれば生贄として差し出される「解死人」だった方久は、自分が助かり城の者たちを多く死なせてしまった後、頭を丸めればそれで済むんだろうか。

直虎はどうかかわって、どう立ち上がっていくのか(主人公である彼女だけは、まだ立ち上がって進まなければならないことが確定している)。

もろもろの謎を謎のままに、遠州大乱はまだ続きます!  ぎゃああああ

水無月の八

●6月某日: 福岡県「女性の翼」ノルウェー研修の報告会に行く。「翼」団員のうち、あすばるの松田館長をはじめ8人の方が、かわるがわる、一週間の研修について報告された。ジェンダーギャップ指数、ノルウェーは3位。日本は111位である。145か国中・・・。主催の「ままいる」でスタッフをつとめるみどりさん(以前ママじゃなでモデルさんやってもらいました)が司会および開会ですてきな挨拶をされた。

雁瀬さんも来ていて、週末のイベントのチラシを配ってくれたり。福大(?)の学生さんたちも来ていたみたい。ゼミか何かかな。終了後、雁瀬さんと浜勝でランチして、奥っていただいて帰る。

夕方、校庭開放的なやつに参加してるサクと近所のお友だちNくんを迎えに行く。サクがフラフープを見せてくれた。うますぎて笑えるw 3人で帰ってたら、途中から突然疾走するサク。「まぁいいや、うちらはゆっくり行こう」とNくんと帰ってたら、横断歩道の向こうでサクがコマネチ的なポーズを盛んにする。どうやらトイレに行きたくて早く帰りたかったらしい。

夜ごはんは、豚・ピーマン・玉ねぎ炒め、マカロニサラダ、たけのこ煮。夫とニュースをはしごしながらダラダラ飲む。「でもやっぱり今の野党じゃ頼りないけんさ…」と、ごく標準的な意見を言う夫に「与党 vs 野党ではない! 国家権力 vs 市民なのだよ! 消去法で与党を支持しているうちに、こんな傲慢な国会運営をするようになったんだぞ!」と絡んだり。クサクサするので最後は『孤独のグルメ』の録画見たら、とんだ寿司テロだった!!! この日のことはここにも。

emitemit.hatenablog.com

 

水無月の七 / 「Life is mine」 こさいみなみのグルーヴに酔えば

●6月某日: 今日も昼ごはん食べるの2時半だった。なぜこんなに遅くなるのだろう。マフン作った。超うまい・・・! 夜、ライブを見に行く。楽しかったー。以下のリンク先に書いてます。帰って、いい音楽、いい時間を反芻しながら、クールダウンのビール。

lifeismine.me

 

●6月某日: 子ども会のイベントで子どもたちに渡すお菓子の買い出し。町内で係になってるお母さん3人で。お菓子のチョイスや計算、仕分けの仕方。こういうのって、性格出るよね~面白いw 

昼、思い立って、適当に坦々スープ作った。もやし、しめじ、玉ねぎ、春雨。ねぎと青じそたっぷり。めっちゃうまい!!!!!! これ定番決定やな。夜ごはんは、ハンバーグ、味噌汁、もやしとズッキーニ炒め、ひじき、きゅうり。ハンバーグ定食ですな。家族全員、ハンバーグ大好き。肉ダネこねこねと丸めるのはサクと一緒にやったんだけど、とても大きく成形できるようになっている~成長! 

何があるわけじゃなくても、毎日学校がんばってるなーと思う。サクだけじゃなく、子どもたちみんなね。毎日学校に行くなんてほんとすごいよね。大変よね。えらいなあ。

水無月の六

●6月某日: 夫とサクは片道1時間かけてプラネタリウムへ。サクの最近の星座熱がすごいので。その熱源はキュウレンジャーなのだがw 戦隊モノとかの、子ども向けのテレビ雑誌を買って帰ってくる。これまで2年くらい買ってたチビ鉄雑誌「鉄おも」の購読をやめて、今度からそっちを買うらしい。新たな時代の幕開けw さっそく、付録のキュウタマ発射装置(?わからん)を熱心に作っていた。

私は軽く、40分ほどランニング。今日は気温が低め、風も涼しくて、体が軽かった。もしかしたら、最近毎朝がしがし歩いてるのもちょっときいてる? 佐藤優『地政学の教室』読み終わり、家の本棚にある本でもうちょっと基本的なところおさらいしたり。夜ごはんは、かしわごはん、たけのこ煮、春雨サラダ、お吸い物。

 

●6月某日: 健康診断のため朝食抜きの夫。お茶も飲めないと知り、サク、ひょえーっとなる。「だいじょーぶか!?」「がんばれな!」「みず のんどけな!」と励ましながら登校の途につく(サクのほうが朝の出発時間早いのだ。)

週末のイベントについて、友だちに紹介したり、facebookでシェアしたり、プレゼン準備、アンケート作成。どきどき。買い物ついでにアミカスに寄ったら、こないだ渡したチラシを置いてくれていた。さんざん迷ってサンドイッチを買って昼ごはん。といっても食べたの2時45分だった・・・。サンドイッチって久しぶりに食べたわ。

スイッチインタビュー中川政七×星野佳路の回をちょっとずつ見ている。すっごく面白い。夜ごはんは、豚テキ、野菜炒め、ひじき、きゅうりなど。夫は飲み会。

 

水無月の五

●6月某日: 朝、サクをそこらへんまで見送りに行ってるので、小学生の登校風景があるていど見える。サクのクラスの子たちとも毎朝会うし、喋るようになったりもしてる。サクと一緒に行ってるお友だちだけじゃなく、親御さんと手を繋いで登校してる子もけっこう多い。

ウォーキングがてらぐるっと遠回りして帰る道(校区外)で、いつも見かける1年生の女の子を発見。いつもはお母さんと一緒なのに、今日は一人だ。「もう一人で行ける」ってことになったのかな・・・?と思ったら、その信号待ちに大型犬、あらわる! もちろん飼い主がリードを握ってるけど、小1の女の子はとっっっても怖そうな顔をしてる。うるうるきたりしたら、すぐ別の校区のおばちゃん(私だ)が声かけるからね~と思って一緒し信号待ってたけど、大丈夫そうだった。よかったー。

さて、いろいろ書いてたらすぐ昼になった。郵便局で用足し。昼は春雨スープとドライカレーの残り。夕方、サクを耳鼻科に連れていく。家からちょっと離れてるけど新しめで、子ども対策にも力を入れた病院。待合室にはペッパーくんもいた。私がいろいろ話しかけてると、ちょっと離れたところで知らんぷりしてるサク。そのくせ、病院を出たら「ペッパーと何はなした? さいしょからぜんぶおしえて!」だってw じゃあ聞いとけよwww 

夜ごはんは、デリバリーピザ。そんな夕飯は半年に1回くらいなので、サク、ゆうべから楽しみにしていた。あと、小松菜ときゅうりとパプリカの和え物。大人は小鯵の南蛮漬けも。『おじゃマップ』の録画で慎吾くんが20年ぶりに津軽の汽車を塗り直しにいく企画、見る。

 

●6月某日: 日帰りで夫の実家へ。大人は近況などおしゃべりしながらゆっくり食べるけど、子どもにとってはお腹がみたされれば昼ごはんの時間はおしまい。「はやくいこう~」「まだか~」と急かされる。そう、川に行きたいのだ。

今日は少し上流に行ってみるか、とじぃじ。冷たい流れに足を浸しながらのぼると、存外に広い川原があった。釣りの準備をしてきたが、今日はなかなか釣れない。それなら、という感じでカニとりに精を出すサク。小さいのから大きいのまで、50匹くらいとっただろうか。もう本当にカニに申し訳なくなるくらいだった。2時間ほど付き合うと何だか急に疲れを感じ、途中から来た夫に後を託して先に家の中に戻る。ほどなくサクも戻って来た・・・と思ったら「トイレ!」と叫んでバタバタ入り、またバタバタと出て行った。

夕方、辞去。夜ごはんは、砂ずりとニラ、玉ねぎの辛い炒め物や、シメサバ、春雨サラダなど。『嵐にしやがれ』の録画で相葉くんが男子チアに挑戦。すごく素敵だー!!!もっとじっくり見たかった。そして私、相葉くんの目尻の小皺がたまらなく好き。この皺ができてからもっと素敵になったように思う。夫も私も意外に疲れてたのか早く寝た。

 

水無月の四

●6月某日: わーい。だいぶ風邪が治ってきたよ。今日は朝、待ち合わせ場所で一緒に登校してるお友だちの足が止まってもじもじしてるなーと思ったら、「きょうは、サクタローのおかあさんといっしょにいこうかな・・・」ですって。まあ!まあ!まあ! ドキドキしつつも私は聞いてないふり、お友だちのお母さんも平静に「あ、そう?」とか言って、サクは・・・その辺を走り回ってたw でも、そこでザーッと雨が降り出したし、エイヤッと思いきるまでの勢いはまだなかったみたいで、とても葛藤している。母子の話し合いで、今日はやっぱりお母さんと行く~ってことになったけど、なんか・・・子どもの成長ってすばらしい、いじらしい! 

さて、今度のイベントでのプレゼンのためにパワーポイントで資料(ってほどでもない)なんて作る。38歳で初めてパワポを開いたわたくし・・・! なんとなーく、こんな感じかなーって感じで作ってみた。うむ。こんなもんだろう(自分へのハードルが低い)。

サクのキュウレンジャーブームがものすごい。夜ごはんはアジの南蛮漬け(夫が日曜の夜に仕込んだもの)、麻婆豆腐(同左)、鶏むねとピーマン、もやしの中華和え。久しぶり(ってほどでもない)お酒! うまい! サクが寝てから、夫とダラダラ飲みながら錦織くんの全仏の試合が始まるのを待つ。なっかなか始まんねーな!! やっと始まった1ゲーム目、マレーもすごいけど錦織くんすごい!! と、シロートながら超絶高レベルな戦いに舌鼓を打って、錦織くんもなかなか良い立ち上がりだねーっていって寝たら翌朝逆転負けを知った。これがマレーの強さか・・・・

 

●6月某日:

勉強したりプレゼンの練習したり。





帰宅したサクがいつものとおりわーーーっといろいろ喋っておやつも食べてひと段落したあとで、そういえば今日けがした、と唇の端っこの傷を見せて話した、そこらへんで学校の先生からも電話がかかって来た。おやつバクバク食べてたし大丈夫です。夜ごはんはドライカレー。ひじきときゅうりたっぷり、大人は青じそも。夏味です。



 

イベントのお知らせ : 8/25 大人のための絵本や読み聞かせのお話会、やります

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今週金曜日です!
マミースマイル保育園の10周年記念イベント、
「なつやすみワクワクワークショップ」
のひとつとして、
絵本のお話をさせていただきます。

マミースマイル保育園
(福岡市西区小戸3-50-1)

AM11:00〜12:00

『大人のためのよみきかせ講座』
知りたくないけど、パパママが一度は聞いておきたい大事なコト。子どもを戦場に行かせないために、楽しい絵本体験が役に立つ⁈ 実際に絵本を紹介しながら、わかりやすくお話します。



子どもたちと共に親しんでいる絵本文化
日々なにげなく手にしている絵本
親子での読み聞かせタイム

それらが、
この日の話を聞けば、もっともっと愛おしく、尊く、
子どもの未来の人生のために大切だと思える・・・
そんなお話になるように、がんばります!

内容は大人の方向けですが
(あ、でも10歳前後くらいからなら、お子さんにもだいぶわかるかも……)、

途中で絵本の紹介や、いくつかの読み聞かせも挟みます。
やっぱり(笑)朝ドラも出てきます。

お子さん連れ、途中入場 / 退出も気にせず
どうぞお気軽にお越しくださいね。
ママさんパパさんに限らず
絵本の話、歴史の話に興味のある方もどうぞどうぞ~。

夏休みも終盤、いろんなワークショップで楽しんでいってくださいね
「マミースマイルを利用したことないけど・・・」という方も大歓迎だそうです!
お待ちしています♡

 

水無月の三 / はじめてのおるすばん

●6月某日: 朝、いつもどおり見送りついでに少しウォーキングしてみると、明らかに体力不足を感じる。今わたしの体では風邪からの回復のほうに大半の力が使われている。

さて今日は午後から3時間半にわたる講座を受講するので午前中バタバタ。夕飯の仕込みとかもあるけど、なんたってサクに初めて合鍵を持たせるので。初めての合鍵で2時間留守番させるのはキツいかなーと思い、近くの友だちの家におじゃまするよう手配。で、朝もちろんサクにも言い聞かせたけど、こういう置手紙も残していく。

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(帰ると、サクからのお返事もあった。そう、バタバタしながらも焼きドーナツを作っておいたのだ! なんせ初めてのことだから、お母さんがいなくてもお母さんが書いた手紙&作ったおやつがあったらちょっとうれしいかなと思って。こういうとき、「私もいっぱしの母親みたいだな~」と感じる。)

3時半ごろから30分くらい、「さくちゃん来たよ~」と友だちのお母さんからLINEもらうまでは、講義を受けつつもさすがに少々気がもめました。5時前、お友だちの家からおいとましたサクが、お母さんがいる建物にやってくる。とても元気で “やり遂げた” 感も漂わせているw えがった、えがった。

しかしそのころには、私が激しい片頭痛に襲われていた。1年に1回くらいあるんだよね・・・。幸い、夫が早く帰ってこられたので、ごはんなどいろいろ頼んで布団でのびる。バファリンを服用してしばらくするとピークは去るのだけど、吐き気までくるレベルの頭痛になると、残滓がしつこく残る。21時ごろ卵かけごはん食べる。

 

●6月某日: 喉が痛い。歩くと貧血っぽくてふらふらする。回復途上にあるのは感じるけれどまだまだ風邪です。ふう。早く治れ。そんな中、週末にできなかった家計簿をつけて、銀行とかコンビニでためてた振り込みや口座移動をして、帰ってもう1回それらを家計簿につけた。ふう。

サクは算数の宿題プリントで「10をつくる」ってのをやってる。けっこう速いペースで進むんだな。そんなもんか。そしてサク、宿題瞬殺で終わるな。今月は「家庭学習強化月間」とかで、1年生は家で20分勉強しましょう、ということらしいけど、10分もかからずに宿題は終わり、「はい、“この中でどれがいちばんうまいか?” せんしゅけんです」とひらがな練習プリントを持ってきたり、「うう、同じひらがなずっと見てたらゲシュタルト崩壊だ~」と親子で言ってる時間も20分に入れて、「20分できた」のチェックシートにサインしている。

夜ごはんは、親子丼、きゅうり&パプリカ。放送大学の通信課題をWEBで提出。満点だった。うむうむ。

 

『おんな城主直虎』 第33話 「嫌われ政次の一生」

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毎回書いておりますが、わたくしはこの森下佳子さんの書く脚本が大好きでして、
見るドラマ見るドラマ、胸抉られるようなシーンがいろいろあって、
でもだいたい、森下さんが描く主要男性キャラって、かなりダメダメで(そこがステキ☆っていうんじゃなく、本気でイラッとしたり、こんちくしょー!と突き倒したくなることもしばしば、というレベル。だがそれも含めて愛おしいという感じ)、

『ごちそうさん』の悠太郎のハイライトは逃げそうな子豚を追って間抜け面で帰還、
『天皇の料理番』の篤蔵のハイライトは最終回に池でアヒルの真似事
・・・・だと思えば、この小野但馬守政次のハイライトは、出色の格好良さだったのではないでしょーか!
 
これが、佳子の思い描く「大河ドラマ」ということか。ありがとうございます!!(唐突に感謝)
 
ラストシーンを見たときにまずそう思ったんだけど、昨日の回を振り返ると本当に「歌舞伎」だなあと。それか、人形浄瑠璃とか。講談っぽさがあるんだよね。

家康、近藤(三人衆)、なつ、龍雲丸など、シーン数も登場人物も決して少なくないんだけど、最小限のセリフや所作で必要な情報を読み取らせてくれる描き方がすごい!

たとえば近藤の描写なんかとっても秀逸で。
「手向かい」をさせる罠のために、矢の先を丸くしている。それだけの手間ひまをかけてでも井伊を陥れたいという執念を感じさせる。直之に追い詰められた者は迷わず自害する。これは死を厭わぬほどの忠義をもつ家臣が近藤にもいることを示している。

直虎を牢に入れはするが、但馬と引き換えに解放する。そして但馬にこう言うのだ。
「まさか、かような山猿に足をすくわれるとは思わなかっただろう。
 おぬしはとうに、わしを騙したことなど忘れておるだろう」
山猿という言葉に、卑屈さと、眉目涼しく今川のおぼえもそこそこめでたかったインテリ但馬へのコンプレックス、それが相まっての「騙されたことへの執着」が感じられる。

先週の最後までほとんど視聴者の私も忘れかけてたけど、材木騒ぎも、龍雲丸騒ぎも仏像騒ぎも、近藤にとっては騙されて恥をかかされた案件で、それらについて政次はだいたい直虎をいさめたりしょうがなくフォローしたりする立場だったんだけど、近藤にとっては女領主ではなくすべて但馬が糸を引いていたと思っていてもおかしくない。

でも近藤は殺しても足りないくらいに政次が憎いわけでも、ことさら図抜けて残虐な性質なわけでもなく、そんな恨みもあるっちゃあるし、何より「取れるものは取れるときに取る。悪く思うな、世の習いじゃ」なんだよね。それは珍しくないことなのだ。これら少ない描写で、近藤側のスタンスをきっちり描き切っている。

そういう「まあ因縁っちゃ因縁だよね」と「そのときの世の中の理屈」とを、三人衆も、家康やその家臣たちも飲み込んだうえで動いて、その先に但馬の死がある。

家康なー。
馬上の、思案するような訝しむような(阿部サダヲ、ほんとうまい!)表情が今週もう一度流れ、井伊谷に着いたとたん「どうもおかしいのでは?」と言う。愚かな大将ではなくむしろ聡い。でも、井伊を切り捨てることにする。そういう政治的判断を主体的にしているというよりは「させられている」。移り変わる諸国の状況や徳川家の維持のため、答えはそうならざるを得ない。

直虎から見れば徳川は強大だけど実際の家康はまだまだ“豆”狸レベルともいえるし、主体性の薄さを感じさせる描写は井伊との対比でもあるんだろう。井伊は、今川等に翻弄され続けてきたけど、上から下に至るまで、いつも「自分で選んだ」のだと強調されている。

牢まで直虎を見に来て頭を下げるところがまた、秀逸な描写。せざるをえなかった判断に開き直って、スルーしてもいいとこなんだけど、牢には来るんだよね。でも、近藤と違って、悪く思うなとは言わない。反対に、おめーらが弱いせいだ自己責任だなんてことも言わない。語る言葉を持たずに、ただただ平伏して去っていく。ユーモラスさと不気味さと緊張感が並立する場面を作ったのは、やっぱり阿部サダヲの演技力でしょうね~。

近藤への因果が井伊にきっちり返ってきたように、こうして「結果的に井伊を見捨てた因果」は、家康に必ず返るんだろうなとも思わされた。そう、井伊を尋常でなく気にかけているあの人の件で・・・。そのときはきっと、家康も、何かしらを語ることになるのだろう。
 

いきなり寝所に入ってこられても驚きも恥じらいもしないなつの描写に、「あー、ほんとに政次と・・・」と感じる。うん。わかってたけどさ。

直虎について「何とかします」と言う政次に、祐椿尼が「まかせます」と言う。この人、以前、しのに対して「娘になんかしたら許さない」、死んだ直親に向かっても「おとわを連れていくのは許さない!」と叫んでいた、娘の危機に対してはとことん敏感だし立ち向かう人です。彼女がすんなり「まかせます」と言ったのは、「自分の命に代えても何とかします」だとわかっていたからだよね。

そしてなつも、その問答を聞いていた。なんせ、プロポーズと同時に「殿をしている殿が好きだし身を挺してでも助けたい」とぬけぬけと言い放った男である。「身を挺してでも」の時が今まさにくるのだと、賢いこの人にはわかっただろう。そのうえでの、あの穏やかな膝枕シーンなんである(泣)。碁石だってさ、知らんぷりして捨てたってよかったんだよね。それでも政次に渡さずにいられない。牢にやってきた近藤&家康といい、なつの碁石といい、“スルーできない登場人物たち” がとても人間臭い。

渡したうえで、「今はなしですよ」と言う。なんてささやかな願いだろうか(泣)。そして、優しく目を覆う仕草の何と色っぽいこと。以前、今川を欺くために後ろから抱きついたときといい、山口紗弥加の所作が抜群にうまい。この2人の穏やかさ、切なさを見ると、直虎を狂おしく思いながらなつと通じる、ってのが不誠実でもなんでもないと思えてくる。褒められたことじゃないにしても、2人にこんな時間があってよかったと思える(泣)。
 
隠し里の検地の思い出を話せたのがすごく良かった。それはきっとなつにしか話せないことだし、なつに話せたのもきっと、祐椿尼をはじめ、高瀬やうめなど皆をこの危急の時にここにかくまえている様子を見たことが、彼を安堵させ、あのときのつらさがちょっと昇華されたんだろうなと思った。あのとき踏ん張ってよかったなと。ナントカという祭りについての雑談、「火にあぶられたり水に晒されたり」だっけ? 明らかにこのあとの政次の様子を想像させる不吉な描写を、政次は穏やかに笑い飛ばす。そんなことは何でもないことだというように。
 
自分からのこのこ捕まりに行ったなんてね。たった一人で、偉丈夫の近藤暗殺をやってのけるほど腕が立つ男でもなかろうに。牢の前で直虎をなじるときは小野但馬の顔なのに、龍雲丸が迎えに来た時は解放されたような、澄んだ表情なんだよね。

「私はこのために生まれてきたのだ」と言ったとき、ほとんど死出とわかっている出陣前に「大切なものを守るために死ねるのは果報者」と穏やかな笑顔だった中野父(筧利夫)を思い出した。死んでいった井伊の男たちの列に政次も連なるのだなと思った。このために生まれてきたなんて悲しすぎるけど、直親があんなふうに死んだ時点から、政次はいつかどこかで自分もと思ってきた人生だろうと思う、やっぱり。なつとの逢瀬も、ひとときだから自分に許せたんだろうなと思う。
 
政次とは対照的に、直虎は龍雲丸に歪んだ表情を見せる。直虎は龍雲丸や気賀の件でも叫んだり怒ったりしてきたけど、あんなふうに駄々っ子みたいな顔を見たのは、龍雲丸は初めてだったと思う。この表情もそうだし、牢から家康に迫るシーンも、このあとも、今回の柴咲コウ全編すばらしかった・・・! 会津戦争(@八重の桜)のときの綾瀬はるかと同様、もはや演じているというより役そのものに見える。
 
「2人で逃げて潜伏し力をたくわえればよい」と南渓は言う、思えばそれは帰還後の直親がおとわに持ちかけたことに似ている。今回、政次がそれを承諾すれば直虎は従ったかもしれない。でも政次は拒む。龍雲丸は「あの人にとって井伊=あんた(直虎)なんだよ!」と言ったけど、政次は、虎松や家中の者たち、民百姓の命のことを言った。おとわという女の命を守るためだけなら気賀に行ってもよさそうなのだけど、政次は直虎という井伊の殿が好きなのだ。だから直虎が守りたい井伊の家と民百姓のために死ぬ。直虎のためと井伊のためが混然一体となっている。
 
それは直虎の方も同じで、こうなった以上、政次のために何ができるかと考え抜いたあげく、政次を刺すのだ。
 
さすがにそこまでは想像しないよ、という度肝を抜かれる展開を、見終わったあとでは「これしかない」と思わせる、名シーンの1つが誕生した。
 

 

直虎がそれを決意したのはいつだろう。「我が送ってやらねば」のときは、まだ確固たる意はないように見える。磔という手段はあのときにわかったのだし(切腹や斬首、謀殺の可能性だってあったのだ)。刑場に入ってくる政次・・・というか磔台にくくられる政次を凝視する直虎の顔がすごかった。すべてを吸い込むような、貫くような、つめたい、人間性を捨て去ったような表情だった。あのときに、天啓のように閃いたんじゃないかなと思う。
 
いずれにせよ、血の涙を流しながらではなく、透徹とした決意の顔でやった。迷いなく一撃で仕留め、少しの声の乱れもなく呪詛の言葉を言い切った。
 
このへんから、ほんと歌舞伎だなーって思ったんだよね。
 
「地獄へ落ちろ、小野但馬。地獄へ。
 ようも、ようもここまで我を欺いてくれたな!
 遠江一、日のもと一の卑怯者と未来永劫語り伝えてやるわ」
 
「おなご頼りの井伊に未来などあると思うのか? 
 生き抜けるなどと思うておるのか? 
 家老ごときにたやすく謀られるような愚かな井伊が、やれるものならやってみろ。
 地獄の底から、見届けて・・・・」
 
まさかの主人公による刃傷沙汰(槍だけど)のあと、
この、見事な悪態、罵詈雑言、呪詛の応酬。
その言葉の裏にある本音。
 
(本音は、全部裏返しなんだよね。
 日の本一の卑怯者=日本一の忠義者
 女子だよりの井伊が生き抜けるのか?= 井伊におまえがいる限り大丈夫、
 やれるものならやってみろ、地獄の底から…= おまえならできる、ずっと見守っている)
 
政次が口から吐くドロッとした血も何となく歌舞伎のケレンっぽかったし、彼を真正面から映すカメラワークもまさに歌舞伎の見せ場のようで。
 
やはりどこかファンタジーというか、「今、ここ、私たち」な現代劇のリアリズム感とは違うんだよね。だからこそ、胸が痛いながらも、こんな殺人劇を面白く見られるわけで。
 
昔の人は、こんなふうに歌舞伎を見てたんじゃないかなと思う。現代では歌舞伎の古典って(義経千本桜とか)派手な場面がある段だけをやってる場合が多いんだけど、江戸時代には朝から晩まで1日かけて長編を上演していた。その「通し狂言」のクライマックス場面ってこんな感じだったんじゃないかな。そういう長い積み重ねがあるからこその感動を、いま大河ドラマで味わったような気がする。
 
でも、リアリズムから遠い時代劇だからできる荒唐無稽とか、情緒的なお涙頂戴とかじゃない重みと凄味を持っているのが森下佳子の脚本で、それがまた歌舞伎(や人形浄瑠璃)と通じるエッセンスだよなあと思うわけです。人間や、俗世の、本質的で根源的なところにグイグイ踏み込んでるからこそ衝撃を受ける・・・歌舞伎と並べて論じるにはあまりに浅学な自分が悔しい。
 
もとい。
政次が、「直虎のため」と「井伊のため」が混然一体となった選択をしたのと同じく、直虎も「政次のため」と「井伊のため」を両立させる選択があれだった。直虎と政次、最初で最後の完全な対称形だった。
 
ひとりで地獄に行こうとしていた政次を、直虎は一人で行かせなかった。「地獄へ落ちろ」と言いながら、その所業は「われもいずれそこへゆく」と言っている。これまで政次が引き受けてきた「汚れ仕事」をも、これからは己が引き受けるという領主としての宣言でもある。直虎が手ずから完結させることで「嫌われ政次の一生」は彼を解放したような感さえある。
 
だから、ものすごく残酷で哀しいんだけど、どこか美しさというかカタルシスがある。
 
そして、鋭いもので一気に貫き、突かれた側が恍惚のように微笑むとか、2人にしかわからない言葉のプレイは、やっぱりどこかセックスの隠喩のようでもあって、最高にエロティックだったとも思う。そしてそして、「やっぱりこの2人の場合、政次がSのように見えるけど、ほんとは直虎が攻めで政次が受けだよね、そうだよね・・・・」とか思ってしまってすみませんすみませんすみません。
 
高橋一生のド迫力に恐れ入った。小器用なだけでなく、こんな芝居もできる人だったとは・・・! 堂々たる最期を遂げるって大河役者冥利に尽きるだろうが視聴者にとっても幸せなことです。とにかく、脚本演出もだけど、演者2人のかもしだす緊張感と、一気に放出される熱で息が止まりそうだった。TLでもいわれてたけど、本当に「演目」誕生ですね。

 

 

政次の明鏡止水の顔と、直虎の駄々っ子のような顔とを両方見て、この帰結も見た龍雲丸が、来週どんなふうになっちゃうのか想像つかないな!!!

 

『ユタとふしぎな仲間たち』 三浦哲郎

『忍ぶ川』の三浦哲郎の作。20代の初めに読んだ『忍ぶ川』には当時けっこう思い入れがあって、どこかに感想を書いたと思うのだがネットの大海の藻屑と消えたのか見つかりませぬ。 
ユタとふしぎな仲間たち (新潮文庫)

ユタとふしぎな仲間たち (新潮文庫)

 

 

さて、『ユタとふしぎな仲間たち』初出は昭和46年とあるから高度経済成長の終わりの頃か。東京育ちの少年がわけあって田舎に移り、そこで“何か”の力を借りながら意思を育て、ひと皮むける。という、いわゆる成長譚。

読んでいてまず「おっ」と思ったのは、主人公の勇太が母と東京を離れて東北の村に移住してきた理由。ぱっと思いつく限り、00年代に発表された『西の魔女が死んだ』や『ハブテトル ハブテトラン』などでは、主人公自身の問題での移住(またはエスケープ)である。いじめだったり、もっと漠然としたものだったり。勇太の場合は、自己都合ではない、ある意味、もっと覆しようのない残酷な理由だ。それが、40数年前、昭和のお話っぽいなあと思う一方で、むしろ2010年代には再び親和性が高くなっているような気もする。

ただ、物語はほとんど湿っぽくならない。勇太も、母親も、泣いたりふさぎ込んだりする様子は見られず、むしろ淡々としているようだ。でも、いま、親になった立場で読むと、それがなおさら胸が痛く、「だからといって平気なわけではない。というか、抱えきれないものを抱えているとこんなふうになる」ってこと、子どもにはあるよね。。。と思ったりもする。

勇太の母親が物語にあまり入ってこないところから見ても、親にできることなんてたかが知れているんだよね、きっと。子どもは親の知らないところで成長していくんだよね。

で、ユタが出会う仲間たちというのが「座敷わらし」で、東北らしい設定だし途中までは何の謎も影も感じず、ごくごくニュートラルな気持ちで読んでいて、ただこの子たちがいつも湿ったおむつをしていて臭っている、という設定がちょっと引っかかっていた。そうしたら・・・。やがて明かされる話に衝撃を受ける。そして作者の来歴を思い出して納得する。

勇太が「ワダワダ、アゲロジャ、ガカイ!」と勇太が大声で叫ぶシーンで涙があふれて止まらなかった。
物語は最後までウェットにはならないのだ。シビアな現実も残酷な歴史も、淡々と、どこか素朴にユーモラスに描かれる。それがかえって深い余韻になる。人間世界の哀しさ、命のはかなさを感じもするのだけど、それを超えて「不思議」を思った。勇太の成長さえ、この物語では大したカタルシスにしていないように感じる。喜びも、悲しみも、私たちは「ふしぎ」の世界に生きている。