皇室の未来を考え・・・・・ない。
(facebook投稿より)
息子6才がごはんを食べながら(写真:タローメシ)
「ねー、いまって、なにじだい?」と聞いてきた。
「うーん。平成かな」
「へいせいって、ことしでおわるっちゃろ?」
「違う。来年、平成30年で終わる見込み」
「へいせいのつぎは、なにじだいになる?」
「わからない。来年の夏に決まるみたい」
「きまったらすぐおしえろな! おれががっこういってたら、かえってきたらすぐにな!」
「ウン(笑)」
「でも、じだいって、どうしたら かわる?」
「エッ・・・それは・・・天皇陛下ってわかる?」
「は? しらん」
6歳児の頭の中には、まだ天皇も天皇制もない(笑)。
「おるやん、あの、テレビでよく見る優しそうなおじいさんよ」
「ああ! ああ! わかった」
「あの人が、天皇をやめるんよ、もうすぐ。」
「?」
「新しい天皇になる。そしたら、時代が変わる」
「???」
説明しながら、あらためて考えてみると、天皇が変わると時代が変わるって不思議だなーと思ったね。
特例法案が成立し、200年ぶりに天皇の退位が実現する運びになりそうですね。
昨年夏の「お言葉」発表以来、関心を持って見ていますが、一般的には退位に賛成する意見こそ多けれ、それ以上の興味関心を持つ人はごく一握りだなというのがこの10ヶ月の印象です。
その夜、夫と飲みながらだらだらと雑談する中で聞いてみた。
「皇室も日本社会と同様、
少子高齢化が進んでいて遠からず危機的状況になる。
そこを解決しようとして、
民進党(リベラル系)は女性宮家を創設し
結婚後も皇族女性が皇室に留まれるようにしようとしている。
自民党(保守系)は昭和22年に皇族離脱した11の旧宮家の中から
皇室に復活させようとしている。さあ、どっちがいいと思う?」
夫「うーん・・・・(←特に興味がない)」
私「どっちもピンとこんやろ?」
夫「うん」
私
「そこで、私の案をお聞かせしましょう。
どちらもパスして何の対策もしない!
そして2代か3代あと、私鉄の赤字路線を廃線するように、
人のいなくなった皇室を廃止する! どう?」
夫
「それって・・・・共産党やないか!
歴史オタクのアンタからそんな案が出るとは・・・」
私「ふふふ・・・」
でもさ、それが一番現実的だったりしない?
女性宮家か旧宮家か。
という以前に、女性天皇と女系天皇の違いすら知らない人が(←うちの夫も然り)、
国民の大半なんじゃないかでしょうか。
今までは “考える機会がなかったから”、
知らない人がほとんどだったのかもしれない。
でも、あれだけ異例に、大々的に、直接の「お言葉」が発表されてもなお、
知らない人が多い現実は変わってない。
「皇室の未来を考えよう!」っていう空気にならない。
みんな興味ないんだよ。さほど。
今の天皇陛下に対して、
「いつも献身的に国民を思い、祈ってくれる」
という理由で良い印象を持っていて、
「これだけ頑張ってくれたから、希望をかなえてあげたい。
のんびり過ごしてお体を大切に」
という理由で退位に賛成してるだけで、
天皇制とか、皇室とかについては、
特段の意見を持つわけでもない人がほとんど。
そんな状態で、「女性宮家か、旧宮家か」なんて選べるわけない。
議論のしようがないんだよ。
国民の関心がこれだけ低い。
ってことは、
天皇は国民の元首(改憲案)どころか、
国民の統合の象徴(現 憲法)ですらないのが現実ではないでしょーか。
であれば、
こんなに長く続いたものをいきなりやめますってのは
不可能だしリスクもあるだろうから、
何世代かかけて、なんとなーくフェイドアウトする方向に
もっていくのが自然なんじゃないでしょうか。
このまま何もしなければ、必然的に人数は減っていく。
もし悠仁さまが独身主義者だったり、ゲイだったり、
結婚しても男子に恵まれなかったりしたら、
そこでおしまい。
悠仁さまに男の子が産まれてその子が天皇になっても、
その子が独身主義者だったり、ゲイだったり、
結婚しても男子に恵まれなかったりしたら、
そこでおしまい。
ね。
「誰もいないからしょうがないね、廃止で」って、黙っててもそうなりそうだし、
それが一番自然なんじゃない?
あるいは、悠仁さまが
「天皇なんてまっぴらごめんだ、
俺は一般ピーポーとして生きていきたい」
と言えば、そこでおしまいかも・・・。
70年前まで皇族だったからという理由で、
その家の息子や孫を「宮様」と尊敬できますか?
あるいは、
私はもちろん男女同権を願う者ですが、
現行の法律をわざわざ変えて女性宮家を創ってまで、
皇室を存続させていかなければならない積極的理由は何ですか?
国民はこんなに、皇室について関心が低いのに。
って、思うんですね。
もちろん皇室システムを持つことには、国内外において多くのメリットがあります。
そのシステムのいいところだけを享受しようとしているのが
「天皇中心の国」と唱える保守派なのだと、
それが「天皇は祈っていればよい」発言で現れたのが面白いところですが
つまり、皇室システムを維持するためには
皇室に生まれた人々の人権を否定しなければならない。
という、大いなる矛盾があるのですよね。
天皇が「お言葉」まで発表したというのに
他ならぬ国民がそういう矛盾を議論する気にもならないんだったら
皇室に生まれた人たち可哀想すぎるし、予算もかかるし、いっそ廃止したら?
って思ってしまう私です。
今の天皇皇后夫妻はめちゃくちゃ英明で高邁な精神を持つ人たちで
大震災やテロが相次いだ平成という時代に彼らがいたことは僥倖だったと思う、
年頭やお誕生日に発表する談話なんかを聞いてると、いつもすごいなって感心し尊敬するけどね。
あと、昨日(6/10)付の西日本新聞を読んでたら、天皇は相当前から退位したかったようだと書いてあった。
2010年には退位の希望を周囲に伝えていたようで、
あの書き方だと私の見るところ、2010年にお言葉を発表して、2013年に退位したかったんじゃないだろうか。2013年に天皇は80歳。つまり、
「天皇80才定年制」
を創出したかったんじゃないかと思う。でも当然ながら与党や官邸筋との調整がうまくいかなかった(彼らは天皇の意思を “忖度” しない 笑)。
面白いのは、天皇制って保守派の頂だけど、今の天皇自身はとてもリベラル寄りなんだよね。
だからこそ功を奏していた部分もあって、それが変わって右寄りの天皇が出現したら世の中にどんな影響を及ぼすか?という。
「天皇は官邸への不信感がすごくて、『お言葉』も恣意的に切り取られるのを警戒して、生中継で発表したがっていた」とまで書いてたよ。すげーな。ほかの新聞にも書いてあった?
◆余談
卯月の二 / お手製人生ゲーム
10時からランニング。肌寒い、というか、風が強い! 春だ。福岡城址へ。桜はまだ4分ってこと? でも石垣があれば全然モウマンタイ(無問題)だよねー、と思ってスマホカメラのファインダー越しに今日も見事な穴太積みを見ていたら、ふいに「熊本の人はつらいだろうな」と思って泣けた。石垣って、何百年も前から変わらず、そしてこれからもここにある、という安心感や、歴史への畏敬の念を抱かせるものだもんね。それが崩れるのを目にするって、やっぱり、精神的ダメージ本当に大きいと思う。
で、ここからがびっくり!「もどす=支払」マスに止まっても、もし手持ちの財産では足りなくて支払不能のとき・・・借金になるのではなく、なんと、その額をもらえる、という息子システムなのです!! 画期的すぎる!! 銀行の財務状況が心配になります!!
夜の巷の木村拓哉
木村拓哉とマツコ・デラックスって高校の同級生なんだよね。なんて粋な運命なんでしょう、神様!
たとえ当時は面識なくても、いい年になってくると、“同じ学び舎”(←とキムタク自身が言ってた)ってだけでちょっと「おーっ!(ハイタッチ)」って気分になるよね。
ドラマや映画があるからいろんなところで露出してる木村拓哉が「これからは自分ひとり」「しっかりしなきゃ」と誠実に語る声のトーンはいつも重ためで、どんなインタビュアーや共演者も、解散に関しては歯に衣着せた物言いしかできなくて、見ててつらかった。
「俺ら普通の人間が言えないことをマツコならドーンと言ってくれる、言ってほしいと期待してる。攻撃的なものを求められてる。でもおまえだってセンシティブなわけじゃん。だからどこかで線引きしたらいいんじゃない? 別に明文化するとかじゃなくて、自分の中のルールとして」
周囲からの期待に対して、彼もまたそうやって処してきたのでしょうか。長年。
「芸能人、覚悟してるランキングで言ったら、あんたかなり上位よ」
すごく面白いのがさ、通りがかった一般人も業界の知り合いも、みーんな先にマツコのほうに気づくんだよね。マツコのシルエットは偉大だ。
道を歩いてて、ことごとく後から気づかれるっていう経験、キムタクにとっちゃ、かなりレアなんじゃない? 気づくとみんな、「!!!!キムタク!!!」ってそりゃびっくりするんだけど、ちょっとマツコと会話して自分のペース出したあとだし、マツコが場の雰囲気を作るから、みんなそれなりに喋るのよ。これ、一発でキムタクに気づいたら、そしてキムタクしかいなかったら、ひたすら絶句するしかないって人いっぱいいると思うよ。
お姉さんA 「不幸のどん底だったけど超あがった!」
お姉さんB 「生きててよかったー」
マツコ 「ちょ、いったい何があったのよ」
お姉さんA 「いろいろ。仕事とか、プライベートとか、もういろいろ」
お姉さんB 「帰り、車にひかれてもいい。安心して天に召される」
キムタク 「ちょ、死ぬなんて言葉、簡単に使うな」
マツコ 「この人そういうの厳しいのよ」
お姉さんA 「生きる!」
お姉さんB 「大丈夫、あたしたち多分死なない」
お姉さんA 「たぶん、向こう(天国)から帰される」
お姉さんA 「すっげーよかった。涙出そう」
お姉さんB 「人生で最高の幸せいただいた」
お姉さんA 「あたしたちいつもはあっちの道を通るんだけど、今日はなんかこっち行ってみようかって」
お姉さんB 「もう、私たち VIVA!」
◆余談
卯月の一
●4月某日: 親戚が住む直方市へ。すごく迷いながら行った。うちのナビ様、ひじょうにロートルなんだよね。でも何度も苦杯をなめさせられていながら、行く前はナビ様をまるきり信用してる楽天的な夫だw
まあ、幸い今日はすばらしい天気でドライブ日和。直方の町をぐるり周遊した感じ。遠賀川と、筑豊平野だよねえ! このひろびろとした感じ、福岡とはちょっと違う。トンビがひとしきり空低く飛んでたのでサクも車窓の風景に飽きず。到着するとすぐ昼ごはんに。おばさんの料理の数々、スゲー! 里芋のチーズコロッケとつぼみ菜の天ぷら、ばら寿司もおいしかったー。
食べ終わるとサクは従兄と暴れ始め、暴れまくるので、河原のほうに連れていく。出店もずらりと並ぶ花見の今の時期だけ、駐車料金をとっているのだが、今の時期だけなので装置とかは何もなくてボランティアのおじいちゃんが1台ずつ、丁寧に徴収していくのが何かのどか。で、出店がずらりと並んでも、まだまだ広く長く伸びる河川敷。本当に気持ちがいい。子どもを放牧するのにもぴったりだ(笑)。一画にはヤギたちが放牧・・・じゃないね、繋がれてたけど、何匹もいて、これがもう、かわゆーて、かわゆーて! ヤギをあんなにかわいいと思ったの、生まれて初めてかもしれん。相当愛でた。
水辺館で展示を見てコーヒーを飲み、一級河川と二級河川の違いについて義父のレクチャーを受ける。
親戚の家に戻った後、息子6才はイトコやハトコのお兄ちゃんたちに混ぜてもらい、人生初の「人生ゲーム」も。衝撃の面白さだったようで、帰宅後さっそく、お手製の人生ゲーム作りに熱を入れる。「おかねを、いっぱい、いっぱいつくらないかん!!」 そして、ものすごいルール運用でゲームは展開されるのであった・・・。夜ごはんは、地鶏と野菜の鉄板焼き。サラダ。締めに焼きそば。
弥生の二十
午後は、どんぐり文庫で「大きくなったねおめでとうお話会」。
夜ごはんは、サバの竜田揚げ、さつまいもと野菜のスープ、サラダ。夫は大分出張で、23時過ぎに帰宅。
『おんな城主直虎』 第22話 「虎と龍」
#おんな城主直虎 社会のしがらみに囚われず自分の力で生きる龍雲丸が、殿であり尼である直虎にぐいぐいいくのかと思いきや意外に距離を詰めず(「細っこかったなーニコニコ」の愛らしさよ!)、直虎のほうから酔っぱらって「我のものになれ」とは! そして但馬、おまえはほんと予想通りの反応だなw
こういうのはホント嫌いな人は嫌い、毛嫌いして唾棄して去っていくからさ、それでもやる!ていう作り手のこだわりだよねw
でも、メタファーが下世話すぎるだけで(笑)、それ以上の接近はなかったよね。龍雲丸は、自分の腕だけで生きてける実力を持ってるし、武家を憎悪してる割に(「武家なんてもんな泥棒も泥棒、由緒正しい大泥棒じゃねえか!」の、回想に耐える名演技っぷり!)、直虎にも但馬たちにも一応腰を低くするし、無用なトラブルを避けようとする。いったん請け負った仕事をちゃんとこなすのとは別に、直虎個人に対してはそれこそ露骨に「自由にやりましょうよ!」なんつってグイグイくるのかなーって思ってたから意外だった。ほんと、お酒を煽りながら「細っこかったなあ・・・」ってニコニコしてる龍が無邪気すぎて、大輔(@まれ)よりよっぽどマトモである。
なんといっても、鶴のバックハグと龍のバックスタイル(爆)が重ねられるとは! 龍を武家の子として、「連れ戻されることのなかった鶴」に見立てるとは。そうくるか!と驚きだった。
そして、「己を捧げる」と言ってくれた鶴が寄越してくれた形代ではないかと乙女っぽい想像を巡らすも、そこで出て来るしのさんの身も蓋もない回想w あれが、あの場で終わりなのではなくまた出て来るとはwもうホント最高ww そうなの。いったん冷や水ぶっかぶったことのある直虎は、そういう意味でトウの立った女なんだよね。でも、実際にはまだ乙女なわけで・・・というか、何度でも夢を見て何度でも破れるのが人間ってやつで・・・。
twitter見てたらいまだに政次を「不憫」と見る向きもあるようだけど、政次って不憫じゃなく不器用ですらなく愚かだよねwと思う私だ。いや、愚かじゃない人間なんていないのだ。森下ワールドには、多分。愚かのベクトルがそれぞれ違うだけで。「等しく卑しい」世界だから。
*1:役者をdisってるわけじゃないです。皆さん大好きです。作り手にも見込まれた役者さんたちだと思う。でも世間一般からしたら、知名度とかはね…って話です
弥生の十九
帰宅後、急いで準備してバスに乗る。
春休みのおかーさんはがんばっている。
年度末のおとーさんもがんばっている。
コドモもいろいろがんばっている。
午後は幼稚園へ、卒園式の写真展示を見に行く。実際にその場で見た通り、サクの写真がどれも立派。親ばかではない! どの写真を見ても、立ってても座ってても姿勢が良く、キリッとしてる。こういう真面目さは彼のいいところなんだよね。クラスの子たちも何人か来てて、1時間ほど遊んで帰る。
そう、今日は初めて、サクは自分の自転車に乗って幼稚園に行った。かなり起伏のある道だということを、徒歩以上に実感したようです。そうなの。母ちゃん3年間がんばったよ、人力自転車で。夜ごはん、ハンバーグ、五目豆、サラダ、味噌汁。家で作って食べるハンバーグって美味しいよね。男子たちに好評。
『恐怖の地政学 ーーー 地図と地形でわかる戦争・紛争の構図』
・地形による制約は、大国であろうと小国であろうと、あらゆる国に存在する。地形はその国の指導者を支配し、想像以上に選択肢を奪い、軍の作戦範囲を狭めるのだ。
地政学とは、おおまかにいうと、国際情勢を理解するために地理的要因に注目する学問である。地理的要因には、自然の要害となり得る山脈や川筋のつなありといった物理的な地形はもちろん、気候や人口統計、その土地固有の文化、天然資源の埋蔵量も含まれる。こうした要素は、政治的、軍事的戦略から、言語や交易、宗教に至るまで、人類の文明のさまざまな局面に重要な影響を与える可能性があるのだ。
国土は朝鮮半島よりも広く、ヨーロッパで言うならドイツより広いが、国土の四分の三、とくに山岳違いは居住地には向かず、集約農業に適した土地もわずか13%。そのため日本人は海岸平野と限られた内陸部に密集して暮らしている。
アメリカやロシアなど、大国が「戦略的深み」を持っているのに対し、アフリカやラテンアメリカ、中東などはそれがないのが弱さ。アフリカの陸地の大半はジャングルや湿地、砂漠、険しい崖がそびえる大地で、農業にも放牧にも向かない。また、暑さや劣悪な住環境がマラリヤや黄熱病など死に至る病気をもたらしてもきた。ラテンアメリカにも似た事情があり、各国の都市は沿岸部に集中して、内陸部は山岳地帯も多く、隔絶されている。どこの海岸線にも十分な深度の天然港がなく、交易に限界がある。
このように地政学的に弱い地域に対して、先に発展した強国はどんどん進出し、利用した。アフリカの地図を見ると、今でも直線が多い。その線を引いたのはヨーロッパ人だ。
いまも多くのアフリカ人は、ヨーロッパ人がつくった政治地理学の奴隷であり、発展を妨げる自然の障害に拘束された囚人だ。
こうして世界各地の状況を歴史的・地理的経緯も含めて見てみると、「そりゃ紛争も長引くわなあ、弱い国は強くなるために何でもしようとするわなあ、自分たちもされてきたんだもんなあ・・・」とひどく納得がいくかわりに、「だめだこりゃ」って気分にもなる。解決なんてできっこない。
朝鮮問題も、そりゃ先延ばしになってきたわけだ・・・と思うし、中国がやたら南シナ海で活動したりすると日本人としては「何いらんことやってんだよ」て感じを受けるけど、彼らにはそういた行動に至る確固たる理由がある。それは欧米が、世界のいたるところでやってきたことでもあるのだ。もちろん、20世紀前半の日本も同様で。
だからといって、「しょうがないよね」で済ませることではもちろんない。絶対に破局は避けなければならない。無辜の人々が犠牲になっている現実にNOを言わなければならない。そして、なぜこうなったのか、何が起きているのか、事実を知らずに「争いをやめましょう、平和が一番」とお題目だけ唱えていても何の足しにもならない。やっぱり知らなければいけないのだ。
本書の末尾にこんな一節がある。
科学技術が地形の牢獄から私たちを救い出した例がいくつもある。たとえば、私たちはかつて想像さえできなかったスピードで砂漠や海を横断することができる。地球の重力という足枷からも自由になった。(中略)しかし私たちは重力の足枷からは自由になっても、いまだに自分自身の精神や記憶に囚われ、「よそ者」への猜疑心に縛られ、天然資源をめぐる競争に巻き込まれたままだ。
弥生の十八
午後はサクの入学式のお衣装を調達にいく。うむ。非常にコスパが良いものを入手した。帰宅後に一式試着して、ものすごくうれしそうなサク。「ランドセルもからって(しょって)みる!」「しゃしんとっていいよ」う、うんw てか、この人、1日中めっちゃ元気。わきあがってる。いいことだが。夫に、「1日、子どもといると、疲れるやろ? 子どもの相手しながら家事したらもっと疲れるやろ?」とアピールする。
夜ごはんは、アジの煮つけ、味噌汁、サラダ。
1から3までの番号札が回答者に配られ、問題ごとに、鳥の鳴き声ボードと、3種類の鳥の絵が描かれた紙がセットされている。太いマジックで「チュチュン」と書かれたボードを見せられた後、「これは何の鳥の鳴き声でしょう。1、ハクセキレイ 2、シジュウカラ 3、オオルリ」と、それぞれの絵が描かれたフリップを出されて、それぞれが番号を挙げる、という・・・。「直虎」12話。次郎が直虎になったー!
弥生の十七 / 東京から来た若い人と会う
お名前は出せないけれど、安保法案が成立するまで、国会前に集まってデモやスピーチなど、さまざまなアクションをしていて、今でも市民運動にかかわっている人です。
なのに、なぜ今、社会の動きに対してネットやSNSで発信しているのか?
いま社会に対してどんなことを考え、どうアプローチしていこうと考えているか?
今般、福岡に行く若い人に、お話を聞かせていただけたら」
と言われました。
確かに時々、思い立ったら政治や社会のことを書いているし、
勉強したいと思ってお金を払って通信で学んだりもしてる。
「ママじゃない私ポートレート」も、趣味全開の企画とはいえ、ネットで公開していることを思えば、社会に対する発信といえなくもないかも・・・?
私にとっては、どれも自然な成り行きでやってることだし、活動といえるほどの活動じゃないと思ってるけど、自分について考えるよいきっかけになりました。
そしてそして、しろうとインタビュアー活動を3年間満喫してきた私ですから、元・・・ズの(あ、いっちゃった)メンバーに会って話を聞けるなんて・・・もう、好奇心がはちきれます!
あのね、想像よりもクールな印象だった。
熱いくらいにポジティブだったり、むこうみずなくらいのパワーがあふれるイメージを勝手に想像していたのだけど・・・。
話していても、むしろ、冷めているというか、悲観的なくらいのスタンスに見えました。
でも、その「平熱」感が、安保成立までの熱狂(facebookも相当過熱してましたよね)のあとも燃え尽きず、世間からのバッシングや冷笑にも折れず、今も地道に活動を続けられる静かな力の源泉なのかもしれない。
いろいろ質問して、話を聞いて、本当に面白かったんですけど、ネットには書かないほうがいいと思うので、興味のある人は直接、私に聞いてください。というか、聞かれもしないのに、私がべらべら喋るかもしれませんがすみません(笑)。
とにかく思うのは、物事を変えてゆく人・変えようと努力する人は、やたら叩かれたり、冷たい目で見られるということです。
既存のシステムに乗っかって世渡りしたほうが楽で、賢くて、安全。乗っかってるという認識すらせず、無意識に適応してる人間のほうが多いんじゃないかな。
でも、変わり者扱いされ愚か者と指をさされても、おかしいと思うことにはおかしいと声を上げ、変えるために奔走し、粘る人たちがいたから、変わってきたこともたくさんあるんだろうなあ・・・と思います。
逆に、「もの言う人」「行動する人」が誰もいなくなったとき、世の中が破局に向かって転がり落ちるのは歴史が証明していますよね。
だから、この若い人のように、行動する人の存在が「希望」なんだろうなあと思いつつ、そういう人たちが容易には報われそうにない現状を思い、ちょっとため息も出る。はぁ。
さて、その若い人を紹介してくれた知人Iさんと私が知り合ったきっかけは、なんと大河ドラマ。
一見、非生産的なオタク行為も、こうやって時にすばらしい出会いや機会を運んでくるのです(笑)。
そうです、知人のIさんとは、このブログのメールくれくれ企画でメールをくださった方です!
さて、若い方と別れたあとは入学グッズ制作用の布地なんかを選んだり、10%引きフェアをやってる無印で買い物したりして、5時に夫&サクチームと合流。店の近くでとことこ歩きながら、私を見つけてニッコリ笑うサクを見て、めっちゃかわいい~! こういう「外での出会い」って普段の3割増しよね~! と思う。
夫がカラオケの半額券を入手してきたので家族でカラオケ大会。記録を検索したらなんと1年ぶりである。
小沢健二とSMAPを心ゆくまで歌う所存
私がSMAPに入る前に夫がまさかのSMAP攻勢
息子6歳と2人で「流動体について」×2であったが、驚かされたのは夫による「強い気持ち・強い愛」 そういうレパートリーあったんやねッ
家や車でよく聴いている曲の、サクの再現力がすごい。小沢「流動体について」のほか、星野源の『恋』、椎名林檎『長く短い祭り』、ceroの「Contemporary Tokyo Cruise」。飲み物や食べ物もろとも半額なので3時間パックでまったりして、帰宅。居酒屋だったら1時間半もつかもたないか・・・な子どもも、カラオケなら長く楽しめる(親は長く飲める=もちろん飲み放題にしてましたよw)。声大きくてもいいしね。