皇室の未来を考え・・・・・ない。

(facebook投稿より)

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息子6才がごはんを食べながら(写真:タローメシ)

「ねー、いまって、なにじだい?」と聞いてきた。

「うーん。平成かな」
「へいせいって、ことしでおわるっちゃろ?」
「違う。来年、平成30年で終わる見込み」
「へいせいのつぎは、なにじだいになる?」
「わからない。来年の夏に決まるみたい」
「きまったらすぐおしえろな! おれががっこういってたら、かえってきたらすぐにな!」
「ウン(笑)」
「でも、じだいって、どうしたら かわる?」
「エッ・・・それは・・・天皇陛下ってわかる?」
「は? しらん」

6歳児の頭の中には、まだ天皇も天皇制もない(笑)。

「おるやん、あの、テレビでよく見る優しそうなおじいさんよ」
「ああ! ああ! わかった」
「あの人が、天皇をやめるんよ、もうすぐ。」
「?」
「新しい天皇になる。そしたら、時代が変わる」
「???」

説明しながら、あらためて考えてみると、天皇が変わると時代が変わるって不思議だなーと思ったね。

特例法案が成立し、200年ぶりに天皇の退位が実現する運びになりそうですね。

昨年夏の「お言葉」発表以来、関心を持って見ていますが、一般的には退位に賛成する意見こそ多けれ、それ以上の興味関心を持つ人はごく一握りだなというのがこの10ヶ月の印象です。

その夜、夫と飲みながらだらだらと雑談する中で聞いてみた。

「皇室も日本社会と同様、
 少子高齢化が進んでいて遠からず危機的状況になる。
 そこを解決しようとして、
 民進党(リベラル系)は女性宮家を創設し
 結婚後も皇族女性が皇室に留まれるようにしようとしている。
 自民党(保守系)は昭和22年に皇族離脱した11の旧宮家の中から
 皇室に復活させようとしている。さあ、どっちがいいと思う?」

夫「うーん・・・・(←特に興味がない)」
私「どっちもピンとこんやろ?」
夫「うん」


「そこで、私の案をお聞かせしましょう。
 どちらもパスして何の対策もしない!
 そして2代か3代あと、私鉄の赤字路線を廃線するように、
 人のいなくなった皇室を廃止する! どう?」


「それって・・・・共産党やないか! 
 歴史オタクのアンタからそんな案が出るとは・・・」
私「ふふふ・・・」

でもさ、それが一番現実的だったりしない?

女性宮家か旧宮家か。
という以前に、女性天皇と女系天皇の違いすら知らない人が(←うちの夫も然り)、
国民の大半なんじゃないかでしょうか。

今までは “考える機会がなかったから”、
知らない人がほとんどだったのかもしれない。
でも、あれだけ異例に、大々的に、直接の「お言葉」が発表されてもなお、
知らない人が多い現実は変わってない。
「皇室の未来を考えよう!」っていう空気にならない。

みんな興味ないんだよ。さほど。

今の天皇陛下に対して、
「いつも献身的に国民を思い、祈ってくれる」
という理由で良い印象を持っていて、
「これだけ頑張ってくれたから、希望をかなえてあげたい。
 のんびり過ごしてお体を大切に」
という理由で退位に賛成してるだけで、

天皇制とか、皇室とかについては、
特段の意見を持つわけでもない人がほとんど。
そんな状態で、「女性宮家か、旧宮家か」なんて選べるわけない。
議論のしようがないんだよ。

国民の関心がこれだけ低い。
ってことは、
天皇は国民の元首(改憲案)どころか、
国民の統合の象徴(現 憲法)ですらないのが現実ではないでしょーか。

であれば、
こんなに長く続いたものをいきなりやめますってのは
不可能だしリスクもあるだろうから、
何世代かかけて、なんとなーくフェイドアウトする方向に
もっていくのが自然なんじゃないでしょうか。

このまま何もしなければ、必然的に人数は減っていく。
もし悠仁さまが独身主義者だったり、ゲイだったり、
結婚しても男子に恵まれなかったりしたら、
そこでおしまい。

悠仁さまに男の子が産まれてその子が天皇になっても、
その子が独身主義者だったり、ゲイだったり、
結婚しても男子に恵まれなかったりしたら、
そこでおしまい。

ね。
「誰もいないからしょうがないね、廃止で」って、黙っててもそうなりそうだし、
それが一番自然なんじゃない?

あるいは、悠仁さまが
「天皇なんてまっぴらごめんだ、
 俺は一般ピーポーとして生きていきたい」
と言えば、そこでおしまいかも・・・。

70年前まで皇族だったからという理由で、
その家の息子や孫を「宮様」と尊敬できますか?

あるいは、

私はもちろん男女同権を願う者ですが、
現行の法律をわざわざ変えて女性宮家を創ってまで、
皇室を存続させていかなければならない積極的理由は何ですか?

国民はこんなに、皇室について関心が低いのに。
って、思うんですね。

もちろん皇室システムを持つことには、国内外において多くのメリットがあります。

そのシステムのいいところだけを享受しようとしているのが
「天皇中心の国」と唱える保守派なのだと、
それが「天皇は祈っていればよい」発言で現れたのが面白いところですが
つまり、皇室システムを維持するためには

皇室に生まれた人々の人権を否定しなければならない。
という、大いなる矛盾があるのですよね。

天皇が「お言葉」まで発表したというのに
他ならぬ国民がそういう矛盾を議論する気にもならないんだったら
皇室に生まれた人たち可哀想すぎるし、予算もかかるし、いっそ廃止したら?
って思ってしまう私です。

今の天皇皇后夫妻はめちゃくちゃ英明で高邁な精神を持つ人たちで
大震災やテロが相次いだ平成という時代に彼らがいたことは僥倖だったと思う、
年頭やお誕生日に発表する談話なんかを聞いてると、いつもすごいなって感心し尊敬するけどね。

あと、昨日(6/10)付の西日本新聞を読んでたら、天皇は相当前から退位したかったようだと書いてあった。
2010年には退位の希望を周囲に伝えていたようで、
あの書き方だと私の見るところ、2010年にお言葉を発表して、2013年に退位したかったんじゃないだろうか。2013年に天皇は80歳。つまり、

「天皇80才定年制」

を創出したかったんじゃないかと思う。でも当然ながら与党や官邸筋との調整がうまくいかなかった(彼らは天皇の意思を “忖度” しない 笑)。

面白いのは、天皇制って保守派の頂だけど、今の天皇自身はとてもリベラル寄りなんだよね。
だからこそ功を奏していた部分もあって、それが変わって右寄りの天皇が出現したら世の中にどんな影響を及ぼすか?という。

「天皇は官邸への不信感がすごくて、『お言葉』も恣意的に切り取られるのを警戒して、生中継で発表したがっていた」とまで書いてたよ。すげーな。ほかの新聞にも書いてあった?

 

◆余談

歴史オタクとしては「上皇」とか「仙洞御所」とかいう名称が復活するのが「うっひょー!」て感じでみなぎるんですけど、元・経理畑の人間としては、「三種の神器は贈与税の対象外」っていうのもじわじわきます。
 

卯月の二 / お手製人生ゲーム

●4月某日: 朝方、目が覚めて眠れなくなったので、小一時間もぞもぞしていたが5時に起き出してプレゼンの準備など。えーっと、2週間後に、ワークライフバランス勉強会という小さな勉強会で30分のプレゼンをすることになっているのだ。7時、だいぶ疲れた頃に、サクがトコトコ起きてきた。「ごめん、ちょっと寝かせて」と言って布団に戻る私。入れ替わりで起床する夫。

10時からランニング。肌寒い、というか、風が強い! 春だ。福岡城址へ。桜はまだ4分ってこと? でも石垣があれば全然モウマンタイ(無問題)だよねー、と思ってスマホカメラのファインダー越しに今日も見事な穴太積みを見ていたら、ふいに「熊本の人はつらいだろうな」と思って泣けた。石垣って、何百年も前から変わらず、そしてこれからもここにある、という安心感や、歴史への畏敬の念を抱かせるものだもんね。それが崩れるのを目にするって、やっぱり、精神的ダメージ本当に大きいと思う。
 
昼は、夫が作った「けんちんそば」。地鶏と野菜がたっぷり入っていておいしい。食後はサクが目をらんらんとさせる、お手製人生ゲームのお時間。

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お手製のルーレットを回して(回らないよ!要改良だよw)コマを進めていくのだが、数字のあとに書いてある 「も」は「もらう」の略。 そして、「も」の下に「●」がついているのは、「もどす」。支払ですね。基本的にお金のやりとりしかないすごろく!! 彼にとって、初・人生ゲームのエッセンスはそういうことだったのだろう・・・正しいっちゃ正しい・・・

で、ここからがびっくり!「もどす=支払」マスに止まっても、もし手持ちの財産では足りなくて支払不能のとき・・・借金になるのではなく、なんと、その額をもらえる、という息子システムなのです!! 画期的すぎる!! 銀行の財務状況が心配になります!!
 
夜ごはんは、アジの干物、けんちん汁、五目豆、ほうれん草、トマト、ブロッコリー。『直虎』13話、ムロさん劇場!!
 

夜の巷の木村拓哉

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マツコ・デラックスの深夜番組『夜の巷を徘徊する』木村拓哉ゲストの回、すごくよかった。思わずリピートしちゃった。

木村拓哉とマツコ・デラックスって高校の同級生なんだよね。なんて粋な運命なんでしょう、神様! 
たとえ当時は面識なくても、いい年になってくると、“同じ学び舎”(←とキムタク自身が言ってた)ってだけでちょっと「おーっ!(ハイタッチ)」って気分になるよね。
 
SMAPのことは全員応援してる。あの解散劇の異常さを見てしまった今、もう応援っていうのも超えた切実な気持ちに近いもんがある。彼らがもっと言いたいことを言えて、望む活動ができることを願ってる。

ドラマや映画があるからいろんなところで露出してる木村拓哉が「これからは自分ひとり」「しっかりしなきゃ」と誠実に語る声のトーンはいつも重ためで、どんなインタビュアーや共演者も、解散に関しては歯に衣着せた物言いしかできなくて、見ててつらかった。
 
そんな中でのマツコ・デラックスですよ。しかも同級生! 神様ありがとう。
シャレオツ(死語)な居酒屋みたいなとこに入って初めて乾杯する2人。「ねぇあたしこれからどうしたらいいと思う?」って、木村兄さんがこんな状況なのに自分の相談を始めるマツコ。

「俺ら普通の人間が言えないことをマツコならドーンと言ってくれる、言ってほしいと期待してる。攻撃的なものを求められてる。でもおまえだってセンシティブなわけじゃん。だからどこかで線引きしたらいいんじゃない? 別に明文化するとかじゃなくて、自分の中のルールとして」
って、木村兄さんの答え、なんという・・・!

周囲からの期待に対して、彼もまたそうやって処してきたのでしょうか。長年。
それに対するマツコの反応も超的確。
「芸能人、覚悟してるランキングで言ったら、あんたかなり上位よ」
 
夜の巷は浅草寺に向かって歩く2人。

すごく面白いのがさ、通りがかった一般人も業界の知り合いも、みーんな先にマツコのほうに気づくんだよね。マツコのシルエットは偉大だ。

道を歩いてて、ことごとく後から気づかれるっていう経験、キムタクにとっちゃ、かなりレアなんじゃない? 気づくとみんな、「!!!!キムタク!!!」ってそりゃびっくりするんだけど、ちょっとマツコと会話して自分のペース出したあとだし、マツコが場の雰囲気を作るから、みんなそれなりに喋るのよ。これ、一発でキムタクに気づいたら、そしてキムタクしかいなかったら、ひたすら絶句するしかないって人いっぱいいると思うよ。
 
傑作だったのが、それぞれ自転車に乗って通りかかった妙齢のお姉さん2人。
「マツコ姉さん!!」と、やっぱりマツコに先に気づいたあと、「木村兄さん・・・・!!」って一瞬固まったあと感激。で、この人たち、娘っこみたいにキャーキャー言うんでもなく、おばちゃんみたいにギャーギャー言うんでもなく、生キムタク遭遇の歓喜を絶妙な雰囲気で喋り続けてて面白かったんですわ。
 
 お姉さんA 「不幸のどん底だったけど超あがった!」
 お姉さんB 「生きててよかったー」
 マツコ   「ちょ、いったい何があったのよ」
 お姉さんA 「いろいろ。仕事とか、プライベートとか、もういろいろ」
 お姉さんB 「帰り、車にひかれてもいい。安心して天に召される」
 キムタク  「ちょ、死ぬなんて言葉、簡単に使うな」
 マツコ   「この人そういうの厳しいのよ」
 お姉さんA 「生きる!」
 お姉さんB 「大丈夫、あたしたち多分死なない」
 お姉さんA 「たぶん、向こう(天国)から帰される」
 
天下のキムタクにダメ出しされてもまったく動じず、天下のキムタクに会えた喜びをマイペースに語り続けるお姉さんたちw 強ぇww
 
 お姉さんA 「すっげーよかった。涙出そう」
 お姉さんB 「人生で最高の幸せいただいた」
 お姉さんA 「あたしたちいつもはあっちの道を通るんだけど、今日はなんかこっち行ってみようかって」
 お姉さんB 「もう、私たち VIVA!」
 
ビバ!!
 
ほんとにさ、道を歩いててキムタクに会えるなんてめちゃくちゃうれしいことなんだよ。人生で最高の幸せいただいたぐらいの気分になっちゃうんだよ。でもお姉さんたちはあくまで自分らのペースで喋り続けるんだよ。お姉さんたちにはお姉さんたちの生活や人生があって一生懸命生きてる。そういう人たちに「涙出そう」って言わせちゃうぐらい、間接的にずっとエンカレッジし続けてきたのがキムタクや、SMAPなんだよね。
 
なんか、アイドルでスターの仕事をずっとやってきた木村拓哉と、普通のお姉さんたち(それはもちろん視聴者の姿と重なる)との人生が、一瞬、まっすぐに等価で交わった感じがした。
 
お姉さんたちの人生最高の幸せの気持ちが手に取るようにわかりつつ、キムタクのほうもうれしかったんじゃないかと思った。ああいうリアクション見て。普段は見えにくいけど、自分たちを見てくれる人には一人一人顔があって一人一人確かな人生を生きていて、自分たちの活動はそういう人たちの力になっているんだ、って。
 
SMAPってもとより自分たちの仕事のそういう価値をすごくよくわかっている人たちで、だからこそどんなときも素敵なパフォーマンス見せ続けてくれた。ひとりよがりや自己顕示欲でできる活動期間/内容じゃないよね。スタッフやファンとのつながりがなければできないと思う。見てくれる人を大事にしていたし、見てくれる人から彼らもずっと力をもらっていた、そんな力の相互交換があったんだと思う。
 
5人そろってのパフォーマンスをどんなに望まれているかわかっている彼らにとって、今の状況はつらいだろうし、木村兄さんが自責の念みたいなものを言葉に滲ませるのもいろんなインタビューとかで聞いたけど、でも彼らは私たちにとって、道でバッタリ会おうもんなら「人生最高みたいな幸せをくれる」人なんだよね。輝ける存在なんだよね。それは変わらない。彼らがパワーをくれるから、私たちもパワーを返す。今も、これからもそうなんだよって、あのときの木村兄さんに伝わってたらいいなあ。わかってくれたんじゃないかなあ。
 
その後、2人で浅草寺の護摩の煙を浴びたり(弱ってるところ、あっためたいところに…といって、“下腹部”に煙をもっていくマツコw キムタクに“下腹部”って言わせたw そして同級生2人で老眼トークw)、おみくじ引いたら2人して凶だったり。浅草寺のおみくじは凶の割合高いっていうけどねw 
 
「凶」を見た瞬間、「ごめん、私が(運の悪い方に)ひっぱっちゃった!」とマツコが謝り、「いやでもこれ結べばいいんだよ」「こんなのたまたまでしょ」とキムタクが平然となだめ、マツコが「ったく、あんたがおみくじ引こうとか言うからよ」と最終的にキムタクのせいにする流れ、美しかったw
 
「これから俺、定期的に来ようか?巷」ってキムタクが言って終わったけど、木村兄さんあれは本気でしたよね。テレ朝さん、これを逃す手はないですよね!!

◆余談
 
・「あさイチ」のプレミアムトークでも良かった。木村兄さんは苦悩が滲んだ表情も少なくなかったけど、中井貴一からVTRメッセージがあってね。
「本当に真面目な人。僕らとは比べ物にならないくらい忙しくいろんな仕事をしてて、それでも現場に台本を持って入ってるのを見たことがない。どんな天才だとしても、努力なしでできることじゃない。これからより面白い年代になると思うので楽しんで」
 って。
中井貴一みたいに真面目な人から真面目って言われるなんて、ホントに真面目な人なんだよなあ。彼と一緒に仕事をした心ある人たちはみんなそのことに敬意を持ってる。
 
・「死という言葉を簡単に使うな」という木村兄さん。四半世紀、ずーーーーーーっと人の注目を浴びて、マスコミや一般人にあれこれ噂や詮索、批判もされてきて、それでも逃げずにずっと第一線に立ち続けてきた人の思いって、一般人には計り知れないものがあるだろうね。浅田真央ちゃんにもそれを感じるんだけど。
『華麗なる一族』で最後に自殺してしまう鉄平の役は、どんなにつらかっただろうとふと思った。

卯月の一

●4月某日: 親戚が住む直方市へ。すごく迷いながら行った。うちのナビ様、ひじょうにロートルなんだよね。でも何度も苦杯をなめさせられていながら、行く前はナビ様をまるきり信用してる楽天的な夫だw

まあ、幸い今日はすばらしい天気でドライブ日和。直方の町をぐるり周遊した感じ。遠賀川と、筑豊平野だよねえ! このひろびろとした感じ、福岡とはちょっと違う。トンビがひとしきり空低く飛んでたのでサクも車窓の風景に飽きず。到着するとすぐ昼ごはんに。おばさんの料理の数々、スゲー! 里芋のチーズコロッケとつぼみ菜の天ぷら、ばら寿司もおいしかったー。

食べ終わるとサクは従兄と暴れ始め、暴れまくるので、河原のほうに連れていく。出店もずらりと並ぶ花見の今の時期だけ、駐車料金をとっているのだが、今の時期だけなので装置とかは何もなくてボランティアのおじいちゃんが1台ずつ、丁寧に徴収していくのが何かのどか。で、出店がずらりと並んでも、まだまだ広く長く伸びる河川敷。本当に気持ちがいい。子どもを放牧するのにもぴったりだ(笑)。一画にはヤギたちが放牧・・・じゃないね、繋がれてたけど、何匹もいて、これがもう、かわゆーて、かわゆーて! ヤギをあんなにかわいいと思ったの、生まれて初めてかもしれん。相当愛でた。

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水辺館で展示を見てコーヒーを飲み、一級河川と二級河川の違いについて義父のレクチャーを受ける。

親戚の家に戻った後、息子6才はイトコやハトコのお兄ちゃんたちに混ぜてもらい、人生初の「人生ゲーム」も。衝撃の面白さだったようで、帰宅後さっそく、お手製の人生ゲーム作りに熱を入れる。「おかねを、いっぱい、いっぱいつくらないかん!!」 そして、ものすごいルール運用でゲームは展開されるのであった・・・。夜ごはんは、地鶏と野菜の鉄板焼き。サラダ。締めに焼きそば。

 

弥生の二十

●3月某日: 午前中。ミシンを出してランチョンマット作り。なんかいろいろめんどくさいことして時間かかった。あと、「おれもやる、やるったら、やりたい!」光線をびんびんに出してくるサクと交代しながらなのでw 散歩がてら、近所の桜開花チェック。緑地を走り回りジャンプし木に登るサク。

午後は、どんぐり文庫で「大きくなったねおめでとうお話会」。
冬眠から覚めたくまさんの詩とお散歩に始まり、小4の女の子とK田さんが一緒に読む絵本『うれしいさんかなしいさん』(うちにもある。超かわいい絵本)、K田さんのストーリーテリング『3びきのこぶた』、小3の女の子のウクレレ弾き語り「アイアイ」「おもちゃのチャチャチャ」、そしてみんなでたけのこじゃんけんや、お手玉をお餅に見立ててのゲームなど盛りだくさん。
うれしいさんかなしいさん

うれしいさんかなしいさん

 

 

幼稚園で一緒だった、サクの2つ上の双子ちゃんといつもここで会うんだけど、彼らの成長も著しい。彼らのお母さんは私の元上司の奥さん。上のお子さんたちのこととか、いろいろ話す。

夜ごはんは、サバの竜田揚げ、さつまいもと野菜のスープ、サラダ。夫は大分出張で、23時過ぎに帰宅。
 
●3月某日: 種をまいてからちょうど1週間。小松菜の芽が出てきました。すげーかわいい。サクもかわいいかわいい言うておる。さて、小さなプランターでどこまで育ってくれるでしょうか。
 
明日で最終回のべっぴんさん。春休みに入ってから久しぶりに視聴再開しているサク、劇中で鳥の鳴き声のSEが入るたびに「トンビだ!」とうるさいw 午前中はけっこうな雨降りで、散歩がてら、傘をさしていくつか買い物など所用を回ったけど、肌寒い・・・。facebookさんから、「あなたの1年前です」なんつって家族で花見をした写真を示されたのはもう3日も前だが・・・。
 
昼はサクと遊びがてら、焼きドーナツらしきものを作った。HMと白玉粉、半々でもっちりな感じに作る。焼き加減、要改良。体力がありあまっているサクが家の中で暴れるのに付き合っていたが、30分くらいして「これは埒があかん」と思い、雨のやんだ外に連れ出して思いきり走らせた・・・。夜ごはんは、ミートポテトグラタン、ニラ豚、トマト。五目豆。「ニラ、めっちゃおいしい!」とがっつくサク。ニラの美味しさって6歳にわかるんだなあ。
 

『おんな城主直虎』 第22話 「虎と龍」

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引き続き龍雲丸の回! とワクワクテカテカしまくってましたが、あら?意外におとなしかった。。。その意外さが面白かった!
 
ええ、おとなしいといっても、「ぎっこんばっこん」的なアレはありましたよw 『ごちそうさん』の「どったんばったん」に続いて、ファンの間では符牒になりそうですねw てかほんと、よくああいうメタファーを考えつくよな佳子さんww 演出がまたエグいw 何だ、あのSE。何だ、あの直虎ちゃんのロコツな反応w 「歯が入ったのわかりますか。じゃ、いきますよ。よっしゃ、よっしゃ(往復)」何だこれwww

こういうのはホント嫌いな人は嫌い、毛嫌いして唾棄して去っていくからさ、それでもやる!ていう作り手のこだわりだよねw

でも、メタファーが下世話すぎるだけで(笑)、それ以上の接近はなかったよね。龍雲丸は、自分の腕だけで生きてける実力を持ってるし、武家を憎悪してる割に(「武家なんてもんな泥棒も泥棒、由緒正しい大泥棒じゃねえか!」の、回想に耐える名演技っぷり!)、直虎にも但馬たちにも一応腰を低くするし、無用なトラブルを避けようとする。いったん請け負った仕事をちゃんとこなすのとは別に、直虎個人に対してはそれこそ露骨に「自由にやりましょうよ!」なんつってグイグイくるのかなーって思ってたから意外だった。ほんと、お酒を煽りながら「細っこかったなあ・・・」ってニコニコしてる龍が無邪気すぎて、大輔(@まれ)よりよっぽどマトモである。

なんといっても、鶴のバックハグと龍のバックスタイル(爆)が重ねられるとは! 龍を武家の子として、「連れ戻されることのなかった鶴」に見立てるとは。そうくるか!と驚きだった。

そして、「己を捧げる」と言ってくれた鶴が寄越してくれた形代ではないかと乙女っぽい想像を巡らすも、そこで出て来るしのさんの身も蓋もない回想w あれが、あの場で終わりなのではなくまた出て来るとはwもうホント最高ww そうなの。いったん冷や水ぶっかぶったことのある直虎は、そういう意味でトウの立った女なんだよね。でも、実際にはまだ乙女なわけで・・・というか、何度でも夢を見て何度でも破れるのが人間ってやつで・・・。
 
ぎっこんばっこんに驚くにしても、もっと純情なリアクションだっていいし、「自分を守ってくれる男にずっとそばにいてほしい」という孤独な姫領主さまの本音にしても、もっと淋しげに、頼りなげに洩らされたっていいのです。でもこのドラマは乙女ゲーじゃないからそうはならない。男の肉体を感じた直虎は不格好にあわてふためき、「ずっとそばにいてほしい」じゃなくて「我のものになれ」と言う。しかも、見苦しく酔っぱらってわめく。「どこぞに子でもおるのであろう」の哀しさよなぁ・・・。
 
体が合わさってドキドキすることや誰かを欲しいと願うことの、無様で哀れな面が描かれる。「人は等しく卑しい」その先にあるものはどう描かれるのか。
 
にしても、バック&バックという連続は、いつか正面からのハグがあるっていう布石にしか見えませんな! それは龍なのか、鶴なのか、はたまた他の誰かなのか。
 
んで、そんな、不格好で見苦しい直虎を思っている但馬という男がいてだなー!
twitter見てたらいまだに政次を「不憫」と見る向きもあるようだけど、政次って不憫じゃなく不器用ですらなく愚かだよねwと思う私だ。いや、愚かじゃない人間なんていないのだ。森下ワールドには、多分。愚かのベクトルがそれぞれ違うだけで。「等しく卑しい」世界だから。
 
龍雲党を雇い入れたいという直虎の言葉は映像化されず、天を仰いで呆れかえってみせるという政次のリアクションから始まるw こういうのに代表されるように、今作の高橋一生はけれん味あふれすぎてて、もうちょい王道な時代劇芝居も見たいなーと思うんだけど、それ今CSか何かでやってるんだよね、「風林火山」で。くーっ。駒井高白斎。今こそ再びみたいぞ、高橋 “駒井” 一生と、亀ちゃん “お屋形さま” 晴信が相対するお芝居。
 
閑話休題。「つながりを保ちたいのは殿だけではありますまいか」と正しすぎる諫言をするのが政次なんだけど、直虎はいつもそこから自分なりの答えを見つけてゆくのだよね。「遠くから見るから、恐れや思い違いが起きる。互いに近づけば、それも解ける」。龍雲党に肩入れする直虎は一見、私心で動くおろかな領主に見えるけれど、真理に近づいていく。そしてまた仲間を増やす。振り払うすべのなかった火の粉から学ぶのではなく、我欲がきっかけでがむしゃらに動いて得るのがポイントだ。
 
それを見て去ってゆく但馬という男のちっちゃさな! 龍雲党の件を聞いた当初、直虎には大げさに天を仰いで見せ、龍雲丸には慇懃に笑って足を立てかけた。どちらも慇懃無礼な中に余裕をにじませていたつもりだったろう但馬タン、最後は悄然と塒に帰るわけです。「くだらないぞ、但馬」って、自分でわかってるところがせめてもの救いでしたw ほんと、くだらないぞ但馬w って、何だその咳は!?(予告)
 
あのさ、直虎が上座にいて、之の字&六左がいて、方久がいたりいなかったり、政次がいたりいなかったりという、評定になってるのかなってないのか・・・ていう、井伊家の表座敷の場面がよくあるでしょう。私、ああいう場になるたびに、「この大河ガンバってんなあ」と思うんだよね。
 
大河ドラマといえば、主役あるいは花形/重鎮俳優がデーンと上座に座り、左右にズラーッと臣下を従える絵柄が鉄板だもんね。何よこのポツン感は、と。去年のちっぽけな真田家だって、草刈正雄と堺雅人と大泉洋だったわけで。柴咲コウと矢本悠馬と田中美央とムロツヨシ、よくて高橋一生だもん*1。そりゃ視聴率上がらんわ。でも、なにかとても核心をつくことをやっている。社会と政治をじっと見つめて描いている作品だ。
 
「拾われ子が仲間を増やしたのが井伊家」であり、直虎が今、中興の祖としてそれを繰り返しているならば、龍雲丸もまた似ている。武家の子に生まれて、捨てられたような龍が、同じようにはぐれ者たちを集めて率いている。龍雲丸も見た目ほど自由じゃないんだな、と今回思った。手下たちを殴ることはできても、それだけでは求心力は保てない。配下の者たちに責任があるという意味では彼も直虎と一緒だ。
 
「我のものになれ」も「井伊に仕える気はないか」も「ぎっこんばっこん」も2人の自由意思だけではままならないんだね。切ない。龍は鶴であり、また直虎でもあるというのが今回だった。となると、鶴タンとはどういう関係性が描かれるのでしょーか。
 
さて、今回もかわいい之の字。「文句があるなら殿に言うてくれ!」2連発。もう、怒れば怒るほどかわいいんだけど! 猪という共通の敵に向かったカジたちと八助たちが、共通の敵そのものは仕留められないまま打ち解けたのは、先週の直虎&しのと同じだね。
 
村人たちに慕われ尊敬されてるのは本当でも、ちゃんとダメ人間されてる和尚様も面白かったw 「和尚がやったってことでいいじゃないか」の一言のインパクトよw 
 

*1:役者をdisってるわけじゃないです。皆さん大好きです。作り手にも見込まれた役者さんたちだと思う。でも世間一般からしたら、知名度とかはね…って話です

弥生の十九

●3月某日: 家具の角っこでしこたま頭をぶつけて泣いた。私が。さっそく、サクの「びょういん」に連れていかれる。ちょうど昨日、ダンボールとティッシュやら何やらで制作されていた病院コーナーに、それまでは「あー、包丁で指を切りました」とか架空の怪我をこしらえて通っていたのだが、今回は本物の傷だ。「血、出てない?」と聞くと、「でてない。でてないけど・・・めっちゃあかくなっとうー! あかいー!」と興奮するサク。頭皮が充血していたのでしょうか? 「なんかなきそうになってきたー」と涙目になりつつ、「ちりょうセット」で薬ぬって包帯的なのとかしてくれたw 
 
午後から公園へ。幼稚園のクラスの子たち、10人くらいで入れ替わり立ちかわりしながら遊ぶ。そのお兄ちゃんお姉ちゃんや弟妹達もいて賑やか。誰かが泣いたり、おやつ食べたり、トイレに連れてったり、その間あかちゃんを抱っこしたり。

帰宅後、急いで準備してバスに乗る。
春休みのおかーさんはがんばっている。
年度末のおとーさんもがんばっている。
コドモもいろいろがんばっている。
 
……てなわけで、みんなを労おう的な意味でビュッフェ in ヒルトンシーホークホテル with 半額チケット(笑)。美味しかったー。サーモンとか海老とかキャベツのアンチョビソースとかタンドリーチキンとか、めっちゃ美味しかったー。ワインも超おいしかったー。私、約20年前から、トルティーヤチップスにサルサソースをつけると半永久的に食べ続ける病気でしてね。左手にチップス、右手にグラスって感じの永久運動に陥る・・・。

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●3月某日: 眠い! 午前中のんびり。ちょうど、Eテレで『JAPANGLE』を3つ、一挙放送してたのを途中からサクと一緒にガン見したり。「公衆トイレ」「すし」「マンガ」という日本の文化をセンス良くでも誠実に表現する番組。一歩間違えると「日本マンセー」的な閉鎖的で近視眼的なやつになっちゃうところ、気持ちよく見られたのはさすが『デザインあ』のチームが手掛けただけある。博士と助手のパペットの声が、笹野高史と杏だった。

午後は幼稚園へ、卒園式の写真展示を見に行く。実際にその場で見た通り、サクの写真がどれも立派。親ばかではない! どの写真を見ても、立ってても座ってても姿勢が良く、キリッとしてる。こういう真面目さは彼のいいところなんだよね。クラスの子たちも何人か来てて、1時間ほど遊んで帰る。

そう、今日は初めて、サクは自分の自転車に乗って幼稚園に行った。かなり起伏のある道だということを、徒歩以上に実感したようです。そうなの。母ちゃん3年間がんばったよ、人力自転車で。夜ごはん、ハンバーグ、五目豆、サラダ、味噌汁。家で作って食べるハンバーグって美味しいよね。男子たちに好評。
 

『恐怖の地政学 ーーー 地図と地形でわかる戦争・紛争の構図』

 

恐怖の地政学 ―地図と地形でわかる戦争・紛争の構図

恐怖の地政学 ―地図と地形でわかる戦争・紛争の構図

 

 

新聞の書評欄で紹介されていたのがきっかけで読んだ本。面白かった。「だめだこりゃー」って気分になってしまう面もあるのだけど、面白かった。
 
世界各地に紛争やわだかまりや緊張状態がある。それら様々の問題が、問題として存在し続ける理由。新たな問題が発生する理由。解決が困難な理由。それらの理由としては、長い歴史的経緯があったり、将来への(自分の国や民族、宗派を第一に考えた自己中心的な)戦略があったりする。そして、そんな歴史的経緯や将来への戦略の中において、「地理的要因」がどれほど重大か。
 
・地形による制約は、大国であろうと小国であろうと、あらゆる国に存在する。地形はその国の指導者を支配し、想像以上に選択肢を奪い、軍の作戦範囲を狭めるのだ。
 
地政学とは、おおまかにいうと、国際情勢を理解するために地理的要因に注目する学問である。地理的要因には、自然の要害となり得る山脈や川筋のつなありといった物理的な地形はもちろん、気候や人口統計、その土地固有の文化、天然資源の埋蔵量も含まれる。こうした要素は、政治的、軍事的戦略から、言語や交易、宗教に至るまで、人類の文明のさまざまな局面に重要な影響を与える可能性があるのだ。
 
たとえば、この本ではアメリカを「地形によって運命づけられた史上最強の国」と評する。大きく広がる肥沃な土地。広大な流域をもち、大洋へ注ぐまでの長距離を穏やかに流れる天然の水路、ミシシッピ川。国の東西は大洋で、北部にはカナダ楯状地が広がり、南はリオグランデ川そしてメキシコの砂漠。敵が攻めあがれる地形ではない。このように、緩衝地帯や後背地を持っていることを地理上の「戦略的深み」と本書では呼んでいる。
 
同様に、ロシアには西にウラル山脈、南に黒海、北には北極圏という「戦略的深み」がある。初期のロシア、すなわちモスクワ大公国の時代は、周囲には山も川も砂漠もなく、四方が平地だった。1533年に即位したイワン雷帝が、版図を広げることによって後背地や緩衝地帯を手に入れたのだ。中国においては、チベットやウイグルがそれにあたる。チベット・ウイグルはそれだけでなく、主要な陸上交易ルートであり、経済市場でもある。政府が投資した工場の市議とを目当てに、今では漢民族が住民の多数を占めているという。「中国はこれらの地区を決して手放さないだろう」と著者は書く。
 
それでは、地政学的に見て日本はどうかというと、やはり大陸から離れた島国であることが一番の特徴だ。
 
日本とユーラシア大陸の距離はもっとも近い地点でも193キロ。モンゴルの襲来を対馬海峡の暴風が退けたように、西と北西側からの脅威は限定的で、南東と東側には太平洋しかない。それが理由で日本は他国の侵略を受けたことがなかった。
 
国土は朝鮮半島よりも広く、ヨーロッパで言うならドイツより広いが、国土の四分の三、とくに山岳違いは居住地には向かず、集約農業に適した土地もわずか13%。そのため日本人は海岸平野と限られた内陸部に密集して暮らしている。
 
著者がまとめる20世紀初頭から現代にいたるまでの日本の百年の歴史は、わずか4ページほどだけれどみっちりと密度が濃く読みでがある。「外国の研究者が分析する日本の歴史」にはこういうものがあるのか、とある意味その客観性に瞠目・納得させられる。
それらをもっと縮めてまとめると、いわく、
 
日本は朝鮮半島における中国やロシアの覇権を阻止するために、日清・日露を戦った。さらに、半島と満州を支配すれば石炭と鉄鉱石も手に入る。日本は先進工業国に必要な天然資源が著しく乏しい国なのだ。大日本帝国が拡大すると、さらなる原油と石炭、金属やゴムが必要になり、ヨーロッパ列強が足下の戦争(第2次大戦)に気をとられている隙に、インドシナ半島北部に侵攻。アメリカに「原油の輸出停止」と最後通牒を渡されると、真珠湾攻撃で答えた。
 
そのとき、日本の地形が広島と長崎の原爆投下決定に大きな影響を与えた。沖縄戦では米軍も大きな犠牲を出した。もし日本の地形が単純で進軍が楽だったら、アメリカは東京へ向かって攻め上がる選択をしていたかもしれない。しかしそれが無理だったので核兵器を選択した。これは世界中の人々の良心に訴えかける出来事となった。
 
日本は全面降伏し、軍事力をもたない憲法を備えたが、「自衛隊」は数十年間、日本軍のまがいものとして存在し続けている。憲法の柔軟な解釈が当たり前になり、徐々に日本の自衛隊は戦闘部隊へ変わりつつある。アメリカも、台頭目覚ましい中国への対抗を筆頭に、太平洋地区の軍事同盟の必要性のため、日本の再武装を簡単に受け容れた。21世紀に入り、日本は自衛隊が海外で同盟国と共に戦えるよう防衛政策を変更し、法的根拠を与えるために改憲も見据えている・・・・。
 
日本は、地政学的要因によって長い歴史の中で独立を守り、やがて地政学的要因によって外洋に飛び出し、地政学的要因によってあれだけの空襲と原爆投下を受けた。そして今また地政学的要因によって軍備を拡大しているのだと。

アメリカやロシアなど、大国が「戦略的深み」を持っているのに対し、アフリカやラテンアメリカ、中東などはそれがないのが弱さ。アフリカの陸地の大半はジャングルや湿地、砂漠、険しい崖がそびえる大地で、農業にも放牧にも向かない。また、暑さや劣悪な住環境がマラリヤや黄熱病など死に至る病気をもたらしてもきた。ラテンアメリカにも似た事情があり、各国の都市は沿岸部に集中して、内陸部は山岳地帯も多く、隔絶されている。どこの海岸線にも十分な深度の天然港がなく、交易に限界がある。

このように地政学的に弱い地域に対して、先に発展した強国はどんどん進出し、利用した。アフリカの地図を見ると、今でも直線が多い。その線を引いたのはヨーロッパ人だ。
いまも多くのアフリカ人は、ヨーロッパ人がつくった政治地理学の奴隷であり、発展を妨げる自然の障害に拘束された囚人だ。
 
中東ではこれにイスラム教など様々な宗派の歴史や思想も絡む。オスマン帝国が衰退しはじめると、1916年、イギリスとフランスは中東の地図に線を引いて支配した。ヨーロッパ人による植民地支配の結果、アラブの人々は国民国家を押しつけられ、自らが属する宗派や部族を身びいきする独裁者に支配される。インドとパキスタンの長年の確執、そしてアフガニスタンの問題にもアメリカやロシアをはじめとする欧米が大きく関与してきた。歴史とは、強いものが弱いものを利用し蹂躙してきた年月のことなのだなとつくづく思う。

こうして世界各地の状況を歴史的・地理的経緯も含めて見てみると、「そりゃ紛争も長引くわなあ、弱い国は強くなるために何でもしようとするわなあ、自分たちもされてきたんだもんなあ・・・」とひどく納得がいくかわりに、「だめだこりゃ」って気分にもなる。解決なんてできっこない。

朝鮮問題も、そりゃ先延ばしになってきたわけだ・・・と思うし、中国がやたら南シナ海で活動したりすると日本人としては「何いらんことやってんだよ」て感じを受けるけど、彼らにはそういた行動に至る確固たる理由がある。それは欧米が、世界のいたるところでやってきたことでもあるのだ。もちろん、20世紀前半の日本も同様で。

だからといって、「しょうがないよね」で済ませることではもちろんない。絶対に破局は避けなければならない。無辜の人々が犠牲になっている現実にNOを言わなければならない。そして、なぜこうなったのか、何が起きているのか、事実を知らずに「争いをやめましょう、平和が一番」とお題目だけ唱えていても何の足しにもならない。やっぱり知らなければいけないのだ。

本書の末尾にこんな一節がある。
 
科学技術が地形の牢獄から私たちを救い出した例がいくつもある。たとえば、私たちはかつて想像さえできなかったスピードで砂漠や海を横断することができる。地球の重力という足枷からも自由になった。(中略)しかし私たちは重力の足枷からは自由になっても、いまだに自分自身の精神や記憶に囚われ、「よそ者」への猜疑心に縛られ、天然資源をめぐる競争に巻き込まれたままだ。
 
結局、克服するためには、気が遠くなるようでも、小さな足下からということでもあるんだと思う。その足下の一歩が、こういった資料に接して「知る」ことなのだろう。
 

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弥生の十八

●3月某日: 午前中、ランニング6km。今日はちょっと冷えてるかな? でも気持ちいいラン。川沿いを走ると鳥がいろいろいて、サクばりに目をこらしてしまう。昼ごはんに夫が作ったちゃんぽんがなんかすごく美味しかった。ちゃんぽんラブ。なにげに久しぶりだったからかも。

午後はサクの入学式のお衣装を調達にいく。うむ。非常にコスパが良いものを入手した。帰宅後に一式試着して、ものすごくうれしそうなサク。「ランドセルもからって(しょって)みる!」「しゃしんとっていいよ」う、うんw てか、この人、1日中めっちゃ元気。わきあがってる。いいことだが。夫に、「1日、子どもといると、疲れるやろ? 子どもの相手しながら家事したらもっと疲れるやろ?」とアピールする。

夜ごはんは、アジの煮つけ、味噌汁、サラダ。
 
その後、「鳥の鳴き声大会 presented by サク」が開催。
1から3までの番号札が回答者に配られ、問題ごとに、鳥の鳴き声ボードと、3種類の鳥の絵が描かれた紙がセットされている。太いマジックで「チュチュン」と書かれたボードを見せられた後、「これは何の鳥の鳴き声でしょう。1、ハクセキレイ 2、シジュウカラ 3、オオルリ」と、それぞれの絵が描かれたフリップを出されて、それぞれが番号を挙げる、という・・・。「直虎」12話。次郎が直虎になったー!
 
●3月某日: サクは夢の内容をちょくちょく語る子。今朝は、「幼稚園でみんなでパーティをしていたらゴジラがきて、逃げ回った」と言うので、めっちゃ怖いな!と思って聞いてたら、「逃げ回ってるうちにだんだん小ちゃくなって、誰かが踏んづけて倒した」と言うスッキリする結末。逃げ回ってるのも、子どもたちじゃなくてゴジラだったらしいw 
 
手帳のリフィルを買いに、天神ロフトへ。上の階で化石(のおもちゃ)やシュライヒの動物フィギュアを見るサク。アニメ系(刀剣とかユーリとか)のおもちゃの横を通るときは、「これは、子どもにはちょっとむずかしい」と言うw 久しぶりにマクドナルドを食べてご満悦。さあ帰ろうかと電車に乗る前に「本屋に寄る?」と聞いてみると、ことのほか熱心に立ち読みするサク。絵本コーナーと背中合わせの棚が、センスある収納やら生活術やらのコーナーで、私はそちらを立ち読みして、ちょっと心を新たにしました。ちょっとだけ。
 
帰宅すると、ロフトで買ったnano blockの制作を開始するサク。ものの20分ほどで上手に出来上がっていて、なんか・・・なんかな・・・値段の元がとれてないような・・・w レベル1、セキセイインコを買ったんだけど、「おれ、レベル3くらいつくれるかもしれん」と言うサクであった。夜ごはんは、鶏とブロッコリーなどのクリーム煮、ミネストローネ、ほうれん草ごまあえ。
 

弥生の十七 / 東京から来た若い人と会う

●3月某日: サクと夫は歯医者のち大濠公園へ。おにぎりを握って持って行っていた。私はひとりで天神へ。以下、facebookの投稿から転載
 
 
この週末、知人の紹介で、東京から来た若い人と会ってお話する機会がありました。
お名前は出せないけれど、安保法案が成立するまで、国会前に集まってデモやスピーチなど、さまざまなアクションをしていて、今でも市民運動にかかわっている人です。
 
その人と会うにあたって、紹介してくれた知人Iさんから、
「エミさんは特定の団体に所属して運動などをしているわけではない。
 なのに、なぜ今、社会の動きに対してネットやSNSで発信しているのか?
 いま社会に対してどんなことを考え、どうアプローチしていこうと考えているか?
 今般、福岡に行く若い人に、お話を聞かせていただけたら」
と言われました。

確かに時々、思い立ったら政治や社会のことを書いているし、
勉強したいと思ってお金を払って通信で学んだりもしてる。
「ママじゃない私ポートレート」も、趣味全開の企画とはいえ、ネットで公開していることを思えば、社会に対する発信といえなくもないかも・・・?

私にとっては、どれも自然な成り行きでやってることだし、活動といえるほどの活動じゃないと思ってるけど、自分について考えるよいきっかけになりました。

そしてそして、しろうとインタビュアー活動を3年間満喫してきた私ですから、元・・・ズの(あ、いっちゃった)メンバーに会って話を聞けるなんて・・・もう、好奇心がはちきれます!

あのね、想像よりもクールな印象だった。
熱いくらいにポジティブだったり、むこうみずなくらいのパワーがあふれるイメージを勝手に想像していたのだけど・・・。
話していても、むしろ、冷めているというか、悲観的なくらいのスタンスに見えました。

でも、その「平熱」感が、安保成立までの熱狂(facebookも相当過熱してましたよね)のあとも燃え尽きず、世間からのバッシングや冷笑にも折れず、今も地道に活動を続けられる静かな力の源泉なのかもしれない。

いろいろ質問して、話を聞いて、本当に面白かったんですけど、ネットには書かないほうがいいと思うので、興味のある人は直接、私に聞いてください。というか、聞かれもしないのに、私がべらべら喋るかもしれませんがすみません(笑)。

とにかく思うのは、物事を変えてゆく人・変えようと努力する人は、やたら叩かれたり、冷たい目で見られるということです。

既存のシステムに乗っかって世渡りしたほうが楽で、賢くて、安全。乗っかってるという認識すらせず、無意識に適応してる人間のほうが多いんじゃないかな。
でも、変わり者扱いされ愚か者と指をさされても、おかしいと思うことにはおかしいと声を上げ、変えるために奔走し、粘る人たちがいたから、変わってきたこともたくさんあるんだろうなあ・・・と思います。

逆に、「もの言う人」「行動する人」が誰もいなくなったとき、世の中が破局に向かって転がり落ちるのは歴史が証明していますよね。

だから、この若い人のように、行動する人の存在が「希望」なんだろうなあと思いつつ、そういう人たちが容易には報われそうにない現状を思い、ちょっとため息も出る。はぁ。

さて、その若い人を紹介してくれた知人Iさんと私が知り合ったきっかけは、なんと大河ドラマ。
私は毎週まいしゅう、「どんだけヒマなの?」ていう勢いでブログに暑苦しい感想を書き綴り続けているのですが、Iさんが4年前(『平清盛』のころですよ!)、そのブログを目に留めてくれたのがきっかけで意気投合するに至ったというか。
一見、非生産的なオタク行為も、こうやって時にすばらしい出会いや機会を運んでくるのです(笑)。

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そうです、知人のIさんとは、このブログのメールくれくれ企画でメールをくださった方です!

さて、若い方と別れたあとは入学グッズ制作用の布地なんかを選んだり、10%引きフェアをやってる無印で買い物したりして、5時に夫&サクチームと合流。店の近くでとことこ歩きながら、私を見つけてニッコリ笑うサクを見て、めっちゃかわいい~! こういう「外での出会い」って普段の3割増しよね~! と思う。

夫がカラオケの半額券を入手してきたので家族でカラオケ大会。記録を検索したらなんと1年ぶりである。





家や車でよく聴いている曲の、サクの再現力がすごい。小沢「流動体について」のほか、星野源の『恋』、椎名林檎『長く短い祭り』、ceroの「Contemporary Tokyo Cruise」。飲み物や食べ物もろとも半額なので3時間パックでまったりして、帰宅。居酒屋だったら1時間半もつかもたないか・・・な子どもも、カラオケなら長く楽しめる(親は長く飲める=もちろん飲み放題にしてましたよw)。声大きくてもいいしね。