『おんな城主直虎』 第22話 「虎と龍」

f:id:emitemit:20170109220807j:plain

 

 

引き続き龍雲丸の回! とワクワクテカテカしまくってましたが、あら?意外におとなしかった。。。その意外さが面白かった!
 
ええ、おとなしいといっても、「ぎっこんばっこん」的なアレはありましたよw 『ごちそうさん』の「どったんばったん」に続いて、ファンの間では符牒になりそうですねw てかほんと、よくああいうメタファーを考えつくよな佳子さんww 演出がまたエグいw 何だ、あのSE。何だ、あの直虎ちゃんのロコツな反応w 「歯が入ったのわかりますか。じゃ、いきますよ。よっしゃ、よっしゃ(往復)」何だこれwww

こういうのはホント嫌いな人は嫌い、毛嫌いして唾棄して去っていくからさ、それでもやる!ていう作り手のこだわりだよねw

でも、メタファーが下世話すぎるだけで(笑)、それ以上の接近はなかったよね。龍雲丸は、自分の腕だけで生きてける実力を持ってるし、武家を憎悪してる割に(「武家なんてもんな泥棒も泥棒、由緒正しい大泥棒じゃねえか!」の、回想に耐える名演技っぷり!)、直虎にも但馬たちにも一応腰を低くするし、無用なトラブルを避けようとする。いったん請け負った仕事をちゃんとこなすのとは別に、直虎個人に対してはそれこそ露骨に「自由にやりましょうよ!」なんつってグイグイくるのかなーって思ってたから意外だった。ほんと、お酒を煽りながら「細っこかったなあ・・・」ってニコニコしてる龍が無邪気すぎて、大輔(@まれ)よりよっぽどマトモである。

なんといっても、鶴のバックハグと龍のバックスタイル(爆)が重ねられるとは! 龍を武家の子として、「連れ戻されることのなかった鶴」に見立てるとは。そうくるか!と驚きだった。

そして、「己を捧げる」と言ってくれた鶴が寄越してくれた形代ではないかと乙女っぽい想像を巡らすも、そこで出て来るしのさんの身も蓋もない回想w あれが、あの場で終わりなのではなくまた出て来るとはwもうホント最高ww そうなの。いったん冷や水ぶっかぶったことのある直虎は、そういう意味でトウの立った女なんだよね。でも、実際にはまだ乙女なわけで・・・というか、何度でも夢を見て何度でも破れるのが人間ってやつで・・・。
 
ぎっこんばっこんに驚くにしても、もっと純情なリアクションだっていいし、「自分を守ってくれる男にずっとそばにいてほしい」という孤独な姫領主さまの本音にしても、もっと淋しげに、頼りなげに洩らされたっていいのです。でもこのドラマは乙女ゲーじゃないからそうはならない。男の肉体を感じた直虎は不格好にあわてふためき、「ずっとそばにいてほしい」じゃなくて「我のものになれ」と言う。しかも、見苦しく酔っぱらってわめく。「どこぞに子でもおるのであろう」の哀しさよなぁ・・・。
 
体が合わさってドキドキすることや誰かを欲しいと願うことの、無様で哀れな面が描かれる。「人は等しく卑しい」その先にあるものはどう描かれるのか。
 
にしても、バック&バックという連続は、いつか正面からのハグがあるっていう布石にしか見えませんな! それは龍なのか、鶴なのか、はたまた他の誰かなのか。
 
んで、そんな、不格好で見苦しい直虎を思っている但馬という男がいてだなー!
twitter見てたらいまだに政次を「不憫」と見る向きもあるようだけど、政次って不憫じゃなく不器用ですらなく愚かだよねwと思う私だ。いや、愚かじゃない人間なんていないのだ。森下ワールドには、多分。愚かのベクトルがそれぞれ違うだけで。「等しく卑しい」世界だから。
 
龍雲党を雇い入れたいという直虎の言葉は映像化されず、天を仰いで呆れかえってみせるという政次のリアクションから始まるw こういうのに代表されるように、今作の高橋一生はけれん味あふれすぎてて、もうちょい王道な時代劇芝居も見たいなーと思うんだけど、それ今CSか何かでやってるんだよね、「風林火山」で。くーっ。駒井高白斎。今こそ再びみたいぞ、高橋 “駒井” 一生と、亀ちゃん “お屋形さま” 晴信が相対するお芝居。
 
閑話休題。「つながりを保ちたいのは殿だけではありますまいか」と正しすぎる諫言をするのが政次なんだけど、直虎はいつもそこから自分なりの答えを見つけてゆくのだよね。「遠くから見るから、恐れや思い違いが起きる。互いに近づけば、それも解ける」。龍雲党に肩入れする直虎は一見、私心で動くおろかな領主に見えるけれど、真理に近づいていく。そしてまた仲間を増やす。振り払うすべのなかった火の粉から学ぶのではなく、我欲がきっかけでがむしゃらに動いて得るのがポイントだ。
 
それを見て去ってゆく但馬という男のちっちゃさな! 龍雲党の件を聞いた当初、直虎には大げさに天を仰いで見せ、龍雲丸には慇懃に笑って足を立てかけた。どちらも慇懃無礼な中に余裕をにじませていたつもりだったろう但馬タン、最後は悄然と塒に帰るわけです。「くだらないぞ、但馬」って、自分でわかってるところがせめてもの救いでしたw ほんと、くだらないぞ但馬w って、何だその咳は!?(予告)
 
あのさ、直虎が上座にいて、之の字&六左がいて、方久がいたりいなかったり、政次がいたりいなかったりという、評定になってるのかなってないのか・・・ていう、井伊家の表座敷の場面がよくあるでしょう。私、ああいう場になるたびに、「この大河ガンバってんなあ」と思うんだよね。
 
大河ドラマといえば、主役あるいは花形/重鎮俳優がデーンと上座に座り、左右にズラーッと臣下を従える絵柄が鉄板だもんね。何よこのポツン感は、と。去年のちっぽけな真田家だって、草刈正雄と堺雅人と大泉洋だったわけで。柴咲コウと矢本悠馬と田中美央とムロツヨシ、よくて高橋一生だもん*1。そりゃ視聴率上がらんわ。でも、なにかとても核心をつくことをやっている。社会と政治をじっと見つめて描いている作品だ。
 
「拾われ子が仲間を増やしたのが井伊家」であり、直虎が今、中興の祖としてそれを繰り返しているならば、龍雲丸もまた似ている。武家の子に生まれて、捨てられたような龍が、同じようにはぐれ者たちを集めて率いている。龍雲丸も見た目ほど自由じゃないんだな、と今回思った。手下たちを殴ることはできても、それだけでは求心力は保てない。配下の者たちに責任があるという意味では彼も直虎と一緒だ。
 
「我のものになれ」も「井伊に仕える気はないか」も「ぎっこんばっこん」も2人の自由意思だけではままならないんだね。切ない。龍は鶴であり、また直虎でもあるというのが今回だった。となると、鶴タンとはどういう関係性が描かれるのでしょーか。
 
さて、今回もかわいい之の字。「文句があるなら殿に言うてくれ!」2連発。もう、怒れば怒るほどかわいいんだけど! 猪という共通の敵に向かったカジたちと八助たちが、共通の敵そのものは仕留められないまま打ち解けたのは、先週の直虎&しのと同じだね。
 
村人たちに慕われ尊敬されてるのは本当でも、ちゃんとダメ人間されてる和尚様も面白かったw 「和尚がやったってことでいいじゃないか」の一言のインパクトよw 
 

*1:役者をdisってるわけじゃないです。皆さん大好きです。作り手にも見込まれた役者さんたちだと思う。でも世間一般からしたら、知名度とかはね…って話です