弥生の十六 / たねをうえる
昼前、友だち親子と一緒にパン屋さん巡り。割と新しいパン屋さんが2軒できているのを教えてもらった。それぞれ特色がある。最後に子どもたちが大好きな甘めのパンを売っているところにも寄って、パン屋の3社参り完了。子どもたち、道端の草花を摘んで集めて、花束を作ってた。かわゆいのう。友だちのおうちにお邪魔して一緒に食べる。
食べ終わるとこうえんいきたいいきたい言う子どもたちをなだめながらコーヒーを飲んでから、行く。友だちのママは赤ちゃんねんねのため私が見てる。もうそろそろ、子どもだけで行かせてもいいのかなー?と思うけど一応ついていく。で、成り行きで子ども対大人(私ひとりだが)でかけっこ対決したり・・・。ランニングでふくらはぎには耐性があるけど、何本もダッシュすると、太ももが筋肉痛になりますね>翌日以降
夜ごはん、豚とブロッコリーの中華炒め、カツオ菜とオイルサーディン炒め、大根の煮もの。
ミシン・・・・確実に、中学時代の家庭科以来だと思う。20数年ぶり。えーっと、下糸かけて、上糸かけて・・・・おっ、できました! 試し縫い成功。ほっ。いっちょまえに一緒に説明書を読んで、横からやいのやいの言うてた6歳児も当然やりたいやりたい言うので、やらせてみた。できました。うむ。
子どものやる気はまだまだ続き、次はしばらく前から言っていた「やさいを うえたい」を実行する運びに。私は植物を育ててほっこりするタイプではなく、むしろベランダに洗濯ものを干す以外の用事では出ないような人なので、プランターの用意もなく、買いに行ったのは100円ショップです。土を買い、肥料も買い、鉢底の石まで買おうとしたが、「いしは、ひろえばいい」と子どもが主張するので道々、石を山ほど拾いながら帰る。こういう石でいいのかよくわかんないけどまあいいや。
畑をやっている義父に電話をさせて、何を植えればよいか相談する。やはり葉物がいいだろうとのことで、しかし私の母も義父も口をそろえて「種は難しいよ。苗を買いなさい」とのことだけど、子どもは種から芽が出るってとこから見たいんだよね。まあ失敗してもいいしね、ってことで小松菜の種を購入。
幼稚園で何度か畑をやったサクは植え方を心得ていて、まず土に肥料を混ぜ、土の表面に指でつーーーーっと線を引いて、そこにパラパラと種をまいたあと、そっと土をかぶせていた。それなりに育ってくれればいいのですが。夜ごはんは、鶏もも肉と野菜のグリル、カツオ菜&小松菜のオイルサーディン炒め(昨日のがすごく美味しかったので2日連続で作った)、きゅうり&レタス。夫は飲み会。
『おんな城主直虎』 第21話 「ぬしの名は」
腰の入った森下佳子節の連続に目がくらむような45分であった。たまらない。#おんな城主直虎
「だからなんであそこはあんたの土地と決まってるんだよ?」
「それは鎌倉の公方様から任されたから」
「だからそいつが泥棒の始まりだろ?」
武家なんてのは、泥棒も泥棒。何代も続いた由緒正しい大泥棒じゃねえか!
泥棒から泥棒をし返してるってわけだ。あんたらに比べればかわいいもんだ。
「泥棒から泥棒をし返す」という、争いごとの起源。
4/29 毎日新聞 「開かれた新聞委員会」森友学園を思想問題から / 政府の情報取り扱い問題など
4/29毎日 #新聞 紙上、「開かれた新聞委員会」メモ。出席者は鈴木秀美・吉永みち子・池上彰・荻上チキと毎日新聞社社員たち。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年5月2日
社員「森友学園を教育勅語の暗唱など一種の「思想」問題として捉えてみたい。世界的な排外主義、自国第一の風潮とも共通するものがあるのでは」→
→#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年5月2日
吉永「憲法改正や安保法制など一連の流れの中にあると思う。教育勅語は「国民は国に命を捧げよ」という思想の下に行われたと説明しても危機感を伝えられない。時代が変化し、閣僚が大勢関わっている。かつて容認されなかったことが今どれくらい容認されているか新聞に可視化してほしい→
→#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年5月2日
荻上「教育勅語の現代語訳@明治神宮HPでは「道義国家のために皆が努力すべき」という感覚のまとめ。防衛相も頻繁に「世界に尊敬される倫理国家、道義国家」という。「こういうものを擁護することが保守」「保守っぽいものを支え合う僕ら」という連帯意識。歴史的経緯を知るわけではない→
→#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年5月2日
社員「教育勅語の何が悪いのかという人も少なくないが…」
吉永「教育勅語の時代、どれだけ人が考えることができず、ものを言う事もできなかったか。それを利用して何がなされたのか、新聞は粛々と検証することが大事」
鈴木「憲法に反せず、どうやって教材に使うのか掘り下げてほしい」→
→#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年5月2日
社員「戦争のような危機的状況になると政府は情報を隠すものだが、今すでに情報の隠蔽やアクセスさせない流れを強めている」
社員「経産相の「庁舎管理徹底=取材ルール厳格化」の突然の通知。各紙は社説を含めて問題提起し、連帯によって事実上の撤回になったのはよかった」→
→#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年5月2日
社員「ネットではメディアへの批判も多いが、我々がアクセスできるのは特権ではないことを粘り強く書かねばならない」
吉永「役所はセキュリティーに逃げ込んで都合の悪いことを秘匿隠ぺいする。人々の意識も後退している。今村氏への記者の質問を「怒らせる方が悪い」という声もあった」→
→#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年5月2日
吉永「記者はもっと怒るべき。情報を隠された国民は、どれだけ不利益を被るかという認識で闘ってほしい」
荻上「世耕氏は企業のガバナンスや情報漏洩の話と、国民の財産である政府の情報の話をごっちゃにしている」→
→#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年5月2日
鈴木「独占インタビューやスクープ欲しさに政権にすり寄る報道をしてしまうのは絶対にやってはいけない。メディアは権力の代弁者になってはいけない」
社員「記者には取材拠点や聞く機会がある。それは記者の特権ではなく、あくまで知る権利を国民に代わって行使しているという自覚」→
→#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年5月2日
鈴木「一番大切なのは戦争にならないよう配慮した報道。戦後すぐに、大事なこととして考えた憲法や人権の保障、平和主義がどんどん軽視されている今、活字メディアが大切なことを示すときだ。各国のプロパガンダに乗らない配慮も必要」→
→#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年5月2日
吉永「間違った危機感からスタートすると出口を間違える。危機的状況の今、平和とは何かを考える時。新聞が多様な意見を載せすぎるとわからなくなり、わからないと人は考えなくなる。「避けるべきシナリオ」という視点も必要。メディアは、力による解決は敗北だと冷静に示すべき」
新聞に何を書くか、どういう姿勢でいるかは大前提必要な話だし、実際読んでいると踏ん張ってると思うけど、それをどうやって伝えるかだよなあ。新聞読んでる人は周りにそう多くないし、メディアとしての影響力が実際どれくらい残っているか・・・
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年5月2日
弥生の十五
さて、午前中は雨で、朝はのんびり。小沢健二『流動体について』をかけると、サビの部分「まちがいに気がつくことがなかったのなら~」と、ブリッジ(というの?)「だけど意思は言葉を変え 言葉は都市を変えてゆく~」のところを気に入っていて、必ず合わせて歌うサクだ。
歩いてスーパーに買い物に行って、帰りに酒屋にも酔って酒屋にも仕入れる。川で鳥がくるのも待つ(来た。ハクセキレイ)。図書館から自分が読むために借りている『長くつしたのピッピ』、ふと思い立ってサクに1章目を読み聞かせると、けっこう長いのにじっと聞いてて、随所で「ええー!」「なんだよ」と合いの手(?)を入れてた。
夜ごはん、椎茸とほうれん草のパスタ。サニーレタスと和風ピクルス。大根の煮もの。椎茸は友だちの家から、ほうれん草は義実家の畑からもらったもので、まったくもって素材の大勝利!というパスタであった。ビール、赤ワイン。
昼ごはんはピザトーストにする。ケチャップにオリーブオイルと粉末パセリとブラックペッパーを混ぜたらピザソースの代用として十分、とわかった。午後からは幼稚園に、お別れ遠足の写真展示を見に行く。近所の友だちと待ち合わせて、元気のありあまっている子たちをしっかり歩かせて登園。春休みに入っていて静かな幼稚園。もう1人、見に来ていたクラスの女の子と、さっそく園庭で遊び始める子どもたち。走り回り、土をいじり、草を摘んだり石を集めたりして盛り上がっている。遊び慣れた場所だから、すぐに遊びのスイッチが入るんだろうねー、もう卒園しちゃったね、と思いながら、お母さんたちとおしゃべりしながら、眺める。
夜ごはんは、アジの煮つけ、キャベツと豆腐と玉ねぎの味噌汁、野菜炒めの卵とじ。夫が鹿児島出張で黒豚まんをお土産に買ってきてくれた。
弥生の十四
でも、10時から雁瀬さん主催の勉強会に参加。すっごくバタバタと出て行って、案の定、忘れ物たっぷりだったけどね。雁瀬さんからワークライフバランスについての基本講話があったほか、別の方からは「ワールドカフェ」というワークショップの手法みたいな紹介があって、こちらも面白かった! そして、あれよあれよという間に来月は私がプレゼンをすることになった。
午後から夫の家へ。車の中でようやく眠気がきて、15分くらいすごい爆睡した。サクは家でもじぃじの家でも、卒園したからどうという感じはなく、普通に見える。あ、でも、ランドセルを背負って帰省w 中には、昨日の卒園プレゼントである、歌詞集や目覚まし時計、それに修了証書も入れていた。やっぱりうれしい、誇らしい気持ちもあるのかな。
6時前から夜ごはん。一応(一応ってことはないが)卒園のお祝いということで、握り寿司も含んだおいしいごはんの数々に、いただきものだというすごく美味しいブルガリアワイン! で、みんなでカルタをする読み札を読みながらも目がシパシパするくらい。10時前におふとんに入らせてもらう。今日はあたたかくて、篠栗なのに暖房がいらない!
ちょっと休憩したあと、今度は鳥を探しに行きたいという。家のすぐそばに里山があって、その中の、舗装されていない道を行きたいという要望。じぃじが道案内、私もなにげなくついてったら、がっつり山歩きだったよ・・・。いや、じぃじは道が一区切りするごとに「ここから降りようか」と言った。「もっと 上までいく」というのは元気な6歳児だ。
←山桜。
午後からは雨が降り出して家の中。サク、ピアノを弾きまくる。いえ、弾けないんですけどね。弾きながら歌いまくる。夕方帰宅。明日から長くて長い春休みだー。まあ、朝はのんびりできると思うと気楽。
今さらですが 『逃げるは恥だが役に立つ』
めっちゃ面白かったですね!!!ほんと、いつの話だよって感じですが、私は今、モーレツにコーフンしています!!
・・・といっても、ムズキュン?っていうんだっけ?
少しずつ縮まっていく二人の距離、これは恋なのか?恋していいのか?いやダメだ、でも我慢できない、アーッ!!
たぶん、25年前なら萌え転がってたと思う。
同じく、番組も人も違いますけど、昨今の大ブーム、高橋一生にも萌えられない。役者さんとしては大好きなんだけどね。15年前なら周囲が引くレベルで萌えてたと思う。10年前はもう知ってたの。そう、彼、2007年の大河ドラマ『風林火山』に出てたから。駒井高白斎っていう、武田信玄界隈では有名な人物を演じてたのよ。・・・って、なんの話だよ。
そう、ムズキュン。ムズキュンに萌えるには年をとりすぎたのね、私…。
ムズキュンが始まると、なんか、こっぱずかしくって、見てはいけないものを見てしまっているような、初々しい二人に申し訳ないような気持ちになって、1.4倍速で見てたの。
なんか、ネットを見たら「パロディーネタしつこい」「やりすぎ」とかいう人も割といたみたいだけど、やりすぎ・しつこい・ウザいが好きなタイプの私には大好評ですよ!! 石田ゆり子が林先生からの~金八になるとことか、面白すぎてリピートしたあげく夫にも見せたもん(笑)。最終回、まんをじして「真田丸」が始まったときも机バンバンしてたw コーエー『信長の野望』っぽい地図までちゃんとパロっててねww 6話くらいで出てきた、Eテレ「2355」のパロディーもよかったな~。わかってらっしゃる!!
ついにベッドイン(この表現が古いなw)した2人のピロートークをパペットに言わせる演出も好きだったんですけど、やっとこさっとこ結ばれた途端にリストラに遭うのがドラマよね。そこからがまた、超面白かった!!
10話のラスト、「愛情の搾取」って言葉が出てきたとき、 「そうだよね、それがこのドラマの本丸だよね!!」って沸き立ったわ。
何しろ自分がリアルタイムでドラマ本編見れてなかったけん、twitterも横目で見るくらいしかできなかったのが惜しまれるっちゃけど、それでも紛糾してるのがわかった。愛情の搾取問題。
- 主婦の仕事は「愛情の搾取」だ、そーだそーだ!派
- わたし専業主婦だけど、権利をふりかざすみくりは傲慢だ!派
- いや、専業主婦の妻を持つ夫こそ家族に愛情を搾取されている!
愛情の搾取の前に、商店街の青空市の仕事と絡めて「やりがいの搾取」をやったのも、脚本うまいと思った。そう、本来、性別を超越した話なのだよね。
そして、その答えは・・・決まってはいない。唯一無二の正解はない。
不安やモヤモヤを解決するには、自己分析し相手のことを想像して、そのうえで2人で共有したり話し合ったりしていくしかない。
最後のパロディーが懐かしのフレンドパークのダーツで、「子だくさん」「専業主夫」「別離」など、すべての可能性を俎上に(ダーツの的に、だね)乗せているのがすごくよかった。そのうえで、「そのつど話し合って、ライフスタイルを変えていくしかない。模索は続きます」という帰着に持っていったことに私はとてもエンカレッジされました。
そう、先の見えない人生を、考えながら話し合いながらやっていくしかない。
それは時にしんどいけど、わくわくすることでもある。
専業主婦の家事問題もそれらの一つで、それらすべてを百合ちゃんが最終回で「呪い」という言葉で表現したのだよね。若い方が価値があるとか、異性愛が普通とか、いい年して童貞の俺ってとか、かわいげのない女とか・・・私たちの周りには呪いがたくさんある。呪いを自分にかけちゃだめ。そんな呪いからは逃げちゃいなさい、と。
「逃げるは恥だが役に立つ」は呪いからの逃走をさしてたんだね。
真面目な性格で男性と付き合った経験はほとんどない。化粧品会社で管理職をしてバリバリ稼いで、姪っ子のみくりを溺愛している。会社に残っている同期の女性社員は、ほとんどが結婚出産して出世コースから外れている。「土屋は私たちの希望の星なのよ!」なんて言われる。部下の男子社員にかけたふとした言葉が拡大解釈されて、セクハラと告発されたり。理路整然としたプレゼンのあと、上司や男性社員から「だから結婚できないんだよな」と揶揄されたり。
女子のみくりも、状況分析して論理的に話を組み立て自分の意思を持ち、はっきりした声と口調でプレゼンできる。
Nスペ『日本国憲法 70年の潮流』を見て雑感(後)
←純金メダルだそうですよ。お値段1,080,000円!
アメリカに唯々諾々とならないために打ち込む楔が、
「天皇中心の強い国家」
「日本の古き良き伝統」
を謳う、自主憲法ということなのでしょうか?いつか武力を用いるとしても
それはアメリカ様からの拝命ではなく独立国家日本としての意思なのだと。
たとえ、日本の自主独立を推進するための方策だとしても。
私が日本国憲法に見るのは、私たちが歴史から学んだ財産です。
民主主義や、個人を尊重する人権意識、
そして武力を用いない解決への思いこそ、
先人たちの多くの犠牲や格闘から生まれ、獲得されてきたもので、
「歴史に敬意を払う」というなら、まずもってそこに対してだろうと思うのです。
日本会議のメンバーや、イベントに参加した人へのインタビューでは、
幾人もから異口同音に
「日本の良さを伝えていかなければ」
「日本の良さを知らないまま大人になっている」
というような言葉が出るのだけれど
彼らが非難する、戦後の個人主義(彼らはそれを利己主義だという)や、
核家族化の進行は、教育や思想の問題というより、
世界的な産業構造・経済システムの変化によるところが大きいはず。
それを、憲法改正でどうこうしようとするのは
私にはあまり知的な行為とは思えません。
そして、国民に、若者に、子どもたちに
日本の良さだけを伝えるのはとんだ片手落ちです。
子どもたちに天皇陛下万歳と唱えさせるならば
「バンザイクリフ」のこと
沖縄で一般市民がどんな戦いを強いられたか
特攻隊のこと、植民地支配のこと・・・それらもすべて教えなければならない。
そういったことを教えずに
美しい国だ、天皇陛下万歳とだけ教えるのは卑怯だし
無知というおそろしい事態を招くのではないでしょうか?
◆
武力について周りが持つから自分も持つのか
恐怖のゲームに同じ土俵で参加するのか
「武力を持たない」というのは押しつけられたのではなく、
人々が膨大の犠牲を出し、血を吐き餓えに苦しみながら掴んだ信念と知恵なのではないですか?
もう二度と、(自国にも他国にも)犠牲を出さないためのストッパー。
アフガニスタンやアフリカなど紛争地域を渡り歩き、
国連の職員として「武装解除」の仕事をしてきた伊勢崎賢治さんは、
世界にアピールすることもなく、なんとなく内輪だけで議論して、そのあげく都合のいいように改定してしまうというのは、おかしいと思いませんか? 一度ぐらい、世界平和に貢献するために9条の考え方を広めようとチャレンジしてみてもいいはずです。
日本は、憲法9条が持っている潜在能力を1%も生かしていません。戦略的に広告できていないのです。
戦争も紛争も、広告や宣伝(プロパガンダ)が世論を誘導して現実化していくもの。
ならば、それを逆手にとって、広告の力を戦争回避や平和に使うべきだ、というのです。
憲法9条は、私たちは誰も憎まない、誰も傷つけないという宣言。
武力で解決しない、成熟した国民であろうとする意思。
そのためには、本当はすごく勉強して、考え続けなければいけない。
自分の主張をしながらも、相手の立場も尊重し、想像し、粘り強く交渉する能力が要る。
国会で感情的になるとか、強行採決をするのとは、まったくベクトルが違うことです。
「自衛隊の位置づけ」
というものについて、このままでいいわけはないと思います。
憲法を変えるか変えないか以前に、私たち国民が自衛隊をどう規定するかという問題です。
軍であって軍でない自衛隊。
海外派遣も「平和維持活動」のため。
殺すために行っているのではない、戦闘には参加しない、
それがPKO派遣の最初のころの建前だったけど。
かつてカンボジアPKO派遣(1992年)ではあれだけ紛糾したのに
ソマリア沖で「国益を守るため」海賊対策の活動をすることになったときも
南スーダンにまで行っても、
そこで日報が適当な扱いをされたり
「駆けつけ警護」任務が付与されたり
「戦闘ではなくて武力衝突です」と言い換えられても
ほとんど世論は盛り上がりません。
幸いというべきか、南スーダン部隊は帰国となったけれど、
相手が押し入ってくれば何らか対抗しなければならなかった。
殺されたかもしれない。
殺したかもしれない。
どちらに対しても準備がない、きちんとした法律がないままで行っているのです。
このままどこまで任務を拡大するのか?
それを利用した政府のなし崩しの方策・・・。
国民が考えなくなった、意思表明しなくなったから、
自衛隊の海外任務はここまでよくわからないことになってしまっているのでは?
有事に際して自分たちが武器をもたないなら、どうやって守るのか
代わりに外国人に守ってもらうのか?
「日本の平和を守るため」に、何を、どこまでやる?
堂々巡り 袋小路
それでも考えなきゃいけない
今まで考えずにきてしまったのですよね。
伝統を失ってしまったと言うけれど、
移り変わる季節や自然の恵み/災いを粛々と受け容れるように
物事をあまり考えずにきたのは、非常に伝統的な日本人の姿のようにも思います。
「改憲は国民が主役」「国民の議論を期待」
と、首相は言っていました(5月、中曽根元首相の白寿祝いの場にて)
それはそのとおり。
だからそれを国会で言えばいいのに。
日本会議宛のビデオと読売新聞のインタビューだけで応えて、
国会では答弁しない首相。
もしかしたら、国民の賛否を喚起するための演出なのでしょうか?
いや、国民の反応を見ているのでは?
ここまでやっても国民に議論が起きないのであれば
彼らは思うままに改憲案をつくる。つくれる。
そして
「家族の絆」「生活をもっとよくしよう」のような、
ふわっとした、何となくの「いい言葉」に惹かれた人々が投票して決まってしまう・・・。
番組で流れた、英米法学者・高柳賢三の言葉を紹介します
「憲法改正というのは、子孫に長く伝わる問題で
これを我々現代住んでいる人だけでもって軽々しく決めると
とんでもないことになる恐れもある。
慎重に取り扱わねば 将来の国民に対してすまない」
ちなみにこのときの内閣総理大臣は岸信介。安倍首相の祖父にあたる人ですね。
高柳賢三の言う通りで、
私は、ふわっとしたイメージからの国民投票で憲法改正が決まってしまうのはイヤだなと思っています。
もうちょっとは話題になって、考えてもいいんじゃないかと思います。
子どもたちに伝えたい「大事なこと」は何なのか?
メディアには、冷静で知的な情報提供と関心喚起をお願いしたいところ。
Nスペ『日本国憲法 70年の潮流』を見て雑感(前)
単純な感想として、
「時代によって、改正したい/したくない の回答割合ってこんなに変わるものなんだなあ」
と興味深く思いました。
おそらく、NHK調査が止まっていた70~80年代は、「改正しない」が「する」を圧倒していたのでしょう。だから調査するまでもなかった、と。
でね、そうなると出てくる疑問。
1.「改正する」が何%くらいになるときが、改正にふさわしい時宜なのか?
過半数。
100人中49人が反対する案でも、承認されるわけです。
70年、変えずにきた憲法。
それはつまり、「70年、国民の多くが支持してきた憲法」だと思うんですが、
それを、2020年なら2020年、とある時期の国民のうち51%だけがOKといえば改正するってわけで・・・なんかそれって・・・?という気分になります。
いったん変えちゃったら、「やっぱ具合が悪そうだから戻したい!」とかできないわけでしょ。現実的に。国民投票、800億かかるとかいうしね。
でも、逆に考えれば、「自分の国が自分の主張と相容れない憲法を持っている」という人たちも、この国には何割か確実に存在してきたわけですね。70年。それもしんどいな、と思います。
2.憲法で変えるべきところはどこなのか?
改正に賛成/反対と、ひと括りでいっても、その内容にはかなりバラつきがあるのです。
番組でも、「待機児童とかの問題あるし変えるべきとこは変えるべき。平和主義とかは変えない方がいい」と言ってる「改正賛成派」の人がいました。
待機児童って、憲法改正して解決する問題なのか謎ですが…
今、メディアで言われている争点だけでも、
・家族の規定について。自民党案では「家族は互いに助け合わなければならない」としている
・天皇の位置づけ。今のまま「象徴」とするか。自民党案では「元首」と盛り込んでいる。
・武力攻撃や大災害に対して総理大臣が「緊急事態宣言」ができる、という案。
どこをどんなふうに変えるべきなのか、変えないべきなのか、1つ1つ考えていく必要があります。
・「戦力の不保持」
・「交戦権の否定」
のうち、すべてを否定して改正したい人もいれば、
2項目は現状でOKだけど1項目だけは変えたいという人もいるでしょう。
あなたはどうですか?
ていうかさ、国民投票では、「改正案」にマルッと賛成か反対か、ていう二択なのですか?
改正案の○条は賛成、○条は反対、というように、条項ごとに判断できないと、非常に雑なことになると思うのですが・・・。
3.やっぱりすべてはつながっている・・・?
そのひとつひとつについて、自分は賛成か反対か、どう思うのか、吟味しなければならない。
一言で改正したい / したくないと括れるものではなく、
その内容は実は人それぞれ違うもので、一人一人が自分なりの答えを探さなければならない。
というのはあるんだけど、一方で、
(中曽根康弘・元首相は、青年議員時代に「憲法改正の歌」の歌詞を5番まで自ら作詞し、今でも愛唱しているらしい!)
彼らが望む日本の姿とは何なのか。検索するとHPが出てきてハッキリと書いてあります http://www.nipponkaigi.org/about/mokuteki
(天皇を中心とする共同体)
・私たち日本人は、皇室を中心に同じ民族としての一体感をいだき国づくりにいそしんできました・私たちは、皇室を中心に、同じ歴史、文化、伝統を共有しているという歴史認識こそが、「同じ日本人だ」という同胞感を育み、社会の安定を導き、ひいては国の力を大きくする原動力になると信じています。
(現行憲法について)
・占領軍スタッフが1週間で作成して押し付けた
・自国の防衛を他国に委ねる独立心の喪失、権利と義務のアンバランス、家族制度の軽視や行きすぎた国家と宗教との分離解釈
(教育について)
・行きすぎた権利偏重の教育、わが国の歴史を悪しざまに断罪する自虐的な歴史教育、ジェンダーフリー教育の横行は、次代をになう子供達のみずみずしい感性をマヒさせ、国への誇りや責任感を奪っています。
・かつて日本人には、自然を慈しみ、思いやりに富み、公共につくす意欲にあふれ、正義を尊び、勇気を重んじ、全体のために自制心や調和の心を働かせることのできるすばらしい徳性があると指摘されてきました。
と、私などは思ってしまうのですが。あなたはどうでしょうか?
日本は天皇を中心としてまとまってきた国なのだと
天皇陛下万歳なのだと
全体のために我慢したり調和したりすべしと
それを子どもに教えるのですか
伝統には良いものも悪しきものもあり
時代の変化や人々の要請に応じて淘汰されるものですが
天皇を元首とし、全体のために尽くし・・・
それが本当に良き伝統なんでしょうか?
私たちは一人一人違う人間。感じ方も考え方も違う。当然のこと。
その心を一つにするとはどういうこと?
というか、心を一つにしなければならないのはなぜ?
日本らしい伝統的な姿。
親や上司や為政者など、上位者に対して従順で、
余計な主張をせず、謙虚や忍耐や沈黙を美徳とする。
天皇を元首とする。
総理大臣に力を与える(安倍さんは、国会でもことあるごとに「私は総理大臣なんですよ」と言う)。
家族で助け合うことを憲法で当然のこととして明記される。
そんな国民を創生したいのは、
それは、
そのほうが、管理しやすいからだよね
導きやすいからだよね。きっと。
いやしくも21世紀の先進国の政治家とあろう者が、
しかも、かつて父の代に戦争の大惨事を経験している国の政治家が、
なぜそんなにも前近代的で時代錯誤な理念を堂々と掲げるのか、
本当に理解しがたかったんですが、
諸外国とのかかわり方についての話です。
歴代内閣がアメリカとの関係にかなり重きをおいてきたのは自明で、
番組中で当時のアメリカ側の文書が紹介されていたように、
自衛隊のPKO派遣を始め、
沖縄の米軍基地問題や、集団的自衛権の行使容認や・・・
アメリカからの要請によって決まっているところも大きいのだろうと想像できます。
そのことに対する批判も数々ありますが(いわゆる“アメリカの忠犬”的な)
結局、 「武力を持たない状態で、どうやって国を守るのか?」
という命題に対する答えとして
「アメリカに頼る(だから、ある程度言うなりにならざるを得ない)」
を選んできたのが、戦後70年の歴史なのだと思います。
自民党の議員たちや、日本会議の幹部たち(両者がイコールであることも多い)は、
それが耐えられないとずっと思ってきたということなのでしょうか?
実は彼ら自身がもっとも、内心そのことに汲々としてきたのでしょうか。
戦後まもなくから
「GHQの押しつけ憲法を破棄」
「自主憲法でなければ独立国家たりえない」
「憲法を改正しなければ、自衛隊はアメリカの軍隊も同然」
と主張してきた人たち・・・。
アメリカに唯々諾々とならないために打ち込む楔が、
「天皇中心の強い国家」
「日本の古き良き伝統」
を謳う、自主憲法ということなのでしょうか?
いつか武力を用いるとしても
それはアメリカ様からの拝命ではなく独立国家日本としての意思なのだと。
自分たちで判断するのだ、と。
自民党議員の多くが日本会議に名を連ねているのも、そういうことなんでしょうか。
彼らは彼らなりの歴史観で信念を実現しようとしているのだと。
であれば・・・
アメリカは日本の憲法改正について、どういうスタンスでいるのですっけ?
日本が武力保持をおおっぴらに解禁するのは、彼らはもちろん歓迎でしょう。
アジアの安全保障について、自分たちの影響力はもちろん保ちたいけれど
実質的なコストは日韓それぞれが負担したほうが具合良いはず。
アメリカ側の反応が知りたい。
報道で見た記憶がないのですが、私の不勉強ですか
あるいは、そういうことは内政干渉になるから不表明なのかも。
【“ママじゃない私” ポートレート】 やっぱり好きなことを伸ばしていきたい ~インタビューと写真、“ママじゃな” エミ編~
(facebookの投稿より)
友だち(フルタイム会社員のママ)がインタビューしてくれたうえに、草稿も作ってくれました。感謝。彼女曰く、私の「厚かまキュート」なところを出したかった、とのこと。
かつて、エロかっこいいとかキモかわいいとか流行りましたが、「厚かまキュート」ってなかなか良くないですか? 空気読みすぎず、共謀罪に怯えず、みんなで厚かましくいこうじゃないですか。ちなみに高橋一生の芸風は「エロめんどくさい」と命名しました。
だーいぶ前のことですが、facebook上にみなさんに募集した質問にも答えています。みなさん、その節はありがとうございました!
このインタビュー当日、自分では二日酔いだと思い込んでいたのですが、実際は軽い胃腸炎ぽいやつだったみたいで、この日含めて3日寝込み、1週間禁酒した(飲もうって気にならなかった)のもいい思い出……(子どもの遠足の弁当は夫が作った)。
それで後日、ちひろスタジオで再撮影してもらった分も入っています。皆さんお世話になりました。ありがとう!
『おんな城主直虎』 第20話 「第三の女」
で、気にしてないと言ってるのに、「直虎様は御出家までされたというのに、一生懸命修行に励んでおられる間に、直親さまはどこぞの女に笛を吹き、甘ったるい言葉をかけ、あまつさえ子までなして・・・・」って、みなまで言っちゃう、しのさんw なんという淀みない口舌ww これ、直虎への「ザマァw」って言う気持ちじゃなくて、天然で言ってるのがすごいわかるよね。そして、「首を洗ってお待ちなされませー!」貫地谷しほりサイコーだな!
最近息子6歳が「こてんぱん」という単語を覚えてよく使うのだが、まさしく「直親、こてんぱんになる」回だった。それでいて「死せる直親、行ける二人を結ばしむ」も真実なのだから、人間ってやつはほんとに・・・ムギャー!! ってなる、これぞ森下ワールドな回だった。ムギャー! #おんな城主直虎
亀の二枚舌はすがすがしいほどにクズいけど、鶴亀おとわの幼なじみ時代にはほとんど見られなかった性質だと思うと、悲劇的な形で父を亡くしてからの苦難というか、尋常でない青春期が見え隠れもする。もともと病弱さにコンプレックスがあり気弱で、強いおとわに頼りがちな面もあった #おんな城主直虎
鶴、亀、おとわのトライアングルは今回で本当に完結して、ここからは鶴、龍、虎のトライアングルになるのか。いや、鶴・亀・虎・龍のカルテット、四方位、スクエアになるのでしょうかね。森下さん、構造作るのほんとうまいからなあ #おんな城主直虎
高瀬のお披露目、浅黒い肌や百姓言葉を「馬子にも衣装」とか「その言葉何とかしないとね」的に周囲がからかったり窘めたりする場面がなくて本当ホッとした。常慶への含みある視線、何かまだありそうだけど、子どもに何の罪もない、傷つけられるべきでない存在として描いてくれそう #おんな城主直虎
直情的なさまを散々描かれてきたしのが、高瀬に対して(しかもまだ真偽がわからないときに)つとめて抑制された態度をとるシーンをわざわざ入れたのは、このドラマはむやみに子どもを傷つけないし、しのもその方面では理性的な人間である(そういう美徳がある)という表現だと思う #おんな城主直虎
「当主など窮屈だ」とこぼす直虎に、「いつでも降りていいぞ」と代わりになろうとするのが政次なら、「好きに生きりゃいいじゃん!」とモロ肌脱いで見せるのが旅の男なのかな。「そうだよね、亀だって好きにやってたんだし…!」という言い訳はバッチリこさえられましたがどうなるか #おんな城主直虎