『おんな城主直虎』 第20話 「第三の女」

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直親ーーー!机バンバン
 
かつて、悲劇的な死を迎えたあと、ここまでゲスにクサされた登場人物(しかも主人公の元婚約者で二番手にクレジットされてたというのに!)がいたであろうかww
 
まあ、死んでから隠し子が見つかるって、時代劇では珍しくないシチュエーションではありますが、そのクサされ方がねw 当時、流れの中で通して見ていたら、心から発されたエモーショナルな言葉でそれなりに感動的であったのに、いま回想でブツ切りにして見たら、ひでーのなんのってw 
 
よくもまああれだけ、微に入り細を穿ちというか念には念を入れた演出するよねw OPクレジットに井伊直親(回想)って出てなかったから、あらっ新撮あるんだーと思ったら、しのに対する歯の浮くようなセリフだったというw 三浦春馬さんおつww
 
直虎も、皆に心配されての「我はそんなこと微塵も気にしておらぬ」の、ぶっすーとした仏頂面がよい。

で、気にしてないと言ってるのに、「直虎様は御出家までされたというのに、一生懸命修行に励んでおられる間に、直親さまはどこぞの女に笛を吹き、甘ったるい言葉をかけ、あまつさえ子までなして・・・・」って、みなまで言っちゃう、しのさんw なんという淀みない口舌ww これ、直虎への「ザマァw」って言う気持ちじゃなくて、天然で言ってるのがすごいわかるよね。そして、「首を洗ってお待ちなされませー!」貫地谷しほりサイコーだな!
 
直親スケコマシコノヤロー連盟で直虎としのが共闘することになるとは、なかなか想像し難い流れではないでしょうかw
 
しかし、直虎にしてもしのにしても、美しい思い出が台無しになったとはいっても、やっぱり直親はいつまでも心にいるのだろうね。故人だからなおさら。
 
 
直親。「おとわが俺の竜宮小僧になってくれるのか?!」の迷ゼリフがあったように、亀時代から「ちゃっかりマン」の素質は十分だったとはいえ、どちらかといえば口ベタで、それを象徴するのがあの笛の音だったりしたのに、なぜあんなに口が達者になったのか気になるなー。
 
 
逃亡潜伏時代のことにはあまり触れないまま死んじゃったなーと思ってたけど、ここで娘は出て来るわ、娘の母の「ユキ」は出て来るわ、松岡さまの名前も出てくりゃ、そこに南渓和尚・不義の子疑惑の話まで出てきたわで、この先まだなんかあるのかもしれない。亀のエピソードも。
 
 
高瀬。ていうネーミングがまたいいよね。水に関する名前。高瀬って、浅瀬って意味だよね。井戸は深いものだけど、それに対応してるような名前。名前だけで怪しいヨ!
 
常慶を見て、含みのある顔をしてた高瀬ちゃん。なんかあるんだろうね。虎松が高瀬に挨拶を渋ってたのはもしかして、人見知りとか、異母姉へのわだかまりとかじゃなくて、何かを見たり、話されたりしたのかな。
 
それでも、高瀬はまだ子どもで、もしこの先の運命がどうだとしても、今日の回を見る限り、なんていうのかな、不当に貶められたりはしなさそうでホッとする。
 

 
「当時の状況を鑑みて、直親に女がいてもやむを得ない」「ていうか当時の倫理観的にはおかしくないし」「現状、井伊に血筋の者が増えれば使えるし」っていう理屈はみんなが共有してるうえで、「でも直虎さまの気持ちを思うといたたまれないよね・・・」ってなってるみんなが面白かったw 之の字や六左どころか、こう天、傑山までが気を使ってたもんねw
 
みんなが「直虎を思いやりつつ娘を確保する」だったのに対して、「直虎の心情のために娘を放り出す」案を囁いたのが政次。理性的なのは前者ですw 政次ったら! 
 
直親に娘がいたと知ったときの政次の動揺っぷり。おとわ、どんなに傷ついてるだろう・・・とか、直親てめー!!・・・とか、いろんな思いがよぎったでしょうね。だからとっとと、おとわに誠心誠意の甘い言葉を囁いてくっついときゃよかったんだよー!って思うけど、それができる政次じゃないのよね。
 
高瀬の鼻歌を聞いたときの2人の顔。時が止まり、ふっと過去につながったような。この旋律を知っているということはきっと亀の娘で間違いなくて、それはおとわにとって切ない話で、でも、悲しいだけでなく懐かしさやうれしさや・・・なんともいえない表情に見えた。
 
「直親が寄こしてくれた忘れ形見」その言葉は単なる建前や強がりじゃなかったと思う。もう二度と聞けないと思っていた旋律が蘇る。故人が遺していったものが見つかり、目の前にある。そのことの不思議と、有難さを感じた直虎の顔だった。そしてそんな直虎を見つめる政次ね。
 
鼻歌を聞いてから、「われの娘じゃ」までの直虎はとても綺麗に撮られていた。メリハリのある撮影演出なのよね。
 
直虎と政次、夜の囲碁。くーっ、作り手はわかってるね! 短いシーンで、色っぽいことは何もなくて、とどめが「いつでも降りていいですぞ」の一言。こーゆーのが欲しいんだよね!!
 
 
方久ってムロさん成分の強い演技で、大河らしくないと思う向きもあるかもしれないけど、大河ってそのときどきの人気者を集めてかなりごった煮にするのが昔(昭和の終わりごろ)からのお決まりだと思ってる私には面白い。てか、ムロさんがムロ味を存分に出しちゃうくらい人気者になってるのねーとしみじみする。
 
方久が今川をへーきで思いきりこき下ろす様子は、かつての井伊の者たちが今川に腹を立ててるのとはちょっと違う。おじじ様たちは、今川に抑圧され使われている者たちの反抗だった。方久にとっては、今川なんかドーンのパーンのブーンで、こっちからポイッと捨てちゃえる。最初からそのシステム・安全保障の傘に入ってない周縁の者の強み。
 
それが、気賀という商人の町にいた旅の男=柳楽くんと同じで、そういう者たちが蠢動し世の中のシステムをワヤにしてのし上がっていくのが戦国時代で、「直虎」世界ではこれからがその本番なんだろうな。ここで初めてその名が出てきた「織田」も、このドラマでは「周縁から出てきた者」という存在なのかも。
 
家康、久しぶりに出てきたけど、相変わらず全然わかんねーな。器が大きいのか小さいのか、何考えてるのか、さっぱり読めない。
 
その場限りのちょっとしたたとえ話にしては、イヤに印象的すぎる南渓和尚の不義の子疑惑。何?どこかにつながっていくの?この話。ていうか、だとしたら、妙にインモラルな雰囲気を漂わせていた佐名様と南渓だが、この2人はほんとは兄妹じゃないってこと? それとも、佐名様も南渓と同腹で、出生の暗い秘密を共有する兄妹だったということだろうか・・・?