『おんな城主直虎』 第6話 「初恋の別れ道」
くうううー! エモい! さすがに超エモい、森下脚本! #おんな城主直虎
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月12日
先週はなんか怖いと思ったけど、今週で直親にぐっと人間味を感じて好きになったよ。おとわに「人生捨てさせられて悔しくないのか」と迫る直親は、9年間ずっと悔しかったのだよね。だから自分で自分の人生コントロールできるよう、文にも武にも励んでがんばってきた #おんな城主直虎
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月12日
政次が言うように、いろいろ苦労もある中でおとわとの再会を励みに生きてきて、おとわのこと「人生翻弄され仲間」と思ってて、あの調子なら多分もう女も知ってて「こんな楽しいこと知らないなんてもったいない。自分がおとわを解放して教えてやらねば」ぐらい素直に思ってたんやろう #おんな城主直虎
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月12日
「死んだことに」策は酷薄なようだけど直親自身が死んだ者にされてたよね。いつ帰れるか、そんな日が来るのか見えない9年。「娘としての喜びも悲しみも知らずに」と言った。還俗が喜びだけではないと知ってる。悲しみもあろうともそのほうがいいと。それなりの重みがある台詞だった #おんな城主直虎
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月12日
離れていた間、相手がどんな月日を送り、いま何を思うか知らないのは3人とも同じ。直親はおとわを「お家の犠牲者」という同類だと思っていたからぐいぐい行った。でもおとわの饅頭話でそうじゃないとわかった。「俺の心を葬らなければ」と言った直親はそれを飲み込んだんだと思う #おんな城主直虎
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月12日
直親はずっとおとわを思ってきたんだろう。でも饅頭話で納得したのは、おとわに「離れていた9年間を経た今」があるように、直親にも今があるということだと思う。井伊の跡取りとしての身分が何かしらのために大切なんだろう。今川、或いは井伊へのリベンジか…不思議じゃないよね #おんな城主直虎
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月12日
そして警戒してる政次を爽やかにいなしておいてからの「おとわはおまえのものにはならぬぞ」ま、まさかの亀の一歩リードきたー! エモい、めっちゃエモい! もちろんこのままやられてる鶴じゃないわけで。3人それぞれの「今」があるのがよい。あと、井上芳雄のとっぽい玄蕃もよい。#おんな城主直虎
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月12日
本役になってわずか2話目なのに、おとわが井伊のための竜宮小僧人生を選んで「かびた饅頭、重畳ではないか」と言う説得力があるんだよね。政次の屈折具合もよくわかる。そこへ、まだちょっと底知れない(笑顔振りまくのがまた…)直親が投入されてスリリングな感じ。うまいよなあ #おんな城主直虎
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月12日
んで、おとわと直親は互いへの思いを断ちきり、政次はそもそもおとわと添うなんて…と思ってたようでいて、三者それぞれに、そんな簡単に思いきれるわけない!てのは先週の「煩悩」推しで明らかなんじゃないでしょうか。利他と利己の相克。楽しみです、ぐふふ #おんな城主直虎
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月12日
いやー、やばいね。「真田丸」の録画にも手を付けていない今、「直虎」まで録画消去できない流れになってきて、我が家のハードディスクの残量が危ない。また家族に「消せ、消せ、まずスケート(フィギュア)を消せ」と言われる流れだな・・・w
直親がおとわに「悔しくないのか!」と迫り始めたとこで、もうぐっときてしまった。「ごちそうさん」といい、「天皇の料理番」や「経世済民・小林一三」といい、森下脚本で人が感情をあらわにする場面と、非常に相性が良いといいますか。すごく掴まれるんですよね、私。
「死んだことにして娶ろうなんて直親怖い」「事が決まったあとであすなろ抱きする直親ずるい」って声もネットで散見したんだけど、そういう残酷さを含んだ描写をするのもこの脚本家らしいのよね。
しかし直親も、「井伊の跡取り」という地位を得た今だから、強くそして怖く見えるわけで、これまでの9年間はやはり必死だったと思うのですよ。父の死を寝耳に水で聞かされてから、あれよあれよとお尋ね者になり、追っ手に怯えながら暮らしてたわけですよね。井伊に戻れる日がくるのかどうかもわかんなかった。一生懸命文武に励んで、みんなに認められる立派な男として戻ってきたけど、絶望とか憎悪とか諦めとかヤケのやんぱちとか、いろーんな気持ちでぐるぐるするときもあったんじゃないでしょうかね。
死んだことにして名前も変えて、数年、親しい人たちに会えなかったとしても、家のために犠牲になり僧として無味乾燥な一生を終えるよりは、妻になり母になって、俗世の人として苦楽を味わった方が、生まれた甲斐のある人生のはずだ。そういう提案なんだよね。「娘としての喜びも『悲しみも』…」と言ったんだから。そういう思いに至るまでの直親の9年間を想像すると、やはり切実なものがあります。たぶん今後、作中でその9年間の空白について触れることあるだろうけど。
その「僧としての無味乾燥な一生」を「黴びた饅頭」なんてものに比喩しちゃうのが凄味だよねえ。切羽詰まった態度で直親に「井伊を継ぐ者として答えよ、我と添うのは上策なのか」と問い、問答のあとで「黴びた饅頭、重畳ではないか」と笑う、一連の柴咲コウの演技もすばらしかったと思うのです。私は今回で、この物語への期待値をぐっと、ぐっと、さらに上げましたよ。
おとわの言葉に覆らなさを悟った直親は、あすなろ抱きしながら「置き去りにしてすまぬ」と言うのですよね。自分は井伊の跡取りとして、世に出ていくのだと。嫁もとり、子も作り、茨かもしれないけどとりあえず日なたの道を歩く決意だよね。おとわへの思いは本物だったはずなのに、おとわと心中するのではなく、そっちの道を選ぶ。そこには直親の、自分の生き方への強い思いがあるよね。9年間、表向きは死んだ者にされていて、いわば「置き去りにされてきた」直親が言う「置き去りにしてすまぬ」には、口先だけじゃない重さがあったと思うよ。
あすなろ抱きもさ、ひどいっちゃひどいけど、嫁をとったあとでやるよりは遥かにマシだし、おとわが一生、男女の仲というものから隔絶して生きるのであれば、あんなあすなろ抱きだって、ないよりあるほうが小さな宝物になるかもしんないよ。「置き去りにしてすまぬ」には直親の真情がこもっていたのだから。
でもね、直親もまた、おとわの9年間を知らないんだよね。おとわの竜宮小僧人生は、楽しいというのは違うかもしれんけど、無価値で憐れまれるべきものじゃないと思うよね、視聴者としては。
この回を見てて思ったのは、
●おとわ・直親・政次の三者は、それぞれに、本人にしかわからない思いがある。他の2人とは共に歩めない道をそれぞれが生きる。
ということ。そして、最後の直親と政次のシーンを見て、こうも思った。
●三者のうち二者だけが共有し、もう一人には見えないものがある。それは、おとわ-直親ペア、おとわ-政次ペア、直親ー政次ペアと、3通りすべてにある。共有する思いは、ライバル心だったり、淡い思いだったり、労わりだったり、たぶんいろいろ。
●そんないろいろな思いを、1人ずつが、あるいはいろんなペアが抱えながら、これから共闘したり、葛藤したり、いろんな喜怒哀楽があるんだろう。
ってこと。
2016の星野源に続いて、2017は高橋一生イヤーになりそうですけども、政次の魅力だけが屹立してたら面白くない。直親も拮抗してこそ物語は盛り上がるわけで、そのことを重々承知しているだけじゃなく、ちゃんと表現してくれる作り手だと信頼しています。
「3人」のいろんな関係性を存分に堪能させてくれるんだろうなってわくわくする! それに、尾張攻めを進めてる今川、雀を手懐けた家康・・・歴史もじりじりと動いてるよ!
師走の九 / 歌と合奏のクリスマス会
●12月某日: 近所の子と待ち合わせて一緒に徒歩で幼稚園に連れていく。早めに昼食をとって、かなりの雨の中徒歩で再び幼稚園へ、12時からクリスマス会の練習、お母さん劇団。よしもう完ぺきだ、これ以上は練習しない方がいい、ってことになって、最後の30分くらい円座でお茶飲んでおやつしてたw
他学年のママさん(お母さん劇団での同僚生活は3年目)がかなりの活字好きだというのが最近分かり、主に小説を読んでる様子だしピアノも上手な人なので、私が2016年に読んだ数少ない小説の中から、自信をもって『ピエタ』をお薦めする。
サク、夕方、図鑑を見ながらハヤブサとかオオカンムリワシとかカリフォルニアコンドルとかいろいろ描いてる。色まで塗って、なかなかリアルなタッチ。
クリスマス会でやる合奏「トルコ行進曲」を歌いながら、いろんな楽器をパートごとにエアでやってみせたり。かなり細かくやるのがうける。何より一番面白いのは、指揮者の先生の真似。先生は、身振り手振りに言葉も交えながら細かく、そりゃもう一生懸命に指揮をするというか、こちらも楽器の演奏のマイムをし続けるのだ。それを、自分でトルコ行進曲のメロディーも歌いながら、真似をするサク、大忙し。
「おかあさん、クリスマスかい、たのしみ?」すごーく楽しみだよと力を込めていうと、「どれくらいたのしみ? おれはね、1まんパーセントくらい」だって。
●12月某日: クリスマス会だがあいにくの雨。8時、近所のママが4人の園児をまとめて乗せて行ってくれたんだけど、乗り込むとき、雨が突然ヒョウに変わってびっくり。一度家に戻って、8時45分、幼稚園近くのクラスの子の家で、お母さんたちの歌の練習。ピアニストでもあるFさんが、抑揚のつけ方やサビをアカペラで追加することなど提案してくれる。
9時半過ぎから幼稚園に移動し、45分にクリスマス会、開始。サクは私を見つけるまでにしばらくかかり、キョロキョロしてた。目が合うとニッコリして落ち着く。子どもってかわいくて切ない存在だなーとこういうとき思うよね。親が本当に大きな存在なんだよね、小さい子には。
暗幕を引いて真っ暗になった講堂の中、最初は年長児だけが壁に沿って並び、一人ひとつずつキャンドルを持って、先生に火をつけてもらう。みんな緊張した、でも誇らしげな表情。ピアノの「きよしこの夜」に合わせてお母さんたちがハミングする中、年中・年少児が入ってくる。普段の幼稚園とはまったく違う雰囲気に、緊張しつつ興奮してる面持ちの子が多い。
みんなそろったら歌詞入りできよしこの夜を歌い、年長児は自分のキャンドルの火を吹き消す。そのまま、年長児の歌。「はずむよ はずむよ」「羊飼いの娘」「たきぎとりの歌」そして「十二月の歌」。十二「つき」の歌、と読む。
もえろ もえろ あざやかに
夏は かっかと 照るだろう
冬は なるたけ あたたかく
春は やさしく 照るがよい
もえろ もえろ あかるくもえろ
きえないように どんどんもえろ
もえろ もえろ ぱちぱちと
つもった雪の 山がある
若木林の あちこちに
木の実が たくさん なるだろう
もえろ もえろ あかるくもえろ
きえないように どんどんもえろ
毎年、年長児がこの時期に歌っている歌で、すごく情熱的でかっこいい歌なのだ。ピアノ伴奏もダイナミック、ドラマチックで、サクも「あれがいいんだよね」と言っていた。
続いて年少さん、年中さんのかわいくて元気な歌や楽器遊び。一年ごとの子どもたちの成長を感じる。子どもたちの歌声や歌い方って、1年で全然違ってくるんだよね。子どもたちの出し物の最後はやはり年長児がしめくくり、合奏『トルコ行進曲』。原曲3分30秒のピアノ演奏をテープで流して、それに合わせて、鈴、トライアングル、タンバリン、木琴、小太鼓・中太鼓・大太鼓・シンバルの各楽器が演奏するんだけど、もーう傑作である! 子どもたちの様子はそれぞれさまざま。先生の指揮を食い入るように見て必死についていってるふうの子もいれば、確信をもってやってる子、ぽやーんとマイペースにやってる子など。サクは前日に自信があるふうなことを言ってたとおり、自分のパートはよく覚えている様子だが(「おれ、まちがえんよ。せんせいにも、もっきんさんじょうずねーっていわれた」)、割と緊張した面持ちだったような。
とにかく、いろんな表情、いろんな思いの子どもたち、みんなが集まっての、この合奏のこの音なのだなあととてもうれしく、面白く感じた。曲が終わったときの、子どもたちのホッとしたような、やってやったぞというような顔も良い。もちろん、万雷の拍手。
さて続いてはお母さんたちの歌。クラスごとに披露する。年少組は赤い服装で「おめでとうクリスマス」、年中組は白い服装で「踊ろう楽しいポーレチケ」、そして私たち年長組は緑の服装で「おぼろ月夜」。服装は、クラスごとに色みがそろっていて、でも思い思いのグラデーションがあって、舞台に上がるととても華やかさがあります。お母さんたちの歌声を聞けるのは1年でこのときだけ。この時間もとても好きだ。
そしてお母さん劇団による手袋ダンス「おもちゃのチャチャチャ」。手袋以外は演台に隠れているので子どもたちの表情は見えないけど、何度か歓声が上がる瞬間があり、見ていたお母さんたちからも面白かったと言ってもらった。夜、ビデオを見た座長さんから「神ってる!」とメールありw
サクは帰宅後、「めっちゃおもしろかった! おかあさんはどこにおったと?」と聞いてきた。「前の段の真ん中だよ」と言うと、「ああ、ひとりだけこういううごきするとこあったよね」とやってみせる。他の動きもいろいろ正確に再現してた。よく見てる。「こういううごきのところ、みえないかべを さわってるみたいだった」とか具体的な感想も。
最後にサンタさんが来て、子どもたちにプレゼントを置いて行ってくれた。サクいわく「わかそうなサンタだったな」www
午後、サクとクッキーをたくさん作って焼く。彼はサンタさんにもらったコマ(紐でまわすやつ)に熱中。最初は全然回る気配がなく、すぐにあきらめるかと思いきや、おもしろい、おもしろいと集中し続け、ひもを巻くのも早くなり、ついに成功するとヒートアップ。1時間くらいやってたんやないかな。夜ごはんは、クリームシチュー、レタス、五目豆。献立に統一感とか問うてはならない。
師走の八
●12月某日: サク弁、ごはん、かつの卵とじ、卵焼き、きんぴらごぼう、ほうれんそう、大根煮物。
夜中に鼻水や咳で何度も目を覚ましていたサク。私たちも付き合って随時起きていたので眠たいでがす。ということで降園後は病院に。風邪(ウイルス)というより鼻炎(アレルギー)的なものだと先生は言うけど、これって冬の間ずっと治らないんでしょうか・・・。帰宅後も動きが鈍くテレビをボーッと見てる。お疲れですわな。幼稚園で使い果たしてきた感じ。
夜ごはんは、豚と玉ねぎとしめじのしょうが焼き、里芋の煮ころがし、サラダ。生姜焼きうまかった…。昨日、義実家から、もらいもののおすそわけで茅乃舎のだしパックをもらったので、里芋煮に使ってみた。ちょーうまい。なにげに初・茅乃舎。サクを寝かしつけて、今日はいいやって観念して私も寝た。すごく疲れてたの。
●12月某日: 何件か手紙・はがきを書いて投函したり、支払や、配当金の受取などの雑事。ここのところ後回しになっていた放送大学の講義を2回分受講。チョコ入りスコーンも作った。入浴中、サクが「あたらしい(浴室用の)イスの すわりごこちはどう?」と言う。そんなこと尋ねるようになったんだー。「座り心地」なんて語彙もサラッと出てくるんだね。
夜ごはんは、豚肉のにんにくみそ焼き、味噌汁、五目豆。トンカツ用の肉を使った、「きょうの料理ビギナーズ」のレシピ、美味しかった。明日の天気について、Eテレ「0655」および「2355」でやってる「さらば、○○」シリーズの替え歌で心配して見たら、サクがノリノリで自分もどんどん替え歌を作る(ノリノリって死語ね)。
「♪あしたは あめか ふらないか わからないけど こどもは どしゃぶりでもはしりまわる やんちゃだから(大意)」
みたいな歌詞で朗々と歌い上げていた。夫は飲み会。サクを寝かせてから井上芳雄×高橋大輔のスイッチインタビューを見て、さらに畠山重篤×宮崎学の回のも、再見する。
2/1 毎日新聞 「論点」 小池都政半年の評価と課題について / 議院内閣制と二元代表制
続いて昨日2/1毎日。「論点」で小池都政半年の評価と課題について。三者三様の意見で面白い。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月2日
まず現東京都顧問の上山氏は基本的に高評価。「都民ファースト」の観点から五輪コストや豊洲移転の不透明さを掘り出し、議会のつまらないしがらみや都庁の官僚的体質を突破している。#新聞
次にTVでもおなじみ岸博幸は否定的。「小泉劇場」とよく比較されるが全く違う。小泉は郵政民営化という目的が明確で劇場はその手段だった。小池劇場は(掲げて当選した)「東京大改革」の具体的内容が不明なまま、手段たるべき劇場が目的化してしまっている。(小泉内閣の経産官僚だったのね)#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月2日
最後に、元副知事青山氏は是々非々で、都民や国民が都政や五輪コストに対して関心を持つようになったことは大きな功績としながらも、最近は政局に軸足を置きすぎ、地上自治は地道な行政が必要と苦言を呈す。で、ここからは基本的なことかもしれないけど私全然知らなくてハッとしたんだが→ #新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月2日
「→国政は、外交や軍事などで政治の安定を求める必要があるため議院内閣制を定めている。これに対し、地方自治に対外紛争は想定されないため、民主主義の本来の姿に従い(首長と議会の)二元代表制となっている」
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月2日
議院内閣制の意味は知ってたつもりだけど、二元代表制との違いにハッとした→ #新聞
→「民主主義の原理は少数意見を尊重し、公開の議論で物事を多数決で決めていくこと。知事と議員が別々に住民に直接選挙され、緊張関係を保つことを制度が求めている。よって、都議選で知事が多数派を目指すのは危うい面がある→」
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月2日
地方自治において知事と議員の拮抗、緊張関係は必然であると #新聞
「→都議会に弊害があるという小池氏の主張は、長く続いた多数与党が原因なので、同じことをしようとする(都議選で知事が多数派を目指す)のは自己矛盾だと思う。市場問題を都議選の争点にすると明言し政局として行動しているのも王道ではない(意訳)」(メモ終わり) #新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月2日
【コトバンクより】議院内閣制:
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月2日
内閣が議会に対して責任を負い、その存立が議会の信任に依存する制度。議会の多数派が内閣を形成し、政権の座につくことにより、立法と行政との間に協力関係が築かれることが特徴。
【コトバンクより】二元代表制:
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月2日
住民が直接選挙で首長と議会の議員を別々に選ぶ制度。
首長の権限は予算や条例などの議案提出や人事など幅広い。
議会は議案の議決などで首長の行政運営を監視する。
首長は議会から不信任を受けた場合に限り、対抗策として議会を解散できる。
二元代表制ってそもそも何? https://t.co/qP38y5V3Zw とてもわかりやすいページを発見。国政における《議会》と、地方における《議会》の役割を混同している例が多いが・・・→
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月2日
国政の《議会》は立法機関。法律を作成し国のありかたを決定していく。地方の《議会》は議決機関であり、立法機関ではない。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月2日
よく《議会は首長の文句ばっかりいってるなぁ》という意見があるが、地方議会の役割は首長の監視。「首長の文句ばっか言う」のが本来の役割である
首長と議会が対立して合意ができない場合、行政活動がとまってしまうのが二元代表制の弱点。そこで、議員内閣制だと認められていない問題解決方法が地方自治法には制定されている。それが《専権処分》と《住民投票》である
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月2日
ほうほう、ほうほう
《専権処分》は憲法に定められる、本来の二元代表制自体を脅かす《禁じ手》なので、行使するのは基本的に緊急の場合と、議会の委任を受けた場合のみ。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月2日
また、《専権処分》を行ったあと、次の議会でその承認を受ける必要がある。
ほうほう、ほうほう
いっぱしに大人やってるが、知らないことがたくさんだ。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月2日
しかし今ある制度が今に最適だとは限らないんよね
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月2日
1/31 毎日新聞 杉原千畝の国際研究が進んでいる
1/31毎日、杉原千畝に関する国際研究が進んでいるという話。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月2日
1.リトアニア領事代理だった杉原は、ユダヤ系難民たちに日本の通過ビザを発給したが、リトアニアから日本に向かうにはソ連領内を経由するしかなく、ソ連の通過ビザが必要。ソ連は当時厳しい鎖国政策をしいていた #新聞
2.鎖国政策を敷いていたソ連はなぜ多数のユダヤ難民の通貨を認めたのか?
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月2日
まずは「経済的要因」。ソ連領内の移動は国営旅行会社が独占していて、シベリア鉄道の旅費やホテル代などで難民から多額の収入を得ていた。戦時下のソ連にとって難民の移送は外貨獲得の有効な手段だった #新聞
3.もうひとつの要因として、ソ連はユダヤ難民をスパイとして世界各地に送り込む狙いがあったとみられている。実際にスパイとなった例があるかは不明だが、難民の中には「通過許可がほしければスパイに慣れ」と持ち掛けられたという証言もある。#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月2日
4.当時ソ連はリトアニアに軍事侵攻していて、現地の責任者デカノゾフが「難民を留置するより、早急にソ連通過を認め出発させたほうがよい」とスターリンに指示を求め、4日後の7月29日にスターリンの署名入りで通過許可が出た(最近、ホロコースト研究者がソ連時代の公文書を入手)#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月2日
5.杉原は7/9から8/31まで計2,140人にビザを発給したが、その数は7月29日に急増。ソ連指導部の動向を把握したうえで大量発給したのだろう。研究者は、杉原とデカノゾフが事前に協議していた可能性があると推測している(メモ終)#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月2日
師走の七
●12月某日: クリスマスマーケットで買った「マジックツリー」を朝から準備するサクさん。幹を立てたら受け皿にマジカルな液を投入、やがて枝から緑色のもくもくが生えてきて、12時間後にはすっかりもみの木状に・・・! キモチワルイって言ってはいけません、面白いんです!
また、しまじろうが(半年ほど前に)届けてくれた「歯車ガチャ」とやらのおもちゃも前日の約束通り本日解禁、これ、歯車の形をしたブロックなどを組み立てるのと、ガワになるお寿司の回転台やら、ガチャポンの道具やら何やらを工作する2段階になってるんだけど、ものすごい集中力で設計図を読み、一人でどんどこ組み立てて、親の想像より2倍くらいの速さで「はいじゅんびできたよ、あつまってー!」と、あとは遊ぶだけという完ぺきなセッティングで招集される。う・・・もう少し時間つぶしになるかと・・・。
さて、夫とサクは車屋さんに何かの点検など。私はランニング8キロ。1ヶ月ほど前か、道路陥没現場に行ってみた。道路の一部でまだ何かしらの工事をしてるけど(通常の地下鉄工事かも)、車も人も普通通りに通ってて、通り沿いのお店もふつう通りに・・・あ、セブンイレブンだけ営業してないやん!
夕方には病院を開業するサク。箱に仕切りを作って、綿球やら薬やらガーゼ(のつもりのものたち)などを準備し、それらを小さいトングでつまみながら、怪我の手当てをして、薬を塗り、包帯なども巻いてくれる。風邪や腹痛も診てくれます。万能! 手製の糸電話で電話がかかってきて、「どこかぐあいがわるいところはありませんか?」「こないだのきず、どうなりましたか?」など来院を催促される仕様であるw
さて、遊んでるばかりじゃなく、私が作るココアパウンドケーキと、夫が作る一口カツの助手もつとめて、なにげに充実した1日というか、夜ごはんを食べ終わると間もなく「ねむい・・・」と落ちて行ったサクさんであった。おつかれさまでした。夜ごはんはほかに海老パスタ、もやしの辛いナムルなどもあり、超おいしかったです。ビール、白ワイン。
●12月某日: 「ねじまき鳥クロニクルの第2部、読み終わったよ」とサクに報告すると、
「おう、よんだか。つぎは、ちいさいやつ かえよ」
と訓告される。アマゾンマーケットプレイス(ようは中古)で購入したんだけど、第2部は間違えて単行本買っちゃってさ。ということで、第3部をポチ。
スシローでお寿司を買って夫の実家へ日帰りで遊びに行く。満腹。最近入院手術した近い親戚の話など…。畑には冬野菜が実り始め、サクはわっさわっさの立派な葉っぱに埋もれるようになりながら大根を次々と掘る。その他、里芋、ほうれんそう、春菊も畑から収穫。うれしい・・・! サク、もぐら穴を見つける。「はしりたくなってきた!」と庭をめちゃくちゃ走ったり。夕方辞去し、ホームセンターに寄って帰る。お風呂のイスが割れちゃったのでね。夜ごはんは、さば、味噌汁、大根と卵煮、サラダ。
『ごちそうさん』 ふくが来た! ・ アイスる力
◆ふくが来た!
ドラマでは描きにくい建築という職業を媒介に、予算も尺も限られる中で仕事の本質的なエッセンスを次々と描くよなあ、#ごちそうさん 。仕事に人柄が表れ、仕事が人を成長させること。人間関係や利害が対立したり、自分が未熟だったり、ままならない中でどう工夫し、理想と現実の折り合いつけていくか
#ごちそうさん 悠さんが歌うとこは全部名シーン
#ごちそうさん の稀有な特徴は、鉱山開発にしろ先の戦争にしろ「市民の責任」を俎上に上げているところ。「上が決めたこと」「庶民は巻き込まれた」という描き方になりがちなのに、「私たちが加担した」というスタンスを明確に打ち出している。
数々の失敗や勇気の上に、人の歴史は続いていく。とはいえ、そのために失われた命や幸福な子ども時代、青春時代は決して美談になんかならない。それが悲劇だからこそ立ち上がり続けなければならない。私たちにできるのは「困難から逃げないこと」それだけなのかなと思う #ごちそうさん 二度目視聴。
◆アイスる力
3日分の #ごちそうさん まとめて見て戦慄してる…! 仕事に忙殺される夫、子育てに追われる主婦。それぞれの疲弊と互いの無理解への苛立ち、それでも家族生活を維持しなきゃいけないがゆえの妥協。夫婦のしんどさに踏み込みながら、子どもたちは三者三様の造型とあたたかい眼差しで描いてる
仕事相手じゃなく可愛らしい実の子だって、理解できない・向き合うのがしんどいことあるよね。本放送時、イヤイヤ盛りの息子2歳と1日中一緒だったので、め以子と一緒に泣いてた。「子どもの相手する代わり俺の仕事やって」と言いたい気持ちも、それがどんなに刺さるかもわかって。 #ごちそうさん
「あの子、普通やない」にめ以子が追いつめられていくのも、そんな母親にふ久が追いつめられていくのもつらすぎて。それだけに、重力や浮力といった「見えない力」が、ふ久自身の持つ個性をも表し、ふ久の目を想像することで大人たちまで世界を新鮮で豊かな目で見られる帰結が泣ける #ごちそうさん
竹元教授の「おまえは本当に…ゲスだな」は今日の回だったかーw #ごちそうさん
イケメン俳優というわかりやすさにキャッキャして去ってしまうご婦人方と希子を待ち伏せする男のセット、事後報告を選択する悠太郎、「見えない力」のすばらしさが反転、人が盲目になる暗部を描く今日。なんたって室井の「おでんとかバカバカしくなっちゃって」がエグい #ごちそうさん
師走の六
●12月某日: ゆうべ遅くて相当飲んでたっぽい夫は、つらい朝を迎えたもよう。うんうん、わかる、わかるよ。がんば。
あっ、今日はクリスマス会の歌の練習やった、母たちの。うちのクラスは「おぼろ月夜」をソプラノとアルトで歌います(18名)。先生選曲。クリスマス色、ゼロですw
クリスマス会、去年の年長クラスのお母さんたちは、「わらの中の七面鳥」、一昨年は「花」でした。やはり、クリスマス色はゼロw せんせーいww でも、とてもいいですよ。お母さんたちの合唱。
各学年、伴奏もお母さんがやる。今年はうちのクラスに、プロのピアニスト(ママがね)が転入してきたのでもちろんその方が弾いた。いや、かんたんな伴奏なんだけどほんとうまいw
子どもたちの降園後の遊び。まったく自由で荒っぽい奴らだ。自分たちの手編みの縄跳びが最近お気に入りで、跳ぶのはもちろん、電車にしたり振り回したりして遊んでるんだけど、今日は誰が始めたかママたちのストールを我が物顔に持って走り回るわ、地面に叩きつけるわ友だちを羽交い絞めにするわ・・・
靴下を履かせていっても迎えに行く頃には裸足で外で遊んでいる。そして、泥だまりに突っ込まない限りは、そのままの足で廊下にそしてお部屋に入る(上履きというものはここには存在しない)。いちいち洗わせるのも面倒なので家にもそのまま入る。もう慣れた。。。
みんなで歌うって楽しい。帰宅してからも、自分たちの組のはもちろん、年中・年少クラスのママたちが歌う歌も頭の中を流れてた。幼稚園で子どもたちの歌を聞かせてもらう機会は年に何度もあれど、子どもたちにママたち全員の歌を聞かせるのはこのときだけだ。降園後も、子どもたちの楽しそうな(何が楽しいかわからないくらいのw)遊びの様子を見られるのはこちらも楽しい。夜ごはんは、ぎょうざ、鶏としめじ・玉ねぎのケチャップ煮、白菜ときゅうりと塩こんぶ和え。
と・こ・ろ・で! 今日、衝動的に、2013の朝ドラ「ごちそうさん」をアマゾンでポチったのですが・・・
本日午前中に注文したのが一時間ほど前に届いて、なんか、なんかな……罪悪感が……でも、これで明日から見られるー! URL
アマゾンプライムとやらの無料おためしをやってみたんですね。こういう流通網って異常だと思うんだけど、とりあえずサクと夫が早寝したあとひとしきり見ましたよね!! ああ、懐かしいごちの世界。今、BSで再放送やってるんですよ。でも、我が家、再放送見られないの。これで、再放送に合わせて毎日1話ずつ見るという小さな贅沢がー!
『ごちそうさん』 大嫌いっていわしたい ・ ごちそうさんまでの道
BSでやってる再放送・・・じゃなくて、DVDを見てます。BS再放送を見ての感想がtwitterに流れてくるのを見てると、もう一度見たくてたまらんくなってDVD BOX買っちまったのだよ!
◆第11週 「大嫌いっていわしたい」
「大事にされればいい嫁さんになる」だろう和枝。思えば西門家って、和枝も静も悠太郎も希子も、大事にされずに長い年月を過ごしてきたんだよね。だから、互いに相手を大事にする方法も知らなかった。根が深い。#ごちそうさん
#ごちそうさん あれだけめ以子にイケズしてきたんだから、詐欺に遭った和枝に「報いじゃ」と思いそうなもんなのに、彼女が言う「こんだけ不幸なんだから幸せになってええはず」のほうに思わず共感してしまう。そんな自分の気持ちが不思議で、すごい脚本だなとつくづく思った回だった、放送当時も。
恨みを力に気張ってきて、恨み骨髄から数々のイケズもして、家族にも信用されてなくて。そんな自分から生まれ変わりたい、形見の着物も今度は優しく撫でてあげたい、十数年も時間をかけてやっとそう思えるようになったときに、これだもんね…。ほんと容赦ないお話ですよ。#ごちそうさん
そして詐欺の被害者をショック浅からぬうちからすぐさま取材したがる室井なw 桜子という手綱があるから何とか常人の世にとどまっていられる業の深さ・・・ #ごちそうさん
ガスが噴出して露わになったのは断絶なんだよね。「生きて見返してやれ」なんて一般論の他人ごと感。和枝の長年の苦しみは家族にはわからない、でも和枝が作る空気で希子たちがどんな思いをしてきたか和枝にはわからない、愛されて育っため以子には和枝の如き人生は想像もつかない #ごちそうさん
「恨むなら俺や」と言われた和枝の顔がすごかった。そんな言葉では何ひとつ慰めにもならないとこまで来てるのだ。希子の言葉によって、今やどんな憎しみも恨みもすべて己に返ってくる矢になった。家族がこんな自分を必死に探し助けたのさえ、和枝には耐え難いことだっただろうな #ごちそうさん
そして、こんな修羅場の直後であっても、子どもができたと分かればうれしくてしょうがなくて笑い合う夫婦。そうだよね、当たり前。残酷なようだけどそういうものだ。とことん断絶なんだよなあ。断絶を抱えながら一緒に暮らし、いなくなれば心配して必死に探す。人って因果なもんやなあ #ごちそうさん
心が波立った状態でも、心を波立たせる最たる相手・め以子に対しても、丁寧な料理や裁縫をできる和枝。それは間違いなく和枝の美点で、その丁寧な仕事ぶりが和枝の人柄なのだとめ以子が理解し称えてくれても、和枝には救いにならないんだよね。むしろ自分との差をつきつけられてしまう。#ごちそうさん
皆に愛され祝福されるめ以子を見て自分の時のことを思い出し、つらくなっても「あれも自分が捻くれてたから起こったことなんや」と自己否定して、素直な人間にならな、と頑張ったら義妹は素直に褒めてくれて、その素直さにまた自分との差を感じて自己否定…悲しい悪循環だよね… #ごちそうさん
め以子は「丁寧な仕事=丁寧な人柄」という和枝の美点を正しく理解して、そこから和枝に謙虚に歩み寄ろうとするんだけど、「長所を見て付き合いましょう」「長所を伸ばしましょう」なんかじゃダメなときも厳然とあるんだよね。それが、見てて悲しいけどとても救われる思いもする鰯週。#ごちそうさん
#ごちそうさん 今日は本放送時、心の底から震えるほど感動した回。互いが嫌いで、ぶつかって、傷つけあって、努力もして、それでもダメで、満身創痍で別れていく、それでも人と人とが本気で関わり合うことってやっぱりすばらしいんだと思えた。ここまで揉めて離れるしかなくても、人は受け容れ合える
ここまでぶつかり合って、互いに醜態も見せ合って、自分の心の闇の部分まで見てエゴイスティックを自覚して、そうだからこその受容、今日の晴れ晴れとした別れと、その先につながる未来なんだよね。傷ついてなお強くなった2人、簡単に言語化できない繋がりをもった2人が眩しい #ごちそうさん
◆第12週 「ごちそうさんまでの道」
#ごちそうさん 妻の実家の安否確認というより、明らかに自分の業のために東京に向かう室井。一貫している。そこへいくと、安全な街のため「だけ」と言い切るには、悠さんはもうちょっと人間的かな。
#ごちそうさん 本放送時は、難しい題材に挑んでるなあ、これは挑戦的なのを超えて、当事者としてつらく思う人も多いのではないのかなあとも思った今週前半だけど、2回目になると、なぜこのエピソードが必要だったのかよくわかる。より、胸が痛い。
いやいや絶食しとったのにいきなりサンマを丸かぶりって…ていう衝撃の図が #ごちそうさん の真骨頂なんだよねえ。生きることは食べること。お腹が空いて食べずにいられない。悲しくて見苦しくて逞しい。
思い出の味が、新蕎麦とか味噌汁とかじゃなくサンマってのがねぇ。食べるって生々しい行為なんだよね。お腹の子がおなかすいたと言ってるとか、お母ちゃんは食べるのが仕事とか、そういう役割のための仕事じゃない。#ごちそうさん
犬猿の仲の和枝ちゃんも美味しい料理を作ってくれた、悲しみの淵にいた谷川ふみも食べて再生した。どんな人でも、わかり合えなくても、みんな食べるのは同じ。だから、難しいことは何もわからないめ以子は、自分にできることとして「食べさせる」に意義を見出していくのよねえ・・・。#ごちそうさん
「鍋底大根は全力でうまくなければならない!」 それは、ひとり歩きする綺麗で空疎なお題目じゃなくて、現場をつぶさに見た人間の絞り出すような切実な叫びなんだよね。聞いてる食卓の面々がもらい泣きして感動で消費したりしないのも、理知的な脚本演出。#ごちそうさん
「気持ちには寄り添うのは難しいけど誰でもお腹はすくから食べ物の力を信じる」という気づきがめ以子らしく、それが救援所に差入れを続けるという実際の行動に結びついてるのも、桜子の「変わったような変わってないような」という評までも、ほんとにストンと落ちる。#ごちそうさん 毎週金土回すごい
竹元教授の「自覚しろ」。これも好きなシーン。ほんとに逃げさせないよねえ、#ごちそうさん は。そして「新米くらいは心置きなく」なんつって、今ホッとさせてくれる、守らなければならない暮らしが戦争に行きついて、そこからも逃げさせない…
師走の五 / 勉強会+おしゃべり会
●12月某日: 近くの友だちも預かって一緒に歩いていく。走る走る。朝から、いいお知らせを含んだすてきなメールをもらってうれしい。
午後、サクを迎えに行くと、友だちが遊びに来ると言う。「いこうぜー!」と走って幼稚園を出てると、クラスの女の子が泣き顔でお母さんと手を繋いで歩いてる。「M,どしたと?」と話しかける子どもたち。話せないMちゃんに代わって「友だちの家に遊びに行きたかったけど、ダメだったのよ」とお母さん。「へー、そうなんだ。おれはサクタローんちにいくけど」とNくん。すると1分後、「サクタローんち、いっていい?」とそのMちゃんが元気に聞きに来て、一緒に来ることになった。ふふふ、面白い。
家では1人が「ねんどしたい」と言い出したのをきっかけに、絵の具遊びに。「なんか1こ、あきびんちょうだい。おおきいやつ」と言われて何に使うかと思ったら、瓶の全面に紙粘土をペタペタと貼って、それに絵の具で色を塗るという遊びをやってた。色を混ぜて作るのが楽しいんだよね。夜ごはんは、いわし煮、白菜とごぼうと揚げの味噌汁、肉まん。
ううー 明日ちょっとした会を催すので、準備の続きがあるし、その後も幼稚園仕事で帰りが遅くなるので家事の段取りもつけたいんだけど、弁当の仕込みもしたいんだけど、想像以上に満腹になりとても眠たい・・・
でも、眠気に負けずいろいろやりました。楽しみで、ちょっと落ち着かない気分。
●12月某日: 朝5時半過ぎに起きて(私にとっては超早起き!)、炊き込みご飯を持ち寄り用におむすびに結び、サクの弁当も。ごぼうと鶏の炊き込みご飯、卵焼き、豚と白菜のマヨポン炒め、野菜の煮物、ふかしいも。今日は炊き込みごはんなので普段よりごはん多め、おかず少なめ。
で、夫が6時に「早いね~」なんつって起きてくるのはいいとして、その10分後にサクが続いてきたのに驚く。今朝も近所の友だちを預かって一緒に歩いていく。子どもたちを送ったその足で、そのままAちゃんに乗せてもらっておうちに。今日は私が企画した勉強会&おしゃべり会。その振り返りはfacebookのほうに詳しく書いたので一部引用してこちらにも記録・・・
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おうちを提供してくれたAちゃん。彼女は今月末には3人目の出産を控えた妊婦さん。貴重な時間をいただいて、準備や片付け、お料理などモロモロしてもらって、本当にありがとう。すてきなおうちで気持ちよく過ごさせてもらった!
どうしてもこの季節、子どもの急病で来られなくなった方々もいたのは残念だけど、少人数だと初対面でもワイワイ話しやすい利点はある。不慣れな話を聞いてくれて、わいわいおしゃべりしてくれて、気心の知れたママたちでこういう話するのもいいなと思った。持ち寄りランチはめっちゃ豪華!
内容は、
・はじめに
・第1部 大人として親としてぐっときちゃう朝ドラの話など
・第2部 そういえば知らなかった歴史のお時間
・第3部 子どもたちが大好きな絵本たち・・・
という筋立てで、これでも全部つながっているのです、ふふふ。
実際にやってみると本当に勉強になることいっぱい。「あ、やっぱり、このエピソードは同世代母親として共感してもらえたっぽい」と手ごたえがあるところもあれば、「そういうところに疑問を持つんだなー」「これって(歴オタやら朝ドラクラスタ以外には)知られてないんだな…」と意外に思えて面白い部分もあり。自分が知らなかった派生エピソードを教えてもらえることも。反省点などいろいろあるけど、総じて賑やかな会でよかった。
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その足で、またAちゃん車で幼稚園に迎えに行き、今度はお母さん劇団のクリスマス公演リハーサル、1時間半ほど。こちらも賑やかに。ビデオに録ったのを見てみると、うん、なかなかいい! 先生にも見てもらい、OKをもらう。16時過ぎ、友だちの家に遊びに行っていたサクを迎えに行って帰宅。私にしちゃ盛りだくさんの1日。夜ごはんは、サラダと、煮物の野菜の残り、そしてお惣菜の唐揚げとカキフライ。早起きしたサクは早寝して、夫はこちらもちょっとした大仕事(矛盾?)のあと飲み会で、ワインなど飲みながらひとり反省会したというわけ。
mamajanaiwatashi.hatenablog.com