『おんな城主直虎』 第5話 「亀之丞、帰る」

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帰って来た亀之丞。堀には橋がかかってないんですね。

前髪垂らした童形の亀之丞が、おとわちゃんさえその気になればあの場で押し倒してことに及びそうに見えたのは私だけでしょうかw 冒頭の「すり鉢とすりこぎ」の話もあったしさあ。んで、傑山=寺サイドは、そんな亀の性分に気づいてるってことかな。傑山を「今年のセコム枠」って言ってるツイートを見かけて、うますぎる!!と思ったw

おとわは子ども時代の造形をちゃんと残しているだけじゃなく、お坊さんの説法みたいなことができるようになってるというレベルアップも果たしているのですね。「すり鉢とすりこぎ」といい(しつこいw)、1本の旗といい、森下さんってこういう小ネタ小話の類のアイデアは豊富な人なので今後も楽しみ楽しみだなあ。

「おとわ相手にひと芝居打った」小野和泉だけど、あれって「俺が死んでも井伊は小野の思いのままに!」というよりは、「俺が死んだあと息子に大過ないように」のための芝居に見えたなあ。9年の月日の間に一人だけめっきり老け込んだ扮装といい、苦労人っぷりを見せる和泉さんサヨナラ回だった。周りがまったく見えてない井伊家の面々にあって、痛みを伴う現実的な策を打てるのは自分しかいなくて、尽くして、疎んじられて、あきらめて、開き直って。息子をそんな目には遭わせたくないけど、きっと同じ道を辿るだろうとも思っている、複雑なたたずまいがよかったなあ。

そして政次は、さっそく1つ、「井伊のために」と呑まされた。一度はほぼ決まりかけていた縁談の立ち消え。高橋一生が「中の人」なのもあって、twitterでも政次かわいそう、不憫でならんという声をたくさん見たけど、彼はかわいそうなだけの人にはならないんじゃないかな? 政直自身のエゴや業もいろいろ発揮した上での、かわいそうな人になるんじゃないかな? というか、このドラマって、いろんなバリエーションでそういう人ばかりになるんじゃないかな?と思ってます。

竹千代の初登場は、一人二役での将棋!!(あ、囲碁だった?) シンボリックだなあ! コミカルなムードを漂わせていて良い。それを見てチッと舌打ちする瀬名がまた良い。

オープニングで出演クレジットを見て、直満に「(回想)」がついてなかったから、もしかして直満も実は生きてて一緒に帰ってきたりするのかしら?なんて思ったら、斜め上すぎる再登場(といっていいのか)で爆笑しましたw 髪型がwww しかし、なりは三浦春馬で中身は直満、と示唆してるんじゃないか疑惑もw 

ところで、今日の政直の説明によると、佐名はことさらに兄・南渓を恨んでいるのではなくて、自分を人身御供に差し出した井伊全体に恨み骨髄ってことなのかしら。そして、もしや、政直が佐名を差し出したリフレインが、政次とおとわで繰り返されたりするのかしら!!!

 

師走の四

●12月某日: サク弁、豚とキャベツ炒め、卵焼き、ふかしさつまいも、煮物(にんじん、だいこん、里芋)、小松菜おかか和え。芋がダブルとかぜーんぜんもんだいないですからね。

先日、クラスのママにもらった海苔が美味しすぎて毎日の朝ごはんが幸せです。今週に開催する勉強会&おしゃべり甲斐の準備をしたり、真田丸のログを書いたり。降園後、園庭で少し遊ぶ子どもたちを待って、図書館で予約してた本を借り、「ほん(←図鑑だが)よんでかえりたい」とサクが言うので2人でしばらく座り読みして、帰る。

帰宅後はサクのパン屋さん。メロンパン、クリームパン、ツナパン、ピザパン、塩パン、クロワッサン、フレンチトースト、にんじんパン、キャベツパン・・・・の総勢10種が折り紙でこしらえられ、それぞれに名札と値札を付されていたのを、買いに行く私。けっこううまい価格帯で値をつけてて6歳だなあと感じるw 夜ごはんは、親子丼、コールスロー、ふかしいも少し。サクが寝た後、M1の録画を少し見る。




●12月某日: サクを送って行って、そのままお母さん劇団のクリスマス会練習。人形劇の舞台のような台を上下2段作って12名のママたちが体を隠し、「おもちゃのチャチャチャ」のピアノに合わせておそろいの手袋をはめた手でハンドダンスをする。途中で3色のカラー手袋に代わるよ。どうなることかと思ったけど練習してみたらいけそう! わいわい賑やかに練習は進み、最後は円座でお茶して帰った。

隣の部屋から、サクたち年長さんが楽器をやってる音が聞こえてくる。こちらもクリスマス会で披露されるけど、弾かせる・叩かせる「技術」に力点をおかないのが園のいいところ。まだ、誰が何の楽器をやるかは決まって無くて、好きなものから、全員が全部の楽器を叩いたり弾いたりして遊んでるのだ。帰りにちょっとだけお部屋をのぞいたら、今度は講堂に置く大きなクリスマスツリーを出して、飾りつけしてた。楽しそう!!

鳥の図鑑を2種類も持ってて、さらに図書館に行っても別の鳥図鑑を見ている鳥フリーク・サク。福岡は今、渡りの季節なので、毎日ホクホクである。私と2人で帰っても、誰か友だちと一緒に帰る時も、必ず途中で川の中をじっくりと観察。マガモコガモやシラサギやアオサギなどが泳いだり、なんか食べたりしてます。

夜ごはんは、鶏手羽と根菜の煮物、白菜とベーコンスープ、それに夫が韓国お総菜屋さんで買ってきた、麻婆豆腐のソースをスイートチリみたいなのにしたやつ。M1の続きを見る。サクもいっちょ前に面白がって爆笑して、自分もネタやってたw 採点もドキドキしながら見てる。ビール、白ワイン。




 

師走の三 / 福岡国際マラソン(を沿道で応援!)

●12月某日: 午前中、夫がサクを連れてキャナルシティに行った。あたたかい上着を買ってやりたいらしい。私は家で家事雑事読書をすすめておりました。『ねじまき鳥クロニクル』2部も後半。めちゃめちゃ面白い。

13時にキャナル組と待ち合わせて平尾交差点。福岡国際マラソンの沿道で応援。サクを物心ついてから連れて行くのはそういえば初めてだ。時間が近づくにつれ警察官たちが信号機を電源停止させ、手旗信号等で車両と歩行者を導き始める様子にまずはびっくりしてた。

沿道の観客たちからおおっとどよめきが起こるので先頭集団が近づいてきたのがわかる。テレビやラジオの中継車、先導する白バイらに続いてやってきた集団は20km地点手前でまだ10人以上いたんじゃないかな。一瞬で駆け抜けていく彼らの中に、外国人の有力選手や川内もいた。

それから、よく見える位置を探して少しずつ場所を移動。選手たちが前を通るたびにサクも一緒にがんばれーと大きな声援を送った。朝日新聞の社旗を手渡されたので、それも深く考えず素直に使います(笑)。充分がんばってる人にがんばれと言うなってのはもはや常識ですが、マラソンはね、沿道の応援が本当に力になるの。で、見てる私たちも、ただ見てるだけ、旗を振るだけよりも、声を出して応援したほうが、ずっと気持ちよくて感動も深まる。と私は思う。夫は私たちにつられて後半は声出てましたねw

 

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で、陸連に登録して国際マラソンを走ろうという選手たちは本当に速いね。20分ほどですべてのランナーがこの地点を通過し、最後に「交通規制へのご協力ありがとうございました」と告げてまわる車が過ぎていきました。

コンビニに寄って家に帰りすぐにテレビをつけると、すでに箱崎に達している選手たち! サクも興味を持って見ていた。でね、川内が、めちゃがんばってて・・・(泣)。直前に故障もあったようで状態は決してよくなかっただろうに、粘る粘る。2時間9分11秒で3位!(日本人1位)。

これで8分台を出せば来年の世界選手権代表内定だったんだろうけど、今日は気温も低め、小雨が降り時折バラバラッときたりとマラソンのコンディションとしてはなかなか厳しいものがあり、2時間4分台の自己記録を持つツェガエやマカウも8分後半ギリギリまでかかったから十分アピールできる結果だったのではなかろうか。レース後の涙にこっちも泣くわい。

4位に入った黒崎播磨の園田選手は・・・そうですよね、一般参加ですよね?!(今、検索して確認)。沿道で見て、坊主頭に刈っている頭髪で、もくもくとストイックに走る(見なストイックに見えるマラソンランナーの中でもとてもストイックに、規則正しく無駄のないフォームに見えた)姿が印象的だった。ポーランドのゾストが6位、ウクライナのバラノフスキーが8位、このあたりはいつもながらしぶとい走りをしますな。九電工前田和浩は10位、高田千春は14位、ギタウは20km地点でも明らかに足に異常がありそうでしたね、41位でした。

夜ごはんは、塩サバ、具沢山味噌汁、大根おろし、きんぴらごぼう、サラダ。

 

『社会の抜け道』 古市憲寿、國分功一郎

 

社会の抜け道

社会の抜け道

 

 

約3年ぶりに再読。あれからテレビ出演等でネットではすっかり悪名高くなった古市氏ですが(笑)、この本は気軽に手に取ってみる価値あると思います。

社会学者の古市憲寿と、哲学者・國分功一郎による対談形式で進んでいく。とても示唆的なのですね。日常の中で、「これってどうなの?」「心配だなあ」と思うこと。あるいは、「全然意識したことなかったけど、言われてみれば…」と思うこと。そんないろいろが散りばめられている。専門書ではないので議論を突き詰めていくわけではないんだけど、考えるきっかけを与えてくれる。(学者や文献についてはフットノートの形でそれなりに紹介されています)

3年前にこの本で読んでからというもの、物事を見るとき考えるとき、いつも心に留めていることがいくつかあります。

國分: 一見ものがあふれているように見える消費社会では、知恵が奪いとられちゃう。自分で探さなくなる。だから、みんなつまらなさそうにしている。で、つまらさなさそうにするからどんどん商品が投げ込まれるんだけど、結局のところは、もっとつまらなくなってしまう。
古市: 永遠に満足しないサイクルに組み込まれてしまうわけですね。
國分: 消費社会の根底には、消費と不満足の悪循環があると思うね。

 

國分:うまく遊べないときに、人は退屈する。だから、うまく遊べなかったり、楽しめなかったりすると、人は外から仕事や課題を与えられることを求めるようになる。自ら自由を捨てて、何かに従いたくなる。人間が従属へと向かう契機のひとつには、自分で楽しめないということがあると思う。自分で楽しめないと退屈してしまうから、外から仕事を与えられた方が楽だという気持ちになるんだよ。だから俺は、人はきちんと遊べるようになる必要があると思ってる。小さいときからとにかく遊ぶことが大切だと思うね。それができていないと、隷従したがる人間ができあがってしまう。

 

主体的であることの大切さ。受け身な姿勢が集合すると、大企業とか国家とか、「人々をこう誘導したい」という企図に乗せられやすくなる危険があるということ。

國分:自由とは選択肢が多いこととはまったく違うし、そもそも、用意された選択肢が十分なのかどうか検討しなければならない。

國分:議論を二項対立にもっていくと絶対に答えは出ない。けれど問題についての情報をたくさん仕入れて知識を増やしていくと、二項対立は消えていく。その対立で隠されていた真の論点が見えてくる。

 

「二項対立の罠の克服の仕方」が鮮やかに示されていて、私これを読んだときすごく希望を感じたんだよなあ。

 

それから3年、現実には世界の分断はさらに進んでいってるけれど、「二項対立の問題じゃないよ」「第三の道を見つけよう」という論調もあちこちで見るし、テレビドラマにもそういった機運を感じます。やはりこれしかないんだと思う。

この本のタイトル「社会の抜け道」も、そういう意味だ。抜け道って言葉はどうにもちょっとネガティブイメージだけどね。オルタナティブを探そうということ。もっとも願ってはいけないのは革命だという。「反革命」の思想をこの本は書いている。世の中をガラッと変えたい、新しい政治家に諸悪の根源を倒してもらいたい。人はそう願ってしまいがちだけれどそれは思考停止なんだということ。

「社会はちょっとずつしか変わらない。」

そのためには、市民の成熟が必要なんである。本当に解決しなきゃいけない細かな具体的問題から目を背けず、現実的解決を探っていける成熟。

以下、目次を列挙。

1.IKEAコストコに行ってみた
2.「暮らしの実験室」の幸福論
3.デモと遊びと民主主義のアップデートされた関係性
4.人類史的重要プロジェクト 保育園の話
5.理想社会と食の問題
6.僕たちの「反革命


身近な問題ばかり。2人のスタンスは必ずしも一致しているわけではない。たとえば食事についても、自炊が好きな國分に対し、古市は食事は空腹がみたされれば何でもいい、というタイプ。國分には子どもがありしかもシングルファーザーの経験もあり、古市は独身で子どもの可愛さがあまりわからないという。でも、だからこそ偏らず、議論が一面的にならないところがある。現場に足を運んで語り合う、というのも良い。

2人は学者ではあるけど、1人の市民としての生活環境の面から語ってる部分も多い。私たちだってそんなふうに、特別に構えずに、結論を性急に求めるわけでなく、何となく話の俎上に乗せていいんだと思う。

 

 

 

1/28 毎日 「北田暁大が聞く危機の20年」自衛隊海外派遣について

 

 

『富士ファミリー 2017』

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またやってくれてうれしかった。やっぱり好きだ。毎新春やってくれんかな。ささやかな晴れやかさが、お正月ドラマとしてとても気持ちいいのよね。大家族モノっぽいようで、たとえば一人暮らしをしている人が見ても、自己疎外しなくてすむんじゃないかな、ていうような、淋しさを孕んだあたたかさがある。

今回は、「忘れる、忘れない?」の話。人は忘却をコントロールできない。

笑子ばあちゃんは、忘れていた戦時中の白メシのことを不意に思い出す。若くて見目いい男へのときめきを忘れてない。家族みんなのことをちゃんと覚えてる。ナスミのことも。

鷹子はキーちゃんのことを忘れていた。キーちゃんに言ったことも。キーちゃんの予言も。

日出男はナスミのことを忘れてない。忘れられない。それが愛子になんだか申し訳ない。愛子はナスミを忘れようとする日出男にモヤモヤする。ナスミが忘れられるのなら自分だっていつか忘れられるんじゃないか。

ぷりおは忘れたい。先生が起こした事件も。今までの自分の生き方も。でも当然忘れられない。

悲しいけど、忘れる、忘れないは、生きてる人間には、どうしようもないことなんだなあ。でも、「信じる」はコントロールできる。何を信じるかは自分で選べる。

笑子ばあちゃんは、長生きして幸せだと信じる。ナスミとまた会えると信じる。鷹子は夫の「大丈夫」を信じる。日出男は、おじいちゃんになっても若くて綺麗だった愛子を覚えてると信じる(それは、若くて綺麗な時に亡くなったナスミとの並列だろう)。ぷりおはこれからも尊敬し続けると言う。

そして、人はいつでも生まれ変わることができる。「おはぎちょうだい」なんて簡単な言葉ででも。誰かに何かを求めることも、何かを求められることも、どちらも福音なんだ。私たちはすぐに落ち込んで、でもいつでも気を取り直して生きてく。

忘れるか忘れないかを、生きてる人間はコントロールできないけど、死んだ人間には選べるんだ、っていう書き方がユニーク。作家の羽田圭介が演じるテッシンは、すべてを忘れて新しく生まれ変わる。自分で納得したタイミングで「次に行く」ことができるんだね。ナスミは、みんなのことをもうちょっと見ていたいから、まだ行かない。でも、みんなが彼女を忘れたり、みんなが死んでしまったりしたら、「次に行く」こともできる。それは自分の意思なんだよね。生きてる私たちはみんな自分の意思で生まれてきた、と思える理屈になって、面白い。

木皿泉の脚本はもちろんだけど、役者の演技を堪能するドラマでもあるんだと思ったなあ。

鷹子の不安げな表情も、長女としての優しさもいい。高橋克実との長いやりとりはユニーク。ドアを開けたり閉めたり繰り返すのもさ、あれ喋りの中で自然にやるの難しいと思うんだよね。

仲里依紗は、カバーズで司会してるときより、他人になりきって演技をしてるときのほうがものすごく自由に見える。役者ってそういうものか。吉岡秀隆の日出男の、大げさに目を剥いて叫んだり、腰を引いたりする演技もツボに嵌る。日出男と愛子のシーンで泣いちゃったよ。その傍らに黙って幽霊のキョンキョン! すんごい顔してた。羽田さんと一緒だったら俳優がいかに芝居できるかがよくわかる。いや、事前番組で木皿泉が言ってたとおり、羽田さんはあれだからよかったんだと思います。

片桐はいりあってのドラマなのは言うまでもない。息子6歳も笑子ばあちゃんにめちゃめちゃツボってた。作りまくった芝居なんだけど、鼻につかないんだよなあ。おはぎをもってナスミを待ちながら「寒くないか、泣いてないか、しっかりやってるか」みたいなこと言うシーン、泣けた。もう普段は誰からも頼られない、むしろ庇護の対象として見られているばあちゃんの愛。

そして、片桐はいりの作り込んだ芝居とは対極にあるぷりおですよ。でーさん、ものすご自然に「富士ファミリー」に入ってきたなw さすがだww もちろん、あてがきの見事さも大きい。理系男子で、「それはこの地方の民間療法かなんかですか?」とか、西門悠太郎(@ごちそうさん)からいただいたっぽい要素も随所にありつつ、「まだまだ尊敬していたいんです!」みたいな、口語としてはあまりに不自然なセリフは、東出さんの不思議なセリフ回しだから何となく「お、おう、こういう人なんだよね」ってなるのよね! 木皿さんたち、わかってるー!

 

emitemit.hatenablog.com

師走の二

●12月某日: 朝ラン。のんびり6キロ。12月だけど、気持ちのいい晩秋の晴天って感じ。光を浴びてる木立の中を走りたくなる。

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帰ると夫とサクはまだうだうだしてたので、「すごく気持ちのいい日だぞ」とアピール、散歩がてらの買い物に繰り出させる。

昼ごはんは、夫が昨日長崎で買ってきたみろくやの麺とスープを使って、ちゃんぽん。麺がもちもちしていて美味しいのです。買ってくるだけじゃなくて、きっちり自分で作るとこまでやるという正しいお土産を披露してくれる夫である。豚の角煮まんもあった。「なんだこのにくまん!」とサク、衝撃を受ける。食べて「んーまーーー!」そうよね、1個300円くらいしたらしいからねw 

昼下がりから3人で天神に行き、クリスマス色を感じながらぶらぶら。クリスマスカードとか、来年の卓上カレンダーとか買う。市役所前広場では去年に引き続いてクリスマスマーケット。大盛況。飲み物食べ物はあまりに高いのでパスしたけど、12時間でむくむく膨れ上がるマジッククリスマスツリーなる怪しげな?雑貨(680円なり)を買った。渡辺通り沿いの木にもLEDのイルミネーションが施されていて綺麗。こうして街のクリスマスに集う人々を眺め、街の賑わいを感じ取ってわくわくしてる息子を見てると、平和って本当に大事だなと思う。

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で、バスでちょっと移動して、炉端焼きのお店で家族忘年会! 薬院大通りの「五」です。焼き物は、牡蠣にししゃもにアナゴにスルメイカ、エイヒレ、他にゴマかんぱちやししゃも、お通しのサラダやおにぎりも、何もかもめちゃ美味しかった! 日本酒豊富。小さな個室も、店の人も感じよく、おすすめですぞ。帰宅して、風呂入って、2次会~。でも割とすぐ寝ちゃった。

 

師走の一 / 絵本よみきかせ・誕生会

●12月某日: 月が替わるとサクが喜ぶ。「あと31にちで2016ねんがおわるー!」って喜んでる。いいなあ、その無邪気さ・・・。そんな12月最初のサク弁は、ポークビーンズ、ソーセージ、ネギたっぷり卵やき、きんぴらごぼう、ポテサラ。やたら残り物とか作り置きが多いが栄養はバッチリだぜぃ! 











サクはもちろん3冊とも家でよく読んでる絵本なので、読み聞かせ中、そうそうというような、お母さんが読んでるのでちょっとドキドキするような顔。自転車での帰り道、「おかあさん、よみきかせやってよかったな。イエペのやつ、ようちえんでは、しゃしんのえほん、めずらしいよな」と述べていた。なんか、上からだな(笑)。

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『イエペはぼうしがだいすき』 デンマークの子どもたちの姿かたちはもちろん、保育園や家庭など生活の様子が、自分たちと似ているけどやっぱりちょっと違うところもあって、帽子を離したくない気持ちにも共感するところがあるのか、子どもたち、すごく食いつきます。おすすめ。夜ごはんは、焼きそば、サツマイモときのこの味噌汁、きんぴらごぼう。夫が焼きそばをものすごーーーーくいっぱい食べた。

わゴムはどのくらいのびるかしら?

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おだんごぱん―ロシアの昔話 (日本傑作絵本シリーズ)

おだんごぱん―ロシアの昔話 (日本傑作絵本シリーズ)

 

 

●12月某日: 幼稚園に送って行って、いったん帰って、10時半に再度、行く。今日は10-12月の誕生日会。





家で作業中、プリンタが動かなくなって四苦八苦。まったく、現代の苦労ですな(いや、ただのローテクである。わかってるよ)。降園後、予告していたとおり、鼻ジュル咳こんこんサクを小児科に連れていく。銀行2件、コンビニのATMに寄ってから向かうと、先生が(産業医的な用向きで)外出中、16時には戻るけど…とのことだった。時に、15時10分。図書館に行って予約していた本を受け取り、閲覧コーナーで2人して読書して(鳥の図鑑を見てるサク…家に出版社違いの2冊も持ってるのに…)、スーパーで買い物して、16時ちょうどに再度行って、診てもらう。

夜ごはんは、サーモン刺し、メンチカツ、厚揚げ煮やらの残り、きゅうり。ミネストローネ。サーモンやマグロは子どもにはあまり食べさせない方がいいんだろうけど月1,2回は食べさせちゃってる。どうだろう。Mステとか一緒に見てたサクがだんだん無口になり、「もう2パーセントしかない…」と電池切れの近いことを告げたので慌てて布団に入れて「今で何パーセント?」と聞くと「0.5…」と言って即落ちしたw 22時半ごろ、夫が長崎出張から帰宅。しばし一緒に飲む。栗原はるみの料理番組の録画を夫と見るのが好きだ。

 

1/20?毎日 ヘリコプターマネーと高橋是清

 

『おんな城主直虎』 第4話 「女子にこそあれ次郎法師」

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やはり、生け花が好きで、上手で、優しい花を活けるお父ちゃん。そんなふうに暮らしていける時代なら良かったのにね。でも、そうはいかない。今川にいいように下知されて目付の小野にも舐められてて、娘を丸め込むにも追い返すにも妻の口舌を頼って、妻を荒ぶらせ、哀れで健気な娘の姿を見て、ようやく腰を上げる。

小野を斬るかと思いきや小野を助けて、「半分あきらめよ」って言うのがよかったね。白でも黒でもない、グレーな道を初めて選んだ。その覚悟と精一杯の知恵が、井伊谷をとりあえず9年間守る端緒になったんだろうね。

仇討ちの若侍に及び腰をなじられて、無礼討ちはもちろん反論もせず、これ以上ない屈辱を耐える姿が、彼がただのダメ当主でないことを示していた。小心者で器が足りないと自分でわかっている。だから直満も死なせてしまったのだと。わかってるから、これじゃいかんと頑張った。でも、人の器は簡単に広げられないわけで…。お父ちゃんが能天気な小心者じゃなく「自分のわかってる小心者」だと示したことで、この先さらにぐっとくる展開が予想される。

お母ちゃんもそう。おとわが出家を渋るや、おだてて調子に乗せて出家させる。そして、出家生活の実態を知ったおとわが帰ってきたら般若の顔と言葉で追い返す。10歳の少女に井伊の滅びなんて大きすぎる命題を突き付けて、端的にいってひどい。むごい。でも、お母ちゃんにはそれしかできない。その方法しか思いつかない。しんどいなあ。

前田吟のご隠居様の短慮も、小野の策士然としながらまったく胆力なさそう(先週、鶴が拉致されてかなり動揺してたのに、再会したら「災難だったな」って、面白い! 安堵を顔に出すでも、ご隠居をなじるでも、「拉致されるなんておまえが至らん!」と怒るでもなく、「災難だったな」って、他人事か!w)なのも、どちらもいい方向にはまったく転びそうにない。

それに比べて、次郎法師さんには悲壮感がない。




お姫様が井伊谷の安全保障のために出家させられて僧たちの中でたった一人暮らさなきゃいけなくなる、って説明したら悲劇的なのに、おとわちゃんのアチャー感はどうでしょうw

南渓が、次郎を寺には入れたけど、寝食や作務はひととおり作法通りやらせるものの、完全にその型に嵌めないってのがミソなんだな。それは次郎のためにはならないと踏んでいる。なぜなら、おとわは「次郎」だから。その名を、彼女が総領娘として生まれたからではなく、井伊の嫡男たる「次郎」の素質を持ってるから背負わせるんだねえ。それがおとわの幸せかどうかはわからない。でも、もしかしたらそれはおとわを力の限り生きさせる道なのかなと思わせる。力の限り命を使い切る生き方が幸せなのかな、と、おとわを見てると思う。

ま、それを南渓が負わせちゃったしっぺ返しも、どこかで巡ってきそうだけどね、森下さんの筆だから・・・。先週、今川館から解放されてきたおとわを見つけた小林薫の表情、回想で見ると何とも深いなあ。とわちゃんの笑顔も強い!

だからおとわってあんまかわいそうに見えないんだよね。土のついたカブをがっついてるおとわを見て、鶴が哀れまないのも良かった。それどころか、話を聞いたら「アホだな、相変わらず」だもんねw いや、言っちゃっていいんです、鶴くん。「あー、こんなことなら鶴とめおと約束しときゃよかった」なんて言う子だから、次郎は。この子を相手に溜めこんだら負けだ、鶴よ!

傑山がめっちゃいい。この短い出番で掴まれる。次郎に対して、特に哀れむでもなく、疎むでも無関心でもなく、過剰な思い入れがなさそうな笑顔や言葉がけが、いい。

んで、次郎と瀬名がこんないい仲になるなんて! いいよいいよ、そして将来を想像するとなんか、アアッてなる・・・! 着々と仕込んでくるよねー! 大河の子役ターンには基本的にさほど興味を持てないたちだけど、面白く見られました。この4話がのちのち効いてくるのが楽しみです。