『学校ともだち』 長野まゆみ
冬休みに息子小3と一緒に読んだ本。20代半ばのころから大好きで何十回も読み返してきた。5年生の少年たち5人(男子校らしい)と担任のオヅ先生とで往復される学級日誌から、ひとりひとりの背景や友だち関係がいきいきと、そして切なく浮かび上がる。
少し読み進めると、彼らを取り巻く世界が「今・ココ」と少し違うことに気づく。1992年に発行されてから30年弱。気候変動への喫緊の対策が叫ばれる現代、そして親として子どもと一緒に読むと、胸を刺されるものがあった。
「オヅ先生、きょうクドウ先生からうかがった話やフィルムの鑑賞は、ユウウツになることばかりでした。飲料水や食糧のことはもちろん、近い将来、いっさい日を浴びて遊べなくなることや、エネルギィがなくなってしまうことなど、これから先、いいことはひとつもありません。怖いと思いました」
「兄(エミ註:16歳)の学校では来週、初めての<<選抜>>が行われるという。健康診断の名目で行われる適性検査のことだ。その結果で、シェルタア・シティでの<生活実験者>と 山地や海上での<野外活動>にわかれ、二年間を過ごす」
(先生より)「実際に<<選抜>>が行われた後で、詳しく皆さんにもお話いたしましょう。難しい問題を含んでいます。みなさんの生まれる以前、みなさんの知らないところで決められたこの制度は、みなさんにこそ一番かかわってくるのです」
「日を浴びることが健康の第一だと考えられていた時代はもう終わりました。わたくしたちは、いずれ外気に触れる生活ができなくなることでしょう」
「かつてのように食糧が管理される時代が来るのも間近でしょう。そのためにも、みなさんは食べ物がどのように作られ、どのように流通し、自分の体の中へ入ってくるのかを知っておく必要があるのです。また、体をつくってゆくいえで、どのような食品を摂るべきか、そういうことももはや人任せにしていてはいけません。もしこの点をおろそかにするなら、体の中には有害なものしか入ってこないと覚悟しておいたほうがよいでしょう」
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少年たちが生きるのは、いわゆる「世界の終わり」が近づいた世界だ。美大出身で生物学的な興味も深い作者が紡ぐ世界観には読者を引き込む力がある。
現実に、この小説が書かれたころより、いろいろな意味で「世界の終わり」は近づいている。それどころか「外気に触れられない生活」は、すでに9年前からこの日本に存在するのだ。ずっと九州にいて、つい意識の遠くに置きがちだけれど‥‥。
少年たちは11歳で既に「世界の終わり」について教えられ、また「世界の終わりの足音」を体で感じながら生活している。そんな中でも、彼らは一日いちにち、他愛なくそしてかけがえのない経験を積み重ねている。
粗暴な子はやさしさを覚え、引っ込み思案の子が踏み出し、プライドの高い委員長はその裏にあるコンプレックスに気づく。明朗活発な自分への嫉妬をぶつけられて戸惑う子、友だちの間に立って悩む子。
そして、学級の外にいてキーパーソンとなる病身の少年。
終わりゆく世界でも、今ここにある彼らの命は息づき、成長していく。息子を隣に一緒に読むと、その輝きと悲しみがいっそうしみた。
息子もとても楽しんでいたけど、物語を覆う暗い影をうっすらと感じていたようでした。