『花燃ゆ』 第3話「ついてない男」

泰造・梅太郎と伊勢谷・寅次郎の兄弟の対峙のシーン、良かったね。泰造、こんなに演技うまくなっちゃってどうすんだろう。ってとこまできてますね。心から弟を思う兄であり、家族を思う長男でもある気持ちが切々と伝わるとともに、当時の良識的下級武士たるキャラクターも表現されていました。ま、密談現場に踏み入ってきた瞬間は、ちょっと「近藤勇」入ってて怖かったけどね(笑)

この場面では、まさしく「兄に叱られる弟の顔」をしている伊勢谷もよかった。その後の、金子重輔に向かっての述懐「子どものときは兄と同じ布団で寝ていた」もよかったんだけど・・・金子重輔がなしくずし的な登場すぎて(笑)。知ってるけどさ、気になっちゃうやん。来週、詳しい説明がなされなかったら、金子は泣いていい、許す(笑)。

寅次郎が、なんで前回、いともあっさりと脱藩しちゃったのか。なんで今回また、家族を困らせる企てをするのか。「知行合一」だの、「命の使い方」だの、お綺麗な情熱的フレーズを心の糧にできるのは、文ちゃんが「お子様(寿のセリフだが、幕末にお子様って語彙はどーなのか?)」だからで、まっとうな大人である梅太郎にとって、寅次郎は「5歳の子どものまま」であり、それが至極当然の感想なんである。

視聴者にも、寅次郎がわからない。生家の家族の側に立って「いい年して家族に迷惑ばかりかけて、困り果てる」と思うか、文ちゃんになりきって「寅兄様は困ったものだし心配だけど、やっぱり大好き。中二病かっこいい言葉に心ひかれる」と思うしかない。

それは作り手の意図で、文がまだ子どもであるうちは「家族の目線から見た吉田松陰」に徹して描いているのかもしれないなとは思う。文が徐々に大人になり、その過程で久坂やら高杉やらと出会い、たぶん「人結びSPEC」によって彼らの間(や、彼らと松下村塾との間)も取り持って・・・としていくうちに、やがて松陰の奇矯な情熱の源泉に触れ、視聴者の目にもそれが明らかになる・・・

と、期待してみる。たぶん期待外れだろうと思いながら書いている(笑)。や、もしかしたらそういう筋ではあるかもしれないけど、カタルシスを与えてくれる形でそれを書いてくれるかどうかは甚だ疑問。

だって、本編初登場となる、吉田稔麿やら入江九一やらを、「自分から言い出した約束の時刻に、いざとなると腰が引けてこない」人物として描いてくれちゃったからね! これは、天地人やら江やら官兵衛やらの「学芸会大河」が散々やらかしてくれた、「周辺キャラの雑魚化」行為に相違ないですよね! 「あんたはあの人たちとは違う。私は行動する人が好き」って、今回のハイライトに使ったよね、周辺キャラの雑魚化を! 周囲を貶めることで主要キャラをアゲたって魅力的な物語は作れないんだと何度口を酸っぱくしてきたことか、まだわからんのかおんどりゃー。

寅次郎の脱藩の処分が士籍剥奪の上、生家での「育(はぐくみ)」扱いになるとか、そのうえで10年の遊学が認められるとか、知らない人にとってはものすごく謎だと思うんだけど、視聴者がこういうのに興味持つわけないと思ってるんでしょうね。

てか、家族以外の前では口もきけないほどに内気でだったのに、久坂をグイグイひっぱていくだけじゃなく、言いたいこと全部ハッキリしっかり言っちゃって、もうすでに言葉足らずなキャラじゃないのね。文ちゃんのキャラ把握に悩むわ。兄の言葉が夜中に抜け出し行動するきっかけになったわけだけど、この時代、女に「命の使い方」なんて投げかけるのは異例というか奇妙奇天烈な行為なんで、この問いに対するアンサーはめちゃめちゃ心して出してもらわないと困るのよ、将来的な話。よろしくね。

伊之助と松陰との親友設定が苦しすぎることが既に露呈してるんだが、うまく折り合いつけていけるんだろうか・・・てか伊之助センセイ、これほど寿に興味ないわ思いやりもないわで子どもだけ仕込んでるって、そういう夫は古今東西やまほどいるだろうけども、「イケメンドラマ」的に印象ダウンでしかないわよ大丈夫かしら。文ちゃんじゃないと幕末男子は育てられないのか?

・・・と、文句を書き連ねてまいりましたが、東出くんの初登場にすっかり毒気を抜かれてしまいました。この大根!(あ、言っちゃった。) なのにどうして惹きつけられちゃうんでしょう。「心根のまっすぐな未熟者」に東出くん自身が投影されきってるというか。彼が自然に成長していくのを見たいなーと思える稀有な役者さんです。もしかしたら少し、アマチュアのスポーツ選手を見る気持ちに近いのかも。「ついてない男」のサブタイトルもハマっていたと思います。彼が脚本家のミューズになって、物語そのものに魅力を与えてくれたらいいなと願いますが、さすがにそれは重荷だよねぇー。