『花燃ゆ』 第20話「松陰、復活!」

今回、鈴木杏さん演じる辰路さんがとってもよかったのですが・・・(後述)

時は今、文久2年ですか。血生臭くも華やかな幕末絵巻のあれこれが華麗にスルーされていくのを見る(=いろんな出来事が全然映像で見られない!!)のは、やっぱりつらいもんがありますね。坂下門外の変生麦事件もサヨウナラ。まあ、当の長州の「航海遠略策」があの扱いって時点で何をか期待せん、ってなもんですが。

このドラマの特徴として、

1.作り手は「煩瑣な枝葉を取っ払ってシンプルに」示そうとしているけど、それがかえって問題をわかりにくく・・・というか何が問題なのかをさっぱりわからなくしている

2.作り手は「けなげで、一生懸命で、いい話」にしようとしているけど、見るがわとしてはそのように受け取れないどころか、むしろすごく気持ち悪い、不快。


というのがあります。


「1」について。
「我が藩はいまひとつ他藩に後れをとっている」といっても、そのような描写がないからわかりませんし、「航海遠略策」がなぜ一時期もてはやされたのか、そして村塾系の志士たちはなぜ彼を敵視して討とうとまでしたのか、何やらさっぱりわかりません(ドラマだけを見ていても)。っていうか、もてはやされた描写すらありませんでしたものね、航海遠略策。長井さんにはいっとき、きらびやかな時代を謳歌させてやりたかったよ・・・。亀太郎が死を賭してまで突撃したわりに、彼が失敗したらあとに続く者のひとりもないような描写ってのもよー。どんだけブツ切りなんだ。

今回、小田村伊之助が支藩をまとめるべく行脚する様子があり、これはどうも史実に明らかな彼の実績なんですかね? であれば外せなかったのもわかるし、「地道にコツコツ(by 『まれ』)」な彼の仕事と、長州一藩でも攘夷をと逸って焼打ちに走る村塾系の志士たちとを対比させたのかもしれません。けれど、藩主みずからの「そば近くに仕えないか?」という誘いよりも「支藩をまとめる」のが優先すべきことなのか?とモヤモヤするんですよ。だってこれまで支藩の大切さとか一回も描かれてないし。たぶんこれからも描かれないし。

冒険はせず、志のような危ないモノも持たず、地味で目立たない分相応な仕事をコツコツやりながら多くの志士たちを見送り、維新後も長州閥のひとりとして群馬県令という地味で目立たないけれど大切な仕事をコツコツやった。小田村伊之助ってそういう人間じゃないかと思うんですけど、なんか、無理に、松陰・久坂・高杉ら傑物と並び立つ・・・むしろ凌駕するかのような雰囲気で描かれてるもんで、いざというとき「結局、無能か!」「たかが支藩かよ!」ってズコッとくるんですよね。

てか、それより長州藩本体の政治劇はないのかよ、と言いたいわけですけどね。幕末の長州なんてネタの宝庫なのに・・・。伊之助兄の松島剛蔵も、ツダカンを充てておきながら謎キャラだし、今回の井上馨のなしくずしの登場・・・登場するだけマシと思うべきなのか。

公使館焼き討ちにしても、「長州一藩でも攘夷を!!」なんて血気盛んな高杉が、「建設中で人はいないから殺人はしないですむし・・・」みたいな「過激と穏便の折衷案」にノリノリってのも腰抜けな話だし、しかもそれを「日本をひっくり返すんぞ!!」って、アンタどんだけチャチな男なんだ、と。「つまらん、つまらん」って、おまえは塚地 from 「平清盛」か、と。 「面白きこともなき世を面白く」な辞世から遡ってるんだろうが、あまりに直接すぎなんだよ!

このドラマの「頭の悪げなイケイケ」高杉も、「まるで純朴な穏便派」久坂も、つらたんです。


「2」について。

文ちゃん周りが意味わかんなくて、全然いい話に思えなくて。学問の意味がわからなくなった子に松陰の書を与え、松下村塾(跡)に年端のゆかぬいたいけな子どもたちを集めて、末はテロリストですか? 「お兄ちゃんが大好き、お兄ちゃんの言葉を広めたい」の行く先に何があるのか、文ちゃんだって、もうさんざん見てきたはずですよね、金子君といい、入江兄弟といい、亀太郎といい。

「テロ計画はイヤだけど村塾に人は集まってほしい、おにぎり食べさせてあげたいし。」とは文ちゃんって完全にお脳が足りないのかな?って見えるんですけど、少女のころから学問の書や兄の著作を読めるほどの学があるという設定でもあるんですよね。それでいて、「勉強してるみなさんにおにぎりを食べさせてあげるのが大好き」というアイデンティティー。わからぬ。

テロリスト養成に雅をひきずりこむのもどうかと思うのだが、その理由が「あなたが高杉晋作の妻だからです」って! 耳を疑いました。夫のステイタスが理由か! 『問題のあるレストラン』での高畑充希ちゃんのセリフ、

「女の価値は男の職業とニアリイコール(≒)なの。」

を思い出しましたね。「彼が弁護士なら、 女は≒弁護士。彼が脳外科医なら、女は≒脳外科医。彼が無職なら、あたしがどんな仕事してようが、≒無職」と言うんです。あれは、その価値観を地でいってましたね。久坂や高杉の妻って相当に価値のあることなんですね。入江の妹や吉田(稔麿)の妹ではダメなんですかね?

あと松陰のこと「罪が許された」と喜んでたけど、あれって結局、彼ら家族は松陰に「罪」があったと認めている描写になると思うんですよね。藩がダメっていってることをしたからそれを「罪」だと素直に受け止めてるんなら、彼らは松陰の何ひとつをも理解していないことになるし、それでもこのドラマで繰り返し描かれているのは「家族の絆」ふうのシークエンス。ほんと、つきつめて考えずに書かれているようにしか見えなくてだな・・・。

そんな中での、辰路さん。鈴木杏、さすが! ほんの短いセリフの間が、イントネーションが、微笑みが、目を伏せる様が雰囲気むんむんです。広末さんの代役ですが、広末さんがやったら良くも悪くも広末さんでしかないので、この、どこからどう見ても「幕末の京都の芸妓・辰路」にしか見えない鈴木杏さんが見られるのは、個人的にはとてもうれしいです。この演技力にドラマがついていってないのが残念でならん

百戦錬磨の芸妓に翻弄される・・・かと思いきや、そのうちその芸妓の心を捉えるのであろう純粋まっすぐな東出くん。というのは違和感ないんですけど、幕末の志士・久坂玄瑞としてはやっぱり弱いよなあー。上杉祥三の三条実美と渡り合えるようには到底見えない。「まことでございますか!」のセリフ回しがやばすぎたw 同じことは高杉にもいえて、北大路欣也のそうせい候への奏上。力が入れば入るほど頼りなく聞こえてしまうこの切なさw 

このあたりはやっぱり、(時代劇の演技からは遠いにしろ)大沢たかおの年の功を感じるし、必ずしも演技力に定評があるというわけでもない(よね?笑)伊勢谷友介も年を重ねて存在感を増したのだなあと思った。もちろん久坂も高杉も当時は20代だったろうが、やはり中の人たちは平成の日本で育った若者にしか見えなくて、半ば狂ったように命を賭して、実際に多くが命を落とした、「志士」という人種とはほど遠いんだよね、仕方ないんだろうけど・・・。

 

だから幕末大河と言えど「ホームドラマ」に傾くのも必然の選択なのかもしれないよね。でもそのホームドラマの出来が悪いのはいかんともしがたい(^^;