『花燃ゆ』 第22話 「妻と奇兵隊」
13話『コレラと爆弾』も印象的だった安達もじりが演出を担当、
今回もやはり、「立ち尽くす(しかない)文」の画に映画的なものがあった。背景は当然時代劇のセットなのだが、なんというか・・・時代とか場所とかを超越したような画づくりをする人だなと思う。雰囲気があって嫌いじゃない。ただ、大河ドラマでは、保守的と言われようが時代と場所にしっかりと根ざした脚本演出が基本だと思ってる。まずもって、そこがしっかりしてこその応用とか外連だと思うので、もじり演出の綺麗な画も、「花燃ゆ」では、はかない。
ていうかだね、この脚本はあんまりじゃないですか!?(わなわな)
泉下の久坂玄瑞にも、東出昌大くんにもあんまりなんじゃないですか!?
どうせ奇兵隊結成は中2的に描かれるんだろうなと思ってたけど。
下関戦争が全面的に久坂の責任になっとるやんけー!
確かに久坂は喜び勇んで端緒の攻撃を加えた気配がありますが、その後、大報復を食らうころには久坂は早、京に経っていたはずで、戦犯扱いされるどころか相変わらず京を奔走しています。高杉と久坂は確かに方向性は違うものの訣別などはしていません。高杉と桂、久坂と桂、そして高杉と久坂は随時連携していました。
もちろん、下関戦争での大敗も長州失墜の一因にはなったわけですが、このあとにくる八月十八日の政変には薩摩の謀略や孝明帝の思惑によるものも大きく、そのあたりを省略するにしたって(するなよって感じですが)、百歩譲っても“久坂が悪い一辺倒”での説明なんて愚の骨頂!!
最近になってやっと士分に取り立てられたような若者に全責任を負わせようとする長州藩のお偉方・・・なんというブラック企業だよ。
てか、なんじゃい、あの、奇兵隊がワーワー盛り上がってる脇でシーンと壁を向いて手紙書いてる久坂(笑)。「ぼっち」の表現がわかりやすすぎるわ!! 気を遣って声をかけてくれた稔麿くんににべもなく「一人にしてくれんか」という「うわー、こいつに人望集まるわけないわ」てな描写。木偶のぼうの、ぼっち。でくのぼっち・・・。
どこのサークルだよこれは! 見てて恥ずかしいわ!!
ちょっと調べりゃわかることを捻じ曲げて書いているのはきっと「わかりやすくするため」であって、先週の「アゲアゲの久坂と下がってる高杉」からの鮮やかな逆転、みたいな対比をくっきりとしたいんだろうけど、単純化のあげく双方バカに見えちゃ意味ないでしょうが。
しかし今週の高良健吾はさすがに勘どころのわかった演技をしており、「なんだかよくわかんないけど(←脚本のせいです)救世主」なオーラを醸し出していた。夜の酒盛りで奇兵隊メンバーに朗々と述べる長台詞、なかなか聞かせました。ああいうのを緩急つけて語れるのが役者の力量で、やはり高良くんもそれなりにキャリアを積んできたのだなあと思わされます(上から)。
対する東出くんも、彼のキャリアを思えばすごく頑張っていて、最後、高杉とやりあう場面ではちゃんと拮抗してました。先週のアジテーションは完全に滑ってたけど、「負け戦で激しながら感情をぶつける」という演技はハマる人なんですね、どこか胸を打たれるところがあります。
が、その論じ合ってる内容がダメだ(笑)。最後の最後で久坂の背中に向かって高杉が「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし」という松陰の言葉を引くのは、2人の演技もあってシークエンスとしては見映えがしたけど、「だから訣別とかしてないってば!!」という思いがあるのでもちろんとても浸れない。
歴史に詳しくない方は、「へぇーそうなのか、高杉と久坂はこの時期に訣別したのか」と違和感なく納得されたかもしれませんが、「それにしたって、久坂、大人げなさすぎ」という感想をお持ちのことでしょう。先週やっと復活した桂さんはまた遭難、薩摩も会津も土佐も見えず、かろうじて三条の名前だけ。久坂の幕末とは何ぞや?! 活躍を描かれないまま下げられるなんてひどすぎるうぅぅ!!
まだ大将風を吹かせていたときに、文の膝枕で「松陰先生は褒めてくださるだろうか・・・」というシーンがあったのだけど、この夫婦の間に吉田松陰という大きすぎる(はずの)存在があったことを既に忘れかけている自分に呆然としたわよ。
女台場については別に何の期待もしてなかったのであんなもんでもいいんですけど、井上真央ちゃんが時代劇の演技をしないのがずっと気になっています。わざとの演出というか、「時代劇っぽくしないことで時代劇ファン以外を取り込む」という意図なのかもしれないんですけど、若村麻由美はもちろんだが、姉役の優香も今やちゃんと時代劇の演技をしている中で、文ちゃんの目線といい、喋る時の口元といい、非常に気になります。
今回、女台場でバケツリレーみたいなのをするシーンがあったんだけど、隣にバケツを渡した後、次のバケツが回ってくるまで両手をだらんと下ろす仕草が完全に現代人で、予告を見たときからげんなりしてました。小姑ちっくな目線でいやらしいんだけど、そういう所作を見るのも時代劇の楽しみのひとつだからしてねえ。『風林火山』ではそういった所作のひとつひとつを大事にしよう、時代劇の伝統をつなげていこうという気運が強かった、という話を思い出すにつけ、淋しい本作です。
もちろん、井上真央さんにはいたく同情もしてます。新しい脚本を毎回もらうたびにがっかりするだろうなと、それを主演としてやり続けるのはさぞしんどいだろうなと思っています。
松下村塾でテロの相談をされるのが嫌でしょうがなかった文ちゃんは、下関部隊のおにぎりを心楽しげに作り、大将然とした夫を褒められるとうれしそう。兄や夫がテロリストなのはイヤだけど合法的に戦争をするのはOKなんですかね、とか思っちゃう。人物像がとにかく弱いんです。