『花燃ゆ』 第17話「松陰、最期の言葉」

吉田松陰が死ぬ回だってのに、しかも今回の松陰は主人公の兄だっつーのに、なぜ、こんなに、45分が長いのでしょう・・・。

で、ふと思い出して『八重の桜』で松陰が死んだ回の自分のブログを見たら、あたくし、すげー面白がってたんだがw 

http://d.hatena.ne.jp/emitemit/20130204#1359970335

あのドラマの松陰は小栗旬を使って、出番の少ない中、しかもフィクションだらけの中にうまく史実も織り込んでしっかりと爪痕を残してくれましたよねぇ・・・。

高杉なんて、この時期、江戸にいてさ、松陰先生のために相当奔走してたはずなのに、ちょっと金ヅルの話しただけで(確かにボンボンの高杉が松陰の金ヅルになってたわけだが)面白いエピソードのひとつもなく萩召還・・・。松陰と高杉、関わり少なすぎだろ!! 別れのシーンも、これなら野山獄での弟・敏三郎とのシーンのほうがよっぽど胸にきたわ!!

そんな高杉@江戸に割を食わせて出てきたのが、もちろん、伊之助どんですよ。まあ、オープニングのクレジット順を見ても、伊之助(二番手) > 高杉(四番手・・・そして久坂が五番手w) なこのドラマだからしょーがないとはいえ、何なのコイツ。結局、コイツが松陰を煽って死に追いやってしまったのね、友だち一人もいない牢名主の佐藤二朗までが松陰が煽られないよう忠告してくれたってのにw 

えーっと、留魂録がある上に佐藤二朗をキャスティングしたんだから、これ、いちお沼崎は再登場させるつもりなんですかね。

もとい、伊之助だよ。最後の最後に「松陰らしく生きるために」死を賭しての発言を煽ったのだと、なぜなら伊之助は松陰の真の友だからだYO!!という筋書きなわけですが、ごめん全然感動できなかった。

こいつはこれまで、椋梨藤太に取り入ってみたり、畏れ多くも殿に向かって村塾の生徒たちと兄弟弟子だと言ってみたり、寅次郎に会えないと言ってみたかと思うと野山獄に入れてみたりと、なんかいろいろしてきたわけですけども、それはなんもかんも松陰の芯の友だからだYO!!という筋書きなわけですが、彼自身の生き様がまったく見えないので、すべて場当たり的な対応でとっ散らかったようにしか見えなくて、ことここに至っても「なにがしかを積み重ねてきた」という感がまったくないのですよね。こいつが沈痛な顔するたびにイラッとする。どのツラ下げて杉家に戻ってきてんだよ、と。『八重』で尚之助があんつぁまと三郎の悲報を持って帰ってきたときはあんなに名シーンだったのに・・・。

江戸のお白洲で松陰と井伊直弼が対面してもいいんですよ。そういう創作はドラマにはつきものなんですよ。ただ、そこまでしといて盛り上がらないのはダメだ。最後の食卓がサブタイ詐欺なのは百歩譲って許しましたが(何さま)、松陰の最期の言葉が視聴者になんの感動も与えないっておかしいでしょ!! 高橋英樹の所作にしか見どころがないってどーゆーことだ!!

受ける井伊も「許さん・・・」ってどんだけ器が小さいんだよw それとも「(ここで感動させてくれないなんて)許さん・・・」っていう視聴者の声の代弁ですか?!

あと、収容後の松陰の風貌は殉教するキリストを意識してるんだろうと思ったら、岩倉獄の入江兄弟も同じ風貌だったw てか考えてみたら富永先生も最初からキリストだったww

みんなに塾に戻ってきてほしーい、っていう文ちゃんは、要するに若くてムンムンした兄ちゃんたちに自作のおにぎり食べたり腕相撲したりしてほしいだけなんですよね。村塾が地雷火の実験をしたり間部暗殺計画を企てたりしたアブナい場だってことにはまったく頓着してないんですよね。あそこにいる久坂が久坂だと信じられないですよねww

で、松陰が死んじゃったから来週からは龍馬を出すよ、と。どこまで姑息な、志のない大河だよwww

寅次郎が母・滝に会いに来る場面はよかったんだけどねえ。大河恒例の幽霊場面ですが、変にキラキラしてたりフィルターかかってなくて。伊勢谷友介が涼しげで、姿が良くてねえ。伊勢谷さん、また大河で会いましょう。大河じゃなくてもいいから、今度はまともな歴史/時代劇で会いましょう。おつかれさまでした。