『花燃ゆ』 第6話「女囚の秘密」

今週もまた、少しも心の動かないまま45分が過ぎてしまった。どう考えても私はこのドラマの良い視聴者ではない。どっかよそでの放送ならば一顧だにもしないものを、大河の枠を使われるばかりに、ヲタクとしては序盤くらいチェックして脳内データベースの補強につとめねばならぬ。そしてここで不毛な45分間の愚痴をこぼして発散せねばやっておられぬ。私にも大河にも、互いに不幸なめぐり合わせというほかない。あー、なんて非生産的&後ろ向き。とりあえず今やってる針仕事が終わるまではその傍らで視聴を続けるか・・・(週一回、この時間しかやらない針仕事である。夫よ気長に完成を待っていてくれ)。

伊之助と寅次郎を、寿と伊之助を、死にゆく金子と寅次郎を、高須久子と娘を、野山獄の人々を、「結びつける」。

伊之助の禁書を、金子のボタンを、高須久子と娘の面会を、そういう、歴史には残らない諸事を「覚えている」。

それが、主人公の文の人生。自らも歴史の表舞台に登場することのない一生を送る。それは視聴者の多くを含む「名もなき人」が投影された姿なのかもしれない。そんな主題どおりに進んでいってるのかもしれない。

牢の中で苦悩する寅次郎を見大河のては「そもそも何だって人を巻き込んで密航するまでに思いつめたんだ、しかも何で金子だったんだ」と思い、日本が危ないとかなんとか言ってる何人の男たちを見ては、「この時代の、この長州で、どうしてそういう思考に至るのか」と思い、「そーゆーことの説明をことごとく放棄してるから、男たちが深刻で暑苦しい芝居しても全然上滑りしてるやん、しかも効果音大げさすぎ」と苛々する私はこのドラマの視聴に向いてない。もはや大河の老害に成り果ててしまったのか。嗚呼。

しっかし、オリジナルドラマとして見たって、筆とお手玉の差し入れでああなってこうなって・・・あんまり上出来じゃないように思えてならんのだが。最後の田中要次の「そうさな、強いて言えばおまえの筆がどうたら」ってセリフに脚本家のドヤ顔が思い浮かんで「いやいやいや」ってなった。

井川遥の美しさとフェロモンは尋常でないが演技はまだまだ厳しいな。美しさとフェロモンが尋常でないのでついついキャスティングしたくなる気持ちはよくわかるが。てか高須久子、無関係の他人(しかも娘と同じくらいの年の少女)にめんどくさい用事を無報酬頼んで「何度でも行ってちょーだい」などと言った舌の根も乾かんうちに「もうかまわないで」ってオマエ!! これは「こーゆー身勝手な女だから不貞に走った」って理解でいーんですか? 

娘と会うから鏡を磨いたってトリック(違)になってたけど、長いこと使わないで曇ってた鏡を懐だか袖の中だかに入れて持ち歩いてたって不自然じゃないか? それが長年の習性ならば、磨いたあとも床に置いたりせず、そこに収納するのでは? 

何度も何度も高須家に通ってた文ちゃん、杉家と野山獄と高須家の距離はどーなってんだ? 家禄が低いわりに家族は多く、お父さんは野良仕事に精を出してるってのに、文ちゃんは野山獄と高須家にかまけてばっかりでいいわけ? 手伝いとか内職とかないの? てか、寅次郎への差し入れの書物をバンバンそろえていってるけど、実は金持ち? 

そーゆー「ディテールの粗」の積み重ねが作り話の説得力を下げるんだよなー。

「次の策ってなんだ?俺とおまえで作るものだろ?」「自立した人間になれるまで会わない・・・」って、伊之助さんが相変わらずイタすぎるキャラなんだけどこれは流石に視聴者のツッコミを誘発するため、いわゆる「釣り」なんですよね、でも伊之助ぜんぜんキュートじゃないよ。獄にいながら「俺に頼るな」と言っちゃう寅次郎はちょっとキュート。

本田博太郎がいきいきと、品川徹が矍鑠としてるとこだけが大河でした。周布政之助がろくな描かれ方しなさそうでホントやだ。