『失恋ショコラティエ』 第4話

このドラマ見ていると思い出すのは「のだめカンタービレ」。人気マンガが原作で、登場人物たちが隅々まで魅力的で、物語の題材(のだめでは音楽、こちらではチョコの仕事)や、マンガっぽい映像処理が効果的に使われている。まあ、どちらともに、竹中直人と、有名俳優がやるオカマキャラが存在しているから、ってのも大きいかもしれないけどw

でももちろん両者は全然違って、というか「失恋ショコラティエ」はすごく変わってて、ヒロイン、サエコさんは人妻なんである。なのに不倫モノのドラマの後ろ暗さとか淫靡さとかとはまったく一線を画していて、フジテレビの若者向け・明るく切ない恋愛ドラマのていを成してる。それが、3話で途中参戦したときびっくりして、これはすごいなって思ったんだけど(石原さとみがやばいくらいかわいいってのはTLで評判になってたけどサエコの設定は知らなかった)、見れば見るほど、やっぱりすごい。どこまで原作に忠実なのかわからないんですが。

とびきり甘くてほろ苦く、無駄に凝ってて高いチョコレート。世界中のそこらへんで手前味噌に繰り広げられてる箱庭の恋模様に、そんなチョコレートのような付加価値をつけてるお話。そのためには絶対セックスの快楽と(それが叶えられない)疼きが必要で、だからサエコは人妻でなければならない。これが、フリー(っていうか独身)の相手に手を出せなくてウズウズウジウジ片思いし続けるドラマだとうまくいったとして純愛ドラマ、青くさーい青春ドラマにはなっても、高級チョコみたいなキラキラ物語にはなかなかなりません(「サマーヌード」参照)。

サエコはビジュアルもメンタルも人妻感がほとんどない代わり、最低限の「妻としての貞操」は守ってるので究極的にはビッチではない。でも人妻であるからには夫婦生活はある(少なくとも爽太は、あると思っている)わけで、それが、爽太がエレナと寝ることについて、ある意味、免罪符になってる。視聴者だって、片思いの相手が人妻だからこそ松潤と希子ちゃんのセックスを許容できると思うんですよ。これで、主人公とヒロインのどちらもの日常にセックスを持ち込める。しかも松潤と希子ちゃんはいわゆるセフレってイメージとはちょっと違ってお互いを応援し合い支え合うソウルメイトのような関係。これもドラマのキラキラ感を削がない設定。

で、天下の松潤様を手玉に取り続けて幾星霜の「妖精ちゃん」サエコは、視聴者女子にとって、にっくき悪魔でもあるんだけれども、計算づくのぶりっこも、「こりゃもうしょうがない」と白旗あげざるを得ないほど徹底的に可愛い。そのうえ、実は、ドラマの中でもっとも詰んでる。

本当は昔から松潤が好きだったのに、ちょっとうまく落とせなかったからって諦めて、素敵な年上男性との玉の輿に走って、でもいざ結婚生活が始まってみたら自分を所有物か何かのようにしか扱わないモラハラ夫。このドラマではみんながみんな片思いを抱えてるんだけど、ちゃんと仕事(手に職)があったり、御曹司だったり、学生だったりするわけで、てか独身ってこと自体で、可能性は広がるわけで。自分を変えるよりも相手を変えるほうがよっぽど難しいのに、あんなひどい夫に経済的に依存してる(精神的にもきっと貧乏とかに耐えられないメンタル)サエコは、ドラマ中もっとも不幸。詰んでる。しかも自業自得。だからサエコがどんなに松潤のハートを弄んでも、視聴者はサエコを心底憎まなくていい。

あと、松潤は恋の病をちゃんと仕事に生かして成功してるし、水川あさみは「恋に不器用な、素直になれない私」で、溝端淳平は「王子様だけど普通の子に一本気の片思い」。その普通の子は悩みつつもだめんずとの恋にハマってて、それからイロモノのオカマちゃんがいる、と。もう、押さえるとこ押さえまくってるよね。

でも、サエコの設定はものすごく危ういバランスで成り立ってるわけで、そこをどう維持していくんだろうか?あるいは壊すんだろうか? そのときにこのドラマはキラキラから一気に狂おしい方向へと舵を切るのか? サエコが「助けてほしい」とか言ったら、爽太は迷わず踏み出すのであろうか。ある意味、現実のサエコは爽太の恋するサエコとはずいぶん違うのだし…。いったいどう着地させるんだ?(間違いなく続編前提の終わり方しそうだけど) ・・・と、徐々にメッキの剥がれていっているサエコ夫婦の描写を見るにつけても興味が尽きません。