『ゴーイング・マイホーム』 第6話

いや〜今回もよかったね。最後なんか、じんとしちゃった。

冒頭の阿部サダクーナ(本人曰く“クーナふう”)たちがかわいい風貌と裏腹にやたら俗っぽいアンバランスなのとおんなじ(?)で、登場人物たちがみんな、クーナを「半分の夢や情熱」で探してる感じなんだな、と。

ほんとは全部ちゃんとしたリソースがあるのに、「クーナが教えてくれた」と言う萌江。ハナっからそんなものいないと思ってるけど、クーナキャンペーンを「学生の頃に戻ったみたい」と楽しみ、「CMで世界観やメッセージを伝えたい」と今でも真剣に思っている真田。そんな真田の青臭さを「CMで? おまえ変わってるな」と鼻で笑い、売上のためならいくらでも頭を下げることができる阿部ちゃん・良多なのに、クーナが気になって仕方ない。クーナの話を聞いてくれた人に千円札を渡す良多の父・栄輔。「いるもんか」って言ってるけど子どもの頃に森で何かを見たはずの西田敏行(役名がわからん)。そして、宮崎あおいの菜穂は、地域振興のためにクーナ探しをやってる、って面があることが今回判明。

本気でクーナを信じている人は誰もいない。それでも、机の下にクーナ人形を隠して毎日祈ったり、金ずくのイベントになることに違和感を覚えたり、森で見つけた赤い帽子がカラクリだとわかってがっかりしたり、偽の足跡つくって体育館を歩かせたりしてる。いないって思いつつ、そこに何かを託したいと思う人々の気持ちが、かわいくてあたたかくて切ない。

初回から「図体はでかいのに、ちっさい」が阿部ちゃん良多のウリ(ウリ?)なんだけど、今回、「私たちはクーナを必要としている。なぜなら、私たちは大きくなりすぎたから」ってセリフが。大きくなりすぎた人間たちの象徴が阿部ちゃんなのか・・・! すげー話!

沙江(山口智子)が萌江に心を寄せてゆく過程も良かったなあ。あれだけ「見えないものなんか」ってポリシーだったのに、クライアントに「見えないものが見えてくるような」食卓を、と請われたので、“むちゃな要求ほど燃える”性格の沙江が腕をふるう、というワンクッションあっての、「めぐみちゃんの机事件」で娘を庇うシーン。そして「萌江の気持ち、ちょっとわかるよ」からつながる、「世界は見えるものだけでできてるわけじゃない」論理の出汁への応用! 

鮮やかで、それだけじゃなく胸があったかくなった。往々にして、「お母さん、自分の仕事のことばっかり考えててごめんね」ってなるところを、「仕事が子どもとの良い関係のきっかけや助けにもなる、子どももお母さんの仕事を受け容れられるようになる」って流れがね。「わかんないところもあるけどわかるとこもある」ってセリフも良かったし。