それは自前の宗教画のように

9月24日、いつもどおりに授乳から始まる一日が、誕生日。子どもをもって初めてのその日だった。やっぱり感慨はある。

割と自立心が旺盛なたちで、早くから経済的にも精神的にも親から独立したいと願っていたし、それはおのれを支える背骨みたいなものだった。年を追うごとに、それなりの仕事をしたりいっぱしの収入を得たり、さまざまな雑事やトラブル、心の中のあれこれにも自分でカタをつけられるようになるのがうれしかった。地に足つけて、自分の力でまっとうに生きている、というのが、私のささやかな自負心だった。

もちろん、親への感謝を忘れたことはないつもり。ことさら、誕生日には、口に出そうが出せまいが、「ありがとう」と思っていた。

お産を経験した今、痛烈に感じるのは、「誕生日って、“生まれた日”なんだな」ということ。あたりまえだけど自分のその日の記憶はないので、どうもいまいちピンときてなかった。

産んだ2時間後くらいに、看護師さんに連れて来られたサクを自分の隣に寝かせている写真がある。夫が撮ったものだ。私は体を横に倒して、ちんまりと頼りなげなサクに手を伸ばし、そのパッチリと開いた目を見て笑っている。腕には点滴の針が刺さっていて、汗まみれになったあとのすっぴん、髪の毛はボサボサ。およそ人に見せられるようなもんじゃない。なのに夫はその写真を気に入っているようだ。母も絶賛する。「苦しかったお産を終えてやっとサクちゃんに会えたっていう、最高の笑顔だよ」と。

そういわれればそうかもしれない、と思うようになったわたくしの、なんと素直なことよ。ま、とにかく、これほど『人に見られている』ことを意識せずに撮られたものも珍しく、それはまさに“天然自然の”笑顔なので悪くないのである。そのうえ、まだ3ヶ月にも満たないが、お産から時間が経てば経つほど、この写真を愛おしく思えてきた。見るたびに、あの日のこと、ちっこいサク、陣痛の時間の不安げな夫の顔とか、いろんなことを思い出すのだ。

32年前の9月24日に思いをはせるとき、今の私は、この写真と、そこから手繰り寄せることのできる記憶を、そっくりそのまま、母と私、そして父に置き換える。私も、ああして生まれてきたんだろう。今の私たちのように、両親がちっこかった私をたくさん抱っこして、世話をし、笑ってたんだろう。(・・・ただし私は第2子なので、赤ん坊時代からだいぶ放っておかれていたと、5歳違いの姉が証言している。)

おなかの10ヶ月を入れても、まだたった1年間の付き合いのサクに対して、こんなにも怖いくらいの愛情を抱いていることを思えば、自分がどれだけの思いで育てられてきたのか想像できる気がする。その過程では、病気をしたり、学校でいろいろあったり、親に生意気を言うようになったり、受験とか泥酔とか(笑)ひととおりいろいろあった。世の中の親みんながそうなんだろうけど、よくもまあ、ここまで育てて、見守ってきてくれたもんだと思う。きっとこれからも、心配され続けるものなんだろうけども。

何より、ここまでつつがなく生きてこられたことを思うと震えるようだ。守り育てるべき存在をもってから、やっと、平穏無事であることの“有り難さ”というのを身に沁みるほど理解できた。つまり今の平穏は、この先、一寸先までだって続くかどうかわからないということも。一生懸命に生きてきたとしても、これからも生きていけるとしても、自分の力だけでなんてありえない。

年はとりたくないもんだ、という気持ちになることがあるのも事実。でも、誕生日には、生まれ落ちたその日の幸福の想像や、来し方への敬虔な気持ちでみたされたい。これからも。