出産前ラスト数日
なんとなく思い立って、[妊娠]カテゴリを作ってみた。カテゴリを意識して書いているわけではなかったので、妊娠期間中の日記はすべてそのカテゴリに入るといえば入るのだが、まあ、適当に、(これは妊娠についてたくさん、あるいは大事なことを書いてるよな)ってのを選びました。ほんと大ざっぱな分類です。
そうすると、出産前の数日の日記がブランクになっているのが気になってきた。妊娠期間の最後のほうは、数日遅れで日記を書いていたからな。なので、今さらながら更新します。この日(2010-07-03 - moonshine)のあとの日記です。2ヶ月以上も前のことだが、ひらけ、手帳! よみがえれ、記憶!
●6月30日(水)
痛めた右足の痛さよ。夜中、トイレに行ったときも、朝起きたときも、あまりの痛さに不安でたまらない。ネットでいろいろ検索してみて、一喜一憂。とりあえず熱は下がった。夫が仕事の都合をつけて午後3時ごろ帰ってきてくれる。ふたりでゴロゴロしていると少し明るい気持ちになる。赤ちゃんはおなかの中で動く、動いてます!
●7月1日(木)
足、痛みが少し軽くなったような・・・? しかし、腫れすぎてて靴が全然入らんよ! ジョギングシューズの紐を超ゆるくして(結んだか結んでないかというようなレベル)、なんとかスーパーに買い物に行ったけど、お産のためのウォーキングとか、とてもじゃないができる状態じゃない。なんてこったい。サッカー日本代表が帰国し、空港で和やかな記者会見。
夫は夜、新部署の歓迎会。であるからして出席はしょうがないし多少帰りが遅くなったってかまわない。ただ、酔っぱらって帰ってこられるのが嫌。こんなときに酔っぱらいの相手はつらい。
●7月2日(金)
出産予定日。ゆうべは12時にふとんに入ったものの1時間以上経っても眠れなかったので仕方なく起きだし、結局朝方4時までつらつらと読書など。4時に寝室に戻ると、夫がまだ酔っぱらいモードでいろいろ話しかけてくる。朝は7時半から久しぶりに30分ウォーキング。その間に出勤したらしい夫は、彼にしては本当に珍しいことに、朝ごはんを食べた形跡がない。よほどひどい二日酔いだったのだろう。今日は予定日だってのに!と、悲しい気持ちになる。でも、人生てこんなもんよね。
夕方から、足ではなく下腹部に、規則的な痛みが。重めの生理痛って感じだ。18時過ぎから間隔を計り始める。13〜15分おき。かなり規則的なので、これが陣痛であろう。いよいよか、と緊張するやら楽しみやらだが、お産になるという実感はまだまったくなく、今にして思えば、その直感はかなり正しかった・・・。夫は19時と早い帰宅で、皿うどんを作ってくれる。食欲は普通にあるので食べて、20時過ぎからふたりで近所を散歩。痛みがきたら立ち止まりながらゆっくり歩く。夜はブラジル−オランダ戦を見る。驚愕! 圧倒的にブラジル優位だった前半から、ハーフタイム後は一転、オランダが蘇えり、反対にブラジルが大動揺。終わってみれば4対1。
●7月3日(土)
ブラジル戦が終わって深夜1時、ふとんに入る。うつらうつらしながらも、10分間隔できちんとやってくる痛みの都度、目が覚める。4時、夫を起こさないようにふとんの中で痛みに耐えるのがつらくなってきたので、リビングへ。ガーナ−ウルグアイ戦をやっている。これも劇的な試合。延長の後半15分、ウルグアイのスアレスがハンドで退場になったが、この決定的なチャンスにガーナはPKを外してしまう! 決着つかずにPK戦になって、ウルグアイ勝利。
その辺でもう7−8分間隔になっており、痛む時間が長くなり腰にもかなりきているので、ついに朝5時半、病院に電話してみる。助産師さんは快活な方で、「朝いちばんで受診してみてください、入院の準備もしてきてね」とのお言葉。ついにかー!とどきどきしながら、そのまま、夫が起きるまで待つ。あらかじめ用意しておいた入院バッグを確認して病院に・・・って、あらら? 朝8時半ごろから、痛みが少し和らいできたような。
9時半、受診。子宮口は3.5cm開大。おお、開いてきている!と感動するも、「まだまだ時間かかるよ。家も近いことだし、雑巾がけでもしてなさい」との先生の言葉でいったん帰宅。昼からは痛みの間隔が15分くらいになってしまう。夜、また夫と散歩へ。ドイツ−アルゼンチン戦は圧倒的な展開になってしまった。4−0でドイツ勝利。ブラジルといいアルゼンチンといい、最後がこれってのは悲しいけど、チームのもつ弱点が見事に露呈されたってことなんだろうな。
深夜、痛みは15〜20分おきくらい。間隔が狭まらないことにはお産はすすまない。こういうの、微弱陣痛っていうのかも、と思い始める。とはいえ、痛みがきたときはけっこうつらい。このままだと体力を消耗していくばかりだ、と焦る。
●7月4日(日)
ひとばんじゅう、15〜20分間隔の陣痛で寝たり起きたり。朝8時、ふとんの中でやってきた陣痛が5分近く続き、腰をさすってくれる夫もびっくり。やっとおさまって、夫が作ってくれたおにぎりを食べ、お皿を台所へ下げようと立ち上がった瞬間、ドバッと液体が出てきた。生臭く、トイレで確認すると少し緑がかっている。これは破水に間違いないと確信。病院に電話する。心構えはしておいたのでさほど動揺はしなかったが、破水ということは即入院、つまり今度こそ、家に帰ってくるときは赤ちゃんと一緒なのかな、と、家のドアをしながらちらっと考えた。
診察。子宮口は昨日の朝とほとんど変わっていない状態。それに、病院に来たとたん、陣痛の気配が遠のいた・・・? 30分近くおなかにモニターをつけても、その間、陣痛の山はたった1回。それでもその山を見て、助産師さんは「よかったね、これで夕方にはお母さんになれるよ!」と励ましてくれるが、それからはもうサッパリ。あてがわれた静養室で夫とふたり、所在なく、他愛ない会話を続ける。昼下がり、実家の母がやってきて、3時間ほど夫と交替して付き添ってくれる。
なんかもう、生まれてくる気がしなくて、ややもすると凹む。入院食というにはあまりにも豪華な夕食が出てくるけど、これはがんばってお産をした人のためのものであって、私なんか食べる資格ないよな、と笑いながらも卑屈になったり。というか、そもそも食欲もそんなにない。たまに新生児室をのぞきに行き、かわいい赤ちゃんたちを見て、救われたり気力を奮い立たせたりする。そのわずかな道のりでも、歩くとチョロチョロと破水が続く。おなかの中で苦しくないのだろうか、と看護師さんに何度も質問。羊水はまだじゅうぶんな量があるから大丈夫らしい。胎動もまだ続いている。
いよいよ生まれるってとき以外、夜の家族の付き添いはできないため、20時前、夫、帰る。すると、そこから急に陣痛が復活。22時には10分間隔に。今度こそ・・・?
●7月5日(月)
「お産に備えて、できるだけ寝るようにしてください」と看護師さんには言われたけど、痛いし、興奮してるしで眠れない。もう4晩、ろくに眠れていないことになるんだが。ひたすら陣痛間隔をメモっていると、日付が変わったあたりでペンのインクが切れてしまった。こんなときになんてこと! 怒りに震え、そこからは携帯のメモ帳機能を使用。何もそこまで意地になって計測を続ける必要もないのだが、まさに記録魔としての本領が発揮された時間といえよう。読む人の不快感も省みず、異様にリアルな深夜の陣痛記録をここにコピーする。
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ここまで耐えたところで、ついに夫にメールする。「いよいよって感じ。昼ごろには生まれる気がする」。
昼というのは最大幅をとったつもりで、「いくらなんでも昼には」という気持ちであり、へっへっへ、あと2時間くらいで生まれちゃったりするんじゃないか?!とか期待しながら書いたメールだったのだが、ここからがまた、じゅうぶんに長いのだった・・・。この続きは、今のところこの日(2010-07-05 - moonshine)になるのだが、サクがこの世に出てくるまでのエトセトラについては、またそのうち書く、かも。