『三四郎はそれから門を出た』三浦しをん

三四郎はそれから門を出た (ポプラ文庫)

三四郎はそれから門を出た (ポプラ文庫)

三浦しをんが各所で書いた書評や、本まわり(註:“水まわり”みたいに理解してね)のエッセイを集めた本。

よく、「速読法」についての本や、どうかしたら通信教育みたいなのまであったりするけど、そのへんについてのことは三浦しをんにこそ聞けばいいと思っていたのだ、以前から。彼女の著作およびエッセイからは、豊富すぎる読書量が窺えるからである。はたちそこそこの若さで文筆デビューしてから約10年経つが、この人は決して寡作な作家ではない。少女の頃から膨大な時間が読書に捧げられてきたようだが、あれだけ仕事をしながら今も読みに読みまくっているというのは、この人のほかでは目黒考二くらいではなかろうか。

で、その辺の謎(「いったいいつの間に、どのようにして、そんなに読んでいるのか?」)がこの本では一部、明かされているんだけど、ごはんを食べながら読むくらいのことで驚きはしないが、『本で家具を作る』のくだりは圧巻。あとがきでは『こんなに面白い本がたくさんあるのに、顔など洗っているひまはない』とまで言い切っている。ま、およそ常人に真似できることではありません。でも、ひとりで街に出て、歩き疲れたのでちょっとコーヒーでも飲もう、と思ったときに、まず、コーヒーを飲みながら読む本を探すため本屋に行って余計疲れる、っていうあたりは、うんうん頷きながら読んだ。

驚嘆すべきは読書の量だけではない。新聞や雑誌に連載したという書評では、取り上げる本(編集者ではなく自分で選んでいるらしい)のセンスも完璧だし、書評自体もものすごく良い。日曜日あたりに新聞に載るものから、ええ、これみたいな素人のブログに至るまで、書評ってどうにも上から目線だったりして、それが書評を読む側にとっては『けっ、えらそうなこと言いやがってよ』という感想を抱かせるんだけど、三浦しをんの書くものにはそれが微塵もない。

取り上げている本について、そして、その背後にある“書物というもの”への根源的な深い深い愛を感じる。なおかつ、“読む力”が半端じゃないから、書く筆がものすごく深いところまで潜り、あるいはものすごく珍しいところへと伸びているという感じ。自分が読んだことのない本についての書評まで面白く読ませてしまう腕はさすが。

私が本書の中で、立ち読みでもいいからこれだけでも読んでみて!とすすめたいのは、まえがきとあとがき、それに、当時のベストセラー『海辺のカフカ』と、誰もが知っている『ドラえもん』についての書評。個人的には、こんなにたくさんの本を読んでいる人が、梨木香歩『春になったら苺を摘みに』を「これまで読んだエッセイの中でベスト3に入る」と評していたのが、ものすごくうれしかった。私もそう思ってるけど、同意見を聞いたことなかったんだもん!