如月の八 / ファミリーヒストリー・大竹しのぶ
●2月某日: 雪だーっ。吹雪だーっ。夫、ふぶかれながら出勤。20分後、私たちが出るころには少し収まっていて助かった。そのまま、卒園プレゼント「歌詞集」の係のお仕事。印刷室、というには狭すぎる小スペースで、2人でしこしこ印刷してたんだけど・・・さ、さむい! ここには暖房の類、いっさいないのだ。
だんだん手の感覚がなくなってきて、1時間ほどで切り上げ、ストーブの小部屋に避難してページのチェックなど。過去の作品を拝見すると、手をかけてある年度はすごいんだけど、私たちは当初から「凝らない! (ページ数)増やさない! テーマはシンプルで男前!」と決め打ちしてるんだけど、打ち合わせしてると想像以上に男前な判断をバッサバッサとしてくれる面々なので非常に有難いw
降園後、クラスの友だちが遊びに来る。「えのぐ、したいなー」とお絵描きタイムに。互いに見ながらで、似た要素、似た構図だったりするんだけど、それでも個性が出るんだよね。明日、おえらいさんたちのゴルフコンペの事務局を務めるはずだった夫、この雪で中止になったそうで嬉々として連絡があり、なぜか「じゃあ今日、飲みに行こうか!」という帰結に。しかしいかんせん寒波、風、断続的な雪なので、近所の焼き鳥屋に。
6時に焼き鳥屋に入って、さっと食べて飲んで1時間半で帰宅。いきなり思い立ってちびっこ連れで行ける飲み屋が家から徒歩5分圏内に5件以上あるって、やっぱり街なんだなーと思う。街暮らしのemitemit。(今、『床下の小人たち』を岩波少年文庫で読んでるw)
家での二次会(子どもあり)、三次会(子どもなし)よくのんだ。カルテットの3話を見て、ひとつの予測を話して、夫に笑って一蹴される。
●2月某日:
今朝がた息子が2度ほどリバースして、この寒波の中でパジャマとか枕カバーとかシーツとか毛布とかやられて、つられて(?)私もリバースしちゃって、「これが育児の冬だ・・・!」て感じでした。
土曜日でほんとよかった。汚れた衣服や布団類は私が片づけたんだけど、今日の通常の洗濯物は洗濯機を回すまでやっといたら夫が干してくれたし、ごはんも夫が作ってくれるし・・・
いろいろこまこまとやりたいことあったし、買い物にも行きたかったんだけど、体調悪いとほんと何もできんな。しょうがない。
でも読書がちょっと捗った。『床下の小人たち』を読み終わって、次は『人質の朗読会』(小川洋子)と『セーヌの川辺』(池澤夏樹)を並行して読み始めてる。また児童文学も図書館で借りよう。リンドグレーンがいいな。『ピッピ』にするか『やかまし村』にするか考え中
『床下の小人たち』は子どもの頃に読んでないと思ってたけど、読んでたら何だか知ってるような気がした。ジブリのアリエッティも未見なんですが。アリエッティ親子の造型が、外国の児童文学ってこれだよねー!っていうわくわく感だった。そして大人になって気づく、描写の細やかさ。
サクと一緒にごんごん昼寝する。夜には私の胃腸は酒を飲めるまでに回復。サクは雑炊とか大根の煮たんとか食べてるけど、喋りはかなり元気に。「ブラタモリ」浦安。夫が独身時代、2年間住んでいた街である。私も一度、その部屋に行ったことがある。東京駅から京葉線のホームまでがびっくりするほど遠かったのが一番の印象だw
「嵐にしやがれ」でエンケン奮闘公演。そしてこの日のテレビ(録画)視聴のハイライトは、なんといっても「ファミリーヒストリー」大竹しのぶの回。
人は誰でも未熟で、偏ってて、大人になったからって完璧にはなれない。それを直ちに是正・矯正すべきなんじゃなくて、それでも大丈夫だよ、間違えながら、いろいろ迷惑かけたりかけられたりしながら何とかやっていこうよ、その過程で何か掴んだり、つながったり、すごく幸せな瞬間もあるよねっていう。
#べっぴんさん のさくらさんに対しても、女狐とか、「人としてどうか」とか、卑しいとか、因業婆とか(←すごい語彙だなw)とか、そりゃもういろんな罵倒(批判を超えてるよねw)を見ましたけども。16歳の子の視野の狭さや自分中心の少女漫画脳をそこまで責めるって血も凍るなあ。というのも
昨日ファミリーヒストリー録画で大竹しのぶ回見たんだけど、しのぶ祖母は2度の結婚でそれぞれ我が子を手放したり、祖父は子ども何人もいながら安定した生活を捨てて信仰活動に没頭して妻を苦労させたり、父もキリスト教への篤い信仰心がありながら不倫の末に結婚してしのぶたち5人の子をもうけてさ。
もうね、朝ドラ脳で見たら「ありえない!」「人としてどうか!」「女狐!」「卑しい!」のオンパレードなんですよw でね、しのぶ父は結核やらでちゃんとした稼ぎがない時期も長く長く続き、重病の床で初めて先方の家族について言及して、「自分が危篤になったら呼んでほしい」と言ったんだって。
亡くなってから来た先方のご家族(しのぶの異母兄たち)は、「父の顔を初めて見ました」と言って、それに対してしのぶたち姉妹は頭を下げて謝った、って。いや、しのぶさんたちが悪いわけじゃないよね。なんか、なんかな、何が悪いことで、それは誰が決めることなんだろうなって。
しのぶ両親が不倫の恋を成就させたのは罪なのかもしんない。でも夫が病気で長く貧窮生活にあっても、しのぶの母は働きづめで家族6人の暮らしを支えて、同僚に「向こうのご家族を思えばつらいなんて言えない(大意)」的な言葉をこぼしたこともあったと。同僚さん「その言葉が忘れられない」と言ってた
父は子どもたちの豊かな感性世界を育んだ人であり、教員時代の教え子たちをとても大切にしていて、教え子さんは先生(しのぶ父ね)からの手紙にあった言葉を深く心に留めていて、「我が子の結婚式の挨拶でもその言葉を引用した(笑)」と言っていた。なんかね、何が正しくて何が間違いなんだろうなって
しのぶ祖母が2度目の結婚で手放した子の子どもも見つかるんだよ。その人は祖母の足取りをずっと探していたとかで涙こぼされてた。その人も、祖母と同じく若い頃に米国に住んでいたことがあったり、大竹しのぶと同じ祖母を持つことに驚いて「しのぶさんも笑窪がありますね(私たちも)」と言ったり。
正しいだけの人はいないし、間違ってるだけの人もいないんだよね。どこかで人に迷惑かけても、別のどこかでは人を支えたり救ったり。そういう長く広く複雑な命脈の果てにいるのが今の私たちで、私たちもまたそうやって生きてるんだなーと思ったですよ。人を簡単に「女狐」とか「卑しい」とか言わないw
しのぶの祖母や、両親・・・出てきた人々みんなについて、他人がジャッジできない、人生のリアリティを感じたよ。大竹しのぶの姉妹3人も出てた。もう1人、兄(弟?)もいるみたい。名前が、しのぶは「忍ぶ」の意で、他に「すなほ」「真理」「進」「恵」だったかな。信心深い夫婦の名づけだなあ、と感じ入った。しかしそれよりすごいのはしのぶ母の名前だ。信仰はしのぶの祖父母世代から始まっていて、祖父母はしのぶ母に「江すてる」という名を!
如月の七
●2月某日: 起こす前に起きてきたサク。「おーっ、おはよう」と声をかけたが、時計を見るや(7時5分)バタバタと寝る部屋に戻っていくではないか。追いかけると、布団に入って頭まで毛布をかぶっている。「はやおきしたとおもったら、おそかったけん、また ねたと」と、夜になって説明していた。“思てたんと違う”だったんだよね、なんかわかるw
サク弁は、きのこの炊き込みご飯と白ごはんのWごはん、野菜と鶏のそぼろ、卵焼き、根菜煮、さつまいも、ほうれん草。
2時から小学校で入学説明会。道具袋に上靴袋、エトセトラエトセトラ・・・うわっ袋類、想像以上にたくさん必要なのね、ボキボキッ(心が折れる音)。いや、もちろん買ってもいいんだけど、これだけの種類があれば買うのも高くつくしさ・・・。
そして何より、体育館寒っ! 寒波がきてるのですよ。でも先生たちはさほどの厚着でもなければ震える様子もない。カイロとかで完全防備してるのかもしれないけど、きっと慣れもあるよね。つおい。幼稚園のママ友と
「いっぱい作らなね…」
「ちょっと心がついていけない…」
「てか寒くて後半何も考えられなかった」
「私も足湯のことだけ考えてた」
とか言いながら、園まで歩いて迎えに行く。お預かりを頼んでいた子どもたちは、今夜の雪に備えての先生たちの石拾いとかを手伝っていたようだ。積もったら見えなくなって危ないからね。先生たち、そんなこともしてくれてるんだね。ありがとうございます。てか子どもら、靴下を履こうかw
友だち親子と家まで一緒に歩いて帰ったんだけど、寒さのあまりテンションマックスになる子供たちであった。夜ごはんは、ポークビーンズ、白菜とベーコンのスープ。
今、年長組は「劇ごっこ」をやってる。かこさとしの絵本『どろぼうがっこう』、最初はみんないろんな役を交替でしてたんだけど、お母さんや小さい組に見せるため、今日から役を固定することになったそう。「サクは何の役?」「いしかわのろくでなし」 なんかカッケーw
『セーヌの川辺』 池澤夏樹
2005年から2008年の雑誌連載をまとめたもの。妻子とともにパリ郊外の町フォンテーヌブローに住んで1年が経った頃からのエッセイで、『異国の客』の続編ということになる。
筆者自身があとがきで書いているように、移住間もないころの見るもの聞くものすべてが珍しいという時期は過ぎているので、暮らしはより平穏で、その分、思索が深まるといった感のある一冊だった。
私にとってこの本の面白さはだいたい3つ。
◆まずは外国の暮らしや文化、その雰囲気を感じられること。クリスマスや聖マルタンという祭りなど、季節感まで感じられる。筆者が暮らす町についてだけではない。スイスやフィンランドやフィレンツェを旅した章もある。南仏の田舎町で語学学校に通う章も。
ヨーロッパは地続きでつながっていて、そこには多様な言語があり、多様な文化がある。たとえばスイス憲法は、フランス語とドイツ語、イタリア語、それにレト・ロマン語という4つの言語を国の言葉としている。州ごとに公用語が決まっている。だから、「A州に生まれた人の母語はドイツ語。では彼にとってイタリア語は外国語か?」というような命題も生まれる。自国の言葉ではあるが母語ではない言葉があるということ。EUは加盟25か国(2006年)の公用語を等しく扱っていて、公式文書はすべて20の言語に翻訳されるという話にも驚いた。
ヨーロッパのどこかにいると、言語は1つではないということを忘れるときがない。母語を異にする人と話をする機会は多いし、それは可能であり、意味が深いということを日々の生活の中で嫌でも教えられるのがヨーロッパの言語生活ではないか。生まれてからたぶん一度も耳にしたことがないラトビア語やリトアニア語で暮らす人々がいて、その人たちもEUの仲間だと意識することは、差異を認めたうえでの連帯感を生む。多にして一という感覚に繋がる。
2月のフィンランド、北極圏に入って100キロというキティラの街は零下30度。世界はモノクローム。道路はセンターラインが見えないし、路肩が分からない。スーパーなどで出会う人々はみな派手な格好。黒と白以外の色を目が求めるのだろう、と。
もちろん暖房は必須で、主役は床下暖房だが、その電気はロシアからきている。ヨーロッパの多くがロシアの天然ガスに依存していて、それは政治的に対立した時の脅威になりうる。フランスが原発大国(本書の時期、75%が原子力でまかなわれていたらしい)になったのは、産油国に振り回されないためであるという。
◆2つめは、「外国を経験した目が見る日本」についての知見が読めること。
たとえばヨーロッパには、各地にビーフシチューのような郷土料理があるという。塊肉を切り分けて、ごく細い火にかけて長時間加熱する。農家の主婦が朝、火にかけて野良仕事に出ていって、昼過ぎに戻るとちょうどよくできているという按配。
比べて、日本料理には長時間の加熱という手法が少ない(豆くらい)。米を炊くのにも長い時間はかからないし、魚は煮ても焼いてもすぐに食べられる。日本の食材は厨房に到着した時点でほぼ完成していて、その典型が寿司。なぜこうなったかというと肉食の文化が発達しなかったから。
それを、“日本人は農耕民族でヨーロッパ人は狩猟民族だから”と括るのは早計らしい。たしかにフランスは言わずと知れた農耕大国だもんね。日本は農耕民族というより非牧畜民族である、と筆者は書く。なぜ牧畜がなかったかというと、宗教的というよりは地理的条件が大きくて、日本の国土はまずもって山また山、広い平地が少ないうえ、モンスーン地帯にあって暖かく雨が多い。それゆえ、いったん開拓しても再生力が強く、牧場経営には向かない。それで少ない平地をまずは田畑にして、そこに集約的に労力を投入して作物を得る。牧畜のような粗放な土地利用はできなかった、という。こういう比較文化はわかりやすく、自国を見る角度を変えてくれる。
あるいは、フランスの町は美しいという話。建造物は古いものがよく保たれ、新しく建てるときも街の景観を損ねないよう、周囲と調和がとれるように法律が監視する。広告や看板の規制も厳しい。日本では、厳島神社のすぐそばに新興宗教団体のけばけばしい建物があったり、広告や看板はほとんど出し放題だよね。
というと、フランスのほうが成熟した社会であるようにも思えるが、筆者は別の見方も述べる。キリスト教の世界観では、人は神によって自然という場を与えられ、それをよりよき状態に導く。山野を畑や牧場に、野獣を牧畜にし、さらに都市を作る。そこでは人々の合意や契約が重要だから、法によって街づくりや景観を厳しくコントロールする。
では日本は? 八百万の神の国、水が多く暖かな豊葦原瑞穂の国では、自然は活力にあふれ、どんどん繁殖し繁茂する。人の活力もまた自然由来のもので、それを規制するのは得策ではない、という感覚があるのではないか、と。
自分の目の前にあるもの、暮らし方について、人はわざわざ理由や由来を考えない。そこに問題を発見しても、「昔からそういうものだ」と思えば、変えていくことはとても難しいと感じる。こういった場合も、角度を変えてみること、まったく違う社会と比較してみると糸口になる。
◆3つめは、今から10数年前の世界を見られ、そこからの推移を考えられるということ。この本の執筆当時、フランスではサルコジが台頭し、やがて大統領に選ばれる。新自由主義的な政策をとる一方、移民に対して過激な発言を繰り返す政権。その発言の背景には当然、国民の一定の支持がある。「自由、平等、友愛」を掲げるフランスで移民は包摂すべきものだったが、このころ、フランスでも風向きが変わる。差別や格差が広がり、不満を抱く若者たちが騒ぎを起こす。
今、各国で排他的な自国主義を掲げる指導者が誕生したり、支持率を伸ばしたりしているのは周知の事実。フランスでは極右のルペンが大統領選へ出馬する。それは急激な変化ではない。10数年前には既に、芽を出していたことで、世界はそれをとどめたり修正したりすることなく、むしろ分断の方向へさらに進んでいる。これはどこまでいくのか、どこまでいったら次の風が吹くのか、考えさせられる。
如月の六
●2月某日: 近所の友だちと一緒に登園。走る走る! 15分くらいで着いた。えーっと、幼稚園まで1.2キロ以上あると思うんだけど。すげー持久力だな。お母さん劇団の練習。練習日が実はもう少ないことに気づいて焦る一方で・・・
園内お母さん劇団の人間劇で来月の頭に浦島太郎をやる。欠席した日にキャスト決めがあって乙姫を割り振られたんだけど、菜々緒さまのイメージが強力すぎて、練習するたびに自分の中での「なんかちがう」感がすごい…
ま、あまりテレビ(しかも民放)を見てない子どもたちが多そうだから、大丈夫かな(笑)
そして、
今日は息子に絶対忘れずジャンバーを着せて帰らねばならぬ…
ジャンバーは着せて帰れたし、昨日忘れたほうのもちゃんと持って帰ってこられたけど、降園後も助け鬼が延々と続いて、降り出してからやっとお開きに…。だいぶ濡れたばい・・・
夜ごはんは、きのこの炊き込みご飯、さつまいも入りの豚汁、大きい卵焼き、ほうれん草。買ってきた卵が割れてる(たぶん自転車に乗せて帰る途中にやっちゃった)ことに気づいて、一瞬「プリンでも…」とか思ったけどめんどくさくて全部卵焼きにしてやったぜ。夫は残業。
Eテレ「2355」と「0655」の「今日のおやすみソング/おはようソング」を模して、ふとんに入ってから「きょうのおやすみ絵本」と言って1冊読んでやり(『はたらきもののじょせつしゃ けいてぃー』バージニア・リー・バートン)、トビハゼのトビーのコーナーをやって(音楽に合わせて独り言を言う)、電気を消して寝かせる。
はたらきもののじょせつしゃけいてぃー (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)
- 作者: ばーじにあ・りー・ばーとん,いしいももこ
- 出版社/メーカー: 福音館書店
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帰って来た夫と『精霊の守り人』3話の録画を見る。夫の感想「真木よう子すげー・・・悪役ハマりすぎ・・・」 原作とはかけ離れたシハナのガラの悪さ、“やけのやんぱち”って言葉が思い浮かぶ滑舌、私はだんだんクセになってまいりましたw
如月の五 / 鬼がきた/ 「ママじゃない私、ポートレート」 むっちゃん / スイッチインタビュー新海誠×川上未映子
●2月某日: サク弁、鶏とごぼうの炊き込みごはん、豚と根菜煮、卵焼き、ほうれん草と春雨サラダ、マカロニサラダ。鶏ごぼうの炊き込みご飯、冬はもうこればっかりです。おにぎりにして、「ママじゃな」の取材にも持っていく。バスで行こうかな~地下鉄かな~なんて呑気にかまえてるうちに家を出る時間が遅くなってしまい、こうなったら、はい、自転車です。30分かからずに着いた~。
ちひろちゃんの幼稚園ママ仲間のむっちゃん、私はお会いするの3回目、本格的に喋るのは初めてなんだけど、印象のとおりに面白くてすてきな人だったー。おうちのあちこちに羊毛グッズ。オランダの話を聞きながらオランダの家庭料理「エルテン(エンドウマメ)のスープ」をいただく贅沢さ!
食後は大濠公園でも撮影。「中の島」の風が強いのなんのって。水遊びをしたくて仕方ないしゅーた(もうすぐ2才)が池に落ちないかひやひやでしたわよ。それが、幼稚園のお迎えに向かうむっちゃんとバイバイして、ちひろちゃんとボートハウス側に行ったら・・・さっきのは何だったのっていう穏やかさですよ。引き続きしゅーちゃん遊ばせながら、缶コーヒー飲みつついろんな話を。渡り鳥の王国になっていて、パッと見ただけでも10種類近くいたような。サク~、なぜ君はここにいないんだ!!
mamajanaiwatashi.hatenablog.com
また自転車で家に戻り、すぐにまた自転車に乗ってお預かりをお願いしていた幼稚園に迎えに行く。自転車の後ろに乗せて帰途を漕ぎ出すと、「きょう、リズム(体操)してるとき、おにがきた」と報告が始まった。
赤鬼で、角がすごく長くて、Kとかはこわーい、こわーいって泣きよった。先生がすぐ小豆を用意して、みんなに持たせてくれるんだけど、もらうの間に合わんけん、投げては拾い、拾っては投げしてぶつけまくった。鬼は最初強そうやったけど、豆をいっぱいぶつけられて、だんだんびびりだして、最後は逃げてった。
だそうです。無事に撃退して満足げだった。
夜ごはんは、ソーセージと白菜煮、昨日義実家からもらった鰯明太、前に友人からもらったエソ天など。ビール、白ワイン。
●2月某日: 以前は、飲んだ次の日はカップラーメン食べたりしてたけど、寄る年波か化学調味料の味がきつくて・・・。「私が欲しているのは出汁だ!」と思うようになった30代後半。最近は昆布と煮干しでとった出汁に、野菜やらきのこやらぶちこんで、気分によっては鷹の爪とかナンプラーとかをちょちょっと入れて、春雨スープにして食べるのがお気に入り。
幼稚園の迎えに行っても、子どもたち帰る気配まったくなし。砂場で「化石拾い」に精を出し、追いかけっこし、そしてどろんこ遊びから土を人間の頭くらいの大きさに丸めて固めて・・・と次から次に遊んでる。で、最後はクラスの友だちが鞄を忘れて帰ったことに気づき大騒ぎ。このくだり、つい先週もあったな…(笑)。
で、なんとかカタをつけて帰って気づいた。サク、ジャンバー忘れて帰ってきてるやん! 2月初め、朝よりは日が差したとはいえ気温はせいぜい10度あるかないかくらいなのに、なぜジャンバーを忘れられるのか…。ちなみにこの冬2度目。
サク、風呂に入るため脱ぎながら「ひとの このへんって、なんでへんなんだろ」と自分の腰回りを指さす。「ちんことか、しりとか」 ふふふ。そうだねえ。夫が飲み会で、夜ごはんにはスーパーのお惣菜を買った。サクはヒレカツ、私はかきフライ。白菜とソーセージ煮や春雨サラダの残りなど。
一昨日から、川上未映子×新海誠のスイッチインタビューをちょぼちょぼ見てる(60分なのにまだ見終わらずw)。川上さんの自意識の強さと新海さんのピュアさがいかにもって感じで最初ウッとなったんだけど、だんだん慣れて味な感じを覚えてきた。ちなみに川上小説も新海アニメも未体験です
そういえばスイッチインタビューの新海誠×川上未映子、後半とてもよかった。川上さんが意外な良インタビュアーぶりを発揮していたような。「絵を描くとき好きなのは?」と聞かれて新海さんが「雲」と即答するくだりや、「新海作品のモノローグは”精神”なんですね」という川上さんの評、よかった。
如月の四
●2月某日: 南蔵院で毎年恒例の豆まき行事があるというので行ってみる。と、涅槃像の前には予想を超える人出が。櫓みたいなのが何か所かに設けられていて、法被を着た寺サイド?ゲスト?の人たちがそこから豆をまく、成田山とかでやってるのがテレビで映る、あのスタイル。
とはいえ著名人がまきに来てるとかではないんですが、皆さん、しとしと雨の中を濡れながら、ガチ本気で拾ってる。6歳児が伸ばした手の先を容赦なく掠めていく皆さんです。なんなんだ?と思ったら、これ、豆やら小餅やらが入った小袋の中に、当たりくじが入っている(場合がある)のですよ! そう、南蔵院といえば、くじですもんね。この涅槃像も住職が宝くじ1等をあてて建立したのです(実話)。海外旅行も入っているとかで、みなさんギャンブラー! 一説によると初詣より人出があるとか。
そんなこんなな熾烈な戦いをくぐり抜け、夫+サク+義母の3人で9袋ゲットした我々(私はそんなガチ勝負とは知らず後ろで見物してた)、あたりくじは1つのみで、「干支置物」でした。酒とかタオルとかあたってる人が周りにいましたね。午後、雨の合間を縫ってサクはじぃじと里山バードウォッチングをしてた。畑の野菜も収穫。夕方前に辞去。夜ごはんは、鮭の塩麹漬け、味噌汁、など。
『おんな城主直虎』 第13話 「城主はつらいよ」
すごいなあ。本当に、家中に一人の味方もないところから始まるのだな。方久はジョーカーだもんね。人間扱いされず、生贄として生かされていたのが彼の根っこであり、「おとわを泊めて、おとわを突きだした」が彼を端的に表現する。それでも今、政次に対抗するには方久を使うしかない #おんな城主直虎
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年4月2日
百姓の陳情を安請け合いして困ったことに…まではテンプレだけど、「元・解死人の大商人を家臣に加えて土地をやる」という実務的で改革的な打開策をうちだし、しかしそれが元でわずかな家臣たちが離反する、さらに敵は先んじて手を打っており…って、たたみかける展開さすがです #おんな城主直虎
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年4月2日
「還俗しないないから、”出家と引き換えの本領安堵” 下知に逆らってはいないという理屈」
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年4月2日
「小野を後見と下知したのだから、おめおめとは引っ込められない」
家を守るための理屈づけや、権威を保つための筋の通し方。政治を描いてるよねえ #おんな城主直虎
直虎の切り下げ髪のカツラ(よね?)を、サラサラじゃなくてボサボサヘアーにしてるのはもちろんわざとだよね。ちょっと獣っぽくて、いい。#おんな城主直虎
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年4月2日
#ごちそうさん は主人公たち世代のやらかし(戦争を是とする時代を作った)のツケを子どもたちが払わされたけど、#おんな城主直虎 は親世代のやらかし(後先考えない放漫経営)のツケを主人公世代が払わされる話だ。繰り返された同じ過ち、負の連鎖を断ち切れるかどうか。刮目させられる!
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年4月2日
戦やら謀略やら、弱肉強食なさだめで死ぬとか、死んだ後に人心が離れてお家の危機とかはまあ、ままあるけど、数々の非業の死のあとで、「たび重なる戦で村が荒れる」とか「借金を繰り返していて首が回らなくなっている」とかが判明する身も蓋もなさが、さすがよねw
件の村「祝田」が、直親夫妻が暮らした地であること、今は亡き新野の娘たちの「化粧料」になっていることに触れるなど、細かいとこまでゆき届いているなー。
「真田丸」でも特に初期、入会地争いなどを描いていて面白かったんだけど、今作では個々の現象というより「世の中の仕組み」を明らかにしてそれを人間の業と普遍の視点で批評する感じの作風で、うんうんやっぱり森下さんよのう、と思う。
別に元からそう人材豊富でなかったっていうのに、今の井伊家の表座敷の「がらーん」具合すごいよね。これに政次(バックに今川)がいるっていう・・・。直虎の孤軍奮闘感、ハンパない。南渓との「自灯明」のやりとり、よかった。自分には何の力もないと嘆いていた次郎が力を持たされてその責任に震える。けれど現実にはたった2人の側近すら御せない未熟さ。さらに、村人たちが今川に訴え出たことで、力には甚大な格差があることも思い知る展開。
新野の娘たちやしのへの「あてがえ」の領地を用意せず、慰撫する言葉もなく、先に方久への下知を出してしまう。これは六左衛門が言う通り「思いやりがない」所業であり、悪気はまったくないにせよ、そういう「配慮」が上に立つ者の仕事(特に、今は権力基盤が甚だゼイジャクなのだから)でもあって、今の次郎にそれができないのは適性がないのではなく、ただただ未熟なのだよねえとわかる描写である。百姓のしわくちゃの手を見て「この手に支えられている」という、もっとも大事なことはきちんと理解しているうえでの、この未熟描写。
(「策」や周囲の人々の心情に寄り添わず、主演級の「熱弁」で盛り上げて事を解決する大河ドラマも少なくないわけですから、去年、今年と本当に有難いのだよ)
そういったところをしっかり描きつつ、一貫して、家康は碁で、氏真は蹴鞠でと状況を象徴させる描き方、取捨選択がぱっきりしてるなあ。
とにかく鮮やかで気持ち悪いムロ劇場が想像以上によくてうれしい! わらしべ長者物語面白かった。おとぎ話のようで、相当やばいこともやってきたんだろうなっていう。あの、きれいなおべべと結った髪の、なんという胡散臭さよね! 正直、「ごちそうさん」のころは、まだ脚本が役者を引き上げているように感じてたけど、今や役者凄味をもってる。わらしべ物語のアニメーションやカンカン犬まで、コミカルな演出もいい。これから楽しみだ!
そして、直虎に敵意を向けられたり、直虎が実力をつけていくのを見る政次の心情を妄想すると、萌えますね♡ 直虎にキッと睨まれて憎まれ口なんか叩かれたら、心が痛いけれども、「よしよし、ちゃんと悪者になりきれてる俺・・・これでいいんだ」なーんつって、背徳的な喜びを感じているんでしょうね♡
如月の三
●2月某日: 1年3か月ほど前に 「ママじゃな」で取材したマーヤちゃん とランチ。この春、大学を卒業して、就職先はとりあえず東京! そんな忙しい時期なのに、「チーム「ママじゃな」ともう一度会いたい」と誘ってくれたのよー。なんていい子。可愛い子♡
ちひろちゃんはしゅうちゃん(来週で2才)が一緒だったので、小上がりの席を予約してたんだけど、想像以上の広さと「おうち」感だった。それにしたって着いた瞬間から、もう何年か住んでるみたいに馴染んだ遊び方をするシューがおかしいw 就職先のことや、お付き合いのことや、いろいろ聞きだす。そうだよねー、いろいろ不安もあるよねー。でも、「いいなあ!」「東京いいなあ!」と羨んで盛り上がる30代後半女子2人w 生ビールからデザートまで。完ぺきな女子会。
食後は警固公園でマーヤちゃんのミニ撮影会。シューは鳩や雀を追ったり、石ころ拾ったり。「とりしゃん(鳩)」「ちゅんちゅん(すずめ)」「こぁい(怖い)」などいろいろおしゃべりもするようになってて超かわいい。
帰宅後、家族で篠栗へ出発。2か月ぶりくらいで運転する。サクは寝る。私もこの道だけはうまく走れるようになってきているw
鳥を見ようとミニ図鑑+オペラグラスを持参して外に出たサクだが、広場で夫が始めたゴルフの練習にハマる。地面に穴を掘り小枝をさしてホールに見立て、サクもなんちゃってゴルフ初挑戦。超楽しんでた。夜ごはんは義父による野菜天ぷら各種、カキフライ、エビフライ、唐揚げ、ゴマアジ、ほうれん草と春雨サラダ、茶わん蒸し・・・・量が、量がー! ビール。熱燗も少し。
3/5 西日本新聞 藻谷浩介「蔓延する排外思想」
3/5 西日本 #新聞。先般の浜矩子に続き「時代の風」に寄稿した藻谷浩介もなかなか激烈な筆致。蔓延する排外思想について。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月15日
「キリスト教も儒教も近世以降のマルクス主義も、思想の本来の純粋さが蓄財や権力拡大に利用されてきた。先の大戦の日本の「天皇の権威、統帥権」も然り→#新聞
「→それに懲りて、戦後の法治国家体制が構築されたが、戦後体制を生ぬるいものとし、戦前色の濃い権威主義的な道徳の復活を溶く政治家や評論家が増殖している。彼らは、仮に自分自身は恬淡としていても、金や権力を求める人間にすり寄られ利用されるリスクにさらされている。→#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月15日
「→現政権も権威主義的な道徳観を推す面々で構成され支えられるが、そこにすり寄ってうまい汁を吸う連中も増え、皮肉にも「日本の中国化」が進んでいる。幼児に国家主義・排外主義的な思想を教えつつ、国民の財産たる国有地を破格の安値で入手して開き直る人間が表に出たのは必然の流れでは。→#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月15日
「→松陰は『一時が万事』と言った。国家が大事だというのであれば、国有財産の払い下げも当然、国家のルールに則らなければいけない。自分を例外にしてくれというのは松陰が厳しく非難した「私心」そのもの」
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月15日
山口出身の藻谷が吉田松陰の言を引いたのはもちろん首相を念頭においたものだろう。#新聞
「→世界中に排外主義が蔓延し、「自国中心主義者」たちの間に「反グローバル」の意識を共にするというグローバルな連帯感さえ感じられる始末だ。だが彼らの利害は本来的には一致しない。歴史に学ぶ姿勢のない彼らは、自国中心主義が20世紀前半にどれだけ多くの人命を奪ったか知らないだろう→#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月15日
「→「日本に敵対する外国を学校で非難して何が悪いのか」という人は、「神を信じない国を学校で非難して何が悪いのか」と主張するアメリカやイスラムの宗教原理主義に何と答えるのか。八百万の神々を持つ国に生まれながら他者を排除する世界観に染まること自体、すでに日本の本流ではない→#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月15日
「→やはり消去法で考えてリベラルにならざるを得ない。安直な保守は、不可避的に不正な者の専横を生み社会の自壊を招く点で、結局社会を保守できないのである」#新聞 を読んでると排外主義への批判や危機感を書く識者はすごく多いけど、新聞って、ごく限られた人間しか読んでないんだろうからね…
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月15日
如月の二 / 忘れ物事件とか、鬼がくるかこないかとか
●2月某日: サク弁、鶏とごぼうの炊き込みごはん、スクランブルエッグ、ポットローストの豚と野菜、ピーマンと人参のツナ和え、レタス。
ゆうべけっこう飲んだので、朝も喉が渇いている。サクを送ってからスーパーに寄って、(・・・自分の昼ごはんどうしようかなあ・・・)と考える。こういうとき、ラーメン!とかカレー!とかじゃなくて、「出汁!」と思うようになったのが年齢でしょうか。結局煮干しと昆布で出汁とって、春雨やらしめじ、かつお菜などあるものをぶち込んで食べた。うまいよ・・・。
子どもたち(年長組)は幼稚園の園庭でお弁当を食べたらしい。子どもたちが外で食べたいと言ったのだそうだ。「えー、寒くなかった?」と聞くと、「ぜんっぜん!」とサク、きっぱり。降園後、幼稚園の「ほんかり」こと文庫の貸出係。楽しい。子どもたちはその後も園庭で遊び続ける。そこで、ちょっとした事件が。翌日の記録より。
昨日も面白いことがあった。降園後も園庭で遊んでた子どもたち、「T子のおかあさんは? T子がカバンわすれてかえっとう!」と騒ぎ出す。T子ちゃんは手ぶらで友だちの家に遊びに行き、お母さんはT子ちゃんが鞄を持って行ったと思い込み鞄は園に忘れ去られていた(園では割とよくある事例)。→
→T子ちゃんの通学鞄と着替えバッグを持って大騒ぎの子たち。最初に見つけたRくんらが「かえりに もっていってやる!」と言うが、Rくんのお母さんは「いや、T子ちゃんち知らんよ…」。「わかる、わかる!」とNくん。しかしNくんは今日お母さんが迎えに来ておらずRくんちの車で帰る運びなのだ→
→うちは帰り道からほど近いので「私、おうち知ってるし、自転車あるし、パーッと届けてあげようか」と提案し、息子6歳も「うん、おれたちいってやる!」と張りきるが、Rくん「いや、いい」と断固拒む。自分が見つけたから、手柄は渡さない、自分の手で渡してあげたいのだ。そうだよねぇ(笑)→
→T子ちゃん母にLINEするとしばらくして既読がついたので「Tちゃんのお母さんもうすぐ取りに来るよ」と子どもたちに言ってみるが、彼らにとっては「何だ、そのソース?」なので、あーするこーするとまだまだ喧々諤々。「おれがもっていくって!」「だけん、Rのおかあさんしらんっちゃろ?!」
→自分の鞄&着替えバッグ、さらにT子ちゃんの鞄&バッグを持っているRくんに、「重かろ? T子ちゃんのお母さん来るまで持っててあげようか?」と言ってみても、「いや、いい。だいじょうぶ」と断固拒否。「俺が見つけたから俺が持つ」である。小さい子の中にある強い意思を見るときゅんとするw→
→「こっちだ!」ととりあえずTちゃんち方面に歩き出した子どもたち。そこに、Tちゃん母の車が…! 「あーっ、T子のおかあさんだ!」「T子のおかあさーん!」「かばんかばん!!」「わすれとったよ!!」 子どもたち、無人島に表れた救助艇ですか?のように大騒ぎで手を振り大歓迎である→
いったん帰っておやつを食べさせて(ええ、自分も食べましたけどね)、どんぐり文庫へ。
K田さんの家庭文庫でおはなし会の日。今日はまず、長新太の絵本『ぼうし』から。URL ぞうがかぶったらすっごくちっちゃい、みたいなページで息子6歳がにっっっこりと笑って、引き込まれてた。あかちゃん絵本みたいなのも、まだまだ楽しめるんだよね
次は、語り聞かせで『はなたれこぞう』。こういう話だったのか!と、知ってたような知らんかったような。この型の昔話(この世ならぬ者が窮乏を助けてくれる、でも調子こいてたら最後に消えちゃう)って、ものすごいバリエーションあるよな。
最後に、絵本『まゆとおに』。URL これ、初めて見たけど傑作だな! はっちゃけてる。すごく強そうに登場した鬼が、破天荒なまゆに戦々恐々の顔になっていくのが超おもしろい
まゆとおに―やまんばのむすめ まゆのおはなし (こどものとも傑作集)
- 作者: 富安陽子,降矢なな
- 出版社/メーカー: 福音館書店
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夜ごはんは、たきこみごはん、ギョーザ、白菜とカツオ菜とベーコンのスープなど。
●2月某日: サクを送っていったあと、そのまま幼稚園の一室で歌詞集の打ち合わせ。卒園児たちには保護者会からいくつかのプレゼントを贈るのだが、そのひとつ「歌詞集」を作成する係になっている。3年間の幼稚園生活で歌ってきた歌の楽譜などをまとめるのだ。1時間半ほど、3人であれこれ協議し、印刷機をチェック。帰宅後は週明けの「ママじゃな」取材の準備も。これから卒園式までけっこうコマコマ忙しい予感。
幼稚園で豆まきはしたものの鬼は来ず(鬼さん役のお父さんの都合で月曜日に現れる予定)。すると年長児たち「おにをさがしにいこう!」となり、園の近辺をくまなく探したらしい。ブルーシートやら、落ちてる豆やら何やらに、いちいち「おにかも!」「そーっと!」と怪しんだり、大騒ぎだったそうw
降園後も、友だちが遊びに来るというので一緒に家まで歩いて帰るのだけど、豆を入れた折り紙の箱を片手に持ったまま。「かばんに入れといたら?」と言うと、「おにがでてきたら、なげないかんけん」と臨戦態勢である
夫は飲み会。夜ごはんどうしようかなーと迷う。手っ取り早くお惣菜とかお弁当とか買って楽しちゃおう!という気持ちと、美味しいもの食べたい!の気持ち。両方をとって、ステーキ肉を買ってジュッと焼いた! フライドポテトとコールスローもささっと作った。ワンプレートに盛り付けるとサクも「おおっ、きょうはごちそうさだな!」とテンションアップ。
録画を保存している『紅の豚』をサクにちょっと見せてみると、とても面白いと感じるみたい。トトロは20分でリタイア(怖いらしい)だったのだが、こちらは大丈夫なようだ。長いので最初の40分くらいまで見て、「また今度ね」ということに。夫の帰宅後、ちょっと飲みたす。