●2月某日: 雪だーっ。吹雪だーっ。夫、ふぶかれながら出勤。20分後、私たちが出るころには少し収まっていて助かった。そのまま、卒園プレゼント「歌詞集」の係のお仕事。印刷室、というには狭すぎる小スペースで、2人でしこしこ印刷してたんだけど・・・さ、さむい! ここには暖房の類、いっさいないのだ。
だんだん手の感覚がなくなってきて、1時間ほどで切り上げ、ストーブの小部屋に避難してページのチェックなど。過去の作品を拝見すると、手をかけてある年度はすごいんだけど、私たちは当初から「凝らない! (ページ数)増やさない! テーマはシンプルで男前!」と決め打ちしてるんだけど、打ち合わせしてると想像以上に男前な判断をバッサバッサとしてくれる面々なので非常に有難いw
降園後、クラスの友だちが遊びに来る。「えのぐ、したいなー」とお絵描きタイムに。互いに見ながらで、似た要素、似た構図だったりするんだけど、それでも個性が出るんだよね。明日、おえらいさんたちのゴルフコンペの事務局を務めるはずだった夫、この雪で中止になったそうで嬉々として連絡があり、なぜか「じゃあ今日、飲みに行こうか!」という帰結に。しかしいかんせん寒波、風、断続的な雪なので、近所の焼き鳥屋に。
6時に焼き鳥屋に入って、さっと食べて飲んで1時間半で帰宅。いきなり思い立ってちびっこ連れで行ける飲み屋が家から徒歩5分圏内に5件以上あるって、やっぱり街なんだなーと思う。街暮らしのemitemit。(今、『床下の小人たち』を岩波少年文庫で読んでるw)
家での二次会(子どもあり)、三次会(子どもなし)よくのんだ。カルテットの3話を見て、ひとつの予測を話して、夫に笑って一蹴される。
●2月某日:
今朝がた息子が2度ほどリバースして、この寒波の中でパジャマとか枕カバーとかシーツとか毛布とかやられて、つられて(?)私もリバースしちゃって、「これが育児の冬だ・・・!」て感じでした。
土曜日でほんとよかった。汚れた衣服や布団類は私が片づけたんだけど、今日の通常の洗濯物は洗濯機を回すまでやっといたら夫が干してくれたし、ごはんも夫が作ってくれるし・・・
いろいろこまこまとやりたいことあったし、買い物にも行きたかったんだけど、体調悪いとほんと何もできんな。しょうがない。
でも読書がちょっと捗った。『床下の小人たち』を読み終わって、次は『人質の朗読会』(小川洋子)と『セーヌの川辺』(池澤夏樹)を並行して読み始めてる。また児童文学も図書館で借りよう。リンドグレーンがいいな。『ピッピ』にするか『やかまし村』にするか考え中
『床下の小人たち』は子どもの頃に読んでないと思ってたけど、読んでたら何だか知ってるような気がした。ジブリのアリエッティも未見なんですが。アリエッティ親子の造型が、外国の児童文学ってこれだよねー!っていうわくわく感だった。そして大人になって気づく、描写の細やかさ。
サクと一緒にごんごん昼寝する。夜には私の胃腸は酒を飲めるまでに回復。サクは雑炊とか大根の煮たんとか食べてるけど、喋りはかなり元気に。「ブラタモリ」浦安。夫が独身時代、2年間住んでいた街である。私も一度、その部屋に行ったことがある。東京駅から京葉線のホームまでがびっくりするほど遠かったのが一番の印象だw
「嵐にしやがれ」でエンケン奮闘公演。そしてこの日のテレビ(録画)視聴のハイライトは、なんといっても「ファミリーヒストリー」大竹しのぶの回。
人は誰でも未熟で、偏ってて、大人になったからって完璧にはなれない。それを直ちに是正・矯正すべきなんじゃなくて、それでも大丈夫だよ、間違えながら、いろいろ迷惑かけたりかけられたりしながら何とかやっていこうよ、その過程で何か掴んだり、つながったり、すごく幸せな瞬間もあるよねっていう。
#べっぴんさん のさくらさんに対しても、女狐とか、「人としてどうか」とか、卑しいとか、因業婆とか(←すごい語彙だなw)とか、そりゃもういろんな罵倒(批判を超えてるよねw)を見ましたけども。16歳の子の視野の狭さや自分中心の少女漫画脳をそこまで責めるって血も凍るなあ。というのも
昨日ファミリーヒストリー録画で大竹しのぶ回見たんだけど、しのぶ祖母は2度の結婚でそれぞれ我が子を手放したり、祖父は子ども何人もいながら安定した生活を捨てて信仰活動に没頭して妻を苦労させたり、父もキリスト教への篤い信仰心がありながら不倫の末に結婚してしのぶたち5人の子をもうけてさ。
もうね、朝ドラ脳で見たら「ありえない!」「人としてどうか!」「女狐!」「卑しい!」のオンパレードなんですよw でね、しのぶ父は結核やらでちゃんとした稼ぎがない時期も長く長く続き、重病の床で初めて先方の家族について言及して、「自分が危篤になったら呼んでほしい」と言ったんだって。
亡くなってから来た先方のご家族(しのぶの異母兄たち)は、「父の顔を初めて見ました」と言って、それに対してしのぶたち姉妹は頭を下げて謝った、って。いや、しのぶさんたちが悪いわけじゃないよね。なんか、なんかな、何が悪いことで、それは誰が決めることなんだろうなって。
しのぶ両親が不倫の恋を成就させたのは罪なのかもしんない。でも夫が病気で長く貧窮生活にあっても、しのぶの母は働きづめで家族6人の暮らしを支えて、同僚に「向こうのご家族を思えばつらいなんて言えない(大意)」的な言葉をこぼしたこともあったと。同僚さん「その言葉が忘れられない」と言ってた
父は子どもたちの豊かな感性世界を育んだ人であり、教員時代の教え子たちをとても大切にしていて、教え子さんは先生(しのぶ父ね)からの手紙にあった言葉を深く心に留めていて、「我が子の結婚式の挨拶でもその言葉を引用した(笑)」と言っていた。なんかね、何が正しくて何が間違いなんだろうなって
しのぶ祖母が2度目の結婚で手放した子の子どもも見つかるんだよ。その人は祖母の足取りをずっと探していたとかで涙こぼされてた。その人も、祖母と同じく若い頃に米国に住んでいたことがあったり、大竹しのぶと同じ祖母を持つことに驚いて「しのぶさんも笑窪がありますね(私たちも)」と言ったり。
正しいだけの人はいないし、間違ってるだけの人もいないんだよね。どこかで人に迷惑かけても、別のどこかでは人を支えたり救ったり。そういう長く広く複雑な命脈の果てにいるのが今の私たちで、私たちもまたそうやって生きてるんだなーと思ったですよ。人を簡単に「女狐」とか「卑しい」とか言わないw
しのぶの祖母や、両親・・・出てきた人々みんなについて、他人がジャッジできない、人生のリアリティを感じたよ。大竹しのぶの姉妹3人も出てた。もう1人、兄(弟?)もいるみたい。名前が、しのぶは「忍ぶ」の意で、他に「すなほ」「真理」「進」「恵」だったかな。信心深い夫婦の名づけだなあ、と感じ入った。しかしそれよりすごいのはしのぶ母の名前だ。信仰はしのぶの祖父母世代から始まっていて、祖父母はしのぶ母に「江すてる」という名を!