睦月の七 / サク満6歳半 「とくべつにいいことがあった!」話
●1月某日: 近所の友だちも連れていく日。一緒に歩いて幼稚園する。2人ともめっちゃ元気。よく走る。けっこう寒いぞ。放送大学の授業を視聴したり(試験まであと2週間弱!)、辛い雑炊を作って食べたりして、平常運転に戻ったなあと思う。降園後、友だちが2人遊びに来る。「歩いて帰るけど、いい?」と言うと、1人の子(いつも車で登降園してる)が渋ったけど、他の2人につられてよくがんばって歩いた…てか半分以上は走ってるからね、あの子ら。
幼稚園の3学期。午後保育は今日から。子どもたちと一緒に登園したり降園したり、うちに遊びにきたりする日々がまた始まりました。かわいくてめんどくさくて頼もしい子どもたちの時間。めんどくささを観察するのが面白いんだよねーw
A「まだできんと?」B「そんなこといわんで」C「おれ、てつだっちゃろか?」B「いまわかったとこ! さわらんで!」A「C,ちょっと、このこ(ぬいぐるみ=赤ちゃん)だっこして」C「まーた、うまれたのか?」A「もっとやさしく!」C「どうせぬいぐるみやけんふつうでいいやろ」
幼稚園からの帰りは、両腕をあげてジャンパーの裾部分を頭にかぶり、「コウモリだぞー! ちをすうぞー!」と叫びながら走り続ける。そして互いの血を吸う真似をする。危ないから道を走る時は普通にしなさいと言うんだけど、なっかなか聞かない。
夜ごはんは、皿うどん(パリパリ麺)、里芋と大根とほうれん草の篠栗野菜味噌汁(+エノキとネギ)。ひじき。宅配で頼んだワイン6本セットがきた! 夫が「ちょっと、味見してみる?」と開けるが最後、またたくまに1本空く。そして焼酎まで飲み足す…。栗原はるみのきょうの料理と、孤独のグルメ新春SPを半分見ながら。
●1月某日: 3学期最初の、そして残り2か月のサク弁。ごはん、卵焼き、豚肉炒め、ほうれん草のおひたし+ちりめんじゃこ、おでんのこんにゃくと大根をトースターで焼いたもの、ひじき。栄養満点って感じです。全然園児っぽくないけどw
昨日よりもっと寒い! 登園時間は5度くらいだったと思う。日中も、家の中が寒くて寒くて、何度か足湯した。迎えに行くと、「きょう、おれに、とくべつにいいことあったんだー。いえにかえってからおしえてあげる。」とサクに言われる。楽しみに帰ったら、
「きょうね、ようちえんで、“にんげんすごろくした”と! でね、“いとぐるま”グループ(4,5人ずつの生活班のようなもの。サク所属)が、2かいとも いちばんやったとよ!!」 ほ、ほうw よかったなw
「めっちゃおもしろいと! にんげんが こまになるとよ、すごいやろ? つみき(大きいやつ)とかでマスをつくると。1かいやすみのマスには カラーボックスがおいてあって、そこにとまったら、カラーボックスの中に はいらないかんとよ!!(と、説明しながら自分で爆笑) あと、2かいすすめるマスとか、トンボのポーズをするマスとかある」
うん、盛り上がる様子が目に浮かぶねw 夜ごはんは、ネギ塩豚丼、ひじき、ほうれんそう。夫は飲み会。帰宅後、今日は酒を飲まず、お茶でうだうだする。
『ごちそうさん』 第17週 「贅沢はステーキだ」
#ごちそうさん 今日から戦争編ですね。昭和15年。資材の不足、節米料理、薄まるコーヒー、肉なしデーと闇取引、婦人会の愛国運動、おでん皇国戦記、ご出征、半鐘に万歳、そして源ちゃんに赤紙…月曜にこれだけ詰め込まれてるんだったか。「めっぽう元気な大阪のおばちゃん」の戦記が始まった。
#ごちそうさん 戦争編初日に「命がけ」という言葉が何度か出てくる。「今は心を合わせて」「(銃後の節約は)人として当たり前」 何もかも、深く考えず、自然な心持ちであり善意で、他人事なんだよねえ…。小市民の姿が活写されてて、抉る。
め以子の他人の人生を消費して、そのドラマに勝手に感動して陶酔してる感。痛烈な風刺だよなー。いや、風刺というか、たぶんいつの世も対象は違えど多くの人が陥りがちの無意識の、でも薄気味悪い娯楽。それをヒロイン自身でやっちゃうのが凄いよなー。 #ごちそうさん
#ごちそうさん 兵役逃れだと思い込んで心配するのは「おめでとう」「立派なこと」と口では言いながら、心では反対のことを思ってる証拠だよね。「しょうがない、みんな我慢してるんだから」これこそ呪いの言葉だな、今も昔も。我慢できてしまう人にとっても、我慢できない性分の人にも、毒になる
さて、代用品エピソードといえばとと姉ちゃんですよ!と懐かしく思い出しながら見た今日の #ごちそうさん ですこんばんは。代用品って愛情とか強い思いが込められるものなんだな。コーヒーや苺、すばらしい本物に近づけたいと思うから代用品は進化する。それを知っているから、代用品は沁みる
「個人的に済ませましたから」も小賢しいんだけど、さらに「僕は代用品かもですね」と口に出しちゃう小っちゃさが悠太郎やね! そう、あんたは果報者な代用品ですよ。「食べさせてもらって食べさせて」という、め以子幼少期の根幹は、あんたと家族にずっと注ぎ込まれてきたんだから #ごちそうさん
#ごちそうさん オリンピック中止もさりげなく盛り込んでたし、「公定価格で売るくらいなら軍に買い取ってもらうわ」こんなセリフ書けるの、さすがだなあ。戦争で経済がうまく回らなくなっていく中で、目先の益のために「官より軍」になる人々(団体)もいて、そういうのも戦争を加速させるんだよね
無邪気に旗振って出征を見送り、流行に乗って節米料理に励み、流行の精神にも則って「心を合わせて銃後を守る」なんて食卓でも一席ぶってたのが、源太・苺・砂糖と自分の大事なものを取り上げられて事態の尋常でなさに気づく。私たち小市民の姿だよね…。ものすごく批評性のある脚本だ。#ごちそうさん
食材が喋り出すのは、食べ物が命を持っているからだね。命を奪って食べて命をつなぐ以上、おいしくいただくのが筋なんだね。死んだようなものを食べたら死んだように生きなきゃいけなくなる。解体ほやほや加工なし、みたいな巨大な生肉は命そのものなんだろうなあ #ごちそうさん
ステーキも、悠さんの浪速商人の心意気!のシーンも気持ちよいんだけど、2度目を見るとラストシーンの閉そく感がしんどいな。美味しいものへの欲望も地元の文化への誇りも、個人レベルの頑張りでは結局、国や時代に飲み込まれていく。どうしたらよかったんだろう。#ごちそうさん
ふ久の大きな目、黒目は真っ黒で白目は真っ白な若さと、母をまっすぐに見つめる強い視線がすごく印象的。ふ久の中にははっきりした核があり、でもまだ若いから、世の中のいろいろと折り合わず疑問を持ったり嫌気がさしたり揺れたりする感じが、セリフは少なくてもよくわかる #ごちそうさん
2/25 毎日新聞、柳田邦男 & 3/4 毎日新聞、長元朝浩 「安倍政権が用いる言葉の恣意性」
2/25 毎日 #新聞、柳田邦男のコラム「深呼吸」より。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月7日
「稲田防衛相の「戦闘」を巡る発言は、安倍政権下の、言葉を恣意的に操作する政治姿勢が極限に達したといえる。政治の危機でありこの国の危機」と痛烈に批判。
9条の問題になるので『戦闘』ではなく『武力衝突』という、というアレ。→
→「現場では激しい撃ち合いの実感を込めて『戦闘』と記述しているのに対し、自衛隊の中央と政治の場では、憲法違反にならぬよう、法的な意味での「戦闘」の範囲について線引きをして、問題なしとしてしまう思考形態」について、柳田は先の大戦における日本と相似していると指摘。→ #新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月7日
#新聞 →「現場の報告を見て状況を分析し、派遣の妥当性を検討するより、憲法違反という批判をそらすために言葉を操ることで「問題なし」としていく、国の中枢の観念論的発想と建前主義。これは、先の戦争で、前線からの苦渋に満ちた報告を中枢部がどう処理したか、という構図と相似している」→
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月7日
#新聞 「→言葉を操ることで、憲法に抵触するおそれのある問題を洗浄してしまう政治の姿勢は、安保関連法案をまとめた時、首相が『閣議決定』という言葉を絶対視するかのような語気で強調した時にも痛感した。」
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月7日
前ツイまでの柳田邦男のコラムを受けて、3/4には同じく毎日 #新聞 で、沖縄国際大の長元朝浩が『マジックワードを超えて』という文章を寄稿。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月7日
「政権は、言葉を恣意的に使い、あきらめと思考停止を誘うためのマジックワードを頻発。「辺野古が唯一の選択肢」という言葉もそうだ」→
→「(辺野古以外に)選択肢はない」というマジックワードは、現実に辺野古の工事が進めば進むほど、国民に「もう後戻りはできない」「やむを得ない」と思わせる。それが政府の狙い。しかしそれは第1当事者である地元沖縄の考えを考慮したものではなく、本来「唯一」などというべきではない」#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月7日
睦月の六
●1月某日: クリスマス前から始まったサク(と私)の冬休みもついに最終日である。もちろんサクにもそのことはわかっているが、特に変わった様子はなし。午前中は、厄払いにいく夫についていってた。
昼ごはんのあと、「かげ げきじょう、はじまりまーす!」と呼ばれ夫と観劇。鳥・りんご・どんぐり・種の形を描いてくりぬいた中に色セロハンを貼り、割り箸をくっつけて、部屋を暗くして懐中電灯で照らして影絵を作る。木の枝に止まった鳥がりんごを食べて、そのあと種が落ちて、りんごができるかと思ったらどんぐりでしたー。みたいな超整合性のない話がウケる。
夜は「はじめてのお使い」を一緒に見たがる。数日前、今日の本放送に先駆けて、以前の再放送をしているのを偶然見かけてハマってしまったサクなのだ。2歳7か月の女の子のお使いを一緒に見る。これ、女の子もめちゃかわいいんだけど、30そこそこのお父さんが、夫婦で酪農をやっているんだけど、獣医さんが帰ったあとに牛のお産が始まって、ひとりで子牛をとりあげるシーンにめっちゃ感動してしまった。
夫は料理三昧。今夜のサワラのムニエル・かつお菜のおひたし、お味噌汁はもちろん、明日のためのおでんの仕込みや、さらに鰯煮、鶏手羽と大根煮も。私は、急に思い立ってお金の計算。家計簿記入と現物確認は随時やっているが、大きな(って書くと、すごく大きいみたいだがw)預金やら利息収入・配当金やらの確認をしばらくしていなかったので。
その最中、先に夫とふとんに入っていたサクから「おかあさん、はやくこい」と声をかけられる。「はいはい、今行くよーちょっと待ってて」と答えてしばしのち、「おかあさん、いいかげんにこい!」と布団から出てそばまで来るサク。ふっ、言葉は乱暴でもママと一緒に寝たいんだよね、かわいいやつ…と思ったら、ふとんの中で夫に「あしたからようちえんなのに、おきれるとかいな」と私の寝坊を心配しての親心的なアレだったらしいw
●1月某日: 幼稚園、3学期初日。起こすまで起きなかったが、起きたら大丈夫。トイレ、着替え、寝癖直し…とルーティンを踏みながら、「あと、なにするんだっけ?」と尋ねてくる。「おたよりぶくろじゃない?」「あ、そっか! はんこノート(出席ノート)は、ようちえんにおいたままだから、だいじょうぶだよ!」
朝も迎えのときも、ママ友たちに今年もよろしくねと随時あいさつ。実質あと2か月で幼稚園ともお別れなんだなあと思うとせつない。そのまま、いきなりお母さん劇団の集まり。12月の誕生日会+クリスマス会のビデオを見て感想発表会と、次回公演の題材話し合い。初日の今日は午前保育なので、話し合いが終わったあとも迎えの時間までお喋り、冬休みの話など。
母を呼んで、うちで一緒に昼ごはん。冬休みにサクが熱望していたデリバリーピザを頼んだ。食べ終わると、いつの間にか母と話がついていたらしく、「さ、はじめようか!」と、鳥関係の資料を両手に抱え込んでドン!と置くサク。お腹いっぱいで眠くなった私は隣室にフェードアウト。はりきって喋り続けるサクと、楽しそうに相槌を打つ母の声を聞きながらうつらうつら。30分ほどしてハッとするも、状況が何も変わってないw 顔を出すと「あ、おきてきた。じゃますんなよ!」と嫌な顔されるw かくしてサク先生の集中講義は1時間ほども続いたのであった。
夜ごはんは、昨日、夫が仕込んだおでん。大根、椎茸、ゆでたまご、厚揚げ、こんにゃく。あたためてからかつお菜もいれた。子どもにはすり身団子も。
『おんな城主直虎』 第10話 「走れ竜宮小僧」
川名のご隠居様より先に奥山のタガが外れるとは! しかし何という井伊らしさ! …と思ってたら、パタンパタンとすべてがいい方に転がっていったまさかの前半。
直親が終始冷静で、一度も政次を疑ったり、この機に乗じて排そうとしなかったところにぐっときた。しのが直訴に来る前(竜宮小僧さまの働きの前)に、既に状況を見抜き、できるだけ穏便にことをおさめようとしていた名探偵直親。ね? ただの脳筋でもサイコパスでもないってことよ。
(なつさんに涙目で感謝する政次と恐縮するなつさんを見てると・・・この2人、やっぱり弟亡きあと、一緒になるフラグなんじゃないか、昔はそういうこと珍しくなかっただろうしな・・・という目で見てしまう私はなんかヨコシマなんでしょうか。)
しのの「あんな父でも、父は父」のシーンが印象的だった。激情家のしのが身も世もなく泣き崩れる姿が、赤ちゃんを待っているときはめんどくささでしかなかったけど、今、直親の心にお湯をかけて溶かしていったのだ。奥山の骸を見てすぐに冷静な現場検証ができたのは、逃亡生活の9年間でいろんな修羅場を経験してきた証だろうし、それらのとき、いつも父の首との対面が頭に浮かんでも、「いったん、心の外において」きたんだろうなと思う。そうしないと生きられなかった。
直親も政次もおとわも、しのもなつも、井伊の若者世代はみんな、父親を亡くしたことになるんだな。今川のほうも、元康にも氏真にも父がない。瀬名の父はまだ生きてるかもしれないけど庇護してくれる存在ではない。こんな大河も珍しいのでは。これぞ戦国じゃな… #おんな城主直虎
直満も政直も直盛も、井伊の大人たちは皆わが子をとても愛してたよなあ。愛されて育った世代は今、亥之助や虎松を大切に育てようとしてる。戦国ではいつ死ぬかわかんないから後の世代を残すことが大事で、逆にいえば後の世代を残すためと思えば自らは惜しまず戦えたのかもしれない… #おんな城主直虎
鶴も亀も、直満の死で心が凍って、おとわの道も変わって、3人とも無邪気な子供ではいられなくなった。井伊の当主・直盛も死に、その生まれ変わりのように虎松が生まれて、おとわたちが子を育て守る世代になった今、3人の心が通う。3人とも「井伊のために」ことを強く考えている。でも、父が死んだのは悲しいし、幼なじみは信じたいし守りたい、本当はずっとつらかったよね。そういう「受容」が大人になるってことなんだろうなーと思った。一報を聞いた次郎は、無事に「生まれましたか」じゃなくて「父となられましたか」と言ったよね。実際に父になったのは直親だけだけど、次郎も政次も、「親の世代になった」ことの象徴かなと思う。
直親が恩を売るのではなくて、「検地のときの借りは返した」と言うのが、またね~。あのときの自分は失敗だったと、政次を傷つけていたんだとずっと認識してたとこがね。直親は脳筋でもサイコパスでもないってことですよ(再)。しかし!!
直親が「おとわさま次郎さま竜宮小僧さま」に「井伊の姫」と付け加えるのが、おまえおまえおまえー!てなる。井伊のために墨染の身になり決して妻にも母にもならない次郎は、だからこそ永遠に井伊の姫なんだよね。いやあ三浦春馬の爽やかなこってり感(うまく言えない)クセになるw #おんな城主直虎
妻との仲がうまくいっていて、かわいい子どもを授かって、そういう余裕がある状態での、跪き&「井伊の姫」呼ばわりに、くーーーーーーっ、この天然!!!という感じがした。分娩時に弓をべんべんやってるのは、源氏物語や平家物語でよく見る描写で、ゆかしかったですね。
出産直後の床の中でも、井伊家の祝いの席でも、しのさんが輝くような美しさで撮られてて、スタッフわかってるなー!と思った。#おんな城主直虎
授けられた「虎」の字の強さ高貴さを口々に嘉される赤ちゃんだけど、この場に共にいられない墨染の次郎が、「虎」の字を名乗るのだよねえ・・・と、こういうとこもほんとうに行き届いた脚本ですこと。
で、井伊がえらくうまく落ち着いたなと思ったら今川方面がやばいと。
奥山殺害事件が雨降って地固まる的に万事うまく落ち着いたがゆえに、次郎の目が瀬名に向いて、今川館への勇み足になったともいえるよね… しかし「あの気性で命乞いできるのか」はその通りとはいえ、次郎の『写経で懐柔大作戦』にあっさり嵌まった鶴たんに言われたくはなかろうw #おんな城主直虎
元康の存念が読めない間にも彼の勢力範囲はどんどん広がっていって、井伊は旗色を鮮明にすることを迫られる。しかも井伊と瀬名は親戚筋であり、おとわは瀬名に思い入れたっぷり。鶴も亀もおとわの思いに添いたい今日このごろだし……公も私もがっつり絡めとられる感がある井伊 #おんな城主直虎
しかしまあ、碁の名手たる元康は、ここぞという絶妙なタイミングで妻子を助けるための駆け引きを仕掛けるつもりだったんだろうね。つまり次郎が行った意味はないどころか井伊に悪手となる可能性大(南渓はそれを避ける手を考えてた)。瀬名と次郎の絆は深まったけどそれもなあ… #おんな城主直虎
直親と政次が碁を打つ(将棋だったっけ?)場面があって、政次は「明日にも今川館が焼けるかも」という次郎の言い草こそバッチリ再現できてましたけども、鶴と亀が2人がかりでも、松平元康の「ひとりで無限のバリエーション碁打ち」には叶わないんだろうなーと思いました。
先週の刃傷沙汰で鶴にフラグが立ったと思いきや、実は亀なの?! 翻弄されるわー。#おんな城主直虎
おとわが初めて「我は鶴の竜宮小僧でもある」と明言して動き、鶴が心を凍らせたあの日の前に戻りたいと願って動き、おとわに「俺の竜宮小僧になってくれるのか?」と言ってた亀が「どう報いればいい?」と問うてその願いを叶えると誓うの、胸熱連発すぎて次なる悲劇へのフラグ感… #おんな城主直虎
3/5 毎日新聞 教員遺族、語り継ぐ ~ 大川小「無念と責任」胸に
当時、つらすぎて、あまり見れませんでした。
児童74人と教職員10人が津波にのまれた、石巻の大川小学校のこと。
「なぜ大川小だけ犠牲者が多いのか」
我が子を失った遺族の多くは真相究明を求め、損害賠償訴訟にもなりました。...
昨年10月の判決時には、遺族の男性が「勝訴」「学校・先生を断罪」という横断幕を掲げたといいます。
でも。
子どもたちを救えなかった、そんな大川小の先生にも子どもがいたのです。
考えてみれば当たり前のことだけど…。
3月5日の新聞に載っていました。
当時中学3年生だった奏太さんは、卒業式を翌日に控えた教室で被災。
高台にあった学校で、停電の中、親の迎えを待っていました。
友だちが1人、また1人と帰っていく中、心細さに耐えながら夜を明かし、町職員の母と会えたのは16日の夕方。
大川小の教員である父も、どこかに逃げていると信じていました。
けれど、泥の中から児童の遺体が相次いで発見されていきます。
彼は遠い高校に編入。被災した同級生が少ないため、
父のことを話すと周囲は気を使うだろうと口に出せず、
本当のことをわかってもらえないつらさにふさぎ込みがちになりました。
夏休みにNPO法人の研修に参加したり、
復興支援で関東などから来た大学生の学習ボランティアと話したりすることで、少しずつ心が軽くなり、教育大への進学を決めます。
同じ大川小の遺族でも、「児童の遺族」と「教員の遺族」には壁がある。
大学生になると震災を語り継ぐボランティア活動を始めましたが、
「教員の遺族である自分が語っていいのか。児童のご遺族はどう思うだろう」
という不安があったと言います。
昨年5月、奏太さんは、亡くなった児童の父・佐藤さんとfacebookで「友だち」になり、9月に初めて対面。
佐藤さんは「最初は先生たちのことを恨んだけれど、いろいろとわかり始めて、先生たちも同じ被害者だと思えるようになった」そうです。
12月、2人は教員をめざす大学生を大川小の被災校舎に案内しました。
「父もきっと無念だったと思うし、その瞬間を考えたら苦しいですが、子どもたちの小さな命が失われた事実とつらくても向き合わないといけないと思い、ここまで来ました」
記事を読んでいて涙が止まりませんでした。
たくさんの命が失われたことはもちろん悲しいし、
学校で子どもを亡くした親御さんの気持ちを考えると胸が張り裂けそうになる。
そして、お父さんが津波で亡くなったのに
「悲しみを表現していいのか」
「自分が震災を語っていいのだろうか」
と思い続けて高校・大学時代を過ごしてきた子がいるという衝撃。
自分は何ひとつ悪いわけじゃないのに、「つらくても向き合わなければいけない」なんて…。
この奏太さんだけでなく、亡くなった先生たちの家族はたくさんいる。
もちろん、大川小だけじゃなく、私たちが知らない、想像できない苦しみは数多くあるのでしょう。
被災を免れた私たちには、どうしても、だんだん遠い記憶になっていく。
そんな6年間も、ずっと苦しみを抱え、葛藤し続けている人たちもいるのですよね。
特に、子どもたちが苦しんでいることを思うと・・・。
福島から避難してきた子がいじめられる、なんてニュース、つい最近もあったよね。
毎年この時期になると震災関連の番組等が増えることに対して、批判や不快感を示す人もいるそうで、確かに安易なお涙頂戴番組は良くないと思いますが・・・
テレビも見ない、新聞も読まないということも珍しくない今の時代、
3月11日も、自分の慌ただしい日常に追われて、何の感慨を抱くこともなく過ぎていく人も多いんじゃないかと思ったりもします。
ちなみに今日3月10日は、10万人以上が亡くなったといわれる東京大空襲の日です。
(facebook投稿より転載)
睦月の五
●1月某日: 朝ごはんを食べたり(夫がサーブするのです)テレビを見たりする合間、7:30、8:00とサクが定期的に「おきろー!」と起こしにやって来る。ゆうべ遅くまで飲み食いしていたのでまったく体が重く感じる、そして物理的に重い…。これはいかん、と思ってランニング、軽く5キロ。ついでに、両親にあげるお酒も仕入れる。
待ち合わせてお寿司。好きなの頼んでいいよ、と言っておしゃべりとか自分の食べるのに熱中してハイハイと好きなの頼ませてて、あとで気づいたらサク、サーモンとブリしか食べてなかった。ま、いっか。たまには。コーヒーも美味しかった。またお年玉をもらって超金持ちなサク。5桁でも所持金を把握できるようになっているので、今年はお年玉を預からない(預金せず本人に管理させる)ことにしてみようかなと。
今日の夜ごはんは鍋なのだが、夫が明日の仕込みをしている。コロッケの具を炒めるのをサクも手伝っている。サクは昨日見た篠山紀信の「BODY」写真がまだ熱いらしい。
「なんで、そとで ふくぬいで はだかになって しゃしんとるんだろう?」
「なんで、しりとか ちんこのけが みえそうなしゃしん、かざるんだろう?」
と至極まっとうな問いを口にしていた。「なんでだろね。でも素敵やったやん?」「はー?!」 うん、その答えは自分で見つけていってくれ…。
七草がゆの日。似て非なる鍋という食べ物。湯平で買った椎茸と、義実家の畑からもらったほうれん草と春菊がめっちゃうまい。そのほか、夫特製のつくね(つなぎがレンコン)もたっぷりでした。サクが寝てからも1時近くまでだらだら喋りつつテレビ見つつ飲む。
●1月某日: 私も夫も人生で初めてのことだが、プロのクリーニング業者さんを招聘。キッチンと浴室を徹底的に掃除してもらうことに。なので年末の大掃除は手抜きだったのだよーん。朝にいただいた電話で、夫の聞き違い(?)で1時じゃなく11時開始と判明。焦って、該当場所の備品等を撤去したりと、いろいろ準備。
3時間はかかるとの話なので、立ち合いは夫にまかせて(彼はこういうとき自分で立ち合いたいというタイプ)私はサクを連れて外遊wしようとしたら、サクが興味津々で掃除の様子を見つめているので出るのが遅くなり、2人してバスの中でお腹をグーグーいわせた。モスバーガーでお昼をすませ、ブックスキューブリックへ。このとき(神無月の十・立花山へ)に箱崎店で予約していた波佐見焼の長皿を引き取るのが目的だけど、その前に2人してさんざん立ち読み。
お年玉を持ってきていたサクは、さんざん立ち読みはしたものの「ここ、ちょっとちがう。」と欲しいものはなかった様子なので、薬院大通りの子どもの本屋、「ちえの木の実」へ。そこまで歩いて向かったのは、途中、六つ角のパン屋で夫へのおみやげを買おうと思ったからなのだが今日は店休日だった…。で、ちえの木の実でもさんざん物色。サクが選んだのは「ハヤブサの四季」だった。夫には、結局、家から割と近いお店で美味しいシュークリームを買って帰った。
夜ごはんは、里芋のコロッケ、ベーコンとほうれん草のパスタ、きびなご素揚げ、サラダ。夫よ、われわれは食べ過ぎではないですか!? 食べたけど。おいしかったー。
2/24 西日本新聞 同志社大教授 浜矩子『安倍・トランプ会談 同じ穴の貉の同床異夢』
2/24付、西日本 #新聞 。同志社大教授、浜矩子『安倍・トランプ会談 同じ穴の貉の同床異夢』
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月25日
「2人とも他者のために涙を流すことはまずないだろう、もらい泣きは大人の感性で、彼らは共に幼児的」と、いきなりぶち上げる。「どこが違うか? それは "1"という数字を巡ってのこと」→
「→トランプはアメリカ・ファーストという。アメリカさえ良ければよい。世界のことなどどうでもいい。アメリカは世界のためにはがんばらない。という、要は引きこもり型。他方、安倍首相の”1”は、"ジャパン・アズ・ナンバーワン”である→」#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月25日
「→施策方針演説では「世界の真ん中で輝く国創り」。お気に入りのフレーズは「地球儀を俯瞰する外交」。何かにつけて世界一になりたいという情念が前面に出る。安倍さんは拡張主義。「アメリカ第一」と「日本が一番」、他方、英国メイ首相が打ち出したのは「グローバル・ブリテン」→ #新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月25日
「→英国はEUという殻から飛び出してグローバル経済の中で生きていく、という宣言。「アメリカ・ファースト」の引きこもりとは対照的。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月25日
両極は「グローバル・ブリテン」と「アメリカファースト」で、世界の国々の多くは、この間のどこかに位置づけられるが、日本(安倍首相)はというと→ #新聞
「→アメリカ・ファーストのさらに向こう側にあるのが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」なのではないか。「我が国が世界を制覇する」は、「我が国は世界と共に生きていく」から最も遠いところにある。「我が国第1」よりもタチが悪いのはこちらではないか。→」#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年2月25日
睦月の四 / 篠山紀信展(ライフイズマイン) / ファミリーヒストリー北野武
●1月某日: サクと天神へ。夫にオフ用のかわいい靴下を何足か買い、かわいいティースプーンと、かわいい夫婦茶碗、そしてかわいい布巾を買って満足(形容詞の語彙が死んでいますが失礼)。
昼はサクの要望により、マック。というか、今日はサクがお年玉を使うのがメインの天神行きなのだった。いろいろ迷ったあげく彼が勝ったのは、ぐでたまのトランプ。1枚1枚に「かえりたい…」とか「ぐでーん」とかやる気のない絵と言葉がついているという、新年さいしょの買い物にしてはあまりにテンション低いやつだが本人はテンション高く1枚1枚に爆笑していたのでまあいいだろう。あと、日ごろはやらせてもらえないガチャガチャをやってうれしそうだった。プラレールのやつを2回やってた。夜ごはんは、豚バラと大根のこっくり煮。味噌汁。がめ煮を少し。ミニトマト。
●1月某日: 今日もとりあえず天神を目指す。ホームに着くとまず時刻表のところに走って行ってダイヤをチェックするサク。すると「さくたろーう!」と聞き覚えのある声が。果たして、反対側のホームにクラスの友だちとママがいた。「どこ行くと?」と聞くと「どこもいかん」と言う。電車を見学に来ていたらしい。ホームのあっちとこっちでいろいろ会話し、私たちは乗車してバイバイを言う。
天神からバスに乗ってリバレイン。篠山紀信の写真展、「写真力 THE PEOPLE」を見に来たのだ。時代とスターとスペクタクル! すばらしかった。出口まで来て「再入場できないけど、もういい?」と尋ねると、サク「もういっかいみる、はじめから。はだかのとこ、すごかったやん?」だってw そう、『BODY』と題されたヌードのコーナーがあったのです。
というわけでもう一周したあと、お腹すいたと騒ぐサク。ラーメンでも食べるかね、と川端商店街をぶらぶらしていたら結局キャナルシティまで来てしまい、ラーメンスタジアムに落ち着く。無印でいくつか小さな買い物をし、なぜか無印の中で充実している子どもの絵本コーナーの座り心地良いイスに並んで tupera tuperaの絵本を2冊読んで、さあ帰ろうと外に出たらそこは川沿いの清流公園。
「こ、ここは・・・とりのおうこく じゃないか!」とサク。あちこち移動しながらカモの仲間たちやアオサギ、アジサシなど観察。木の上からは何かのヒナのような声も盛んにする。そのまま天神まで歩いてしまった。私は帰宅後、休憩モードに入ったけど、息子はまた近所の川を見に行く(鳥を)。6歳児の脚力すげー。
夜は割と近所の焼き鳥屋へ、夫と待ち合わせ。昼間の出来事をお父さんに報告するサク、「しり、しりが、われとって、まるみえやったと!」とヌード写真について克明に語る。「わ、わかった、詳しくは家で」と言うと、家に帰ったあと図示までして語っていた。「そとの、くさのうえにすわって、おっぱいもしりもまるみえ!」←宮沢りえ@サンタフェの写真の説明ですw ところで焼き鳥はとても美味しかった。割と近所だけど初めて行った店でした。また行こう。
【篠山紀信展についてはライフイズマインに書きました】
サクを寝かせてから夫と「ファミリーヒストリー」北野武の回を見る。母サキの娘時代、奉公先での日々のVTRを見た後の武、「いかがでしたか?」と司会の今田に問われ、「・・・・・。本人からは師範学校で教育やってたって聞いてたんだけど、便所掃除って」とおどけるくだりなど、随所で笑った。テレビカメラの前は初めてという武のお姉さん(80代)の元気そうなこと(前日にEXILEのコンサートで弾けたらしい)、ユーモラスなこと! 父・菊次郎について「家族にあの人をよく言う人はいないわね」w
睦月の三 / ババ嵐
●1月某日: 昨日の夕食前にホットカーペットが壊れた。夫の独身時代の持ち物で軽く10年以上は使ったことになる。ありがとう。で、さっそく新調する。時期的に既に遅くて選択肢があまりなかったが、いつものように「ま、これでいっか」って感じで軽く選んだ。
義実家から甥っ子(5年生)を連れ出してランチ。ばぁばも具合が悪く、ヒマを持て余してるだろうなーと思ったら昨日プレステのモバイルっぽい奴(もはや名前すらわからない)を買っていたw ともあれ、「洋食と和食どっちがいい?」と聞くと「洋食」。そうだよね、義実家では洋食ないからw で、ファミレスに行ったんだけど、うちって基本的にファミレス行かないもんだから、我々のほうがテンション上がってたかもw
南蔵院を参詣。中の稲荷神社(寺の中に神社。神仏習合? 何でもありだ!)のてっぺんまで登ったり。みんなで鳥居に小石を投げて置く遊び。私、一発で乗った! 幸先イイ! 義実家でお茶を飲んでしばし逗留、夕方帰宅。夜は「vs嵐」スペシャル見ながら夜ごはん。焼きさば、お吸い物、がめ煮、大根おろし。
そして席に座ってるときの有吉の大御所感……
コインタワー積む相葉くんがかっこよすぎるんだけど
長澤まさみめっちゃキュート!
ババ嵐を何回も見てて、これに出て印象が悪くなった女優って皆無。やっぱり、演じる職業って本人の魅力が必須なんだと思う。芦田愛菜ちゃんもいつもすごい。今回も面白かった。堤真一、綾瀬はるか、伊藤淳史、松下奈緒、宮川大輔。最弱王は横山裕に!
●1月某日: 虫たちが冬眠やらに入り、渡り鳥の飛来する季節になってから、サクの鳥フィーバー加速中。バードウォッチングに行きたい、と言う。「さいしょは、いえの ちかくからでOK ってかいてある」と図鑑の指南ページを示すので、散歩がてら行ってみる。
スズメとハトとカラスの三大町鳥(と私が命名)のほか、最近よく見るかわいいハクセキレイや、木の枝を使って器用に組まれた街路樹の上の鳥の巣、コゲラみたいな鳥も発見。街にもいろんな鳥がいるのです。最初から視認できる場合もあるし、鳴き声を頼りに姿を見つけることも。とにかく、鳥を見るって、川や池みたいな水辺を見るか、木の上や上空を見上げるかで、今日みたいに綺麗に晴れている日は特に、なんだかとても気分が良いものではある。
鎮守の森まで行って帰宅、少し遅くなった昼ごはんを、爆食する息子。夕方もまた近くの川に行きたいというのでつきあった。ダッシュも数本。夜ごはんは、鶏の照り焼き(しめじ、玉ねぎ)、味噌汁、ミニトマト。飲み会から帰って来た夫と日付が変わる近くまで飲む。