如月の三 / 「みらいの性教育どうでしょう」

●2月某日: facebookより
【何人も子どもを産んでいるのに、「生理」という言葉すら夫の前で言うのはとても恥ずかしい】
 
お母さんたちの集まり「みらいカフェ@かたらんね」
今回のテーマは「 みらいの性教育どうでしょう その1 」 最初からシリーズ化が決まってるとこがイイ!

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冒頭、主宰のお母さん3人がかわるがわる登壇して約10分ずつお話をする形式がとてもよかった。専門家の話を聴いて学ぶのも大事だけど、私たちが私たちの言葉で語り合うことがすごく大切だと思う。特に女性にとっては。
 
冒頭に書いた「「生理」の一言すら恥ずかしい」も、この日聞けて本当によかったなと思う言葉のひとつ。すごくリアルな言葉だった。そういうことなんだよね。
 
 「赤ちゃんはどこから来るの?」「セックス」「生理」「キス」「マスターベーション」「性暴力」‥‥
子どもにどう教えればいいか、質問されたらどう答えればいいか、私たちはとても迷う。
本や、専門家の先生は、答えを教えてくれる。知識はとても大事。
でも、たとえどんなすばらしい答え(知識)を学んだとしても、それを子どもに伝えようとする私たちの前に立ちはだかる「夫に対して生理の一言すら言いよどむ」という壁。その存在を認識することは、とてもとても大切。存在を認識しないと、打破していけないからね。
 
夫には言えないけど子どもには言える‥‥こともあるでしょう。
でも、それでいいのかな? って話なんですよね。
その子が大きくなったとき、自分の彼氏や夫に「生理」を言えるかな? ってなるから。
 
知識を得ること
自分の言葉で語ることで、自分を認識していくこと
また、まわりの人の言葉を聞くことで、まわりを認識していくこと
同時にやっていかなきゃいけないと思う。
 

そして、「知識」とは
「赤ちゃんはどこから来るの?」
「性について、どう教えたらいい?」
‥‥などに対する「直接的な答え」だけでなく、「構造」 を知ることでもある。
 
「個々の体験は内堀。社会的背景や歴史=構造は外堀。
 両方に少しずつ手をつけて、点と点をつなげていきましょう」
と言って、上野千鶴子の著書『女ぎらい ニッポンのミソジニー』から引いて構造を解説した早苗さんあっぱれ。
 
会場は「ミソジニー」という語を初めて聞いた方がほとんど。難しく感じたところもあったと思うけど、みなさんに響くところがあったと確信。
その後、グループに分かれてのトークや終了後のランチタイムで、「構造」を意識した発言がいろいろ聞けたから。
 
性教育を学ぶため、20数人のお母さんたちが集まった。
 同じ数のお父さんに声をかけたら、何人集まるだろうか?」
 

 
夜ごはんは、白菜と豚としめじのマヨポン炒め。おでん。めざし。