師走の十

●12月某日: facebookより
 
【田舎の餅つき】 夫の実家にて。鏡餅、あんころもち、白の小餅。全部で15,6キロ分あったので、それなりの量でした。親類やご近所などにも配るという。
丸めながら出るのは、昔の正月の支度の話。義父は生まれて70余年、義母も嫁いでから40余年を篠栗のこの土地に暮らしている。
 
義父が子どもの頃には冷蔵庫もなく、年末には大きな鮭とブリを一匹、塩をして釣り下げて保存していた。大きな瓶詰の数の子は、当時は二束三文といっていいくらい安かった。どちらも行商が持ってきていたもよう。三が日が明けてもブリが残ると、義父の母(夫の祖母)が握って鮨にしていたそうだ。
(この家は、祖母ー義父とその兄姉ー夫という料理上手の系譜があるもよう。義母はそこはあまりガンバらなかったようで私としては非常に好もしいw)。
 
雑煮の出汁はハゼとアゴで、これだけはなぜか篠栗から柳橋商店街まで買い出しに行っていた。
餅つきは夜ごはんを食べたあと、近所の人も集まって酒を飲みながら夜通しするものだった(!)。つくのは誰それ、こねるのは誰それが上手で…。
 
だいたい毎年同じ話なので、もう覚えてしまってるけど、もはやこの話を聞きながら餅をついたりおせちを食べたりすること自体が、年末年始の風物詩(笑)。
昔は昔で、もっと昔の話をしてたんだろうな。あと近所の噂話とか(笑)。手を動かしながらそんな時間を重ねることが、昔の共同体の紐帯を確かなものにしていたんでしょう。ま、良くも悪くもね。
さすがに泥遊びや粘土遊びからも遠くなった息子9歳が、餅と餅とり粉の感触を存分に楽しんでいた。
 
つきたてのお餅は絶品やね!!! 昼ごはんを食べた後、サクとキャッチボール&バドミントン延々と。近くの広場、お年寄りが周回をウォーキングする以外の土に、コケみたいなのが繁茂してすべりやすくなっている…(ノД`)・゜・。 義父の話ではどうも外来種っぽい。
 
夜ごはんは、ゴマサバならぬゴマアジ、うるめイワシ、お惣菜の牡蠣フライ、サラダなどなど。
「ごちになります」で太鳳ちゃんとケンティーがクビに。あれ、ほんとのほんとにガチなの? ケンティーが相当泣いててびっくりしちゃった。
 
●12月某日: 実家にお餅を届ける。うちも数年前まで電動餅つき機を備えており、私も小さいころから餅を丸める手伝いをしていたクチ。つまり両親ともに餅好きなのでたいそう喜んでいたw お歳暮できたビールとかプレミアム焼酎とか甘酒とかいろいろもらって帰る。
 
夜は帰福したしずとごはん食べに行く。グランメゾン東京を見てる昨今(録画がたまってるけどw)、フレンチっぽい創作料理にたいそう満足しました! マグロのカマのディップと、ほたてのリゾットめちゃんこうまかったー。トリュフかけてもらったし。そんなおしゃれなごはんをいただきながら、しゃべってることはやたらオタクなのだがw