『おんな城主直虎』 第17話 「消えた種子島」
登場以来ずっと、しのさんがとても興味深いです。一筋縄ではいかない役で、貫地谷しほりの演技力が堪能できます。
夫・直親を失ったしのは、虎松が直虎に後見されるのも政次に後見されるのもイヤ。お寺にすら、あんまり信頼をおけない。かといって、誰のいいようにもならぬよう、自分がステージママになって手を尽くし、我が子を権威権力の座(といっても、たかが井伊だけどw)につけてやる!というような、弘徽殿女御(@源氏物語)的な猛母にはならず、「じゃあ跡継ぎにしていただかなくてけっこうです」なんて言っちゃうのが面白い。そういう女の人もいただろうね、この時代だって。と思える、これまでの描写の積み重ねがある。
疑心暗鬼で心を閉ざしてたしのさんに「あちこちに噛みついてると頼りを失いますぞ」と感じの悪い正論をぶったのが政次で、しのさんはそれをヒントに、真に頼れる相手は直虎なのだと悟りつつあるのかもしれないね。前回のお茶屋に続いて政次GJ #おんな城主直虎
基本的に感情による反射で生きてるんだけど、『赤ちゃんはまだか』の回でもそうだったように、いろいろ荒れたあとで本質にたどりついて、リスタートできる人なんだよね。しのさん。
跡継ぎである虎松はいろいろ利用されたり、自己犠牲を強いられたりしがちな立場にある。母としてそんな虎松が不憫で、守ってやりたくて、「でも本当に虎松を守ってくれるのは誰なのか」ということに、しのさんはいずれ辿りつく人なんだろう。いろいろ激しくぶつかったあとで。
「あつかましい」「自分で腹を痛めて産めばいい」 グサッと刺さる痛いセリフは森下さんらしいのだけど、当の直虎がそこでクリティカルヒットをくらわないのが、頼もしいというか切ないというか。やるべきことがある人間は強い。直虎もしのさんも。#おんな城主直虎
光浦靖子がなだめるくだりの説得力がすごかったー! なんだろうこれ。キャストの力? 脚本演出の力? キャラ描写も設定も伏線も、まだそんなに積み重なってないのに、あのセリフがすごくスッと入ってきたの。
でさ、彼女が言った通り、直虎は虎松の疑似父。そして政次が亥之助の疑似父ですよね。ここでどうしても脳裏に浮かんでくるのは、「父を亡くし、父から負の遺産を受け継ぐ子ども」という、ここまで繰り返し描かれてきたモチーフですよ! 政次周辺の史実はよく知らないんですけど、敢えて調べずに知らないままみたいんですけど、twitterとか見てるとなんとなーく匂うものもあってさ・・・
亥之助がことのほか政次を慕っていて、政次のほうも亥之助を溺愛してるのが、微笑ましいだけにもう、嫌な予感しかしない(´;ω;`)。
でもさ、でもさ。きっと、直虎と政次は最後には乗り越えるはずで、それが、次の世代・・・虎松と亥之助に幸せな形で引き継がれる・・・・と、いいな。亥之助くんって、『とと姉ちゃん』の大樹くんなのよ。それもあって、幸せにしてくれないと許さんぞNHK!!という気持ち(なんなの)。これから事態が逼迫していったとき、甥っ子クッソLOVEな但馬が、自分の巻き添え食らわないように、めっちゃ能面みたいな顔して亥之助のこと拒むシーンとかありそうな予感がぷんぷんするんだけど、そのときの亥之助の悲しみを想像しただけでウウッてなる~~~!(なんなの)
それにしても、勝負の直前、直虎が「絶対に負けない方法を教えてやる」と言い出した瞬間、「うわっ、これ、『絶対にあきらめないことだ』でしょ!!」ってわかっちゃうんだけど、「そうか~!ここで井伊直政につながる前提での、蹴鞠勝負でのあのしっっっつこさだったのか!!」って思って感動しちゃった。毎度ながら、森下女史の構成力がゾクゾクする気持ちよさ。
グイグイいって泣かれるとうろたえる、子ども慣れしてない感じを存分に醸しながらも、部屋に忍び込んで話をしているときの直虎の眼差しは虎松に対する誠意と愛情にあふれていて、自信はないながらも食らいつこうとする虎松くんともども、とても良い対峙の場面だった。#おんな城主直虎
優しいけれどおっとり頼りなかった亀が、武術にも知恵にも優れた立派な男になった。その空白の9年間に泣きながら心に期したのだろうけれども、帰還後はおとわにさえ告げなかった「悔しかった」という思いを、虎松が直虎に向かって叫ぶの、ぐっときた。#おんな城主直虎
一方の政次は「先手を打つこと」を旨としているわけだけど、ここまで既に見てきた通り、「絶対にあきらめない人」には勝てないわけですね(笑)。そして、ことあるごとに直虎のこと「爪が甘い、爪が甘い」と言い立ててるけど、視聴者目線では、めっちゃ「おまいう」案件になってるぞw
柳楽くんがまだ「旅の男」。ひっぱるねー。謎の水辺でばったり会うのを繰り返す2人(うち1人は架空の人物)・・・っていうのがさ、めっちゃ、ふた昔くらい前の大河っぽいんだよねw
「直虎が腹を痛めて産むのに大賛成」の意をタケさんが表明したのは、(もちろんホントに産むわけはないんだけど)なんかこの話題がまたあとでぶり返すのかなーと。そして、種子島の件を六左が知らされてなかったことが、のちの火種になりそうで( ノД`)… #おんな城主直虎
でさ、私、ちょっと思っちゃったんだけど、もしかして、この鶴でも亀でもない「龍」(←ネットで見ちゃったからさ、“旅の男”の名前)と、おとわは、どっかの水辺・・・おそらくは、いつもの井戸のそばかなんかで、そのうち、野合するんじゃないでしょーか。龍雲丸と直虎・・・合体して「龍虎」になるってことですよ!(下ネタ)
鶴とも亀とも、さほど性愛面・肉体面がクローズアップされなかった(亀とそうならなかったってことは、バランス的に、鶴ともそうならないってことだ。きっと)のは、龍の存在あってなんじゃないでしょーか。
生涯独身/尼姿の主人公だから、生涯、セックスとは無縁。という物語にしたってもちろんいいけれども、心身のさまざまな営みを通じて生を描いてきた森下さんだからさ。野合を遂げるまでに至らなくても、それに近いところというか、直虎の“生身”についてはいずれ描くんじゃないかな。それが前提での、今の「子ども」な直虎なんじゃないかな。楽しみ!!!!!!!!!!!(←楽しみにしすぎ)
柳楽くん、「尼小僧さま」と言ったんだよね。尼様、じゃなくて「尼 “小僧” さま」。直虎は、いわゆる普通の女人ではない、出家だから。男のような口調で喋るし領主になってるけど(盗賊まがいにお宝探しをしてるような旅の男が、井伊谷のおんな城主の噂をまだ知らないのかな~?ってのが、まだ謎。)、もちろん男でもない。そして「小僧」大人ですらない、っていう、「尼小僧さま」っていう呼び方が面白く、示唆的だった。
考えてみれば、竜宮小僧も「小僧」であって、大人じゃないんだよね。ご初代様を重ねるくらいの存在なのに。そして、「龍雲丸」にも、「丸」がついている。丸は幼名、童名に使う文字なんだけど、たとえば牛の名とか、舟の名とか、あるいは鎧兜などの武具や笛や楽器などにも使われる。網野善彦によれば、「聖俗の境界にあるもの」を示すのが「丸」という字で、子どももかつてはそういった存在として扱われていた面があるという(ex. 昔の乳幼児死亡率の高さ、7歳までは神のうち・・・etc)。
井伊の竜宮小僧になることを期す、男でも女でもない “尼小僧さま” 直虎もまた、そういった「境界」の存在であり、虎に対するところの龍であり、「丸」の字を持つ旅の男=龍雲丸が、直虎にとっていかに重要な人物になるか、柳楽優弥の演技ともども、楽しみでしかない!!!!!!!(←楽しみにしすぎ)
ところで、種子島について方久が投資しないわけがイマイチわかんなかった。1本だけの試作にもあまりいい顔をしなかったのは、単にお金(投資効率)の問題なのか? それとも、トラブル発生の予感がして、それを避けたかったのか。落ち武者狩りに近いことをやってた彼は、戦場とか武器を巡るあれこれもよく知ってるはずだから。