皐月の十五 / オバマ大統領が広島に
●5月某日: 今日から、周辺工事のため、移動保育。昨年2月にもお邪魔した施設へ、また2週間ほどの間借り生活。幼稚園にいったん集まって、子どもたちは徒歩で移動する。先生たちの手間や気配り(間借り先に対しても)は大変なものだろうと思う。
さて、私は今日、友人が勤める某社でちょっとしたバイトの打ち合わせ。(曲がりなりにも)仕事の件で会社を訪問して応接室に入るって、いったい何年ぶりだろうw そして友人と会社で会っている不思議。おもしろい話をいろいろ聞いて、その流れでお昼も一緒に食べて、面白い話をいろいろする。駅南のwith the style…未だにこんなバブルの香り濃い店があるって奇跡のようだわ。でもアーリオオーリオもパンもコーヒーもすごく美味しかった。
その足で幼稚園まで、自転車で35分くらいかかったかなー。暑い。子どもたち、今日も良く遊ぶ遊ぶ遊ぶ。年少の時に担任にしてもらった、45年選手のベテラン先生(今は故郷の島に帰っておられる)が来てた。お話するたびに元気になるような。夜ごはん、かつとじ、きゅうり、トマト、ピーマンきんぴら。夫は飲み会。
オバマ大統領が広島に。
今日は歴史的な日なんだと思う。でもでも、なんとも言えない気持ちもある。アメリカではどんなふうに報道されてるんだろうか?
資料館に行ってくれたのはすごくよかったというか。どれくらい時間をかけて見たのかな
揚げ足取りってわけじゃなく、こういうときこそメディアには冷静な報道をしてほしいんだな。現職の大統領が広島に来て資料館を見て演説をした。そこには日米両国の或いは政治家や関係者の政治的意図もあるだろうけど、この事実を未来のためにどう意味づけるべきか。祭りじゃない。感傷でもない。
関心を持つのはいいこと、というかそこからすべてが始まるんだろうけどもさ、ガス抜きとか共感とか票集めのためのイベントにしちゃいけないと思うんだよね。森重昭さんとの抱擁はシンボル的な映像になるんだろうけど、それを安く消費してはいけないんだよ。絶対。
どうしてオバマは広島に来ることになったんだろうか。少なくとも、私たち、被爆国の国民の総意として、それが必要であると熱烈に望んでいたから実現したわけじゃないよね…。
報道を見てると、何だかチグハグな感じがするんだよな。日ごろの私たちの思い(関心の無さ、と言い換えてもいい)と、今日の熱烈な歓迎や興奮。もちろん、この出来事を起点にして未来につなげていけばいい。でもそのために必要なのは冷静さ。熱狂ではない。そういう類の話ではないでしょう
大統領の振舞いやスピーチはあれでいいというかしょうがないというか、自国の利害の上に立ってきてるわけだから。彼に求めるというより、自分たちの問題だよね。今日の日を、原爆投下を、かつての戦争をどう受け止めるのか。今日を実現させたことだけで政権を評価しないこと。政治家に何を求めるか
来てくれて本当によかったと思う。だからこそ「感動をありがとう」じゃないよね、って思う。
生涯にわたって歴史を学ぼうじゃないですか、平和のために (3・完) - moonshine
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