『とと姉ちゃん』 第23週 「常子、仕事と家庭の両立に悩む」
また悪役の投入で、このドラマが勧善懲悪に帰結してスカッとさせてはくれないのもわかってるけど、やな感じはしない。新しいこと、人のしないことを始めたら、こうやって次々と障害が立ちふさがる。理解してもらえなくても邪魔されても、考えて決断して道を拓いていくしかない #とと姉ちゃん
結局は金のためじゃない?本当に公正? そういう外野もいるよね。視聴者にそんな感想があるのが証明してるw 皆が好きになって理解してくれるわけじゃない。大切な人との板挟みになったりもする。それがつらくて動けない人、やめる人、日和る人もいる。でも常子は考えて動く人。 #とと姉ちゃん
邪魔され誤解されて大切な人を傷つけても、その仕事をする意味は何なのか。ペンの力が歪んで使われた時の恐ろしさ。「できることからやればいい」できることって何だろう? 常子が考えて動くときの強さ美しさは折り紙つきだから楽しみ。最後まで #とと姉ちゃん たる自分を肯定するだろうとも思う
石丸さんの言う通り、最初は常子もお金稼ぐためだったんだろうな。けど、そのお金を手にした後、ほんとうにしたいことをしている。元々お金持っていない人の自立って、これが自然なんじゃないのかな? #とと姉ちゃん
常子のことを考えている。今のまま、時々会うおしゃれおばちゃまな常子でもいい。もう会わないとして社長業邁進でもいい。社長のままお母ちゃんになるのもいい。社長辞めてお母ちゃんになるのもいい。こうして自由に色々選べるのは実は常子に職があるからなんだと思う。#とと姉ちゃん
RT そだね、ほんとにそうだ。どれかを選ぶ(全部は選べない)悲しみもあるけど、誰もがたくさんの選択肢を持てるわけではない。
常子は儲けたくて出版社を作ったし、社員もお給料たくさん貰えてついつい買い物しちゃうという「欲」を先週肯定したからなあ。儲けや欲はもちろんあるし悪いことじゃないけど、それと並行して大事にしたいものも確かにあるって話になるのかな #とと姉ちゃん
そうそう、甲東出版から独立した動機は「(家族のために)金をたくさん稼ぎたい」だったからねえ。なんかいろいろ漂白されて動機は「女性のための雑誌を作りたい」しか存在しなかったようになってたところにガツンと来るのがいいよね、「拝金主義」って言葉が。 #とと姉ちゃん
姉妹だけど、何を思って育ってきたかという歴史が違うんだよね美子と常子は。とと姉である常子は子供としての美子に本音を明かすことがどうしてもできないし、美子はそんな常子の胸中を想像できないのだろうなあ。常子のお陰で美子はそんな思いを知らずに育ってきたのだから。#とと姉ちゃん
自分の出来ることを一生懸命やってそれ以外は誰かがしてくれていた美子と、全て自分が背負わなければと思ってきた常子の差だよなぁ。美子の在り方の方が本来は正しい。でも、常子は常子のやり方でずっと生きてきたから容易に舵は切れないんだろうなぁ。
RTs #とと姉ちゃん の感想、面白いのが並ぶわー。最終盤までプロット(笑)ちゃんと考えられてるなあ。
「とと姉ちゃんの本タグは高視聴率プラス星野さんステキとか2人の関係にきゅんとするとかいうツイが多数。朝ドラってお話とか関係ないんだねー(棒)」みたいな感想を見て、「すごい! 私のあさ来たへの感想とまったく同じ!」と思う。他に「史実を歪めてる」「モデルに失礼」等もまったく同じw
その他、「社会人なめてる」「幼稚な学芸会」「新次郎(星野)全然ステキに思えないむしろ気持ち悪い」「恣意的な作劇」等も全く同じで、ドラマを好きになれないとそういう感想になりがちなんですね…苦笑。私の場合、波瑠さんやら玉木さんやら、中の人への好感度はまったく下がりませんでしたけど。
フィルターって強固で、且つ類型的なもんですね。。。。半年越しで自嘲してますw しかし、その類型的なフィルターの底に、「私はあさ来た(とと姉)が好きになれない」の理由の核があるんだよな。それぞれに。たぶん大事なのはそこ
んで、そこを探りたくて、4月から放送大学で勉強し始めて、無事に優秀な成績で(自分で言うw)単位を取得したよ。めっちゃ建設的な私の人生に乾杯。今日は後期の授業料を振り込んできたよ
いやー、出演者のインスタの写真や司会した特番、隅から隅にまで文句をつけるような人生じゃなくてよかったー。嫌いになってもいいんだよ? 彼らはプロだからそんなの全然承知のうえだよ? それ以上の理解者や人生の充実があるからできてることだよ。どうぞ安心してお嫌いになって。
かかと美子は応援、子どもらはなつき、星野は「補い合いながら」と求めすぎることなく(身体的にはぐいぐいくるけど)、花山まで「常子さんの人生を」と。これで正真正銘、常子自身の問題ってことだな。そこで「あなたの暮らし」という子どもに危機が訪れるわけだけど… #とと姉ちゃん
ここで酒井くんが社長の甥だと判明。会社では叔父さんと呼ばせないけど、前に「あいつらにも守りたい家族はいるだろうに」とも呟いてたね。美子にとと姉ちゃんと呼ばせ続け、会社は子ども同然という常子とは別のやり方で、赤羽は会社を育て守ろうとしてるのかな。#とと姉ちゃん
「会社は子ども」な常子は誠実だけど、仕事とプライベートをきちんと分けようという時代の流れになったのは、その方が効率的だったり、同族経営や公私混同にデメリットもあるからよね(私用電話や書類の社外持出しも昔は緩かった)。効率化を追求しすぎるデメリットも出てくるけど。#とと姉ちゃん
血縁の情を持ち込まず、大規模化して質より量でガンガン営業かけて売る。赤羽のような会社が多くの雇用を創出し人々の生活水準を上げていった面もあるんだろう。史実の大橋さんはおいといて、常子が会社の親たる事を優先して恋を諦めるなら会社はいつまでも未熟な子どものままかも→ #とと姉ちゃん
→アカバネも「あなたの暮らし」も、どちらにも良いところと未熟なところがあって、どちらが正しいかどちらが勝つかじゃなく、この対立を通じて互いに適宜変わっていくといいのかもしれないなあ。大事なのはそれぞれの暮らし。そして人の暮らしが時と共に変わっていくのは必定 #とと姉ちゃん
史実の大橋さんは妹さん家族?やお手伝いさんらも含め大家族で暮らしたようだけど(はいりさんがナビした番組でやってた)、#とと姉ちゃん ではその大家族に、星野家や美子と大昭(←この人、そのうち外国留学とかしそう…)とかもいたらいいんじゃ? 籍は入れなくても。常子なりの暮らしの形。
人生紆余曲折経てどこか悲哀すらにじませてるような雰囲気の中年星野が最近興味深い。学生の頃は個人的には全く興味がわかない人物の一人だった。葉っぱのあんちゃんの頃と今の星野を頭の中で並べると彼も相当苦労や挫折や諦めやら経験してきたのかなあってのが想像できる #とと姉ちゃん
RT だよね。結婚の経験値のみならず、「手を伸ばして届く幸せには、今、手を伸ばさなきゃ」ってのがあるんだろうな。南方の島で同僚たちを亡くし、志した職を失い、妻を亡くした星野には。逆に言うと理想の追求とかより「手を伸ばして届く幸せ、守る幸せ」のために彼は今生きてる #とと姉ちゃん
あー、星野っち、その「お話があります」は決定事項としてではなく、子どもたちがいない場所で、大人2人でしっかり話し合ってみてほしいんだけど #とと姉ちゃん
星野っち、あのとき「もっと話したい」って言ったやん。抱きしめてチューもいいし子どもたちと一緒の時間も大切だろうけど、2人でいろいろ話して考えてほしいのよ。一人で考えて結論出すより複数で助け合うほうが成功確率が高いっていう #とと姉ちゃん ワールドの法則を2人に教えてあげたいわ
赤羽、国実、買い物好きの松田くん(だっけ?)、大樹くんの傷、転勤…これでもかってほど茨フラグが出まくると、逆にどうにかして希望が見つかる気がするんだけど、戦時中に届かなかったのの反対で、名古屋の武蔵さんから月に1回お手紙を受け取る #とと姉ちゃん の姿も想像したり…
今日の常子の「いつでも戦ってる意識を」みたいなセリフが妙に気になってんだよな。確かに花山の権力とも戦うジャーナリズム精神はあの雑誌の思想だろうけど、それを社員=子どもたちに常子が強いるのは何か違う感。「それぞれのささやかな暮らしを大事に」の視点を忘れないで、常子 #とと姉ちゃん
常子と星野の行方、「もっと話したい」の他「乳繰り合う」がキーワードな気がしてならん。乳繰り合ってないのにそうだと弾劾されるのは許さんけど、乳繰り合うような欲望自体は否定されるべきものじゃないし、どんなひどい状況下でもそれが人を生き延びさせてきたって世界だと思うので #とと姉ちゃん
なんか、星野の決断にも受け容れる常子にも、15年前を綺麗に反転してリフレインさせる脚本にも納得いかないんだけど、なんか納得もしてしまう。高畑充希の演技のすごさがねー! 食堂での涙、握手を求める凛とした笑顔と、裏腹に、ほどき難い指。だけどゆっくりほどけてゆく… #とと姉ちゃん
花山までが応援するに至って、これはもう常子自身の問題なんだなって思ったら星野が勝手に決めて事後報告ですよ。でもハグやキスの戸惑いとは打って変わって、別れに来た常子は、自分の意思で人生を歩んできた大人の女性らしい表情をしてて。常子はこの別れも受け容れていくんだなと #とと姉ちゃん
常子は推進力もだけど、受け容れる力も天下一品の人なんだなあ。ととを亡くしてとと姉ちゃんになり、星野と別れて「これまで以上に仕事をがんばる」。受け容れた悲しみも推進力に変えているのかなあ。そんな常子を可哀想だというのは違うけど、やっぱり納得いかない気分でもある #とと姉ちゃん
やはり諦観に寄りすぎてて、受け容れるにしても、「自分で考えて」という常子らしい部分が見られなかった気がするからかなあ。その姿は残りの仕事パートで見られるのか、星野とはこれでホントに終わりなのか、何にしても、花山も言った「君の人生」についてドラマはどう結論づけるのか #とと姉ちゃん
色んな感想があるねー。すごいよね。こんなにバラバラな感想が出てきてそれをTwitterで言わずにいれないってさせることがもぅ、このドラマがどうしたって観てしまうドラマ、高視聴率ドラマになるわけだよね。好評だろうと悪評だろうと観なけりゃ言えないわけで。 #とと姉ちゃん
(星野は常子に選択肢を与えずに事後報告にしたけど、あれは優しさだよね。「僕が仕事を辞めた方がいいですか」と憂いを帯びた目と長崎弁でヒロインに選択肢を与えるように見せかけて、ヒロインに責任をおっ被せた男がいてな…周防さんっていうんだけどな…) #とと姉ちゃん #カーネーション
好きな人の永遠の恋人になるけど二度と会えなくなる周防ルートと、好きな人と結ばれないけど生涯仲良くできる北村ルートってすごく巧みなんだけど、あれは糸子→北村がつゆほどもないから対等に成立したんだと思うと、常子がおしゃれおばちゃまのまま居続けるには星野も常子も若くて生臭いのよね。
愛人として周防を囲うのも、腐れ縁として北村を侍らせるのも、男女逆にしたら都合のいいエゴイズムなので、それを糸子がやっちゃうのは業があってエグいなあと思うけど、男女逆転してダメなもんは正でもダメなんで、常子と星野がそうならずに別れたのは公平でいいなあと思った。
愛のためにお互いどちらかの「暮らし」を壊すことができないという別れがとと姉ちゃんらしさだよね。
RT 「あなたの暮らしを大切に」とお互いが尊重すると、切ない結果になることもあるよって面も描いた、ということかなあ。そう考えるとやっぱりエグくもあり誠実な脚本という気もする。#とと姉ちゃん
前の別れは、常子が自分で選んだ。今回は違う。君の人生の問題だよと言われてもまだ戸惑ってて考えきれてない段階で、星野が決めて、それを受け容れたんだと思う。人生、自分で選べる局面ばかりじゃない。人にも考えや暮らしがあるから。そんな悲しみを経てドラマは終盤に向かうのね #とと姉ちゃん
この、「自分で選べなかった」「納得いかない」って気持ちを抱えながら生きるのが人生だよね・・・という気分にもなるんだよね。いや、つまり納得いってないんだけどw #とと姉ちゃん
常子が受け容れる事に納得はするけど(見てる方は)納得がいかぬ、っていうの。常子が受け容れる過程をまるまるすっ飛ばしてのお別れだからこちらの気持ちはついて行ってないけど、今までの常子のものごとに対する様を見るにこういう風に受け容れるだろう、っていう前提ありきで→ #とと姉ちゃん
見てる方に委ねられてる故のすっ飛ばしな気がしてきた…。そういう風に想像で補えるっていう今までの描写の積み重ねすごいって改めて思った。でも想像はできるけど気持ちは置いてけぼりポカーンでやり切れないっていうイヤアアアアアアア(ゴロゴロ #とと姉ちゃん
RT そういうことなんだよね。一視聴者である私としちゃ納得いかないんだけど、常子(と星野)ならこうするだろうなと思える納得。亡くなった奥さん・花山というパートナーにそれぞれ「不器用」と言われた二人の選択と受容。で、そうだよね人生って不器用なもんだよねとも思う #とと姉ちゃん
常子としちゃ公明正大に、特定メーカーを非難する責任も感じながらやっている仕事でも、今や誌面を鵜呑みにする読者もたくさんいる。それが権力=戦中の大本営化する可能性を、外部=別のジャーナリズムが突っ込んでくる。面白いなあ。でもどうやったら証明できるんでしょうね。#とと姉ちゃん
松永のしたことは悪いけど、昨日のように「いつも戦っている意識を持って下さい」なんつって上から統制するのは常子らしくないよね。「ネガキャンなんて放っておけばいい」は花山らしいけどそれじゃダメなような。はっ。今ふと、星野「ぼくを植物だと思ってください」を思い出した。#とと姉ちゃん
「小さな一歩でも踏み出すのが大事、何度も繰り返していけば大きな一歩になる」良い考え方だけど、その実践が怖いことにもなりうるという含蓄あるセリフ。かつて、標語とか、何々自粛とか「乳繰り合い」弾劾とか、小さな一歩を繰り返してあの大きな戦争になったような #とと姉ちゃん
まあ国実も痛いところを突いてくるよね人気や影響力があるほど、逆に疑われたりアンチも増えるわけだ。少しでも隙があればいつでも突っ込むよ、出る杭ほど打たれやすいってね。怖い世界だよなー #とと姉ちゃん
国実は「あなたの暮らしはインフラだから」と言って「あなたの暮らし反省会」をやる気満々だしいつも叩く材料探してると。嫌なら読まなきゃいいというのは正論だけど正論の先を担ってこそ成長だということですね #とと姉ちゃん
こういう流れになるの現代っぽいよなー。Twitterで万人評論家になってるから、それを表してるみたい。 #とと姉ちゃん
RTs ほんと、#とと姉ちゃん は最後の最後まで深掘りするよなー。この作風は脚本家なんですかね、Pなんですかね、どちらにもあまり詳しくないのでよくわかんないけど、最後まで楽しみ。
さて、今日の #とと姉ちゃん。なんつーか、最終盤にきて、このドラマらしい愚直な展開だよなーとしみじみする。
夜中、常子と美子が話す場面で、入院中のあさと千代が1つ寝台で話す場面を思い出したんだけど、ギンコ・タンコとか、狸寝入りの新次郎を絡ませたりして工夫してたあさ来たに比べて、とと姉のなんと愚直なこと。素人くさい・工夫がないという感想もあろうが、これが #とと姉ちゃん の味だよなあと
商品のメーカーに対して彼らの暮らしを揺るがしかねない責任が生じるのは、ちとせの件でわかっていたけれど、それよりもはるかに多数の、雑誌を届けている読者たちそのものの考え・暮らしを左右する存在(権威に近い)になっていたことを、常子は痛感しているんだね。#とと姉ちゃん
戦後、家族が食いっぱぐれないためもあって始めた雑誌作り。数少なくても読者に届けられること自体が驚きであり喜びだった時期から、今やこんなにも大きな存在になった。それで「よかったね、頑張ったよね」で終わるんじゃなく「だから君たちも試験されるよ」て展開になるのが #とと姉ちゃん らしい
衣食住の工夫とか、すてきな絵や写真、著名な文筆家による魅力的な寄稿などではなくて、「ジャーナリズムとは」という面、その要件や責任を最後まで追求するのが #とと姉ちゃん だなあと思う。花山の戦中の仕事から続く問い。そしてマスメディアから個人まで誰もが発言できる現代にも通じる問い。
明らかに卑劣な行動をした松永が物語の中で応分の報いを受けないのも、いじめ女学生や多田さんや鳥巣の部長課長らの顛末に通じていて、#とと姉ちゃん らしい。物語中で報いを受けてチャンチャンで終わらず「こんな奴はろくな人生は送れんな」と視聴者の中で憤りや気持ち悪さが尾を引く
>RT 松永が応分の報いを受けないのは確かにいじめ女学生や商社勤務の顛末と同じ。物語の「因果応報」の快感は極論すれば一種の願望や逃避だものな。どうにも思うようにならないことに満ちた現実世界で自分(常子)がどう行動すべきかだけを追求する展開は倫理的だね。 #とと姉ちゃん