『とと姉ちゃん』 第17週 「常子、花山と断絶する」
普段は口下手で思ったことがスッと言葉にならない常子が、切羽詰まったときや心の準備をしてきたときは、まるで本の文章のように滔々と語るの、初期は「セリフなのにこなれなさすぎ」と引っかかってたけど今は常子がそういう人だとわかってるので親しみ深く見てる。 #とと姉ちゃん
人生一教師、あと50年!と意気軒高な東堂先生に比して、おそらく戦争により仕事ができなくなっただんなさんか。「あと50年!」も、常子が来て久しぶりの楽しい時間だから堂々と言えたことで、ご主人との生活では自分だけが志ある仕事を続けていることにも胸苦しさがあるかもだね #とと姉ちゃん
同じ空襲を経験しても、家が焼けたか、家族を失ったか等でその後の暮らしは大きく違う。現代もそうだね。大地震や大不況による被害や経験は、人によって大きく違う。そんな中で、かつての友人知人が自分より苦境にあると知ったとき、私たちには何ができるだろうか? #とと姉ちゃん
同じ戦中戦後を生きてても家族を失った人そうでない人、焼け出された人と焼け出されてない人、とか境遇にレイヤーあるよね #とと姉ちゃん
RT そのレイヤーをとても意識的に書いている感じ。常子たちも食事はまだ素うどんと副菜だけ。真面目に働いていて自営だから安定性も高くない。でもそれより貧しい生活も少なくない。そのまま現代にスライドできる図かも。衣食住が足りている私は綾でも先生でもなく常子たちより裕福 #とと姉ちゃん
そんな私自身、自分より貧しい暮らしをどれだけ知り、思ってるか。苦しい暮らしのために何かできるかというと…。自分の家が無事なら住むし、うどんが手に入れば食べるよね。ドラマ見てるから、家の部屋を貸せばとか会社で雇えばとか簡単に提案できるけど、現実にはどれも難しいよね。#とと姉ちゃん
「東北発☆未来塾」 映像のチカラ 〜是枝裕和 - moonshine URL 一年ほど前に書いた記事。是枝さんの「私はあなたではないし、あなたは私ではない。という考え方はドキュメンタリーの一番大事な考え方だ」という言葉が印象的。
このときの、是枝監督を講師に迎えた「東北発☆未来塾」。同じく被災して同じ高校に通っていても、親を亡くした子、仮設に入った子、家族も親も無事だった子などレイヤーがあり、それは断絶で、断絶を日常として生きている様子がレポートされていた。#とと姉ちゃん の戦争描写にも似た視点を感じる。
「私はあなたではない、あなたは私ではない」。そうである以上、私より困窮しているあなたに対して痛ましい表情を見せたり気遣った言葉をかけたりして「共感していますよ」ってサインを送ることに本質的な意味はないんじゃないかな。暮らしの手帖にジャーナリズムの血が流れている以上。#とと姉ちゃん
是枝監督は「断絶」を見つめ続ける仕事を選んだ、って先のRT記事に書いたんだけど、それがジャーナリズムの1つの形なんだろうと思う。悲しみに寄り添って悲しみでくるむのとは違う表現。花森さんもジャーナリズムの人だったようだ。#とと姉ちゃん で常子や花山の造型がああなるのもわかるな。
三姉妹で訪問したとき、鞠子美子が「それなのに3人で来てしまって」「お友だちを招けるようになるといいですね」的な(うろ覚え)ごく一般的な受け答えをしていたので、やはりこういうときに常子が並外れて寡黙なのは常子の性格なんだよね、とあらためてわかりました。#とと姉ちゃん
経済資本があっても(綾さん)文化資本があっても(東堂先生)平等に苦難が降りかかるのが戦争で、貧乏で勉強もあんまり得意ではなかった常子がたまたま空襲が避けてくれたおかげで彼らを救う立場になってるの皮肉だけど、でも彼らを知っているからこそ取り戻してあげたいんだよね。 #とと姉ちゃん
RT 戦争や天災はもちろん、夫の死(君子)や解雇(多田。回避したけど)で、誰の人生だって思わぬ苦境に陥る可能性はあるんだよね。常子は自分たちにもその経験があるのと同時に、その苦境を滝子や隈井、森田屋などなどに助けられてきたから、今また自分たちにできることをと考える #とと姉ちゃん
共感や気遣いするからこそ足が動かなくなることってあるよなあと思う。知人友人の苦境を知っても「私で良ければ話を聞くよ」とか「できることがあれば言ってね」と言いつつ、大変な時期のお邪魔にならないようにと少し距離を置いてしまったり。失礼は免れても助けにはならないパターン #とと姉ちゃん
プライドを傷つけるかもしれない旧知の人より、知らない人を取材した方が無難かもしれないけど、そこで踏み込めるのは常子たちが自分たちも助けられてきた経験があるからかもなあ。当たり障りのない気遣いの言葉や距離をおいた振舞いよりも踏み込んでこられるほうが有難いときもある #とと姉ちゃん
そもそも「役に立つ雑誌」という思い自体が、いろんな人に助けられて何とか生活してこられた経験あってこそかも。綾やバラックのような苦境を見たからといって、自分に彼らより少しばかりの余裕があっても「彼らの役に立つ仕事を」って発想に誰でもがなるわけじゃない。#とと姉ちゃん
常子は父の死後、とにかく家族を守りたい、生活を立ちゆかせたいと必死だったけど、子どもの自分にできることはごく限られていて、いろんな人の支援や親切で何とかやってこられたんだよね。けれど助けてくれた人たちは戦争で離散していった、自分はそれをどうにもできなかった。#とと姉ちゃん
で、戦争が終わった今は、自分たち家族の経済のためにしっかり稼がなきゃいけないんだけど、その手段として「誰かの役に立つ仕事」を選んだんだよなあ。その仕事のために旧知の人に取材という形で助けてもらう、同時に彼らも助けられるかもしれない。支援の交換は続くね。#とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん 東堂夫妻がお茶を飲みながら夫婦で語らう時間を、お互いを思い合う気持ちを表現し合えることを取り戻せたのが本当にうれしい回だった。戦争という集団の愚行がさまざまなものを奪っても、個人の尊厳は潰されない、取り戻せる、暮らしを大事にするとはそういうことなんだね
この女性にしてこの夫あり(逆も真)、という夫の造型、キャスティング、演技、そして夫婦の関係性が短い時間で描かれていてすばらしかったよね。あれだけ高らかに青鞜を謳い上げた先生がこういう素敵な夫婦関係をもっていたことが、意外なようで逆に納得できるっていう。#とと姉ちゃん
女学生編で先生が既婚なのか未婚なのか作中一切触れなかったのもわざとだよね。「先生は独身なのかしら?」「そうじゃない?だって…」「ご主人いらっしゃるらしいわよ」「えーどんな方かしら!」みたいな、いかにもありそうな噂話をね、させそうなところなのに、させなかったよね。#とと姉ちゃん
で、既婚であるという説明がない状態で、なんとなく「独身なんだろうな」って思ってた自分自身の中にある先入観に気づくところから始まって、「東堂先生にふさわしい素敵なだんなさん、すてきな夫婦関係じゃないか」って思えたことで、なんかすごく世界が広がって希望が持てた気がする。#とと姉ちゃん
あと、美的感覚が鋭いはずの花山が箱の装飾に思い至らなかった・東堂先生もささやかな心がけの余裕をなくしていたこと。人間、ずっと完ぺきでいられるわけじゃないけど、そんなときは、覚えている誰かが教えればいいんだよね。それは特別じゃなく普通のこと、簡単なこと。#とと姉ちゃん
常子が「先生、忘れてたんですね…」って先生の境遇を思って悲しい顔をせず、「うふふ」といたずらっぽく笑ったのはそういうことだと思う。生活に追われて心がけを忘れるのはしょうがない。覚えてる人が実行したら思い出してもらえる。ことさら反省も同情も必要ない。いい関係。#とと姉ちゃん
君子もだけど、宗吉に照代、老け方のビジュアルがすごく自然でびっくりする。すごく自然。#とと姉ちゃん
意気揚々な宗吉に、微妙な表情の照代。森田屋も資金繰りの目途が立ってないのかな? #とと姉ちゃん
「読者でもできることを念頭に置いてるのに現場まで詳細を秘密にした挙句、編集部員を締め出して編集長が大工に作らせる」「雨漏りがひどいことを知ってるのにリンゴ箱の収納家具にノリで紙を貼る」「一番肝心な、実際に使って暮らした上での検証を完全スルーで雑誌完成」など #とと姉ちゃん
RT それ昨日すごく気になった。特に花山と常子が互いに方策を内緒にした、先に内緒にしたのは花山のほう、しかもワンピのときは縫製を君子にさせたのに、今回の花山は大工を使い、そのことを東堂夫にわざわざ言及させた。断絶エピの前フリ的なものかなと思うけどいかに。 #とと姉ちゃん
視聴者はそれぞれ「朝ドラはこうあるべき」をどんだけ主張してもいいし、それ基準で批判する権利もあるけど、それは決して視聴者の総意じゃないし、それに関係なく「自分らが作りたい朝ドラ」を作る権利が作り手にはある。そうして提示されたものを批判する権利が視聴者にはある。以下ループ
批判が多い作品が駄作とは限らないし、多数の支持を集めた作品が秀作とも限らない。「自分にとっては名作(駄作)」ってのはあっても。
東堂宅では常子が花山の意を汲み装飾を加えた。表紙絵を見た瞬間の反応で常子が本当に感動しているかどうか花山にはわかる。2人が言葉なく通じ合える例。でも、こと会社の経営方針(宗吉の言葉で家族経営の拡大だと示唆)という現実的かつ思想の根幹でもある話で話し合わないのは無理 #とと姉ちゃん
普段は部屋に籠もるか不在がち、大声で結論を繰り返すだけ。黙って進めて事後報告。そんな不誠実さでうまくいくわけないけど、相手を良く知ってて近しい間柄だからこそ誠実さを軽視してしまうってあるあるだ。で、「どうしてわかってくれないの」と思う。私はこんなに頑張ってるのにと。#とと姉ちゃん
彼らの会社は家族の拡大版で、まず社員全員食べていかなきゃいけない。花山と常子は会社の両親のような2人のリーダーだけど、夫婦じゃないから抱き合って睦み合って何となくいい感じに着地させることはできない(夫婦ならそれでOKなときもあるよね)。言葉を使って話し合うしかない #とと姉ちゃん
あらためて、広告を載せないって本当にすごいことだよね。現実的に考えれば、やはり「雑誌の内容に口を出さない、良心的で安定性のある企業を見つけて信頼関係を築いて…」って路線になりそうなところ。その一歩がなあなあに繋がっていくのも多くの現実で。#とと姉ちゃん
配給を待って餓死する時期は過ぎたけど、回ってくるのは輸入小麦ばかりで米はない(うどんの量はだいぶ増えている)。とはいえあるところにはあって、洋裁学校やら料理学校やらが盛況でもある。自由な経済活動の活発化で小資本は淘汰されていく。やはりレイヤーを意識的に描いてる #とと姉ちゃん
RT 「滝子VS君子、弁当誤配で激怒の五八さん、制服盗難、おやつ二重取り、女学校シカト、タイピスト室いじめ、すき焼き独占、乳繰り説教おじさん、ビアホール大乱闘、多田の裏切り、キャラメルおじさん、キヨシに介護丸投げの深川編。滝子の臨終シーンなくしてまで必要だった?」
RT 「加えて、浜松の大人総動員の桜、ピカッツア贋作問題、玉置三兄弟のいじめ、長男陥落、かか妾問題、とか必要だった?そもそも、あんなに騒いだ家訓どこいった?と考えていくと、むしろ必要だったエピの方が見当たらない」
#とと姉ちゃん で少なくない批判に「いろんなエピソードがつながってない=必要ないエピの散発」的なのがあるんだけど、RTしたエピたち、私は全部つながってる=必要と解釈してる。この違いが(理解力がないとかじゃなく)ほんと不思議で興味深い。朝ドラ見慣れてるかどうかの違いじゃないんだよね
この作品のエピソードの「つなぎ方」がスムースじゃないのもわかるけど、そこで視聴者全員がわかんないと言ってるわけじゃなく、うんうん同じ解釈ですってツイもたくさん見るからね。エピソードがつながってないと思えば、登場人物たちも使い捨てに見えるだろうなーとは想像できるんだけど。
エピソードが繋がっていないと思うのは、各々のエピを理解(消化)できないからじゃないかな。なぜ理解できないと思うのか、それは各エピソードが「不快」に感じるからなのかなーと。やはり、理解力とかの問題ではなくて、視聴者の「心の中」の問題、各人が内面化してるものの違いじゃないかと思う
君子は母親失格なのか? 常子が星野より家族を選んだのは呪縛か? 長谷川と富江のデキ婚はありえないか? 甲東出版を辞めた経緯や「お金を稼ぎたい」発言は? 綾を雇ったり家に呼び寄せたりしないのは薄情か? さまざまなエピソードに対して、視聴者が内面しているものが感想として表れる。
脚本家が意図的に視聴者の内面を炙り出してるのかどうかはわかんないけど、長丁場の作品には作家の内面が表れるもので、それを肯定的に捉える解釈としては「フラット&小さな物語志向、個の尊重、普通の人々」、否定的解釈としては「無礼、薄情、恩知らず、社会性無し、ヒロイン様」 すごい幅だわー
これはそのまま、現実世界の断絶にもスライドされるのだろうか?
されると思う。人間、内面化しているものを普段は意識していない。意識しないままに、あるいは「個人の主観」として、物事を感じ、考え、判断する。確かに個人の主観だけど、それを育むのは環境や社会だったりする。そして個人の主観が束になって社会通念や常識が作られるが、それが正しいとは限らない
常子から間をおかず希子に戻るわけだけど、希子もほんとによかったんだけど、常子を見た今となっては、高畑充希には希子じゃ物足りないかもって思う。歌はうれしいけどさ。…って、どうせBS映らないから見られないんだってばw #とと姉ちゃん #ごちそうさん
高崎移転を相談なしに決められたまつ、陸軍からの請負を清に内緒にされた滝子。信念に拘泥して聞く耳を持たないからと大事なことを秘密にされて、結局は家族のために折れざるを得なかった2人を見てきた常子が、同じように花山に黙って広告を載せようとするのはよくわかりますよ。 #とと姉ちゃん
花山はもともと属性で人を見ないし、黙ってしたことでも結果がよければ潔く認めて評価する人ですよ、というのを東堂先生のお宅で家具にきれいな紙を貼ったときにやってるから、常子は「約束を取り付けた上で広告を出す」という解決策を理解してくれると思ってるってことかな。 #とと姉ちゃん
常子の口下手で察しの悪い部分と、花山のワンマン気質で経緯を口にしない部分がバッティングしてるんだよなー。ふたりとも相手に理解されなくても平気な性分(だからメンタル強い)なんだけど、一緒にものづくりする上ではダメよねー #とと姉ちゃん
君子滝子のときといい、昔の常子美子のときといい今回といい、このドラマの対立描写は見事だな。どっちにも短慮があるけどどっちにも一理あり、こういう状況って往々にしてそうなっちゃうよねーorz って感じがすごいわかって、痛い。#とと姉ちゃん
花山は昔の仕事から広告の威力を知り抜いてるし、常子は昔から家族を食べさせることが至上命題で、2人が今まで各々培ってきた人生観のぶつかり合いなんだよな。相思相愛で結婚しても新婚時代はケンカするやん価値観の相違で。新しい「私たちの」暮らしを作ってる最中なんだよね #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん に限らず、誰かと誰かが対立したり(ex千代とあさ)、客観的に見ると愚かな行動をしたり(ごち悠さんやらめ以子やら)、事態が停滞したり(マッサン無職)という展開のときは、タグはよく荒れますのでね。
とにかく次週が楽しみ!
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