『とと姉ちゃん』 第9週 「常子、初任給をもらう」(上)ツイートと追記:タイプ室とTL大騒動
#とと姉ちゃん しんどいっちゃしんどいけど、早乙女さんは他の女性社員と一線置いてて、多田さんには常子の性格が伝わっててることがわかり、ラブ光線な星野青年もいて、キャラメル一粒300メートルいけそうな常子さんだ!
早乙女さんがただ新人イビリするような人じゃないのは明らかだし、味方もできそうだし、会社編実質2日目で光明が見えて、ライトめな作りだなって思って見てる #とと姉ちゃん
「常子はできる子のはずなのにおかしい」意見見るけど、森田屋でも学校でも自分で考えて動いてきたよ。変わった感性の子設定だし、歯磨きだってアイデアや行動力のない子ができることじゃない。滝子に見込まれてるからって、入社1週間やそこらで上手く立ち回れないって普通では? #とと姉ちゃん
常子の設定は「面白い感性」「自分で考えて動ける」、滝子やまつが見込んだのは「物事の本質を捉える力」。竹蔵の死後 #とと姉ちゃん になったことでオヤジ属性が追加(行儀の低下や寒いギャグ)。空気読んで最初からうまく立ち回れるような子じゃないよね。考えての行動が常に成功する設定でもない
常子のキャラ、捉えにくいのかな? 2週目の初日、いきなり寒いギャグ飛ばす子になってたよね。作中で飛んだ4,5年の間、父の居ない家に明るさを・とと代わりをと、ことさら能天気に振る舞ったり空元気を出してきた長女らしい頑張りが板についた描写と解釈してる。オヤジくさい #とと姉ちゃん →
→オヤジくさい決まり文句「どうしたもんじゃろのう」が2週目から出てきたのも、竹蔵の死後に「オヤジ属性」を獲得した象徴だと思う。竹蔵はオヤジくさい男じゃなかったけど、女所帯で家長をと気負う子どもの常子は、無意識にステレオタイプなオヤジ方向に行ってしまった→ #とと姉ちゃん
→父親代わりとして何年も続けてきたおっさんくさい擬態が身についてしまったところもある常子ちゃん。でも実際の中身はまだ若く未熟で右も左も分からん新社会人。かわいいもの、ささやかな心がけが好きなところもある。アンバランスだけど、まあ人間そういうもんですよね。 #とと姉ちゃん
「できる子設定のはずなのに」「行儀の良い子のはずなのに」「脚本の都合よくブレてる」ってのは、思わないなあ。キャラは一貫してると思う。でも基本的にドラマ自体を好ましく思ってるか否かで読み取り姿勢が違うものなので、何でも好ましくなく、拙く見えるのもあるあるですね #とと姉ちゃん
早乙女さん、めっちゃ常子のこと気にしてる。さぁ明日は何と言うか、わくわく。今日の言い分は昨日のTLの読み通りで(私たちは雑用係じゃない、いったん引き受けたらどんどん言いつけられて本来の仕事の精度が落ちる…)、朝ドラクラスタはダテじゃないと誇りに思いました(笑)#とと姉ちゃん
面白い脚本だと思う。美子の「#とと姉ちゃん が心配かけるから気苦労が…」発言は真実なんだよね。常子が分を超えてやり過ぎることで皆の食事が遅れたり心配かけたり。それで体壊したのが竹蔵で、君子が内職増やしてたときも「かかの体が壊れる」と常子が言った。所帯は一蓮托生→ #とと姉ちゃん
→だから仕事のやり方は職場だけじゃなく家族(や居候先)にも関わってくる問題なんだよね。すると「そもそも何のために働くのか、ここでなきゃダメなのか」とかまでセットで考えなきゃいけなくなるね。個人の問題と、組織の問題と、男女の問題とが交差しますね #とと姉ちゃん
常子は清書を頼んだ営業の男に感謝してもらいたかったわけではなく、当然の流れとして「ありがとう」「どういたしまして」の会話が交わされると思っていたのでそこから前へ進めなかったんだと思う #とと姉ちゃん
RT うんうん「子供でも一人の人間として尊重される」がデフォルトで育ってきた常子だもんね。仕事だろうが職位の上下があろうが、おはように返事がないとか、「ありがとう」「どういたしまして」のやりとりがないってびっくりよねえ。さあこの職場の何がそうさせてるのか考えるんだ #とと姉ちゃん
常子は感謝されることを期待していると非難する人たちは 乗り物の中で「ここどうぞ」と席を譲った相手に無言で座られて笑顔のまま固まったりした経験はないのだろうか その後どうしていいのか戸惑うのだよ #とと姉ちゃん URL
感謝して褒めてほしいわけじゃなく、挨拶をかわしたり、「お願いね」「ありがとう」の一言があるのでは、って話よね。仕事も人間同士でやってるんだから相手を尊重したささやかな心がけがあるのが当然と常子の育ちなら思うよね、それがないのは何故なのか、本質に迫っておくれー #とと姉ちゃん
思い起こせば私が一番腹が立って張っ倒したかったのは玉置バカ三兄弟だった。それから森田屋、同級生、職場 とイジメシーンが繰り返される度に観ていて「あ?、またか」くらいの感覚になってきた。もしかして常子もそうかも。かなりメンタル強くなってるよね、きっと #とと姉ちゃん
RT 確かに(笑)。根っこの自己肯定力があってこそだけど、メンタル強くなるって経験値でもあるよね。いじめはダメだけど、悲しいかな現実にも理不尽な人や体制ってあるもの、また外からは見えない論理もあり、どう対峙するか(逃げるのも含め)は経験がものを言うとこあると思う #とと姉ちゃん
早乙女さん、たぶん先輩だけど上司ではないんじゃないかなあ。そうなると「うちの人間は貸せない」とは言えないんだろうな、と思う。権限ないから。権限ある上司設定にするなら、もっと年嵩の人をキャスティングするだろうし #とと姉ちゃん
RT だよね、タイプ室リーダーだけど、職位にしろ手当にしろ男性社員のマインド的にも、それに相応しい待遇は受けてなさそう。確かに「早乙女さん、そういうことなら先に言ってよ」だけど、評価もされない中、顔で選んだ新人を放り込まれて誠心誠意で育成しようとは思えないわな #とと姉ちゃん
早乙女さん 対 常子ではなく、意地悪女子ズ 対 常子でも、セクハラ人事対常子・男性社員対常子でもなく、ぜーんぶが絡まった問題なんだよね。で、職場の事情は家庭にも心配かけるし実害も出てきますよと。よく書けてると思うなあ。いじめって時点でしんどい人がいるのはわかるけど #とと姉ちゃん
んで、ここまでくると、女学校時代のいじめと何が違うのか、あの書き方の意味も、よりくっきり見えてくるなあと思ってます。見てるとしんどいかもしれないけど(私は割とライトだと思うけど)、優しくてまっとうな脚本だなあ。短期的にも長期的にも楽しみだ。#とと姉ちゃん
「女性の暮らしを支える雑誌を作る」人のお話で、その「女性の暮らし」(女性が生きていくこと)について色々体験し学んでいる10代の思想の形成段階を無駄だと思われてしまう寂しさ。思想より実技能なのか。でも強い思想に裏打ちされた行動だから響くのではないのか?とぐるぐる… #とと姉ちゃん
早乙女さんすごい、すごすぎる。あの状態(「部長ー、あの酒すんごくおいしかったですぅ」)から諦めずに、課長に文書発給させた。文章書いたのは早乙女案でハンコ押させただけだろうけど。本質的には何の解決にもなってないところがまた切ないけど、早乙女ちゃんはがんばってる。#とと姉ちゃん
いくら拙文だろうが勝手に修正して良いわけないけど、問題は全部がつながってるんだよね。挨拶返さず意地悪する女性社員、優秀だけど頑なな態度の早乙女さん、女性の名前も知らずありがとうの一言すらない男性社員。「一人一人を尊重する」姿勢の無さ、そのなれの果てがこの会社。#とと姉ちゃん
早乙女指導は確かに不親切だけど、新人をよろしくとは言われてたものの、職位・給与・周囲の評価あらゆる面で、彼女が専門職のリーダーとしてふさわしい待遇を得ているようには見えず、何の評価も見返りもないのにめんどくさい新人を懇切丁寧に育てろというのはブラックの要求よね #とと姉ちゃん
互いの能力や意欲を適正に評価し、仕事といえど人間性の尊重を。それが無ければ、人は自分を守るために、周囲に手を貸すことをやめ、優秀でも頑なで極端な態度に走ったり、集団を作って弱い者を叩いたり、下の人間が上に尽くすのは当然という雰囲気が横行する。立派な悪循環の完成 #とと姉ちゃん
いじめはダメ、不親切も横着も良くないけど、みんなが心に鬱屈を抱えてるのがあの会社。誰も適正に評価されてない、相応な仕事量を勘案されてない、上から適当に扱われるのは当たり前。己が尊重されないから他人も尊重できない。早乙女さんも傷つき戸惑った新人時代があったんだろう #とと姉ちゃん
自信がないから自慢してた清のように、不親切も高圧的なのも、いじめも無関心も、すべての源は「自信の無さ=評価・尊重されていない不安・不満」からきてるんよね。が、そこに気づいても解決するのは難しい問題だし、作風的にも視聴者にカタルシス与える顛末は見込め無さそうであーる #とと姉ちゃん
ちなみに、キャラメルおじさんが社長重役説は無いと踏んでる。男性社員にぞんざいにお茶頼まれるシーンあったし。でも長年会社にいる妖精さんで、新人時代、泣いてる早乙女さんにもキャラメルあげてたんだろうなーとは想像してる #とと姉ちゃん
朝ドラでのいじめやいびりって、当事者(加害者被害者双方)の人間性や環境の問題、あるいは制度の旧弊として描かれることが多い気がする中、「一人一人を尊重することの大切さ」を念頭においてるのは新しく、本質的だなと思う。でも視聴者にはあんまり届いてない気もするw #とと姉ちゃん
いじめやケンカや対立のシーンを見たいわけじゃないけど、見たくないものだから描かないってのもどうかなーと思う。描かない作品が悪い・見たくない人がダメだといってるわけじゃなく、描く作品があってもいいし一生懸命見る人がいてもいいよね、というか。
いじめはよくない、戦争はよくない。ほとんど全員の大人がわかってる。でもいじめや同調圧力や戦争は現実にある。なくならない。なぜか? 大人はそこを追求し続けなければならないのではないでしょうか。具体例に接し、本質に迫れなければならないのでは。物語はそれができるひとつの媒体。
いじめシーンっていう時点でひどくアレルギー反応ある人も多いみたい。朝ドラだからってのもあるだろうけど。どうしてああいうシーンを、なぜ意地悪な集団を描くのかわからない、という声を多く見る。「いじめは良くない」という思いの強さが、いじめの本質に迫ることから目を背けさせてるような気も。
そしてそれは、この国の平和教育とか、過去の戦争への学び方とかにも共通してる問題だと思うんだよね。戦争の悲惨さだけをいくら学び、訴えても、戦争はなくならないわけで、「じゃあ何で戦争って起きるんだろう、起きたんだろう?」ってところは追求しないよね・・・
やっぱり国民性ってのもあるんだろうね。四季が刻々と移り変わる美しさも、突然やってくる大きな天災も、説明しようのない、理由のないものを多く孕んで生きてきた人種だから
今日の話すごくよかったなー。家族の期待と会社の理不尽に板挟みになる常子。哀しい。外では無力だけど浄書室の中では男性社員に毅然と立ち向かう早乙女ちゃんが見れたのが救い。 #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん 「この先輩は有能なんだろう。でもせめて禁止事項は先に言ってほしい」「もう少し言い方ってもんはないのかな」全部、初めての仕事で経験して、言えずに飲み込むあるあるじゃないでしょうか。今の不快なタイプ室はそんな新人の気持ちを誇張して濃縮したようなものですね。
期待も感謝もされず女子社員にはいびられ男性社員にはそもそも人間扱いされず帰れば家では期待値マックス、このギャップはつらい…泣く…と思っていたら「もー褒められすぎて疲れちゃった☆」という昭和のおっさんのよな見栄を張る常子である。これが常子の #とと姉ちゃん たる所以なのね…
早乙女さんの今までの奮闘は、当該の職場環境を知らぬ・常子からの見当違いの情報を聞いた滝子様の「そうやっていがみ合うから余計互いに受け入れられなくなる」という一般論で片付けられ。とりあえず、今夜は早乙女さんと一杯呑みたい気分。#とと姉ちゃん
RT ほんとね。できれば常子よりさきに早乙女さんに報われてほしかったよね。早乙女さんだって最初は雑用も一生懸命やったはずだし常子よりよっぽど気が利いていて良いパフォーマンスしたはずなんだ… #とと姉ちゃん
えっ?「早乙女さんは男性から甘く見られまいとしている。男性からの雑用を受けるなという」常子、そんな風に受け取ってたの?相手が女性でも他部署からの雑用は受けないのでは…ここに早乙女さんいたら卓袱台ひっくり返す勢いで激怒すると思う。#とと姉ちゃん
RT ん?それは違うのでは? 現代と違って、あの会社で他部署の女子が雑用を言いつけてくる状況はありえないし、早乙女さんは「女子も名前で呼んで」と要求し、男性の書類を無断で(感じ悪く)手直ししたのだから、男性に敵意がある、見下されたくないと解釈したのは正しいのでは #とと姉ちゃん
想像以上にカタルシスの無い帰着でしたw なるほどね、タイプが禁止されてやむなく手書き(贋)したのが逆に目立って目に留まり、感謝された、と。でも部長様からの言葉だけに、感謝・尊重というよりは「上に褒められた」感が目立ってしまうのだけど、それはわざとなのかな? #とと姉ちゃん
横柄に雑用を頼んでくる男性社員の変化に手を付けなかったのは、展開的に「残してある」のかな? 戦争編に向けて。とりあえず常子は今、「男性と女性が尊重し合う」自分の理想を再確認した段階。#とと姉ちゃん
夫の死後、木場の男たちを率いる滝子に女主人ならではの苦労奮闘がなかったとは思えないので、もう少し経験の匂うアドバイスをしてほしかったところだけど、そういうの乗り越えてたどりついた信条だからこそ、若い娘にはカラッとあたたかく「悩む必要ないよ」と言ったのかなとも思う #とと姉ちゃん
常子と早乙女の対峙は「2人とも未熟だけど2人とも懸命、そこに通じ合う余地があった」って帰着かと。「私たちがこれまでどんなに苦労して」という早乙女の悲痛な叫びは職業婦人の歴史を感じさせるに十分で、だからといってタイプ室の頑なで排他的なやり方が建設的なわけはなくて→ #とと姉ちゃん
→やはり外に開いていかなきゃいけない。自分も周囲を尊重しなきゃいけない。でもそれができる常子の「困った人を助けたい」って言い分は、あまりにもビジネスの場にそぐわなくてあまちゃんで。今の常子の感覚は所詮その程度。現に営業の人たちは困ってるというより常子を利用しただけ。#とと姉ちゃん
でも早乙女さんは女子の不毛なつるみや意地悪を良くは思ってなかったはずだし、「やるしかない」と一人で手を動かし達成した常子に一目おいて、何かの可能性を感じたと思われ、部長の評価があったことで常子のやり方を「私とは違うけど受け容れる」落としどころに持っていけたのでは #とと姉ちゃん
常子が早乙女の忸怩たる思いに気づきつつも「そのつらさ、わかります」と安易な理解、寄り添いの方向に流れず、早乙女も「私の考え方は違う」とハッキリ言ったのがすごく良い。でも2人とも自分の立場で考えて、信じるところにしたがって行動してる。そこに摩擦と歩み寄りが生まれる #とと姉ちゃん
常子も、なんも知らない会社の事情を突きつけられてしんどかったよね、とは思うものの、長い歴史を経てきた早乙女さんの方にどうしても共感しちゃって、彼女が報われてないように感じる。でも状況を変革していくって、確かにこれまでの事情を斟酌しない新しい人にしかできないのかも #とと姉ちゃん
戦後、アメリカやイギリスと仲良くしようよって言われても戦争遺族はすぐには納得できなかったろうし(『#ごちそうさん』)、逆にアジアの人々は日本と仲良くしようよって言われても「ハァ?」だっただろうし、でもそこは若い人が切り拓いていくしかなかったというか
ああいうととが当たり前だと思っていると、「女性が正当に評価されないの何でー」よりも「男性と女性が対等に尊重しあえないの何でー」って方に行っちゃうよな。そりゃ未来人だわ。 #とと姉ちゃん
2016-06-02 09:58:19 via TweetDeck to @hinocchi
#とと姉ちゃん 「一件落着」はしたものの「問題は解決していない」「そんな簡単に解決できる事ではない」というのは十分に匂わせてると思うのよね。…しかし、ああいう中で、大きな問題の解決と、日々の折り合いは別の話、って事たくさんある。
早起きして一生懸命お弁当作ってる早乙女さん想像したら、なんか泣けてきた#とと姉ちゃん URL
RT あのお弁当良かったよね。単なるデレとかじゃなくって、早乙女さんは職場であれほど鎧をつけてても、自分の生活に絶望してないんだな、っていうのがね。こんなふうに心がけのつまったお弁当を作れるぐらいに毎日に主体的に取り組んでるんだよね。#とと姉ちゃん
そして、風見鶏・事なかれ主義の権化・山岸から一筆もぎとる早乙女さんと、もぎとったのを破棄させる常子との攻防がね、おかしかった。早乙女さんもびっくりしてたよね「そうくるか!」って(笑)。#とと姉ちゃん
やっぱり常子はスーパーマンじゃないから一人の力で会社の風潮を変えることは出来ないから、自分の心がけ次第という結論になるんだよね。 #とと姉ちゃん
私はやっぱり、登場人物が(未熟で偏っていても)自分で考えて行動し、それで他人とぶつかるのは必然で、ぶつかって苦しみ合うのも必然だけど、そこから何かが生まれるんだっていう希望にカタルシスを感じるたちで、#とと姉ちゃん はごちそうさんとかと同じくそういうの感じさせる朝ドラだなーと思う
「カーネーション」では昭和15年に饅頭屋の陳列棚がからっぽになっていますね… #とと姉ちゃんURL
あと、三兄弟にしろ女学校や職場にしろ、集団でのいじめについて「こんなの理不尽でしかないから深く考えないで。立ち向かう必要ないし憎まなくていい、自分が本当に大事なもののために奮闘して」と徹底して書いてるのも好き。胸糞描写と捉えてる人が多いけど道徳的だなと感じてる #とと姉ちゃん
三兄弟にも、モブ女学生たちやタイプ室の女性たちにも、常子は卑屈にならないし対決しないし恨まない。二人三脚とかテストで一番になるとか、いい意味で自分本位なんだよね。小橋家の子育てで培われた自己肯定感が芯にあるからできることなんだよね。
子どもには、「失敗してもいいからやってみなよ」「傷つくことを必要以上に恐れないで、傷ついても人間は大丈夫なんだよ」って言いたいし、それが言える社会でありたいなあ。
現代では「迷惑かけること」も大きな失敗に含まれる。迷惑かけていいってわけじゃないけど、それを恐れて動けなくなったり小さな世界に留まるのは淋しいなって。人と関わり合えば、様々なものが生まれる。楽しさも、喜びも、迷惑も、傷つくのも。それらを与え合うのが人生。それが当たり前だと教えたい
だからヤクザ屋さんに踏み込まれ歯磨き爆発したあと常子が真っ先に笑ったのも脚本の意図だと思うんだよね。常子の未熟を表す描写でもあるんだけど、こんだけ失敗しても笑えるのっていいよね、って。笑える資質があって、それが許される環境にいたからこそ新しいことを興せる人間になれたんだと思うし。
絶対的に正しい人間が力をにぎって、こうしなさいと意見すれば丸くおさまればスッキリするけど、男女差別のように環境や社会に組み込まれた価値観は、そんな簡単に解決しない。実際いまの日本はトップが男性ばかりだから、21世紀だというのに頭をかかえる表現や政策があふれている。
でも変えていきたいなら、まずは人を信頼しないと、言葉も思いも伝わらない。恨みがあるから言い募ることもあるんだけど、恨みに目がくらんで、相手を尊重すること(相手の意見に従属することではない)を忘れちゃダメなんだよね。
「男と対立するのではなく互いに尊重すること」というのは実は前作ヒロインも言ってたよね。
そうなんだよね、前作でも似たような趣旨だったのに、今回の方が非難轟々なのは、きちんと女性の悔しさを書いてるからだと思う。前作はストレスフリーが最重要事項だったから、何事も綺麗に都合よく書いて、趣旨は言葉で説明してた。今作の方が絶対的に正しい人がいないことも含めて誠実だなぁと思う。
男女差別は制度としては上に理解ある人が立って改革をしていくことが必要で、じゃあそういう環境がなければ庶民は諦めてじっと耐えるしかないのかというとそうではなく、個人でできることはそういう社会圧を気にせず空気を読まず自分を大切に選択をしていくことしかないんじゃないかと思うんだよねぇ。
「女性の鬱屈が何も解決していない」のはもっともなんだけど、でも小さなコミュニティの中で硬直していた気持ちが動くことで働きやすくなることはままあって、そういう着地を「何も解決する気がない」「権利を主張する女性を悪役にしてる」と言われるとな。
家長だけど威張らず個性を尊重するととの娘で、女だてらに男衆を束ねる青柳商店の滝子の孫で、震災を乗り越え深川に根付いた森田屋のまつに厄介になっている常子は早乙女さんの抱える「女だから認められない」鬱屈を理解してないんですよね。認められなかったこと本質的にはないから。
だから「女ゆえの認められなさ」に鬱屈して浄書室に籠る早乙女さんと「仕事してお給金をもらい大黒柱になるために社会人として一人前になりたいし、そのためには雑用でもなんでもして認められたい」常子は最初から噛み合ってないの。常子と早乙女さんの戦いの目的は違うので。
まあでも早乙女さんは自分の誇りを守ろうとするあまり職場のギスギスしたいじめ空気を産んでしまってた部分もあるので、上司の介入でわりきって常子に「それはそれだけど私のやり方もある」と言えたことで救われた感もある、と思う。好意的な見方ですが。割り切り大事。
あのね、クソみたいな脚本とか言いたいわけじゃないんですよ。だけど、あんまりじゃないですか、視聴者の誰がこんな展開で「わぁ、良かったね常子、努力が実ったね」とか思うんですか?視聴者なめてんのか(怒)社会人をなめてんのかーー(激怒)くそくらえだすーー!#とと姉ちゃん 反省会
「わぁ、良かったね常子、努力が実ったね」とか、そういう方向のカタルシスじゃないんだよな。とと姉は。そういうスッキリしたのがカタルシスだと思われる向きには、つらいだろうな。ていうか嫌われるんだろうな。
10年会社で正社員やってた人間だけど、会社でのあれこれ描写は、見た目しんどくてもまともに見れるんだよな。
脚本家が社会人経験ないのでは?って意見をいくつか見たけど、確かにそういう朝ドラってあるんだけど、とと姉にはそれ感じないな。ドラマだからデフォルメや極端なのはあるけど、それはそういう意図だとわかるしな。
#とと姉ちゃん 今回は常子の承認欲求が満たされただけと言われてるけど、そもそも彼女、誰かにわかってもらうこと、状況を変えられない感情論を繰り広げることに対する親和性はすごく低い性格してるから承認欲求さえあるか疑わしいよな。それこそ10歳でまりちゃんに「冷たい」と泣かれるくらいに。
#とと姉ちゃん 今まで玉置三兄弟、女学校、職場と、歯切れが悪い解決しかなく、かつ、物語のテンションが常子のそれと一致している→ととであることに関わらない、邪魔しない人間は基本的にどうでもいいくらいに彼女が思っているのか。ととであることの業とは何か描こうとしてるなら、本当に怖いな。
RT そそ、常子が褒められたがってる、承認欲求みたされてよかったね…じゃないだろー!って意見も見るけど、常子は芯に非常に強固な自己肯定感を持ってるのでむしろ承認欲求とは無縁なんだよね。ただ褒められたがってるっていう解釈(私は誤解だと思う)を生む描写になってるのは問題なのかな?
給与袋抱えてびくびく挙動不審な帰り道、よかったよ。それだけ常子にとってはうれしくて大事で、大金で、まだ「その金額にふさわしい働きをしていない」人の動作だったと思う、初任給って誰でもそういうものだよね。胸を張って平静にお金をもらい運べるようになるのは、もっと後のこと。#とと姉ちゃん
常子がかわいそう、いいや常子はダメ新人で、かわいそうなのは早乙女さんだ、いいや早乙女さんのやり方だって褒められたもんじゃない、などなど紛糾するのは朝ドラTLらしい風景ですが、男子社員どうなのよ、とか、そもそもこの会社どうなのよって声は意外に少ないあたり、目に見える対立のむなしさというか真の問題点の根深さというか。
しかし、タイプ室騒動のどこに一番関心を持って見ていたかにせよ、常子が部長に褒められて一件落着って何じゃそりゃ?! というのが視聴者の多くの感覚であって、そこで「何じゃ、この適当な脚本は」と憤慨・失望するか、「ということは、のちに続く問題なのね」とか「これこれこういう解釈なのね」と考えを巡らすか、どんな反応もそもそもの視聴スタンスに拠るところが大きいんだろうなーとは思う。もう9週目だから、視聴スタンスってだいたい決まってるのよね。
「ドラマの行間を読むことについて・読めるドラマ/読めないドラマの差」みたいな論も、今週のTLでけっこう見たけど、それも視聴スタンス大きいよね。要は、そもそも好意的に見ていれば行間を読もうと努力したり、もともと肌に合う作品なら強いてがんばらなくても何となく行間が伝わってくる気がしたり(それが作者の意図と合致しているかどうかは別にして)。反対に既に懐疑的に・否定的に見ていれば、何でこっちががんばって行間読まなきゃならんのよと思ったり、これだからつまらない・拙いという方向性の行間を読んだり。
物語は受け手のものだなーとつくづく感じます。
どっちが良いとか悪いとかいってるんじゃないよ。どんな感想でも、それが感想だから。もちろん感想の受け取り方も受け手のものだから、感想に対する感想もいろいろ出てくるわけですが。
おもしろいです。