『とと姉ちゃん』 第9週 「常子、初任給をもらう」(下)ツイートと追記:不完全な作品が提示するもの
「雑用問題」での早乙女と常子の意見対立エピは「テーマとしてここでも提示するけど、本質的な解決はもっと後になるのでこの話はいったん終わり」という事で「課長コメディ」「いい感じ音楽」「強引な仲直り」は、不自然さは百も承知の苦しい演出なのだろう。かなり好意的な解釈だが。 #とと姉ちゃん
RT そうだね、解決よ♪ってていの演出・音楽にしてしまうからいけないのかも。思いきって「ここでは解決はしないのよ」って演出にもっていけば……それはそれで非難を浴びそうだけど私はOK(笑)
すき焼き独占するなら代わりに菓子折りくらい用意すべきというツイート。すっごい!! 朝ドラはここまでマナーを徹底しなければ指摘されるのかと感嘆! でも奥さん同士のリアルな井戸端会議なら言うかもね。「あれ一緒に食べるでしょ普通」「じゃなきゃ菓子折りは必要よね最低限」 #とと姉ちゃん
うーん、今週は脚本の意図と演出とがかみあっとらんのかな。今日の話は、初任給もらったんだから、家族水入らずで祝わせてあげたいという森田屋の女将が気を利かせるんだけど、やっぱりすき焼き美味しそうって笑いどころの話なんだが、なんで一緒に食べないのってやはり思っちゃうよね #とと姉ちゃん
昨日の男社会の変わらなさという問題提起は、下っ端で人間とも思われてない女性たちががんばってもどうにもならないので、将来、常子が作るであろう会社の理想に託されるのではという期待と信頼を私は持ってるよ。ととが家庭に小さなユートピアを築いたみたいに。 #とと姉ちゃん
昨日の紛糾を思うと、制作側は表現したいことを盛り込みながらも、わかりやすい円満解決を毎週求める視聴者層(高齢者?)のニーズも満たす作品づくりを求められてるのかなぁと勘ぐったりする。「手書きでもタイプライターに劣らず読みやすい」は?だったけど、そのへんの層にウケそうだし。
#とと姉ちゃん すごい。絶対に安易なカタルシスはやらないという脚本なんだな。早乙女さんは確かにもっと報われて欲しいけど、あの一連の流れは中小企業あるある。下っ端は色々あーでもないこーでもないってすごく考えてても上の一言であっさりひっくり返る。何度見たか...→
#とと姉ちゃん で期待しているのは、?どのような家庭環境にあっても、自分自身に正直に誠実に生きていくことの大切さ、喜び悲しみ。?人間らしく生きていくことに性別は関係ない。性別で優劣が決まる訳ではない。この2点。現時点でもそれらを匂わせているけど、雑誌制作で深まるといいな
RT そうだね、良い母であるべき、良い家庭を、良い環境を作るべきではなくて、「どのような家庭環境にあっても」が本当にポイントで、現代にふさわしいメッセージ性の朝ドラだと思う。それをドドーンとわかりやすく押し出さないのは脚本家の照れや羞恥心もあるのか、演出の問題か #とと姉ちゃん
総集編というか骨休めって感じの回だったけど、たっぷりのすき焼き、ハムレット、デパートでの食事、鞠子もパーマネント、そして末娘も本役になり、季節は春。まさに花開かんとする時期の三姉妹・・・戦中期に入る準備が着々やん・・・ #とと姉ちゃん
話の展開への不満とは別に、常子の行動やキャラクターがようやく掴めてきた。常子には「とと」として金を稼いで家族を支えることが大切で、だから早乙女さんたちよりも強い。学校や会社の社会集団から距離がとれていて過度に依存しない。現代人の逆でここに批評性を感じる。#とと姉ちゃん
>RTs うーん、しかし創作作品への基本スタンスが好悪であっても悪いわけじゃないから、「好き。なぜなら…」とか「嫌い。なぜなら…」的な意見になるのは自然じゃないかな? たとえばあさ来たが大好きな人たちは強いてあさ来たへの批判的視点を持とうとしていたかな?
ねじまげる以前に、黒か白かという判断も、そもそもは主観じゃないのかな? 大勢の人がそう言っていたら、黒(白)で正解なのかな? 難しいですね。
もちろん、作品としての巧拙を問うのもひとつの視聴スタンスだし、誰の頭にも無意識にそういう観点はあると思います。自分が好きなものは巧い、逆に嫌いなものはヘタくそ、という感覚もあったりすると思うし・・・
「これはこういう意味なんだよ」というのは、肯定的な解釈も否定的な解釈も、「私はこう思う・思いたい」と言っているわけで、それが作品への感想というもので、「だからあなたもこう思え」じゃないから納得できなくても全然OKで。もちろん押しつけられて不快と感じるならブロックできるわけで。
そしてオープンSNSだから、感想に対する感想を抱くのも当たり前なので、人の感想に対して「納得できないよ」な感想もOKだし、それに対して「納得しなくてもいいんだよ」って感想も出てくると(笑)。もちろんいさかいは無益だと思うのでそこは大人の良識とツイッターの機能駆使で…
たとえば好きな芸能人が非合法な薬に手を染めたとする。それは社会的には「黒」ですね。じゃあ「それでも好き」と思うのは、ファンかな。信者かな。
信者かもしれないけど、それを他人が「悪である」と言えるかな?もちろん、「薬やってもいい」といえば社会的には悪だけど、「それでも好き」な気持ちは?それを黒、悪と言うならば、それも「主観」かな、って思う。
いや、というか、「黒を白と言うならば」という前提の、黒か白かを判定することができるのは、誰?
いや、そもそも、黒か白かを決めなければならないのかな?と思っているのだった。こないだ友だちとも話してたこと。黒か白なんてない。その合間に無数の濃淡のグレーが存在しているんだ、と。物語の解釈も、まさにその類のものでは。
二項対立は、現代を生きる私たちがもっとも避けなければならないもののひとつですね。
罠なんだよな。専業主婦vs働く主婦。子持ちvs持たない。郵政民営化か否か。安保に賛成か反対か。あさイチの特集じゃないけど、二項対立にすることで番組が作りやすいとか世論を誘導しやすいとか。わかりやすいように見えるけど、現実に二項のどちらかが正しい案件ほとんどゼロでディテールが重要で
「議論を二項対立にもっていくと絶対に答えは出ない。けれど問題についての情報をたくさん仕入れて知識を増やしていくと、二項対立は消えていく。その対立で隠されていた真の論点が見えてくる」。と、哲学者の國分功一郎さんが書いてたね。
小橋家だけのすき焼きのシーンは、小橋家が森田家にお世話になった当初、森田家とは別の食卓で質素な食事をすることから始まった子供時代を閉じる、閉じカッコのようなものなのでは。#とと姉ちゃん
閉じカッコ、うまい。
森田屋の人達とすき焼きを食べないの、あら!とちょっと面食らったけど、自分が森田屋の人だと想像したら、女学校出たての家族を支えるんだ!って息巻いてる17歳の女の子が初任給で買ってきたお肉は尊すぎて、ご相伴に預かるのは恐縮するかも。まつは大人で常子は子供ですから。 #とと姉ちゃん
ていうか、好きな人が「好きだ」「ここがいい」と普通に感想言い続けてるのを、自分が批判サイドに立ってるから「擁護派」に見えてるのでは? 声高に、ってなんじゃ?
TLの景色も自分の目で見た主観だよね。同じタグで同じTL見てても、自分の立ち位置・視点で全然違うものに見えると思うよ。
批評や感想っていうのは、常に受取り手が自分であるという事実からは逃れようがない。だからそれが批評対象の問題なのか、自分自身の問題なのか混同しがち。別に混同したって良いんだろうけど、自分の問題に過ぎない事を制作サイドの問題にされても困っちゃうだろーな
とと姉ちゃん、今週の展開にはいろいろと???だけど、制作側が理解させなければならない、とは思わないな理解できる・できないは視聴者側の価値観・経験にもよるし…好きな人は好き、嫌いな人は嫌い、というだけじゃないの
グチャグチャになった偽物のピカッツァの絵が小橋家の宝物になりました、紙の桜が小橋家のかけがえのない思い出になりましたっていうのをずっとやってるので「いびつなドラマですけど好きだった人には大切な作品になりました」という主語の小さい話になった方がこのドラマには合ってるかもなー
予告を含めなくても情報がむちゃくちゃ多かったなあ。要は個がシステムに統制されるってことだけど、そこに「家長」もかぶせてくるのがこのドラマだね #とと姉ちゃん
美子も本役になり、しかも鞠子の相楽樹ちゃんに続いて朝ドラヒロイン感にあふれる杉咲花ちゃんがキャストされてることで、どうしたってフレッシュさは通り越してる(女優としてのキャリア感がある)のが常子に充希ちゃんをキャストしたポイントなんだなってハッキリした感じ。#とと姉ちゃん
「#とと姉ちゃん として家族を守りたい」を身上に生きてきた常子が、「守れてよかった≒あなたを守りたい」と示されてホワンとなるのですね。守られる甘美さを知った常子はその思いをどう手放すのか…(いや手放すとは限らないけど)
星野が「性行為」と言葉にした瞬間、常子は息をのんでるんだよね。その生々しい言葉があっても常子は嫌悪感を抱かずホワン化した。たとえ語彙の説明でも、相手次第ではその言葉が出ただけでズササササーッて引くよね気持ちが #とと姉ちゃん
んで星野が「間違った言葉遣いの方がよっぽど風紀の乱れに」と。現象→言葉じゃなくて、言葉→現象に発展する可能性の指摘。性行為って言葉がさ、星野は「そういう関係じゃない」と言ったけどむしろ常子には「そういう可能性」を認識させたんだよねそしてホワン化してる(嫌がってない)#とと姉ちゃん
んで世間では乳繰り合うなんて言葉で弾劾して統制したり、「神国日本」「兵隊さんは頑張ってるんだから」「辛抱しどころ」なんていう「言葉」でもって、戦争に突き進むという現象を作っているんだよね。個人レベルでは誰も悪気はなくむしろ前向きにいこうとしてるだけなんだけど。 #とと姉ちゃん
全体の利益のため個人が抑圧される・システムのための個と化す悲劇。その1つが戦争なんだけど、そこで「言葉」がどういう役割を果たしてきたか?という視点が #とと姉ちゃん の戦中期の鍵になるのかな、って。繰り返されてきた「本物と贋物」を戦中期に「言葉」についてやるってすごく興味深い
道で話してるのを「乳繰り合う」なんて強烈な言葉で批判するのも、「神国日本」なんて言葉で崇めるのも、本当はイヤと思ってるのに「お国のため」「ぜいたくは敵」なんて言葉で我慢し鼓舞するのも、同じなんだよね。ニセ物の言葉によって個が自らシステムに協力し現象が作られ進んでく #とと姉ちゃん
そして #とと姉ちゃん 常子は美子に口うるさく。自分も劣等生に近くて勉強の大事さなんてホントはわかってないくせに、深く考えず「家長っぽい建前」を言葉にして自己満足してるというか。ニセ物の言葉だよね。鞠子は言葉を深く追求する学問をしてるけど、戦争期は文学者も言葉で戦争協力したよね…
乳繰り合うとか性行為とかいう言葉を朝ドラで使うのが不謹慎だ、敢えてその言葉をチョイスしなくても描けるでしょ?みたいな意見が視聴者から出るとしたら、それも、これからドラマで扱う「言葉の問題」の俎上に上げられるトピックになるから面白いな、と思う(タグはまだ見てない) #とと姉ちゃん
「戦争はダメ」という願いは1つだけど、戦争にまつわることをどう描くかって、作家にしたら自分が問われる感あるだろうな。作家性が全開になりやすい部分だと思う。カーネーションもごちもマッサンもそうだった(花アンの戦中期を見てないのが残念)。#とと姉ちゃん はどうなるかほんと興味深い
誰か、「朝ドラの戦争描写について」各作品を考察するまとめ作ってくれないかなー。カーネの戦争期については以前tenkoさんが連ツイされてた考察がすばらしくて・・・あれはどこかにまとめて掲示しておいてほしい!
とと姉ちゃんは自分も脚本と演出の相性の悪さを感じてる。西田さんの脚本を生かしきれてないように思ってたんだけど、この前のためラジで脚本はある程度のところまでであとは制作に任せてくれと言われてるとか(うろ憶え)言っていたので、そのせいもあるのかと思い始めた
あとだいぶカットされてる気もするんだよねー演出が切ったところに西田さんの大事な部分が書かれてるんじゃないかって穿った見方をしてしまう…
私は脚本家のファンなので、あまり演出の責任を言うと、人のせいにしたらあかんでと言われそうで控えてたんだけど、どうもなあ…。まれもだいぶいろいろ言ったけど、ただ脚本家さんが悪いとは思えなかったのも確か
花アンも中園さんが書いてるかと思いきやPが書いてたって話もあったし、スタッフの個人名出しての批判は、的外れになりそうなんだよね
RTs そうなのか……今作に限った話じゃないんだろうけども……
今週の隠れテーマは「星野さんの春の目覚めをいかにこっそり生々しくちょっとキモく描くか」だと思ってたのですが、土曜の今日は派手にかましてきましたねwwwあの手つきときたら!坂口くんて上手いんだなぁ。あと「乳繰りあう」は朝ドラNGじゃなかったんだ!という純粋な驚き。 #とと姉ちゃん
2年半でタイプ室にとっていなくてはならない存在に…というわりには、資料整理ばかりお願いされてる常子はタイプ自体の技術は勉強と同じく芳しくないと見た。資料整理や資料まとめが上手いというのは編集向きなんでしょうね。 #とと姉ちゃん
#まれ の篠崎さんもそうだったと思うんだけど、#とと姉ちゃん の西田さんも、何か今までの朝ドラにはないことを、やろうとする意欲は感じる。でも演出側は、なるべく従来の朝ドラの枠に落とし込もうとしてる。だから、話にちゃんとオチがついていないという印象を、与えているんだろうな。
RT いくら東京の、高給取りの職業婦人とはいえ、昭和10年代だから。コムサもユニクロもないし、ボロボロにならない限り、そうそう新しい洋服をあつらえる・買う感覚はないのでは。それこそパーマ敵視や、国家総動員法など「ぜいたくは敵だ」ムードも出てきてる時局ですし。#とと姉ちゃん
洋服は高級品で既製服はほとんどなく、生地を選ぶことから始まり、しっかり採寸・縫製してあるだろうし、そうやって大事にあつらえたものは大事に着るだろうから、2,3年ではヘタレなかったと思いますね。少々の綻びなどは当然、修復して着るだろうし。 #とと姉ちゃん @mela_verde
予告で見るかぎり(予告からの推測ばかりですいません)、職場での男尊女卑問題を先送りにしたことが、最悪の形で結実しそうではある。安易な問題解決風にしたのは、そっちを強調したかったからかもね。かと言って、常子たちがその問題をあの時に解決できたとは思えないので、やはり運命なんだろうな。
多分、竹蔵が、常子に託した「とととしての役割」って「稼いで食わせる」ことではないんだよね。結局、今の段階では常子の自己満足でしかない。職場の順調さってのも恐らくそれと呼応していて、そっちもやっぱり常子の自己満足なのかも。もっと言うと、星野とのことも常子の先走りだし。
昨日の「給料で家族に肉をたべさせる」「デパートに連れて行く」っていう幸せの描写が、「権威を笠に着る」「家長として説教くさくなる」という描写に転じるまでわずか24時間。今は恋愛と仕事の順調さに隠されているが、戦争の足音とともにその権威も瓦解していくことが暗示される回だったと思う。
常子のやっていることが間違ってるとかではなくて、行動の一つ一つは立派だし、周りも喜んでくれるし、良い影響を与えてもいるんだけど、人生や世の中はそれだけじゃないよ、裏目に出ることもあるし、どうしようもなく悪い結果に繋がることもあるよってことなんだと思う。そこがドラマの奥行きになる。
つんが前作の主人公だったら「人にもの頼んどいてお礼のひとつも言われへんのだすか!」⇒勧善懲悪視聴者スッキリ☆って気持ちのいい展開にできるんだろうけど、おなごとはいえ権力者側の人間で言いたいこといくらでも言えるあさちゃんと違って雇われ労働者のつんにそれはできない #とと姉ちゃん
つんレベルに扱われて初めて「おなごが働くいうんは大変なこと」っていう言葉に説得力が出るよねパチパチタイプ弾いても誰も「格別なおなごはん」だなんて言ってくれないから、技能を持った小間使いって扱いに抵抗して鉄の女と化したであろう早乙女さんの努力を思うと泣ける #とと姉ちゃん
#あさが来た のハリウッド映画的なわかりやすさや爽快さに慣れてしまうと、#とと姉ちゃん は冗長でつまらなく感じるのかもしれないな。単館上映系映画的な割り切れなさは確かにあるけど、丁寧に良く作ってあると思うよ。前作は好きだけど今作と比較する気にはなれないな、方向性が全然違うから
人って嫌いなものについて語るときに人間性が出るんだなと感じた昨日今日の #とと姉ちゃん 感想 私も気を付けよう
ははっ。自戒……
#とと姉ちゃん って、みんなができそうで、でも実際にはなかなかできないことがてんこ盛り。普通の暮らしを極めていくと、女性の雑誌創刊者っていう普通じゃないところに行き着く
ゆとりですがなにかくらい上手く作られていたら、単館的割り切れなさも広く受け入れられるのかも。わかりにくい表現をハリウッド的割り切り解釈して激昂している人は、激昂してしまう記憶があるのかなと思う。それくらい仕事における女性蔑視はあの時代ではなく現代の話なのだろう。とと姉ちゃん
う〜ん、とはいえ社会人なりたての常子にどうしてそこまで清さや正しさを求めるのかしらと感じられる感想もある。暮しの手帖は美しく慎ましい理想郷という雰囲気もないではないが、ガチな製品比較などとても生活に根ざしたたくましさもある気がするだけど。表現が上手くいってないのは否めませんが。
何度も書いてるけど、そしてツイート見れば一目瞭然だけど、私はこの物語の底に流れるもの、提示したいもの(と私が想像しているもの)が好きで、今2016年の日本の朝ドラでやるのがとっても意義深いと思っているので、基本的にとっても好意的な目で見ています。それを「好きだからって下手くそなものを褒めるなんて」とか「こんなものを擁護して」と言われると、えーっと好きなものは好きですが好きって言っちゃダメですか? 嫌いなものを嫌い、と言うのとどこが違いますか? と思うんですが、それはそれとして、批判意見には、「あー、そういうふうにとる人もいるだろうなー」と思ったり、確かに演出がちょっとねーってところもあったりします。
こういう不完全なドラマって価値があるなーと思うのは、感想が賛否両論・百花繚乱で、そこに、その人のものの見方や考え方、経験論が色濃く反映されるんですよね。たとえば『真田丸』のタグでは、ドラマの面白さにしたがって、あらゆる面で鋭く、深く、ウィットに富んだ感想が飛び交っていて、これも読んでいて読み飽きないのですが、ほとんどが好意的スタンスに立ったものだし、何せ物語の強度がすごいので、その人自身が見える余地はほとんどありません(せいぜい、この人いつも文章がうまいなーとか知識が豊富だなーとか読解力すごいなーとかいうぐらい)。あさ来たもまあ、皆さん割と似たような捉え方をしてるんだな、という感じで、それとは違う捉え方をしていた私としては、刺激されるツイートは相対的には少ないものでした。
そこへいくととと姉ちゃんは、これを見てそういうふうに感じる人がいるんだねー、とか、私はこう解釈したけど同じ人けっこういるねとか驚くほどいないねとか、とにかく「へぇーっ!」と思うことが多いです。そしてそこから考えが広がることが多いです。私は情報番組ってほとんど見ません。あさイチもワイドナショーも、ネットのナントカ小町もほとんど興味がありません。でも世の中のことには興味があります。私は、物語を通して世界を見て考えること、そして物語への感想という媒体を通じて意識的・無意識的に披瀝される、人々の価値観や、それが束になった世の中の傾向を感じ考えるのが好きなのだと思います。