#とと姉ちゃん。正直、先週は脚本の達者でないところ&朝ドラ最終盤の難しさが前面に出ちゃってた気がして、最終週ではこのドラマのすてきなところを存分に見たいなと思うけど、いいとこもそうでないところも、ごった煮状態で最終盤に表れるのを堪能するのが長編ドラマの最期の醍醐味かも。
感情移入して半年なり1年なり見てきてたら、最後には何が来ても「あーこれこれ、こういうところ、このドラマらしいよね。こういうのももうすぐ見納めなんだね」って感慨深くなるような。
鞠子と2人で仏壇前のシーンは初めてだったね。君子亡きあと、この家の主婦としての大黒柱は鞠子なんだよなーとあらためて。「常子の相方は花山」だけど、常鞠コンビも大好きだったのでうれしかった。鞠子の支えがあってこその常子の活躍。2人きりのシーンはこれが最後かな #とと姉ちゃん
常子自身が言うとおり、在宅勤務がすべてを解決するわけじゃない。でも何か始めないと変わらない。ヒロインが魔法のような策で皆を救うのではなく、「それぞれの暮らしを大切に」という目的のためできることを考えてやってみて試行錯誤しながら進んでいく。現実的なプロセスを描くのね #とと姉ちゃん
栄養不足で痩せていた茜が元気に成長し結婚出産して、今は食べるものはたくさんあっても夫が多忙で不在がち、娘と2人じゃ寂しいからと実家にしょっちゅう来てる。花山は体を壊したことで家族の団らんを取り戻した。いろんなことが変わっていく中、立ち戻るように広島に向かう花山 #とと姉ちゃん
あー。やっぱり流れてきた。スタパとかあさイチのゲストって基本的に好きな人が見るもんだろうと思ってるので、ケチつける気まんまんでわざわざチャンネル合わせて怒涛の勢いで実況やらRTやらしている人にはおどろく。ま、アンチの典型的な行動なのかも。おつかれさまですよ
あー。やっぱり流れてきた。スタパとかあさイチのゲストって基本的に好きな人が見るもんだろうと思ってるので、ケチつける気まんまんでわざわざチャンネル合わせて怒涛の勢いで実況やらRTやらしている人にはおどろく。ま、アンチの典型的な行動なのかも。おつかれさまですよ
暮らしが一番大事なんだ、もっとも守るべきものなんだと言い、妻子や孫とのささやかな幸せがすぐそばにあるのに、爆弾のような病を抱えながら死ぬまで編集者でありたいと言い切る。人は矛盾した生き物ですね、何かを為す人は業が深いですね #とと姉ちゃん
取材は無理だから読者原稿を募集。本物が無理なら次善の策という #とと姉ちゃん 頻出のモチーフだけど、なぜいきなり広島か。なぜせめて企画を常子には相談してから行かんかね。と思うけど、常子も自宅勤務の案、黙ってたもんなあ。何十年経っても人はするっと最善には辿りつけないんですね
Pは政治色は抑えたいと言ってたらしいけど、世情がこんな中「嘘みたい、バカみたい、騙されないように」という言葉を劇中で書けるのは、原文があるからかもなあ。行進し旗を振る「子ども」たちと千人針を刺す「女性」たちの記録映像。唐沢寿明の力のある演技。結構がっつりやった印象 #とと姉ちゃん
“戦争中の人々の暮らし”企画。一見、過去に立ち戻っているようだけど、「女性がより働きやすい職場を」と考えた常子と同様、見据えているのは現在と未来なんだよな。歴史を見つめなおすのは永久に戦争をしない未来のため。しかも、与えられた歴史ではなく自分たちで語る歴史。#とと姉ちゃん
戦争中の暮らしを記録し、当たり前の暮らしの大切さを伝える。もう二度と、騙されて、嘘みたいな馬鹿みたいな戦争をしないために。滝子が「40年、50年先に生きる人のことを考えて仕事を」と言ってたよね。昭和48年の40数年後が現代なんだなあ。#とと姉ちゃん
48年に入ってからの常子の細かい老け演技、すさまじいレベルだと思う。
RT そそ、わかりやすく声のトーンを下げるとかゆっくり喋るとかじゃなく、細やか?にやってるよね。綺麗な中年・お年寄りじゃなくて、快活に働く女社長なんだけどもっさりした感じに寄せていってるのがさすが。体も相当丸く見えるように何か来てるんだろうけど、若いのによくやるよ。#とと姉ちゃん
あー、常子の老け演技が絶品で、思わずリピートしてしまった昨日今日。高畑充希おそるべし。そして2回目見ると、当たり前だけど唐沢寿明の演技もすごいな。花山も昭和48年から超老け演技になってる。 #とと姉ちゃん
かつての広告事件の話をしながら、今また3姉妹がちゃぶ台で雑誌作りの作業をする。戦後まだ事務所もなかった頃や、さらに昔の歯磨き作りでの3姉妹の作業風景を思い出す。もう君子は亡く、花山も病床についている。長い月日が流れたからこそ、いま再びのちゃぶ台作業が尊くて泣けたわ #とと姉ちゃん
今号は丸一週間やってほしいくらいだけど諸々検討してこの尺なんだろな。ただ、花山が読み上げる読者の原稿(ここで既に涙)。戦争を経験し50代になった3姉妹の作業を経て、映る誌面の戦時中の写真やバックの音、「町がもっとも苛酷な戦場」の文章など。抑えた表現だけどよかった #とと姉ちゃん
今日も常子の老け演技が絶品。超クセになる。先週の録画も全部残しとけばよかった。若い朝ドラ・大河ヒロインは、声の高さや喋りのスピードで中高年を表現することが多いけど、ちょっとした表情・仕草や話しぶりなどディテールで魅せる高畑充希。土曜日あたりにもっと老いるのかもね。#とと姉ちゃん
昭和後半の50代、創業女社長。老人ではないよね。高畑充希はキムラ緑子ともよく飲むらしいし、50代の雰囲気は参考にしてるかも? 飾り気なく自信があり快活。でも、上半身の動きに下半身がちょっと遅れるとか、喋るとき額に皺が寄りやすいとか語尾がバサッと切れるとか。#とと姉ちゃん
今日の #とと姉ちゃん はすごすぎて、「何も言えねぇ」気分…!
常子が「もし亡くなったら私どうしたら」と不安を吐露できたのも衝撃だったが、花山の「大丈夫だ」という返答の優しさと強さに泣いた。この「大丈夫」は気休めじゃなく、常子への、そして読者への揺るぎない信頼から出ている言葉なんだよね。なぜなら死後に掲載を頼んだあとがきに(続 #とと姉ちゃん
承前)花山は雑誌を紹介してほしい、と読者に頼む。花山が「自分の死後も雑誌を頼む」と願う相手は常子であるのが自然なのに、読者に頼むんだよね。読者を信じてるから頼める。読者を信じてるから常子に「大丈夫」と言える。そしてそんな読者を育ててきたのは常子であり花山。この均衡 #とと姉ちゃん
「花山の代わりは誰もいない」ほど大きな存在だと今週も描いてきたのに、常子が花山の代わりをつとめなくても大丈夫、常子自身の考えで大丈夫だし、常子が作ってきた雑誌には百万の、共に旗を掲げる読者がいるんだし、花山は常子に宿って一緒に悩んでくれる。ここまできたのね。泣くわ #とと姉ちゃん
花山がいなければあなたの暮らしは作れなかった。でも常子がいなければ花山がペンを握ることはなかった。そうして作った雑誌に百万の読者がいる。一冊一冊、財布からお金を出して買ってくれるから、広告収入のない雑誌を作り続けられる。常子と花山と読者の、この永遠のメビウス感! #とと姉ちゃん
常子はもう誰の代わりにもならなくていい、でもそれは常子がここまで走り続け、積み上げてきたものがあるからなんだよね。雑誌には読者がいるから、常子の肩には花山が宿るから、花山を失っても大丈夫。そのことを最後に花山が教えてくれる。熱い… #とと姉ちゃん
で、それを演じる高畑充希と唐沢寿明のすばらしさがね・・・すばらしかったよね。ものすごく静かな回だったよね。#とと姉ちゃん は静けさがすばらしい。いつもそうだね。
常子と花山はお互いにとって唯一無二の相手であり他人の入り込めない絆で結ばれた関係なんだけど、憧れや情はふんだんに盛り込みつつも、一滴も恋愛的なにおいを持ち込ませなかったこと、改めて心から称賛したい #とと姉ちゃん
常子が喫茶店で花山に迫る回、バラックで私となら雑誌を作れますと言い花山が決意する回、そして今日、2人の別れ(多分)。この3回で、中の人は親子ほど年の離れた2人がベストバディであると如実に表現してくれた。男女も上下もなく拮抗した関係性なんだよね。すごいべ高畑充希。#とと姉ちゃん
放送前はさすがに年の差ありすぎではと思ったけど、花山を演じるのは唐沢ほどの本物感ある俳優じゃないといけないし、唐沢寿明とバディるなら高畑充希ほど達者じゃないと無理。で、この2人だから男女の性が一切匂わないバディが表現できた。2人の繊細かつ力強い演技。すごいもん見た #とと姉ちゃん
「君は27年一緒にやってきて、だいたい僕の考えと一緒だよ。君の考えだけでやっていけるだろうけど、悩んだ時は君の肩に語りかける。君に宿ってやるから」これは武蔵の「ととの代わりになってくれ」の反対なんですね。誰かの「代わり」じゃなくて自分自身の考えでやっていけるのだ。 #とと姉ちゃん
花山が死をほのめかすような発言をした瞬間の常子の表情が例によって素晴らしかったなあ。ほんと震えがくるくらい。今週は高畑さんの集大成でもあるね。
常子と花山の、恐らく最後の場面に妻の三枝子を居合わさせたのも良かった。三枝子は花山と常子の関係をどう見ていたのだろう?という余韻があるもんね。
#とと姉ちゃん 花山伊佐次は決して常子に俺の代わりになれとは言わない。ありがとうと言って、ただ手を振る。死んでも君のそばにいると言った。それは常子に常子のままであれと言う事である。花山姉ちゃんになるなと。とと姉ちゃんはととの呪いを受けた少女の物語である。花山は常子を自ら解放する。
RT うんうんそうですよね、って感動しながら、「花山姉ちゃん」にじわじわきてるw #とと姉ちゃん
竹蔵から常子への「遺言」を、自分は単純な「呪い」とは捉えてなくて、それはやっぱり「祝福」でもあったと思うんだよね。「とと役」は、大変なことも多いけど、普通とは違った素晴らしい景色も観れるよ、っていう。実際、常子はそういう「素晴らしい景色」を観たと思うし。
逆に、よく言われる「そのままのあなたでいい」って言葉が祝福ではなく呪いとして機能する場合もある。「そのままの自分って何?」「どうすればいいの?」って。「役」を与えられたほうが、上手く行く人も多いと思うんだよね。そういうことを、ドラマ全体で言ってる気がする。
「旗」が戦争の道具にも平和の象徴にもなるように、花山の言葉・ペンも戦意高揚と「あなたの暮らし」両方に使われた。「呪い」と「祝福」、「生」と「死」も同じことで、結局は同一の物事の両面でしかない。両面でしかないんだけど、それをどう意思的に利用するかはその人次第なんだよね。
「すばらしいものが見える気がした」という理由で、禁止されていた物干し台に上った子供時代の常子。ととは彼女に、「常子は、すぐに妙なことを考えては行動し、周りが見えなくなるけど。その発想力と、集中力は、すばらしいと思います。」と、そのままでいてほしいとその時に常子に約束させてた
>RT そう、竹蔵の「遺言」、常子が「ととの代わり」になること、常子が「素晴らしいものを見ようとする」性格を持ってることがセットなんだよね。それがあの物干し台のエピソードや「代用品」の桜のエピソードと連動している。常子なら、どんな人生にでも「美」を見つけてくれるだろうという祝福。
常子さんどうもありがとう、花山さんがありがとうって...これ、「私となら理想の雑誌が作れます!」と言った常子へのアンサーなんだな。27年かけて伝えたアンサー。 #とと姉ちゃん
宿ってやるからという言葉は重い。場合によっては残った人間を縛りもするが、いまの常子に花山が掛ければ支えの言葉になる。受ける側の状況によって、意味が変わる。 #とと姉ちゃん はこうしたことの繰り返しなのかな。あなたが私になる、偽者でも本物になる、縛りは支えになる。解放は孤独でもある
とりあえず本編録画見た。昨日に続き常子の表情や仕草のすべてがツボりながら涙腺決壊・・・のあとで、花山よろしく水平にこだわって「よし!」の美子と、妙にぞんざいに花山を呼び出す常子に癒されたw あと平常業務遂行の阿川さんはまったく違和感なかった #とと姉ちゃん
横たわる花山の顔をのぞきこむとき、美子もすんごい顔してた。そこからわっと泣き出すところもすばらしかった。杉咲花さん、感情をためこんで爆発する演技がすごくうまいんだね。ただ叫んだり泣いたりするんじゃなくて、見る方に突き刺さってくる演技っていうか・・・ #とと姉ちゃん
原稿用紙が何枚あっても足りない、花山から常子へのお礼は、最後の一行が空いていた。きっちり最後の行まで埋められる名編集者の彼がそうしなかったのは、病で力尽きたからじゃなく、書ききれない万感の思いをその余白に込めているんだろうね。予告で見てたフレーズだけど泣いたわ #とと姉ちゃん
言ってほしい人に言ってほしいことを言ってもらえなくても、それが親だったとしても、親でない誰かが代わりになることはできるのだと感じられた。親に言ってもらってない言葉はあるし、子供に言う前に自分が死んでしまうかもしれない。でもなんとかなるかも。そんな気持ちになった。#とと姉ちゃん
昨日、今日の終わり方がいい。ありがとうの言葉に押し出されて夜の雪の下振り返る常子の表情だけで花山との別れが分かった。インタビューで語る常子からは今後もあなたの暮しは続くということが読み取れる。全てを表現しないが先にあることは分かるという、余韻を残す終わり方がいい。 #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん 「ととの代わりをつとめてくれ」も「君の肩に宿ってやる」も言葉としては双方かなりの重量があるけど、その後「なんとなくとと姉ちゃんになりました」とか「肩のり伊佐次みたいなノリで気軽に話しかける」とか、直後にその重さをふわっと軽くするのがほんとうまいw
花山さんをカジュアルに召喚し編集以外のことで「どうしたもんじゃろのう」と話しかける常子、いいなあ。花山なら「知るか自分で考えろ」とか言いそうだけど、そういう「あまり役に立たない妖精」みたいな相手が必要なときって確実にあるよね #とと姉ちゃん
RT カジュアルな召喚w あまり役に立たない妖精ww いさじ、がんばww
プレミアムトークの充希さん、大きな仕事をやり遂げた朝ドラヒロインらしい、充実感にみちた雰囲気だったし、沼にハマりそうになった・脳が死にそうだったとも言ってたけど、合間にキャストらとふざけ倒してたという写真や動画に、しんどい中でも楽しみを作れる強さを感じたなあ #とと姉ちゃん
ドアに挟まるアドリブがことごとくカットされた唐沢寿明を笑いながら「かわいそう」って、あの若さでなかなか言えないよね、大ベテランに対して。それは生意気や不遜じゃなくて、#とと姉ちゃん のドラマ同様、ふたりが役者として対等で尊敬しあえる関係だったのを表してるようだった
第1話が、第1話よりさらに30年を経てリフレインされ、常子が駆けてゆく後ろ姿でのラストにカタルシスと納得感があったのだけど、竹蔵(慕わしい死者)との邂逅が「とても変わったものを見た…」という驚きでしばらく考えてて、竹蔵が思いもよらない激しさで泣いたからだと思った #とと姉ちゃん
↑文頭、第1話が、じゃなくて「最終話が」。書き間違えた
年とった常子が亡父に褒められ労われて子どものように泣く前に、竹蔵が激しく嗚咽するとは…。あの夢は常子の心象風景のはずなのに、まるで常子が竹蔵を救ったように見えた。「いくつになっても娘」のはずなのに、父があんなに激しく泣くなんて。竹蔵の涙には後悔と無念とが詰まってた。#とと姉ちゃん
本当につらかったのはととの役を託された常子ではなく、ととの役目半ばで去らなければならなかった竹蔵だったのでは?と思った。確かに平坦な道じゃなかったが、老年になり振り返れば誰の人生もそうだろう。そして私が見てきた常子は平凡でも輝いてた。悩み考える時もつらい決断でも。 #とと姉ちゃん
死者がいつも見守ってくれるドラマはいくつも見たことがある。#とと姉ちゃん では死者の代わりに頑張った常子が、数十年を経て死者に労われるのと同時に死者を救ったのでは。悩んでもつらくても命は輝いていてすばらしい。死者には永遠に叶わないこと。遺った者が懸命に生きることで死者も救われる
生者と死者とが対等というか、遺った者がヘタでも懸命に生きることで両者共に救われる。こういう形で死者との邂逅を描くドラマは覚えがなくて、独特の死生観という気がする。それでいて、あまりに多くの突然の死があった現代日本で描かれるのは必然のようにも思う。#とと姉ちゃん
ととを頼んですまなかったと言う父に、常子は「ととじゃなくて、#とと姉ちゃん だ」と応える。ととになりきれない、ただの姉ちゃんでもない、時におしゃれおばちゃまだったりする妙なものが、常子が生きて作り上げたアイデンティティ。それが、花山や星野が敬愛を込めて呼ぶ「常子さん」だ。
考えてみれば、誰だって1つでなく、曖昧でもある様々な役割を生きている。妻や母といってもそれぞれにあり方は違うし、一人の人間が娘であり母であり妻であり、上司であり部下であり友人であり、ある人にとっては憎らしい敵かもしれない。長く生きれば役割は増え、変化していく。#とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん はどこまでも小さな物語で、人と人とに上下や優劣を作らずフラットだよねと思ってきたし同好の人々にも言われてきたけど、最後に生者と死者とまでがフラットになるとは思わなかった。見守られている暖かさとはまた違う、不思議な深みがあったなあ。と思ったらRTがまわってきて→
西田さんのインタビュー?で(ファボしそこねた…)8歳のときに2つ年上の兄を交通事故で亡くされたとのことだった。#とと姉ちゃん で西田さんに興味を持って放送中に出たインタ等はいろいろ見てきたけど、初めて見た情報だった。子どもの頃に突然の身近な死を経験した人なのだな…
平凡と書いたけど、周りに流されず、大切にするものを迷わない強さを持つ常子はやはり稀有な人だった。彼女が沈思黙考し、いろいろな人や場面をじっと見つめ、ときどき情熱的に語る姿がとても好きだった。それは高畑充希の演技あってこそ。常子に彼女をキャスティングしたPは大手柄 #とと姉ちゃん
脚本の根底に流れるものがとても好きで、現代にふさわしいと思うのけど、書き方なのか撮り方なのか粗削りな部分も。でもこのドラマを格上げしたのは高畑充希を始めとする演者の芝居であり、脚本演出の演者への信頼を感じる場面も多く、静けさや、静かな激しさが印象的なドラマだった #とと姉ちゃん
とにかく高畑充希の演技がすばらしくて、140字×何ツイあっても称えるには足りない気分です。超ハードスケジュールで順番もバラッバラに撮る長丁場の朝ドラで、映像による文芸作品のような繊細さ、複雑さ、そして情熱を見せ続ける芝居。いやうまいのは知ってたけどここまでとは… #とと姉ちゃん
高畑充希が24歳だと知って驚いたのが一昨日くらい。いや思ってたのと3,4歳しか変わらんかったけど、なんという若さ。彼女と仕事したいスタッフは大勢いる(しかも今作で増えた)だろうから今後も仕事には恵まれるだろうけど、いつかまた長丁場のヒロインでじっくりと見たいな。#とと姉ちゃん
常子が父との約束を胸に、子供の頃の目標をすべて叶えたのは立派なことだけど、それと並行して夢を叶えず家庭に入った鞠子や、夢と違う仕事をすることで家族を守っている星野のことも肯定してきたドラマだというのが #とと姉ちゃん の懐の深さだったなあと思います。
今の常子は幼子を残して志半ばで亡くなる若い男の無念をわかるほど歳をとったけど、その心の中には頼りになる大好きなととに褒めてもらいたい少女がずっと息づいている、という両方を感じる夢の邂逅だったのが本当素敵でしたよ #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん ととは願いだけ残して逝ってしまったから、常子は永遠にその答え合わせができないんだよね。けれど、これまでの人生で様々な人と関わり、様々な価値観を受け入れ、一人一人の「あなたの暮し」を肯定することを大切にしてきたからこそ、自分の人生も肯定できたのかな。ほんとによかった
#とと姉ちゃん 「多様性を肯定する」って言うのは簡単だけど、それを作品で表現するのはとても難しいと感じる。単なるどっち付かず、芯が無いとも言われかねない。とと姉は表現が(私にとって)違和感あるところもあったけど、根底に流れる、一人の個人を否定しない静かな眼差しがとても好きだった。
#とと姉ちゃん 夢枕に立つ早逝した父相手に(つまりは自問自答で)自分の役割が一段落したこと、自分の人生に悔いがないことを常子は再確認する。その孤独の荒野を思うと辛い。今思えば彼女に慟哭のシーンは殆どなかった。強い強い、類い稀なるタフなワーキングウーマンの物語だったのだ。
#とと姉ちゃん 自分自身の中で、自分の人生を捉え、評価し、内面に落とし込める常子の強靭さは間違いなく経営者のそれだった。朝ドラという枠のヒロインとしては、喜怒哀楽が薄く見えたかもしれないけれど、私はこの切ない女傑が好きでしたよ。
RT そう、常子は本当に、他者に流されず惑わされず、自分の大切なものを一心に大切にする強い人。だから大切なものを傷つけるアカバネ以外とは、三兄弟とも女学生とも鳥巣商事とも戦わなかった。人を羨まず人に同情もしなかった。やりっ放しだカタルシスがないと批判もされたし→ #とと姉ちゃん
→それがに愛されにくさに繋がってたとも思うけど、私含めて常子を好きな人はそんな常子が好きなんじゃないかな。そしてそんな態度は、情報が多く悪意も溢れ迷いやすく偏りやすい現代で大きなヒントになるように思う。常子は家族や仲間を大事にするけど自他の境界がしっかりしてるよね。#とと姉ちゃん