『とと姉ちゃん』 第12週 「常子、花山伊佐次と出会う」 (上)ツイートと追記: ひとつひとつ、すべてに意味があるねって
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常子も誌面の企画を考えるのはいいんだけど、そもそもどんな雑誌を作ってるんだろーか? #とと姉ちゃん
「人々の暮らしのために」以前にも滝子は言ってたね。常子は前の会社で「困ってる人を助けるため」雑用してた。今、大日本婦人会はお国のために活動してる。どれも、役に立ちたい・役に立ってるという自負のもとに為されてる。違いは何? 渦中にいながら見つけるのは難しいよね… #とと姉ちゃん
「若い女性が道の真ん中を堂々と歩くんじゃありません」朝ドラ名物、大日本婦人会の狼藉ここに極まれりw 笑いたいとこだけど、「ベビーカーが堂々と電車に乗ってんじゃありません」との相似を感じて、おおぅ…となってしまった。「私の勝手です」って返せないよ私…。 #とと姉ちゃん
店をたたみ去る人々、逼迫した経営状況、活気の無い深川、家族が外地へ。諸々の鬱屈を晴らすように大日本婦人会の活躍があり、負の連鎖…。今、役に立つって「明るい気持ち」を作ることかな。常子の再就職や仕事の話が青柳家の食卓を明るくしたように。綾が学生時代を思い出したように。#とと姉ちゃん
昭和16年。木材問屋は瀕死、米屋まで潰れる中、雑誌作れるの?って話。「少年倶楽部」は18年新年号もまだ誌面208ページ。衣食住等の物資は戦争に直接関わるため統制。そういうの正当化するため=間接的な戦争支援のためにも活字の流通は続いたのでは。花アンで詳しくやった? #とと姉ちゃん
女性が仕事で意見を求められることがなかったという描写のあと、大日本婦人会の女性逹を見ると胸にささるな...勿論全員がそうでないけど、ずっと外に向かって物を言わずにきた人達が意見する力をもった途端に強権的になった、そう見えてしまった... #とと姉ちゃん
道の歩き方にまでケチつけるのは、流石にいちゃもんだと思うけど、我こそ正義(大義)を体現してると信じて疑わない人たちにとっては、自分が気に入らない事象はなべて正すべきって意識なんでしょうね。 #とと姉ちゃん
人々がラベルで分断されて、本当の敵ではなく、身近な悪いことでもないことを敵のように扱い憎んでいく様子は、現代の見当外れな生活保護叩きや在日叩き、ゆとり叩き、若者叩き、女性叩きなどにとても似てるよね。不況の原因、生きづらさの原因はそこじゃない。 #とと姉ちゃん
RTs 先週もtamicさんが「#とと姉ちゃん は現代を描いてる」ってツイートしてたけど、ほんとそうなんだよね。
戦争ではメディアも画家も文学者も教育者も動員される。そうすれば売れるから、そうしないと潰される空気だから、時代の閉そく感を彼らも感じてるから。そんな相乗効果で熱狂が起こり戦争は遂行されていく。メディアや創作作品が勇ましさや綺麗ごとだらけになるときは怖いんだよね…。#とと姉ちゃん
常子、ケンカ騒動で会社クビに 『とと姉ちゃん』第十一週で描かれた厳しい現実と人間のたくましさ URL @realsound_mさんから #とと姉ちゃん
RT 「言葉使いがキレイで品のある小橋家とは育ちの違う人間が平気で出てきて両者が混ざり合うのが本作の面白いところだ。小橋家の団らんは朝ドラの典型とも言える箱庭的な世界観を構築しているが、だからこそ、その外側にいる荒々しい人間にも目が行くのだろう」 #とと姉ちゃん
RT 「こういう身も蓋もない姿を描くのかと驚かされる」「戦時下の過酷な状況でも人間は意外とたくましいということだ。戦争中でもビアホールに集う人々、ちゃっかり子どもを作っている富江と長谷川、多田の裏切りや闇商売業者も視点を変えればたくましいといえる…」 #とと姉ちゃん
雑誌ってこの時期に作れたの? 昭和16年はこんなふう? 婦人会は本当にこうだった? たとえ今作が嫌いで細部が気になってしまうからにしても、いろんな疑問を持つの有意義だよね。今わざわざ調べたりしなくても、いつかどこかで同じトピックに出会うときアンテナが鋭くなったり。 #とと姉ちゃん
RT うん、綾さんの手紙文すごくよかった。劇中で手紙の文章がすてきだとうれしくなる。そして美しい言葉遣いからのトホホめっちゃかわいかった! 綾さん、戦後はぜひ常子の雑誌に寄稿してー! でもトホホは確かにいつ頃からあったんだろ。多分考証してあるよね。教えて詳しい人! #とと姉ちゃん
綾さん名古屋にいたんだ!結婚して汽車で行くほど遠くの夫の勤め先に付いていった彼女もまた常子ifだったんだ。経営難に悩む清の姿も、もし常子が彼と結婚して青柳継いでたら隣で一緒にうんうん言ってた筈という含みを感じた。 #とと姉ちゃん
「共感」と、「あなたは私であったかもしれない」と想像する事は、実は全然違うものなのではないか。後者は意識して訓練しないと身に付かないもののように思う。
RT ああ確かに「あなたは私であったかもしれない」は共感と違うかもしれない。『ごちそうさん』の戦争が一番身にしみたのは、まさに「私はめ以子であったかもしれない」と思ったからだ。かっちゃんの志願を悩みまくって本人のためと思って送り出し失っため以子は私だった。思い出すだけで涙が出る。
とと姉ちゃん。常子ifを細かくあちこちに忍ばせてあって、リフレインも多いし、誰もが常子で常子は誰でもある、ような。私はあなた、あなたは私。「あなたの暮らし」という架空の雑誌名には結構こだわりがあるのではないかと思い始めたここ数週。
RT「ささやかな日常を守るために戦う常子の物語」だけど、暮らしの手帖は「わたしの暮らし」じゃなくて「あなたの暮らし」になるんだよね。「(第1週浜松時代に根ざした)丁寧で美しい私の暮らしを大事にします」じゃなく「あなたの暮らし」を常子は創刊する。ほんと重要な名前だ #とと姉ちゃん
「あなたの暮らし」には、森田屋の騒がしい暮らしやデキ婚や、まっすぐだけど悔しさを抱えて張り詰めてる早乙女さんや、弟を養うために必死で汚れた手に出ちゃった多田さんや、もっと違う世界にいるお龍のような人の暮らしも、みんなみんな含まれてて、肯定される世界なんだろう。#とと姉ちゃん
いじめる人たちの事情を一切見せないんだよね。それに不満がある方もちらほらTLでお見受けするけど、いじめられるときって相手の理由なんて全くわからないもんね。そこは徹底して相手の気持ちを見せてないなと思う<RT #とと姉ちゃん
とと姉ちゃんは、苛める相手に理由や弁明の場を一切与えないんですよね、それこそ潔いほどに。RT
高畑充希さんの大きな瞳が物語をうつすレンズの役割を果たしてるんだろうなぁ
まさかの火曜日から花山! しかもいきなり1億総火の玉! 唐沢オーラはもちろんだけど、ド直球の登場ぶりに「出版業界の戦争協力、そして戦後」を真正面からやるんだなーと見てても気合が入る。常子の「見る人」ぶりを発揮した表情もよかった。先々週くらいからターボかかってるなあ #とと姉ちゃん
「1億総火の玉」の前に「使って育てる代用品」を入れてくるのがね。やっぱり、それが通底音なんだなと再確認できる。ボール投げてくれる脚本だよね。今日、美子や、もっと小さい子たちの無邪気な姿もあっただけに、花山がどんな思いで今の仕事をしているのか、非常に気になるところ。#とと姉ちゃん
編集長で1回ボツになったのが覆された経緯に、なんかフックを感じた。空気を読んで?多数派につく社員。一度は「ご時世」を慮った五反田。彼の「美しい女性大好き」キャラも、“ミッチーだから” で納得はできるんだけど(笑)、どういう造型なのかまだよく見えなくて興味津々 #とと姉ちゃん
昭和16年秋。戦中っぽくない、のんびりしすぎって感想もあれば、綾さん夫の満州赴任、この時期にしては心配しすぎでは?って感想も。朝ドラ過去作を参照してる感想もちらほら見られる。いいねって思う。どんな疑問であれ疑問を持つこと自体が。#とと姉ちゃん
空襲が始まる戦争末期に比べ、昭和10年代前半から半ばってあまり知られてないもんね。この時期の生活はどうだったか、それは軍部や政治がどういう統制をし、いろんな立場の人がどう協力した結果か、そもそもなぜ戦争の方向に進んで引き返せなかったのか…知りたい考えたい #とと姉ちゃん
食料が配給になり、しかも欠配も出ていると美子の言葉からわかっただけじゃなく、あれほど品数豊富で豪華だった青柳の食卓さえ淋しくなってる絵面だけでもウワーと思うし、あの滝子が「口をつけた残り物だけど食べて」と言うなんて、もう相当だな、と思ったなあ #とと姉ちゃん
戦前、特に都市部では、豪華な食卓やデパートでのプチ贅沢を楽しめた人々もいる。それが配給になり欠配も…すごい落差。それを国民が団結して何年も耐えた。耐えるしかなかったんだろうけど、どんな気持ちだったのかなと思うね。スローガンに励まされたり拠り所になったりしたのかな #とと姉ちゃん
「日本が勝ったら戦争終わるでしょ?」と無邪気に言えてしまうよっちゃんみたいな子の裏には、それを信じさせる花山みたいな人間がいるんですよという話の組み方で、唐沢兄貴の背負ってる物語の重さにくらくらしますよ… #とと姉ちゃん
実体のない「このご時世」とやらを、みんなが忖度していくうちに、想像の共同体としての「ご時世」が出来上がるというのが、日本社会の特徴か。忖度という言葉は難しいが、今風に言えば「空気を読む」だ。この言い方にすると、戦前も戦後も日本社会の底流が変わっていないのが判る。 #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん 昨日、滝子様の病名を明かしたことで喧々諤々になって、昨日の今日で自粛意識の蔓延やら、感情表現もままならないという話になったけど、ここでの反応も狙ったうえでの描写だったなら狙い通りだよ。
居丈高でひねくれ者、「一億火の玉」と檄文を唱えた花山さんから出てきた挿絵は、明るく綺麗な彩色の「ちいさいおうち」。胸に大事に抱きたくなるような、素敵なカットだった。興味が募る人だなあ。常子が彼に迫っていくのが楽しみ。#とと姉ちゃん
あんな怖くてめんどくさい初対面の花山に、常子がまるで臆せず賭けまでできちゃうのがわかるんだよね。心無い意地悪や知らんぷりに、卑屈にならず相手の土俵に乗らず、いつも良い意味で「自分本位」な対応をしてきた常子だから。#とと姉ちゃん
三兄弟にも、モブ女学生たちやタイプ室の女性たちにも、常子は卑屈にならないし対決しないし恨まない。二人三脚とかテストで一番になるとか、いい意味で自分本位なんだよね。小橋家の子育てで培われた自己肯定感が芯にあるからできることなんだよね。
お。初めてやってみたよ、自分のツイのRT。
意地悪や怒鳴られたりなど、負のはたらきかけに対する常子の「怖がらない・まともに相手しない・自分本位の対応に徹する」処し方は、本当に見るべきものがあるな。それをできるのは小橋家の子育てによって芯に強固な自己肯定感があるから。常子には既に暮らしの手帖の核があるよね #とと姉ちゃん
”ご時世” ”お国のために" をバックにした国防婦人会に対して「どこを歩こうが私の勝手です! スタスタ…」ができたのもそれだよね。相手の土俵に乗らず、自分の意思をぐらつかせず、必要以上に議論しない=勝とうとしない。個が確立してるからできる華麗なるスルー術。#とと姉ちゃん
常子の場合いろんな人に出会う中で培われてきた経験値があって、人間どんな経験も糧になるけど、だからって苛めの存在が許されるわけじゃないよもちろん。肝心なのは、経験値があるからじゃなく、確固たる自己肯定感があるから、どんな人に会っても流されたり怖がったりしないってこと。#とと姉ちゃん
逆に考えれば、自己肯定感や個の確立がしっかりあれば、意地悪するとか、虎の威を借りて優位に立とうみたいな、他人への負のはたらきかけもしない・必要ないんだろうな。「自分の暮らしを大事に」の価値観につながるね…。#とと姉ちゃん
大声で怒鳴るキャラの枚挙にいとまがないのも、逆説的にそういうことを表してるんだろうな。自分で自分を肯定できてれば外界を恐れる必要ないから怒鳴ったりしなくていい。宗吉にも大声と裏腹に気弱いところがあった。だったら、今の花山さんもそうなのかな。あー楽しみ #とと姉ちゃん
清、昔は自分を認めてほしくて構ってほしくてトンチキ自慢話してたけど、今はみんなを笑わせたくてミサワを買って出ているのが泣かせるぜ。いい男になったもんだねえ #とと姉ちゃん
なんといっても、唐沢さんの登場、そしていきなりの常子との対峙に尽きるでしょう!
五反田ミッチーよろしく、土曜にでもチラッと顔見世して終わりかと思いきや、火曜日にいきなりきましたよ。「また一人、とと世界に大声で怒鳴るキャラ登場か」という火曜のあと、水曜日にはもう複雑な内面を見せる。居丈高に常子を追い返したかと思うと「書く気がなくなってしまったよ~」とおどけて見せ、めんどくさいと言われて賭けに乗り、負けると、サラサラと迷いない優しい筆遣いで描く。ヒールの折れた靴を脱いで笑顔で去る常子を見つめる表情! 芝居のひとつひとつに意味がある。なんて楽しい。
その唐沢さんにして花山さんと対峙する常子がまたすばらしい。素っ頓狂なキャラに相対して、びっくりはしても怖がらないのは常子そのもの。迷わず素足で帰るのも。私たちの常子が、唐沢寿明演じる花山伊佐次と対峙している。物語はとうとうここまで来たんだねえ!
・・・という裏で、着々と立ってゆくフラグにおののく前半でもあった。当たり前だけど、相変わらず、よく練られている構成だと思う。一週間が終わってみれば、花山が出たのに前半は後半のクライマックスへの序章のようでもある。でも火曜と水曜、合わせて10分も出たかどうか?な花山の印象はやはり強く、「戦時中の花山」の姿が物語の中でどれほど重要かもよくわかるのだ。