『真田丸』 第25話 「別離」
鶴松の死は、死ぬ前から葬儀の段取りや天下の行く末を算段される「政治的事項」であると同時に、幼い子の死という普遍的な悲劇でもある。という両義性が、力を入れて描かれたなという印象。前者が後者の悲劇をより際立たせもする。小さな子の死すら悼まれるだけではないということ #真田丸
「もっと美味いものを食べさせ良い衣を着せて、もっと楽しい思いを…」は、天下人らしい物質的豊かさを望んでいるようで、「笑顔でいてほしい、幸せになってほしい」という、すべての親の幼い子に対する願いを表した普遍的なセリフで泣けた。三谷さんはこういうとこに力入れる作家だと思う。 #真田丸
我が子を失おうとする悲しみに打ちひしがれる秀吉の外で語られる今後の政局。氏政に対してあれほどの情を見せた家康が、鶴松の死には政治しか見ていない。けれど信繁が指摘したように、秀吉もまた落首事件等で無実の人々に無残な仕打ちをしてきた。人間の残酷な面が描き出されてる #真田丸
寧。あの場で茶々を抱きしめる包容力や強さと、大蔵卿局が指摘した「他人事」感の対比が印象的。豊臣の母として大きければ大きいほど、彼女が我が子の母になれなかった運命が沁みる。あの抱擁で思いきり泣けたからこそ、茶々はもう一度子を産む気になったのかもしれない…と思うとなおさら #真田丸
利休の死は、時代の要請でもあり、彼自身の業が招いたものでもあり。やはり両義性をもって描かれていたのかな、と。堺衆の利益になるなら何でもする、は「己のための戦をする」によく似ていて、だから先週の氏政と同じく、戦国の世からは退場しなければならなかったということ。#真田丸
一方で、金の大いなる力を知るからこそ茶に打ち込み、俗を聖で打消しながら互いを両立させてきたようで、やはり己の業はコントロールできなかったということ。茶々が発注した像のサイズをあまりにもダイナミックに間違えたwのは、やはり無意識のうちの肥大というか、業の結実ではないかと。#真田丸
これまで、武士ではない茶人が切腹するというのがどうも腑に落ちなかったけれど、今作の「己のために戦をする利休」「業の深い生き方」という描き方を見ると、何となくナルホドという気はした。治部や刑部にとっては並みの武将や大名以上の端倪すべからざる人物だったんだろう #真田丸
そう、刑部。利休切腹のまさかの黒幕。当初、融通の利かない三成のサポート役のような顔で登場しといて、回を追うごとに「マキャベリストはこっちか!」て危うさがどんどん露呈してきて、何が「殿下に気に入られたら厄介だぞ」だ、おまえのほうやん!と叫びたいところで来週娘が登場って怖い!#真田丸
大谷刑部。軽率とは違うけど、直情的で「溜め」がないって印象。こうと思えばすぐ動く。名将・真田安房守に会いに来たり、落首事件で秀吉を諌めようとしたり身代わりを仕立てるのに躊躇なかったり。決して愚かではないけど、直情的な分、三成に比べると深慮や大局観に欠けるのかな。#真田丸
大谷刑部その2。「祟りなんてあるわけない」と言うセリフには近代的合理性が窺えたけど、その彼を襲うものを歴史好きは皆知っている…(戦慄)。重要なのは、この一部始終のすべてを三成が知っていることだ。合理性ではなく、加藤清正たちと共に水垢離することを選んだ彼が。#真田丸
因果応報よりさらにもっと大きな「運命の呼び水」、その畏ろしさや皮肉が次々に描かれた回。鶴松の存在と利休の死。利休の死と大谷刑部。茶々に魅入られていた利休。利休の茶を飲んだ信繁。今後、寧の抱擁で心を溶かした茶々が秀頼を産む。信繁が秀吉に求めたのは良い言霊のはずなのに… #真田丸
「運命の呼び水」。小さな真田家まわりの話では、矢沢の大叔父に苦労し稲に参ったから信幸はおこうを抱きしめる(そして多分子どもが…?)。松は茂誠と再会し記憶を取り戻すが、その幸福はおばば様との別離の呼び水にもなる。高価な煎じ薬を飲んだ昌幸は多分ちょっとだけ元気になるだろうw #真田丸
そして、山吹の花を食べるという荒業で茶々の呪いを封じて見せた「生命力の象徴」のようなきりちゃんが離れていくとき、秀次に何が起きるか、想像しただけで泣きそう。しかもこの秀次の良い人具合からして、今日は求愛したけど、結局は自分からきりちゃんを解放しそうな…(泣) #真田丸
寒がりで暑苦しい父親にスポイルされてる稲と、信幸と真田家への思いで心身を支えてるおこう。2人共を幸せにするには、2人共を抱くしかない。と思ってきた私だけど、あの謹厳な信幸が、自分の「辛…」に耐えきれず、離縁した方の妻に先に手を出す展開にはぐっときた。人間てしょうがないな!#真田丸
金を、利休は世を動かすために使いたい。秀吉は己(の大事なもの)のために次々と築城するのに使ったり。信幸は「城を補強するくらいなら領民のために使いたい」。細やかな苦労や胃痛を味わいつつも、信幸が「己のための戦をしない、新しい時代」に生き残るのがわかるね。差入れ上手な家康も。#真田丸
「地雷」と言いますか、とっても苦手な分野って人によっていろいろだと思いますが、私は「子どもが死ぬ」展開。だから鶴松の死をがっつりやられたらつらいよなー、でもこのドラマならがっつりやるだろうな、薄っぺらくされるのも違うしな・・・といろいろ考えながら録画を再生して、秀吉の「鶴松は何のために生まれてきたんだ」から涙をこらえるのに必死でした。悲しいよ。本当に悲しい。
これまで、どうも人間らしい情ってもんに欠ける(三成なんかよりよっぽど!)きらいがあり、正室の寧にも「昔から怖い人だった」と証言されている秀吉が、我が子に関しては、どこまでも普遍的な親の愛情を見せていたのが、なんかホッとするような、だからこそ怖いような…だよね。鶴松が息絶えたあと、呆然と部屋を出ていく茶々の表情と歩き方、今作の竹内結子には何度も何度も目を瞠らされます。後ろでとってもかわいい音がころころと鳴っていて、秀吉がやはり呆然と、愛児の亡骸に向かってでんでん太鼓を鳴らしているんだよね。抑制された中に想像を絶する悲しみが表現された演出だった。
鶴松の臨終を御簾を隔てて見届けた寧は、何を思っただろうか。秀吉に寵愛され、子宝にまで恵まれた茶々に対して、これまで心穏やかなだけだったとは思えない。けれど茶々は子どもを持ったからこそ、その子を失うという未曽有の経験をするわけである。同じく我が子を失くしためおとを前にして、寧が秀吉ではなく茶々のもとに行ったのはなぜだろう。女として茶々の悲しみのほうに共鳴したのだろうか。秀吉にはどんな慰めすら通じないと思ったんだろうか。
何にしても、寧は豊臣家の人間であり、茶々のこともまた「豊臣の家族」だと思っているんだろうな。秀次や、宇喜多秀家、小早川秀秋、そして清正や正則も、鶴松の死を家族の悲しみとして受け止めていた。一方で、外部の人間たちの薄情なこと。でも、それが人間ってもんだろうな。秀吉はこれまで、諸大名たちの心中など忖度せず、踏みにじることもかまわずに、駒のように使いながら天下統一への事業を行ってきたのだから、なおさら。
そんな中で、政治とは一線をおいた(というか何の力もない)存在で、鶴松の容態を父にも伏せ、秀吉や茶々の悲しみに心を寄せるという、「豊臣家の外の人間」としては唯一といっていいほど人間的な振舞いを見せていた信繁が、良かれと思って秀吉から引き出した言葉といったら・・・! 三谷さん恐ろしいもんを描くなと思った。
「さだめ」と言ったが、利休が結局は「己の業」によって滅ぼされるのなら、これまでの酷薄さにプラスして我が子への執着が、やはり秀吉と豊臣家の業になるのだろうか? そして、秀吉から大陸出兵の言霊を引き出してしまった源次郎は? それも彼の業としてカウントされちゃうんだろうか?!
鶴松の死と、利休の死。
鶴松が死ぬことによって「やはり豊臣は一代で終わるかも」と関東の両狸がほくそ笑む。全国に似たような大名・諸将は大勢いただろう。彼らは秀吉に押さえつけられ、場合によっては虐げられてきた。自分の領国を自分で差配し、それがままならないときは戦場で暴れまわる、そんな世に戻りたいと思っている。戦国乱世はある意味フリーダムなんである。
でも利休は言った、「戦は儲かりまっせ」 誰か源次郎が儲けるための戦をするために払われている犠牲は何だろうか? やっぱり戦の時代が終わっていくのは正しいんだと思わされる。けれど利休が死に、鶴松が死んで、このあとは半島出兵の時代になる。
利休の祟り。について考えると、頭がこんがらがる。
死んだ利休が、秀吉への恨みで鶴松に祟った?
でも、利休の死を呼び寄せたのは、茶々?
では、結局は死神たる茶々が鶴松の死を招いた?
鶴松の死によって大陸出兵の言霊が成った。
それを引き出した源次郎は、いつかどこかでその代償を払うのか?
でも、源次郎って、「利休の業の茶」を飲んだんだよね。だから、あれは利休が(利休の業が)引き出した言葉ともいえるのかな。
大陸出兵は多くの悲劇を生む。
秀吉政権の大いなる負の財産になる。
もとをただせば、利休の祟り? その元をたどれば、茶々の死神パワー?
いやいや、秀吉の単なる自業自得?
利休は、大谷刑部にも祟る?
その大谷と運命を共にする三成は?
そして三成と、最後まで豊臣のもとで戦う源次郎は?
しかし、利休にそんなに祟られるいわれはあるのかね(笑)。
ただ、氏政に続いて滅ぼされた利休もまた、やはり「戦国の象徴」なんだと思う。己のための戦をする人。
新しい時代を迎えるまでに、戦国人は駆逐されていくさだめということだろうか。昌幸なんて典型的な戦国人だ。その昌幸をリスペクトして、いの一番に会いに来たのが大谷刑部だ。三成は「戦乱の世を終わらせる」ビジョンを持っていて近世人に近いポジションのようでいて、今回は水垢離をしていた。というか、前回は昌幸に戦の指南を頼んでいた…。そして不器用な自分をずっと友がら的に遇してくれる大谷刑部に対する情が厚そう!
近世人になれる者だけが生き残る。お兄ちゃんのように。お兄ちゃん今日も苦労してたw 苦労して足掻いてかっこ悪くても、自分のための戦争をしない新しい時代に順応できる者が生き残る、と。うん、源次郎は最後に、己のための戦をするような気はする。これまで死んでいった盟友や愛すべき人々の思いを勝手に背負って。源次郎って、そういう業の深い人間なのかもしれない。いや、まだわかんないけどね。
(おまけ)先週の月曜日、北条滅亡回についてまだ考えてる、つらつら連ツイ
1.抗戦する氏政を諸将が羨むキーワード「己のための戦」。「戦国とは、貧しいから(食うために)/ 生き延びるため戦う時代」って時代考証が根底にある #真田丸 ワールドだから「ン?」と思ったんだけど、己が生き延びるための戦を「己のため」と表現したんだな、と腑に落ちてつらつら連ツイ→
2.己のための戦=己の領土を守るため己が戦う(←同盟や謀略等も含め)。そんな「自己解決・自力救済」が中世の特徴なんだよね。土地が律令による支給の口分田だったり、大貴族の荘園だったりした古代から、武士が台頭して「この土地は俺のだ」と主張し戦うようになったのが中世。→ #真田丸
3.そんな「己のための戦」ができなくなるのが江戸時代。自力救済とはいえ戦はしないほうがいいに決まってて、大名配置や法などのシステムをガチガチに作りあげ戦を卒業し、日本は中世(乱世)から近世に突入した。秀吉政権はその過渡期。三成などには乱世終結のビジョンが窺える→ #真田丸
4.昌幸や景勝にしてみれば、今まで中小とはいえ独立企業の社長だったのが、超メガ企業にM&Aされて連結子会社になり国際会計基準を押しつけられ、経営判断のひとつもできなくなる、って感じ? そりゃやっぱり素直に馴染めない人間がいるのもわかるよね。でもそうしないと潰される。→ #真田丸
5.氏政はそれに抗った。それが小田原合戦、「己のための戦」。諸将は羨むけど、やはり氏政は滅ぼされなければならない。「己のための戦」をする者は生き延びられない。それが中世から近世に向かう時代の波なのだ。そう考えると、#真田丸 における利休切腹の解釈にもつながりそうで面白いなと。→
6.北条にも鉛を卸していた利休。己や堺商人が儲かるため軍需は大歓迎で、だから戦をけしかけ、敵味方双方に武器を売る。それは利休の「己のための戦」であり、中世ではある意味当然のことだった。でも「己のための戦をしない」近世システムからは排除される。だから利休は滅ぼされる→ #真田丸
7.戦国→織豊期→江戸 という流れ、今その過渡期なのは歴史の知識として自明だけど、ちょっといきなり出てきたような「己のための戦」って言葉が、大河でよくある「乱世を終わらせる」教のお題目とは一線を画して時代をよく表現していて、利休はもちろん、今後の展開にも繋がりそうだなと。#真田丸
秀吉の天下統一が1年のほぼ折り返しにもってこられて、「己のための戦をする時代がとりあえず終わっていく」のを見て思うに、#真田丸 はやっぱり「中世(戦国乱世)→近世(江戸)」という時代の境目を意識して書かれてるんだなあと。本当の中世の終わりはきっとドラマの最後なんだろうね
「己のための戦をする氏政を羨みつつも、秀吉に頭を垂れ道化を演じる政宗になるしかなかった諸将。もう少し早く生まれていれば、もう少し○○だったらと、さだめを悔いる者たち。それは私みたいな一市民も同じ」…って書いたけど、結局、氏政は滅びて政宗は生きるんだよね江戸時代まで。 #真田丸
変化をよしとせず、誇りを守り、時代に殉じて死んだ氏政ではなく、屈辱をかみしめながらでも生き残って、「己のための戦をしない」江戸時代の新しいシステムを運用した諸将たちによって、簡単に戦が起こらない、人命の価値が上がっていく「近世」が作られるんだよね。#真田丸
今の秀吉の描き方を見ていると、秀吉時代には届かなかった近世が家康の時代に始まるのは、家康(徳川)のシステム作りの巧さもあろうけど、(秀吉と違って)独裁的じゃなかったのではと思う。「己のために戦をする時代はもう終わろう」という多くの「政宗」たちの合意に拠って始まる江戸時代。#真田丸
家康が、主人公にとってラスボスでありながら、情深く魅力的な人物として描かれてるのは、もちろんそのほうが物語に厚みが出るからだけど、秀吉とは違ったやり方で=諸将の合意のもとで天下を治めた「近世という新しい時代にたどりついた英雄」として捉えてるんじゃないかなとか。 #真田丸
でもさ、そうやって考えると、信繁が完全に迷子。#真田丸 見てて、秀吉も、家康も、三成も、氏政も、茶々も、昌幸も信幸も何となくわかるの。天下取るのも滅ぼされるのも取り残されるのも生き残るのも、人物描写や時代の描き方を見てると未来が何となく想像できるの。でも信繁だけが本当に謎!
#真田丸 では、滅びる者を、気高く、自分の生を生ききったとして描くけど、決して滅びのセンチメンタリズムには陥らないよね。かっこ悪く足掻きながら生きる者の面白さすばらしさも描いてて、「戦は嫌でございます」とは言わせないけど、無数の生と死の後にやってくる新しい時代を肯定すると思う
だとしたら、その新しい時代に乗らず、辿りつかず、大坂で滅びてゆく信繁って何なの?っていう。もちろん自分の生をまっとうするんだと思うよ。でもなぜ、豊臣のほうほうを選んで滅びていくのか?って、ほんっとそこ、有働さんがどんなにナレバレしても謎すぎる、#真田丸 の最大のミステリーだよね!
やっぱり、先に滅びる者を決して貶めず、尊く描いてるんだけど、あとに生き延びる者(それは政宗や景勝のように心ならずも権力者に従い生き延びることしかできなかった人々)たちも決して貶めない脚本だよなあ。だって政宗や景勝は、今を生きてる視聴者の私たちそのものだもん #真田丸
誇り高く滅びず江戸時代まで生きのびる諸将たちは、勝ち組じゃなく、足掻きながらなりふり構わず現実を生きる「かっこ悪い組」なんだよね。それを視聴者の姿に重ねてあるんだと思う。そういう無数のかっこ悪い組が新しい時代を作っていった。家康はすごいけど、彼一人の力じゃなくて。#真田丸