『真田丸』 第26話 「瓜売」
天下統一したからこその唐入り。人には仕事を与えねばならないから。全国の兵が集められ、大金を使って城を築き渡海。半島で命のやりとりが行われる一方、肥前では茶番極まりない催しが。何という落差、何というバカバカしさ。天下泰平って何なのさ、全然すばらしくないやんと思わせる。#真田丸
唐入りを秀吉の狂気ではなく限界として描いていて、とても腑に落ちた。太平の世で多くの侍に仕事が必要なのは真理。それは理解していても、具体案が唐入りになり、士気の低さを悟っていてもどうにもできないのが豊臣政権の弱さ。続く徳川幕府は新しい社会システムを巧緻に作り上げる #真田丸
「これも戦じゃ」と昌幸は言ったけど、自分の領土を自分で守るために戦っていたあの頃とは違う。太閤の下知ひとつで海を渡り異国を攻める。太閤より芸達者ならば披露は許されない、そんな尊厳のない世界。秀吉自身も己を見失いかけている。あそこで茶々を身ごもらせたのは誰なのか? #真田丸
城の奥深い暮らしから全国の武将の集まる肥前に連れ出し、気分を変えよと。それは半分、公認したということ? 政権の安定化のため、もう一度、茶々が世継ぎを生むことが必要だと。序盤の秀吉と茶々は目も合わせず言葉も交わさなかった。無事のお産でも、なお硬い表情の大蔵卿局… #真田丸
飲み会のダブルブッキングや宴会芸に辟易する信幸。かつて昌幸に「乱世が終わったら、あいつの時代」と評された信幸は、秀吉の作った太平の世にまったく馴染めてない。上に媚びへつらったり、うまく立ち回ることのできない信幸のような男が真価を発揮できる時代はまだ先。#真田丸
とはいえ、今回の信幸は平八郎に嘘を見逃され、うまく立ち回れたのだと思う。いくらなんでも、おでこゴチンまでしといて酒と白粉の臭いに気づかないはずない。自分の面目もあれど、平八郎は信幸をかってるんだろうと思う。信幸のまっすぐさは着実に通じていってるんだよね。 #真田丸
真田家、心はひとつ!…とは、簡単にはいかないわけで…という、稲&おこうや、信繁&すえの描写。「怠るな」って訓戒がすごくよかった。失わないため、守り抜くためには、いつも怠らず励まねばならない。大変だけどそれが生きるってことなんだ。とりさんの風格とユーモアで自然と腑に落ちる #真田丸
先は読めない、大事なのは己のさだめというおばば様の言葉に、自分本位で生きることの大切さを感じる。おとり様の生きた長い時代、真田家はずっと大変だったんだもんね。時代や政権や上司など、環境に理由を求めたり振り回されず、己の道を生きること。己のための戦ができない時代になっても。#真田丸
あれだけの側室を従えてなお、きりを求め、しかも無理強いせず辛抱強く待つ秀次に逆に闇の深さを感じる…。そしてきりが言下に断らず、上田で決断したあともまだ保留し続けているのは、秀吉から離れられない信繁との相似形なのか。やるせない表情ばかりのきりちゃんはやるせないですな #真田丸
真田家のとり、豊臣家の寧というゴッドマザーが描かれる中、今日は、春・たか・すえという真田信繁に集う女たちが全員出てきた回でもあった。これからの後半、きりは真田信繁家のどんなゴッドマザーになるのかな。きりは、とりにも寧にも仕えたことがあるね。#真田丸
佐助、泣くこたぁなかろう(笑)
面白エピソードのはずのやつし比べが・・・なんて虚しい結末だったでしょう。張り切る者がいて、出場できない者がいて、ともあれ皆社長のの接待パーティのつもりだったのに、接待されている本人が実はその虚しさ徒労を悟りきっていた。
「士気などとうに下がっておるわ」 この一言の威力! けれどどうすることもできない。天下統一、虚しい。虚しすぎる。もはや誰もが・・・秀吉本人さえも、「天下統一された世界」に身を捧げるしかない。その中身はほとんど虚構というか空っぽというか。秀吉政権が過渡期であることを強く印象付ける。
足掻きながらもたくましく生きる人間たちの姿が描かれるドラマだけど、同時に「時代」「時代の移り変わり」を描こうとする意思も強く感じている。信長が滅び、大坂にこれまでとまったく違う秀吉政権が樹立して、やがて北条が滅び千利休が滅んで天下統一が成っている。時代は着々と移り変わっている。しかし未だなお、過渡期である。という今。
時代の激動が描かれていく中で、信繁兄弟の祖母にして真田家のゴッドマザー・とりがこの世を去るにあたり、「そんな時代に翻弄されない個」を語った。物語に打たれた楔、ここから大きな転機だな!
武田滅亡以前の真田の興亡について、ドラマは多くを説明しない。説明せずとも、「長い激動を雄々しく生きてきた戦国の女」としての存在感を草笛光子がばっちり醸している。そのとりが、死を前にしながら(ナレーションが物語を語ろうとするのに抗して!)堂々たる立ち姿と声音で言い遺したのは、時代を超越し、物語すら超越しようとする、この物語のシャーマンのお告げのような言葉なんだろう。
人はみな、さだめを持って生まれてくる。早いも遅いもない。己がさだめに気づくかどうか。
「さだめ」とは、もともと、天から与えられるような、不可避・必然なニュアンスの言葉だけれども、ここでは同時に「自分で決めるもの」という意味合いがあるようにも感じた。時代のせいにせず、環境のせいにせず、逆境にあっても己がさだめのために生きる。「真田を守り抜け」と行ったのは、それが戦国に生きる者の自然な姿でもあり、それがとり自身の「さだめ」であったということだろう。
「見ておるぞ、ばばは。怠るな」という声かけがよかった。先に逝った人が天から見ている。その人に恥じないように生きる、というのは日本人らしい死生観で、「怠らず生きる」というのは天に恥じない・・・それは、己に恥じない誇り高い人生を示しているように思える。天と己がイコールで結ばれるような感じをイメージした。そういえば氏政も家康・景勝・昌幸に対して「見ているぞ」のようなことを言っていたね。
時代を描きながらも、時代に押し潰されない兄弟の姿が、これから描かれていくんだと思う。まだまだ、時代の波間に消えていく人人がたくさんいるけど。というか主人公こそ、そういう類の人としてこれまで認識されてきたわけだけど。
これまでにも、兄弟2人並んで里を見下ろすシークエンスが何度かあった。2人が違う道を選ぶとき、きっとまた繰り返されるんだろうね(泣)
てか、やつし比べ面白すぎたんだけど(笑)。ああいう場面は、三谷さんはさらさらっと書くのかなあ。それとも腕によりをかけて念入りに仕込んでいるのかなあ。クドカンが「潮騒のメモリー」の歌詞を5分くらいでサラーッと書いた、みたいなこと言ってて、ああいうのってセンスなんだなーと思った記憶があるけど。
作り手も、視聴者の私たちも、内野さんの見事な腹作りを声を枯らして称賛したい。そんな感じでしたね。昌幸パパの美しすぎる&美声すぎる瓜売りも良かったし、小日向さんが売り口上始めたときにはひっくり返りそうになった(笑)。見ている堺さんの表情もいいし、「殿下はご自分を見失っておられます」三谷さんのセリフも冴えまくり。
印象的だったのは、兄弟2人してばば様に向かって「時代」について問うんだけど、同じ危機意識を持つに至る過程は対照的なんだよね。信繁は、秀吉を見たり、三成や刑部と話したり、実際の仮装大会での人々の様子など「外」のいろいろを見て、感じ、判断してる。信幸の心を揺さぶったのは(家康とも話したけれども)とにかく「父・昌幸」の瓜売騒動一部始終。いつもながらにそこは徹底されてるなと思った。信繁は自分の目で広い世界を見てる。信幸はいつも、父の姿を通して世界を見てる。であれば前者のほうが断然有利っぽいのに、2人の視野の広さや見通し能力にはほとんど優劣なく、むしろお兄ちゃんはなんだかんだいっていつも時代の先を見ていて、しかも生き残るんだよね。
もちろん秀次の乱高下もつらかったけど(新納さんほんとうまい!)やるせない顔ばかりのきりちゃんもなんか切ないなー。茶々に執着される(そしてなんだかんだ言って自分も気になっている)信繁と、秀次に執着されるきりちゃん(なんだかんだいって離れられない)きりは、今んとこパラレルなんだな。となれば、本来のウザさがなりをひそめてるきりちゃん同様、秀吉や茶々のそばにある信繁もやはり本調子じゃないのかもしれない。
いや、きりちゃんの「秀次さまはご自分の話ばっかり」はさすがだったけどね。身分差考えればあったりまえだろ! しかし身分柄、自分の話をいくらでも聞いてくれそうな側室を山ほど抱えながら、きりを求める秀次ねぇ・・・。
物語が折り返しまで来たのに、主人公(今作では兄も含めていいだろう)がまだ自分の家族をしっかり作っていないって、すごく珍しい大河だと思う。信幸にも妻2人いるけどどちらともおさまるべきところにまだまだおさまってない。もちろん、意図的な作劇なんでしょう。今回、とりの逝去と時を同じくして、稲とおこうが同席し、春・たかという信繁の妻になる女たち、そして娘のすえも出てきた。これからその辺もしっかりしなきゃね!って感じに描かれるんだろうなー。楽しみ。
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